第2話
「自由だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
脳みそを通さない本心が、そのまま絶叫となって噴き出した。
くだらない世界、くだらない奴隷契約、そしてくだらない勇者パーティー!
これで本当にサヨナラだ。
二度と戻ってくるかよ、こんなクソみたいな世界!
俺はヘラが魔王と血みどろの死闘を繰り広げている隙に、こっそり描いておいた転移魔法陣を発動させ、あらかじめ準備しておいた洞窟の前に移動した。
洞窟の奥深く。
そこには実に5年という歳月を費やして完成させた『魂転移ゲート』が口を開けていた。
「はぁ……ついに……!」
5年前。
世界で唯一の『11サークル大魔導士』として、勇者パーティーに強制徴用された日。
俺は天に向かって中指を立ててやった。
「くたばれ、このクソ女神!!」
大魔導士としてこの世界をおさらばする方法をあと一歩のところまで突き止めていたのに、突然「世界を救え」なんて命令を押し付けられたのだから。
勇者パーティー。
聞こえはいいが、実態は勇者の世話を焼きつつ皇帝の命令でこき使われるブラック企業以外の何物でもなかった。
当然ソク辞めたかったが、契約はすでに成立していた。
手首に黒い烙印のように押された、本物の奴隷契約。
その悪質な契約を解除する唯一の方法は、本当に魔王を倒して世界に平和をもたらすことだけだった。
だから倒した。
まあ、大した手間でもなかったが。
そうして魔王の首を刎ね、俺はついに真の自由を手に入れたのだ。
「準備完了。」
このゲートに身を投じれば、俺の魂は次元を越え、俺が渇望していた完璧な世界へと転移する。
そこがどこであれ関係なかった。
遙かな未来だろうが、文明の遅れた過去だろうが。
俺が望む条件はたったの二つ。
一つ、コーヒーがクソ美味いこと。
この世界の泥水みたいな……いや、泥水の方がマシなレベルのゴミみたいなコーヒーには心底ヘドが出ていた。
二つ、可愛い猫がたくさんいること。
この世界の猫は、どれもこれも世間の荒波に揉まれたドカタのおっさんみたいな顔をしている。
俺が子供の頃に本で見たような、小さくてモフモフした猫を心ゆくまでモフり倒したい。
ゆえに、向こうに着いたらその二つを合体させた『猫カフェ』を開くつもりだ。
温かな日差しを浴びながら、猫の腹に顔をうずめ、一日中ゴロゴロして暮らす生活。
それこそが、苦しかったこの5年間……いや、俺の36年の人生に対する正当な報酬だった。
「行くぞ。」
俺は迷うことなく、光り輝くゲートの中へと飛び込んだ。
「さらばだ、糞みたいな世界よ! 二度と会うこともないだろうがな!」
それが俺の最後の記憶だった。
目を覚ませば、温かい猫の毛玉たちが俺を出迎えてくれる――そんな根拠のない自信と共に、俺の意識は白く弾けて消えた。
***
チリン― チリン―
「ありがとうございましたー! お気をつけてお帰りくださいー!」
機械的な挨拶が唇から漏れ出た。
異世界……いや、俺がいたあのクソみたいな世界を去り、この『地球』という場所に来てから早くも半年が経つ。
結論から言おう。
人生、マジで世知辛い。
猫カフェを開いて陽だまりの中で猫の腹でも撫で回すという俺の壮大な夢は、ここ『日本』という資本主義の頂点に立つ国の壁の前に、無惨にも打ち砕かれた。
「はぁ……。」
客の出て行った店内、ガラス窓に映る自分の姿は違和感しかなかった。
この世界へ渡ってくる際、俺の肉体は20歳そこそこの美少女の姿へと変貌していた。
36年間ゴリゴリの男として生きてきたんだ、性別なんてどうでもよかった。
むしろ前世より遥かにマシになった容姿は、鏡を見る楽しみくらいにはなってくれたのだから。
サラサラと揺れる銀白の髪に、宝石を嵌め込んだような冷たい碧眼。
誰が見てもモデル顔負けの美少女だったが、現実はドン底だった。
「前主は一体どんな生活を送ってたんだよ、マジで……。」
俺がこの体に乗り移った時、最初に目にしたのは猫カフェではなく、山のように積み上がったコンビニ弁当の容器とゴミの山だった。
おまけに口座残高は0円を通り越してマイナスに突入しており、家賃はすでに三ヶ月分滞納。大家のおばさんの視線はヘラの聖剣より鋭かった。
これだけの顔があればどこへ行ってもチヤホヤされて生きていけただろうに、なぜこんなゴミ屋敷で野垂れ死にかけていたのか。
理解に苦しんだが、ひとまず生き残ることが優先だ。
『スマートフォン』とかいう妙な機械で稼ぎ方を検索し、なんとかバイト先を見つけた。
この半年、必死に働いてきたおかげで家賃だけはどうにか払えているが、口座残高はいまだにマイナスのままだった。
スマホをはじめ色々と見る限り、ここは俺のいた世界より遥かに発達した文明社会だった。
魔法は使えず、人々の神聖力も雀の涙程度だが、文明の発展具合だけは見事なものだ。
特にこのスマホ。
分からないことがあれば検索エンジンに打ち込むだけで何でも教えてくれる。もはや天使の導きレベルだ。
(ちなみに言語は次元移動の際にセットしておいたので、ごく自然に日本語が使えた。)
ともあれ、そのおかげで大魔導士レオン……いや、今は『シノ(蒼井 詩乃)』となった俺は、猫カフェの開業どころか他人のカフェで最低賃金をもらいながら労働する羽目になった。
この『シノ』の体、顔も可愛いし良いこと尽くしなのだが……身長が実にちんちくりんだ。
(何で全部見上げなきゃいけないんだよ、クソが。)
俺の見立てでは、身長は130〜140cm程度しかない。
体重も30kg台。もはや魔法アカデミーの低学年レベルだ。
「マジで疲れるな……。」
スチームミルクを作り、エスプレッソを抽出し、理不尽な客の機嫌を取っていると、いっそ魔王と3泊4日でタイマン張る方がマシだとすら思えてくる。
さらに悪いことに、この世界もまともではなかった。
1年ほど前から『ゲート』だの『ハンター』だのという異常現象が発生し、世間が大騒ぎになっているらしい。
空に穴が開き、モンスターが飛び出してくる光景。
だからどうしたというのだ。
あんな光景、前世で嫌というほど見てきたので何の感動もなかった。
世界が滅びようが知ったことではない。
俺の優先順位は明確だった。
一、金を貯める。
二、滞納した家賃を払い、あのゴミ屋敷を脱出する。
三、最後に絶対に……自分の店を持つ!
「よし、やるぞ、俺……じゃなくて、私。」
俺は自分を奮い立たせ、隅に置かれたモップを握り締めた。
今は他人の家の奴隷も同然の身だが、俺の手にはいつでも世界をひっくり返せる魔力が……眠っているはずだった。
あ、もちろんそれもここに来てほとんど消え失せていたのだが。
そもそも魂移動のために体内の魔力を使い果たすのは事実だが、普通なら二、三日で自動回復するのが当たり前だ。
11サークル大魔導士であるこのレオン・ラバンチを誰だと思っている。
だが、この世界は異常なことに大気中に魔力が含まれていなかった。
結果として、現在俺の体内の魔力はほぼ『0』に近い状態だった。
「どんな欠陥世界だよ、まったく……。」
ウゥゥゥゥゥゥゥン――!!!
その時、突然カフェの外の通りからけたたましいサイレン音が響き渡り始めた。
(ん……何事だ?)
俺は手慣れた手つきでスマホを取り出し、検索窓で調べた。
やはり分からないことがあればスマホに限る。
―[突然外でサイレンが鳴り響いてるんだけど]
検索してみると、同じような質問をしている人がおり、それに対する回答も載っていた。
―[回答:近くでゲートが自然発生している合図です。すぐに避難してください!]
近くにゲートでも開いたらしい。
窓の外を見ると、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っており、通りの中央で空間が渦を巻いて何かを作り出し始めていた。
だが、そのゲートの形状は俺の知るゲートとは少し違って見えた。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「……あー頼むから。あと3分でシフト終了なんだから、それまでは開くなよマジで。」
俺は床を拭きながら呟いた。
その時、背後から店長のおばさんの金切り声が聞こえた。
「ちょっと! シノちゃん!! 何やってんの!! 早く逃げなさい!!!」
「はい? まだ退勤まで2分21秒残ってますけど?」
「何バカなこと言ってんのよ今! 外にゲートが開いてんだから早く出ないと!!」
「あ……じゃあ早退扱いですか? 退勤処理してくれるんですか?」
「違う!! ああもう!! そう!! そうだから!! 早くこっち来なさい!!」
「じゃあ働いた分の時給は――あっ。」
店長は俺の細い手首を強引に掴んで引っ張っていった。
「早くこっちへ!」
「あ……はいー。」




