第11話
一時隔離区域に指定されたコンテナテントの中。
俺は協会職員に案内され、テントの奥に置かれたプラスチック製の椅子に腰を下ろした。
「しばらくここで待っていてください。すぐに身元確認と簡単な事情聴取を行います」
ぶっきらぼうな職員の言葉とともに、テントのファスナーがスルスルと閉じられた。
テントの中には俺一人だけ。
『俺のにゃんこ……!』
さっきの子猫は協会職員たちが一斉に駆け寄ってきて、俺の腕の中から引き離したあと、別の隔離室へと連れていかれてしまった。
『ああああ~! クソォ……生きてる気がしねぇ~!』
猫がいないだけで、こうも人生が味気なくなるものなのか。
いきなり犬でも入ってこないかな。
俺は心の中でぶつぶつ文句を言いながら、テントの入口をちらりと見た。
「……」
『もう帰っちゃおうかな。面倒くせぇし』
テントの中は空気がこもっていて、プラスチック製の椅子は尻が痛くなるほど硬かった。
そして、とにかく疲れていた。
今日やったことなんて大したことはない。
それでもバイトというものは、実に疲れる。
さっきのゲートより、朝からやっていたバイトのほうがよっぽど大変だった。
魔物を相手にするのは何年もやってきたが、人間を相手にする経験が少なかったせいだろうか。
いろいろと疲れる。
精神的にも、肉体的にも。
身長180センチを超える男性客が来ると、首が痛くなるほど見上げなければならない。
『い、いらっしゃいませ……』
発音までおかしくなって恥ずかしい。
それに、機械はなんであんなに高いところにあるんだ……。
首が痛すぎる。
本来なら定時に帰って、今頃は暖かい布団に包まって、掴めもしない小さな胸を揉みしだいてオナニーでもしているところだった。
『はぁ……早く帰ってオナニーして寝てぇ……』
俺、レオン・ラバンチ。
三十六年の人生と五年に及ぶ戦争を終えた大魔導士だぞ。
それなのに、どうしてこんなところで事情聴取を待っているんだ。
『……猫に会いてぇ』
そんなことを考えていると――。
「……」
気づけば、かなりの時間が経っていた。
俺は手首を見た。
『……五時間くらい経ったか?』
ちなみに、手首には時計なんてない。
俺はテントの入口をじっと見つめた。
「……」
『よし。そろそろ俺は帰らせてもらおう』
そう思って立ち上がろうとした、その瞬間だった。
スルッ――
テントのカーテンが開き、黒いストレートヘアの女性が中へ入ってきた。
手にはタブレット端末を持っている。
『……よし。もう少しだけ座っておくか』
女性が入ってきたのを見て、俺は何事もなかったかのように椅子へ座り直した。
『もうちょっと早く来てくれよ……』
トンッ。
彼女は向かい側の椅子に座り、タブレットを机の上に置いた。
そして俺の顔を一度だけちらりと見たあと、眉をひそめながら画面へ視線を落とした。
『……なんだよ』
「蒼井詩乃。名前は間違いありませんね?」
「はい」
「では、まず基本的な身元確認から始めます。私は神谷冴香です」
『神谷冴香……神谷さん、か』
俺は彼女の顔を見た。
「じゃあ……神谷さんって呼べばいいですか?」
「はい。それで結構です。質問するのはこちらです。余計なことは言わなくて結構です」
「はい……」
俺は少しだけしょんぼりした。
『……なんか冷てぇな、この人』
神谷はタブレットを操作しながら、淡々と話を続けた。
「住民票上の身元確認は先ほど完了しました」
画面を数回スライドさせる。
「ですが……これは少し妙ですね」
神谷は眉間に深い皺を寄せ、俺をまっすぐ見つめた。
「初めて見た時は、あまりにも小柄だったので、どう見ても中学生……いえ、小学生くらいに見えました」
そして、再びタブレットへ視線を戻す。
「ところが、住民票上の年齢は……二十一歳?」
「はい。たぶん、そうです」
俺が淡々と答えると、神谷は呆れたように小さく笑った。
「……どこか身体に異常でも?」
「ありません。たぶん正常です」
「重い怪我を負ったとか……」
「ないです」
「……」
彼女はしばらく俺を見つめたあと、再びタブレットへ目を落とした。
『……俺がさっき泣いたからか?』
大人の女性だって、怖い目に遭えば言葉が詰まって泣くことくらいあるだろ。
『そんなに変なことか?』
「では……蒼井詩乃。両親は不在。保護者もなし。親戚も……なし。高校は早期退学。現在はワンルームで一人暮らしをしており、最近はカフェのアルバイトで生計を立てている。そして、特殊な魔力適性も確認されていない……」
神谷が調査記録を一つずつ読み上げていく。
『そういえば、連絡先にも誰もいなかったな』
すべて読み終えると、神谷は呆れたようにため息を吐いた。
「はぁ……まったく。こんな境遇の人も珍しいですね」
そして、俺を見つめる。
「保護者もいない。ワンルームで一人暮らしをしながらアルバイトで生活している、ごく普通の二十一歳の女性が……よりによって都市部で突然発生した単一ゲートに巻き込まれた」
神谷の目が細くなる。
「そのうえ、無傷で生還した?」
「運がよかったんでしょうね。私、けっこうラッキーな美少女なので。ふふっ」
「……美少女」
神谷は俺の言葉を繰り返しながら、呆れたような笑みを浮かべた。
「何ですか?」
「いえ。自分で自分を美少女と呼ぶ人を初めて見たので、少し珍しいなと思っただけです」
「私、可愛くないですか? ほっぺもぷにぷにしてて可愛いと思うんですけど」
「はいはい。そうでしょうね」
『……くそっ』
神谷は調査記録をゆっくり閉じた。
トン。
彼女は両手の指を組み、そのまましばらく何も言わなかった。
まるで、わざと沈黙を長引かせて、こちらから先に口を開くのを待つ尋問官のように。
「……」
だが俺は、そんな空気など気にも留めず、神谷の顔をぼんやり眺めていた。
「……」
『なんだよ。さっさと喋れよ。にらめっこでもする気か?』
俺は思い切り目を見開いた。
「……」
「……っ」
『こ、この女……やるじゃねぇか』
しばらく続いたにらめっこ――ではなく、沈黙の末。
先に口を開いたのは、神谷だった。
「蒼井さん」
さっきまで浮かべていた薄い笑みは消えていた。
その瞳には、冷たい光が宿っている。
俺も目の力を抜き、返事をした。
「あ、はい」
『くっ……負けた』
神谷は俺の顔をまっすぐ見つめながら、静かな声で言った。
「冗談はここまでにしましょう」
「冗談なんて言ってませんけど」
「あ、はいはい」
この女、絶対に俺のことをどこかおかしい奴だと思っている。
『俺は完全に普通の女として振る舞ってるんだけどなぁ……』




