第12話
その時だった。
パサッ――!
テントの入口のカーテンが、勢いよく捲り上げられた。
「神谷さん!! これ、今すぐ見てもらったほうがいいです!」
外で待機していた調査員が、息を荒らげながら飛び込んできた。
顔面は蒼白で、手に握られたタブレットは壊れたように小刻みに震えている。
しかもなぜか、夜だというのに無駄にゴツいサングラスをかけていた。
神谷は眉をひそめ、調査員を鋭く睨みつける。
「なんですか、大袈裟な。今、重要な身元確認と事情聴取の最中なんですけど」
「そ、それが……! さっき別の隔離室に移した……あの猫のことなんです!」
「あの猫?」
神谷が首をかしげた。
「あ、さっきの仔猫ですか? それがどうしたんです」
「……!?」
『なぬ!?』
俺も思わず身を乗り出した。
「……死んだとか?」
「えっ?」
神谷が目を丸くする。
「いや、そういう意味じゃなくて……!」
『よ、よかった……』
俺は大きく胸を撫で下ろした。
調査員は生唾をゴクリと飲み込み、震える指先でタブレットを操作した。
「と、とにかく……これを見てください」
抑揚のない声とともに、テントの隅に設置された小型ホログラムスクリーンに映像が映し出された。
画面に映っていたのは、俺がいる部屋とそっくりな隔離室。
その中央に、あの仔猫がちょこんと丸くなっていた。
『おお……俺のご主人様……!』
俺は目を輝かせ、スクリーンに釘付けになった。
仔猫は、協会の職員が用意した餌皿を前に、鼻をひくひくさせて匂いを嗅いでいる。
『食べようとしてる……! かわいすぎる……!』
俺の顔が自然とほころぶ。
しかし――。
次の瞬間。
仔猫を取り巻く空気が、一変した。
「……?」
小さな口が、ゆっくりと、あり得ない角度で開き始める。
「え……?」
神谷も画面を凝視した。
その口は普通の猫とは到底思えないほど大きく裂け――まるでワーム型の魔物のように、顎の骨が異様な音を立てて開いていく。
「な、なんだ……あれ……」
調査員の声が引きつる。
そして――。
ガブッ――!
仔猫は餌どころか、その下に置かれていた金属製の皿ごと喰らいついた。
バキッ!
ゴリッ、ゴリゴリッ!
金属がひしゃげ、噛み砕かれる凄惨な音がテント内に響き渡る。
「…………」
神谷が絶句する。
俺も開いた口が塞がらない。
仔猫はほんの数秒で、分厚いステンレス皿を丸ごと飲み込んでしまった。
そして何事もなかったかのように口を閉じると――。
「にゃあ……」
あざといくらい可愛らしく鳴いた。
そのまま後ろ足をひょいと上げ、毛づくろいを始める始末だ。
『…………』
俺はホログラムスクリーンをじっと見つめた。
画面の隅で、魔力測定装置の数値が狂ったように跳ね上がっている。
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「……」
神谷の顔から、完全に余裕が消えた。
調査員が引きつった声で呟く。
「こ、これ……一般的な魔物の基準値を完全に超えてます……」
そして、震える指で画面を指差した。
「S級……いや……」
「……」
「前例のない、『災害級』の魔物です」
テントの中が、完全な静寂に包まれた。
誰も言葉を発することができない。
俺も画面から目を離せなかった。
そして――。
『うわ!! すっげぇ、マジかよ!!』
俺の心の中では、とんでもない歓声が爆発していた。
調査員はしばらく画面を見つめたあと、震える声で口を開いた。
「つ、つまり、結論は一つだけです。あの魔物が……ゲートの中でゴブリンロードをたった数秒で倒し、自ら魔力を封じた状態で、その少女についてゲートから出てきたということです!」
テントの中の空気が完全に凍りついた。
神谷はしばらくホログラム画面に映る猫を見つめていた。
そして、ゆっくりと俺へ視線を向ける。
「蒼井さん……」
「はい」
「隣の部屋にいるあの猫……いえ」
神谷は一瞬言葉を選び、改めて口を開いた。
「あの魔物が、ゲートの中であのボスモンスターを倒したということですか?」
「……」
俺はしばらく黙り込んだ。
『お……おおおおおっ!!』
すげぇとは思ってたけど、まさかこんな形で役に立つとは!
もし俺がゴブリンロードを直接倒したことを正直に話していたら、今頃は協会に捕まって、あれこれ面倒な事情聴取を受けていただろう。
覚醒すらしておらず、身体からも魔力を感じられない一般人が、いきなりA級単一ゲートに入ってゴブリンロードを一人で倒して生還した?
誰が信じるんだ。
身元調査から始まって、魔力検査、能力検査、ゲート内部で何があったのかについての詳細な調査まで。
下手をすれば、国お抱えのハンターにされる可能性だってある。
想像しただけで頭が痛くなる。
まあ、金はたくさん稼げるだろうけど、猫にも会えないし、カフェでのんびりコーヒーを飲むこともできなくなる。
引退すればそんな生活もできるだろうけど、それがいつになるんだ。
それに前世では、魔法の天才という理由だけで魔塔から死ぬほど金をもらっていた。
俺だって、自分で金を稼ぐ楽しさを味わってみたい!
「は、はいっ! そうです! 猫が見えて、気を失ったんですけど! そしたら突然ゲートが! ぱかーんって!」
「それでは、蒼井さんはどうやって……」
「おそらく、あの個体に選ばれたものと思われます」
「選ばれた……?」
「はい。あの危険な魔物が偶然この方を気に入り、そのおかげで生き残ったのでしょう」
『完璧だ』
俺は何もしていない。
俺は雑魚だ。
ゴブリンロードを倒したのも猫。
ゲートの中で俺を守ったのも猫。
そして今、俺の身分まで偽装してくれているのも猫!
『うちの猫ちゃん……! 今すぐ抱き上げてぇ……! 腹に顔を埋めてぇ……!』
鉄製の皿を丸ごと噛み砕いて食べる姿まで見せてしまったけど、その姿すら愛おしかった。
『一生大事にして、高級ちゅ~るだけ食わせてやろう』
俺は心の中で大喜びしながら、表面上では必死に戸惑っているふりをした。
「は、はわわわわ……!」
神谷はこめかみをぐっと押さえた。
「……もういいでしょう」
彼女は重いため息を吐きながら立ち上がった。
「蒼井さん。ひとまず、あなたの身元と証言は確認しました」
「はい」
「あなたはゲート内部で魔物を直接倒したのではなく、あの災害級個体と偶然遭遇し、助けられて生還したものとして記録します」
「はい! 私は本当に何もしてません! ただ目を覚ましたら、あの子が鳴いていたので……可哀想だと思って抱っこしただけです」
「……そうですか」
神谷はしばらく俺を見つめた。
「それでは、あの猫は協会の特殊隔離施設で預かることにします」
「えっ……?」
「……あの個体は通常の生物ではありません。現在測定されている魔力値だけでも、一般的な魔物の基準を遥かに超えています」
神谷はタブレットの画面を確認しながら続けた。
「協会規定に基づき、あの個体は本部の特殊隔離施設へ移送し、精密検査と危険性の評価を行います」
「……」
猫を取られる?
協会に連れていかれる?
『いや、まあ……当然っちゃ当然だけど……なんでぇ? やだぁ……』
神谷は俺の震える表情を、猫を取り上げられることへの恐怖だと思ったのか、少しだけ柔らかな声で言った。
「そんなに心配しなくても大丈夫です。蒼井さんは明らかな被害者であり、一般人です。法的な処罰や拘束はありません」
「……」
「ただ、あの猫は危険性が高すぎます。協会本部の特殊隔離施設へ移送し、精密検査を行います」
「……はい」
「少しここで待っていてください。帰宅の手続きを済ませます」
神谷はそう言うと、部下の調査員たちを連れてテントの外へ出ていった。
スルッ。
ジッパーが閉じられる。
テントの中には、再び俺一人だけが残された。
「……」
俺はしばらく閉じられた入口を見つめた。
『俺の猫ちゃん……』
俺のエリジアノフェリス二世が……。
よく考えれば当然だし、仕方のないことではある。
それでも悲しい。
とはいえ、一般人という身分が確定した俺に、今すぐできることなんて何もない。
犠牲になってもらったと思おう……。
『殺したりはしないよな……? いや、あれだけ大騒ぎしてたんだ。さすがに殺すことはできないだろ』




