第34話 決壊
「——準決勝・第1試合!」
エルナの声がアリーナに響き渡った。
「Eランクパーティー・『小さな一歩』リーダー、今大会のダークホース——カイ選手! vs Cランクパーティー・『猛牙の咆哮』リーダー、今大会優勝候補の一角——レクト選手! 」
観客席が揺れるほどの歓声が降り注ぐ。
砂地の中央に、二人が立っていた。
レクトは大剣を肩に担いでいる。こちらを見下ろす目には、隠す気もない敵意があった。
「よう、Eランク。ここまで来れたのは褒めてやるよ」
レクトが口を開いた。だが、声に温度はなかった。
「けどな——お前の冒険はここで終わりだ」
僕は剣を正面に構えた。黒い刀身が、アリーナの光を吸い込むように鈍く光っている。
「——始め!」
エルナの合図と同時に、レクトが動いた。
速い。構えから踏み込みまで、一拍もなかった。大剣が振り下ろされる。だがその軌道は真っ直ぐではなかった。途中で直角に折れ曲がり、横から僕の胴を抉るように飛んでくる。
「さっさと脱落しろEランク!獣牙咬撃!」
レクトが叫んだ。開幕から全力。手加減する気など微塵もない一撃だった。
「——っ!」
咄嗟に剣で受けた。衝撃が腕を伝って全身に走る。歯を食いしばって踏ん張った。
「おっと、出ました! レクト選手の獣牙咬撃! あの技で40層の階層ボスを圧倒したと聞きます。やはり凄まじい威力ですね!」
エルナが叫んだ。
レクトは止まらない。
「これでも食らえ!」
二撃目。今度は下から抉り上げるように来て、途中で軌道が変わり、僕の肩口を狙った。受けた。腕が痺れる。
「まだだ——!」
三撃目は左から。体ごと持っていかれそうな重さ。四撃目は頭上から。すべてが途中で方向を変える。読めない。
僕は剣で受け続けるしかなかった。弾く余裕はない。一撃一撃が重すぎて、受けるだけで精一杯だった。
「どうした! 受けるだけかよ!」
レクトが吐き捨てた。五撃目。右から——途中で下に折れて、足元を狙う。
「くっ——!」
跳んで避けた。着地の瞬間に六撃目が来る。横薙ぎ。剣で受けたが、衝撃で体が横に流された。
「これで——落ちろよ! 獣牙咬撃!」
七撃目。今までで最も重い一撃が、正面から叩きつけられた。デュランダルで受け止めたが、衝撃波がそのまま背後に突き抜け、アリーナの壁が抉られた。石壁に亀裂が走り、砂煙が舞う。
「おや、しかしカイ選手、絶魔の剣閃を使いませんね。防戦一方です。ノエルさん、これは——」
「使わないのではなく、使えないのだと思います」
僕は剣で受け続けるしかなかった。弾く余裕はない。一撃一撃が重すぎて、受けるだけで精一杯だった。
「おや、しかしカイ選手、絶魔の剣閃を使いませんね。防戦一方です。ノエルさん、これは——」
「使わないのではなく、使えないのだと思います」
ノエルの声は冷静だった。
「絶魔の剣閃は、相手の魔力の形と性質を理解し、それと対になる形に自分の魔力を変換する技です。魔法であれば、属性ごとに決まったパターンがあります。火には火の、風には風の、ある程度共通した魔力の型がある。カイ選手はそのパターンを学んできたのでしょう」
ノエルが一拍置いた。
「ですが、剣技は違います。剣士が放つ技は、その剣士固有の魔力の形と性質で構成されています。同じ剣技でも、使い手によって魔力の流れ方がまるで違う。魔法のように共通のパターンがないんです。つまり——初めて受ける剣士の技であればあるほど、打ち消すことは困難になります」
「なるほど……。では、カイ選手はレクト選手の獣牙咬撃を初めて正面から受けている今、打ち消す術がないと」
「ええ。相手の技への相当な理解が求められますから。このままでは、カイ選手の体力が尽き次第——終わります」
僕は歯を食いしばりながら、五撃目を受けた。腕が痺れている。足が砂地にめり込んでいく。
やはり強い。
第一試練の時に感じたあの圧力が、目の前にある。獣牙咬撃を連発しているのに、レクトの息は一つも乱れていない。汗すらかいていない。これがCランクの地力か。
「なあ、Eランク」
レクトが大剣を構えたまま、嘲るように言った。
「お前のその魔法消しの技、どうした? 使えねえのか? それとも——怖くて使えねえのか?」
「……」
「黙ってんじゃねえよ。お前、あの絶魔の剣閃とかいうので調子乗ってたよなあ? 観客もお前を持ち上げてよ。ダークホースだってよ。笑わせんな」
レクトが一歩踏み込んだ。
「お前みてえな雑魚が、俺と同じ舞台に立ってること自体が間違いなんだよ」
だが——
僕は剣を握り直した。
「間違いかどうかなんて、君には決められない。」
レクトの目が一瞬、揺れた。
「——何だと?」
「君がどれだけ強くても、僕はここにいる。ミリアのおかげで、第一試練を乗り越えた。そして技を教えてくれたあの人のおかげでここにいる。それを間違いだなんて、君に言われる筋合いはない!」
こんなところで、終わるわけにはいかない。
レクトの大剣が振り上げられた。六撃目。右上から——途中で左に折れる。
その軌道を、今度は目で追えた。
受けるのではなく、剣で合わせる。デュランダルの刀身がレクトの大剣と噛み合い、金属の悲鳴が上がった。
「——ッ!」
レクトの目がわずかに見開かれた。
僕はそのまま前に踏み込んだ。
「おっと——カイ選手、防戦から一転、前に出ました!」
エルナが叫んだ。
ここからは僕の番だ。デュランダルを振るった。一撃、二撃、三撃。速さで押す。レクトの大剣は重い分、連撃の応酬には向かない。隙間を与えず、畳みかける。
「カイ選手、なんと獣牙咬撃を受け続けた後に攻勢に転じました! 隙間を与えていません! これは——」
「いい判断ですね。レクト選手の獣牙咬撃は一撃の威力こそ凄まじいですが、連発の合間にわずかな溜めがある。そこを突いている」
レクトは僕の連撃を大剣で捌きながら、顔を歪めた。
「調子に乗んな、雑魚が——!」
「獣牙咬撃は打たせない!」
黒剣がレクトの大剣を弾いた。レクトが半歩下がる。初めて、レクトが後退した。
「てめえ——!」
大剣を横に薙いだ。僕は身を屈めて避ける。だがレクトはそのまま大剣を振り戻し——
獣牙咬撃が二つ、同時に飛んできた。
右から一つ、左から一つ。大剣の一振りから、二つの衝撃波が別方向に走る。
「なんと——獣牙咬撃が二発同時に!?」
逃げ場がない。右を避ければ左が来る。左を避ければ右が来る。
僕は黒剣を正面に立てた。二つの衝撃波を、刀身の腹で受け止める。
衝撃が全身を貫いた。腕の骨が軋む音が聞こえた。足が砂地を削りながら後退する。だが——倒れなかった。
「ぐ——っ」
歯を食いしばって踏みとどまる。デュランダルが震えている。腕が悲鳴を上げている。
だが、受けきった。
レクトが舌打ちした。
僕は息を整え、もう一度前に出た。ここで引いたら終わる。剣を振る。一撃、二撃。速さだけを意識して、レクトの間合いに潜り込む。
レクトの大剣と、僕のデュランダルが鍔迫り合いになった。二人の顔が近い。レクトの目に、純粋な怒りが燃えていた。
「——っ!」
力で押し合う。大剣の重さに押し返されかけたが、踏ん張った。ギリギリと金属が擦れ合う音が続く。
鍔迫り合いを弾いて離れた。距離が開く。
レクトが大剣を構え直した。
「そうだ、Eランクなんて俺に成すすべなんてねえんだよ。」
そして——大剣が振られた。
獣牙咬撃。今度は三つ同時。正面、右、左。三方向から同時に衝撃波が迫る。
「三発同時——!?」
避けられない。受けきれる威力じゃない。
だが僕の体は、考えるより先に動いていた。
黒剣の刀身に魔力を流し込む。レクトの獣牙咬撃——その魔力の形。右に折れる軌道を作る独特の回転。刃に乗る魔力の厚み。何度も何度も受けて、体が覚えていた。
対になる形を、作る。
「——絶魔の剣閃!」
デュランダルを横に一閃した。
黒い刀身から放たれた魔力が、三つの獣牙咬撃と同時にぶつかった。
音が消えた。
三つの衝撃波が——消滅した。
アリーナが静まり返った。一瞬の沈黙。そして——
爆発的な歓声が、観客席から湧き上がった。
「な——なんと! カイ選手、レクト選手の獣牙咬撃を打ち消しました! 剣士の技を、絶魔の剣閃で!」
「……信じられない」
ノエルの声が、初めて震えていた。
「先ほど申し上げた通り、剣士の技を打ち消すには相手の魔力への相当な理解が必要です。それをこの短い試合の中で——受けながら、形を読み取っていたということですか。これは……とんでもない才能です」
歓声が鳴り止まない。観客席が揺れている。
僕はデュランダルを構え直した。レクトを真っ直ぐ見た。
「これで——僕の勝ちだ」
レクトは動かなかった。
大剣を握ったまま、立ち尽くしていた。顔が俯いている。肩が震えていた。
「うるせえ」
低い声。
「うるせえ、うるせえ、うるせえ——!」
顔を上げた。目が血走っていた。
「お前なんかが——お前なんかが俺の敵なわけねえんだよ!!」
右手が懐に伸びた。取り出したのは、小さな注射器。赤い液体が入ったガラスの筒。
レクトは躊躇わなかった。
注射器を首に突き刺した。
赤い液体が、一瞬で体内に注ぎ込まれた。
空の注射器が砂地に落ちて、乾いた音を立てた。
一瞬、何も起きなかった。
そして——レクトの全身から、黒紫の魔力が噴き出した。
大剣が黒く染まっていく。レクトの目が赤く変色した。白目の部分まで、血のような赤に塗りつぶされていく。
空気が変わった。アリーナ全体を覆うような、重く、冷たい圧力。
歓声が止んだ。観客が息を呑んだ。
「……何だ、これは」
僕は一歩、後退した。レクトの周囲に漂う黒紫の魔力が、生き物のようにうねっていた。
「レクト選手の様子が——何かおかしいですね。一体、何が起きたんでしょうか」
エルナの声にも動揺があった。
レクトが大剣を振った。
「——獣牙咬撃」
声が低く、別人のように響いた。
衝撃波が飛んできた。だが先ほどまでとは違う。黒く紫がかった魔力を纏った獣牙咬撃。形は同じだが、そこに得体の知れない何かが上乗せされていた。
「打ち消す——!」
黒剣に魔力を流す。獣牙咬撃の形はもう分かっている。対になる魔力を作り、ぶつける。
刀身が衝撃波に触れた瞬間——
弾かれた。
「——なんで」
打ち消せない。魔力が届かない。獣牙咬撃の形を捉えているのに、その上に被さっている黒い何かが、僕の魔力を飲み込んでしまう。
衝撃波がそのまま僕の体を直撃した。
「がっ——!」
体が吹き飛んだ。背中がアリーナの壁に叩きつけられる。石壁にひびが走った。口の中に血の味が広がった。
視界がぐらつく。壁にめり込んだ体を引き剥がし、膝をついた。
レクトが歩いてくる。黒紫の魔力を纏いながら。赤い目で、僕を見下ろしながら。
打ち消せない。
あの黒い何かが乗った獣牙咬撃は——絶魔の剣閃が、効かない。




