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第26話 霧鎧熊

霧鎧熊アーマーグリズリーが、こちらを見ていた。

小さな双眼に知性はない。ただ、縄張りに踏み込んだ獲物を捉えた、純粋な殺意だけがあった。


「かなりでかいな」


「霧鎧熊は35層の中ボスで、全身の剛毛が霧の魔力を吸って硬化しています。普通の斬撃だと毛に弾かれます。動きは見た目の割に速くて、特に前脚の振り下ろしは一撃で石壁を砕きます」


「弱点はある?」


「首の後ろです。剛毛が薄くなっていて、そこだけ地肌が露出しています。あと、後ろ脚の内側。ここも毛が短くて、深く斬れば機動力を奪えます」


「首の後ろと、後ろ脚の内側」


「はい。ただ、首の後ろに回り込むのが難しくて……前脚のリーチが長いので、正面から近づくと——」


霧鎧熊が動いた。

地面を蹴って、一気に距離を詰めてきた。3メートルの巨体が信じられない速度で迫る。前脚が振り上げられた。


「っ——!」


横に跳んだ。前脚が空気を叩き、石の床が粉々に砕けた。破片が頬を掠める。


「ミリア、下がってて!」


「はい! 回復はいつでもいけます!」


僕は剣を構え直した。まず試す。正面から斬りつけた。刃が剛毛に当たった瞬間、鉄を叩いたような感触が返ってきた。

弾かれた。毛の一本も切れていない。


「硬っ——ミリアの言う通りだ」


二撃目の前脚が来た。しゃがんで躱す。風圧だけで体が押された。三撃目は反対の前脚。連続で来る。後ろに跳んで距離を取った。

でかい、速い、硬い。正面からはまともに通らない。なら——後ろに回るしかない。


「霧鎧熊は前脚の三連撃が基本攻撃です! 三連目の後に一瞬だけ前のめりになって、そこが隙です!」


「三連目の後だね。わかった!」


僕は正面に走った。霧鎧熊が反応する。右の前脚。横に躱す。左の前脚。しゃがんで避ける。


来るか——三連目。来た。右の前脚がもう一度、今度は叩きつけるように振り下ろされた。真横に跳んで回避する。霧鎧熊の巨体が、ほんのわずかに前に傾いだ。

今だ。


脚に魔力を集中させて、一気に側面を駆け抜けた。巨体の横を通り過ぎ、背面に回り込む。首の後ろが見えた。

確かに、そこだけ剛毛が薄く、灰色の地肌が露出している。


跳んだ。

剣を両手で握り、首の後ろに叩き込んだ。


手応えが全く違った。刃が肉に食い込む。霧鎧熊が絶叫した。体を激しく振り、僕を振り落とそうとする。剣の柄にしがみついた。


だが、浅い。致命傷には届いていない。振り回される勢いに耐えきれず、剣を抜いて飛び退いた。着地して距離を取る。

霧鎧熊が振り返った。首の後ろから血が流れている。咆哮が部屋を震わせた。


「カイ!」


ミリアの手から光が伸びてきた。着地の衝撃で痛んだ足首と、破片で切れた頬の傷が塞がっていく。

戦闘の最中でもこうやって小まめに回復を入れてくれている。おかげで、ダメージを気にせず次の動きに集中できる。


「ありがとう!——次で決める」


後ろ脚を狙う。正面から走り込み、三連撃を誘った。右、左、右。三撃目の後、霧鎧熊が前のめりになった隙に側面を駆け抜け、後ろに滑り込んだ。太い後ろ脚が目の前にあった。内側の毛が短い部分が見える。


斬った。

魔力を込めた一閃が、後ろ脚の内側を深く裂いた。霧鎧熊の体がぐらついた。巨体が片膝をつくように傾く。


「通った——!」


バランスを崩した霧鎧熊の首の後ろが、低い位置に来ていた。さっき斬りつけた傷がまだ開いている。

駆け上がった。傾いた背中を蹴って、首の後ろに飛ぶ。


「これで——!」


剣を突き立てた。さっきの傷口に、今度は深く。刃が奥まで沈んだ。魔力を一気に流し込む。白い光が傷口から内部に広がり、霧鎧熊の全身が痙攣した。

最後の咆哮が響いた。だがもう力はなかった。


巨体がゆっくりと傾き、地面に沈んだ。四本の脚が力を失い、剛毛に覆われた体が動かなくなった。青い光が全身から漏れ出し、やがて形が崩れて消えていった。

残ったのは、拳よりも二回りほど大きな青い魔石だった。


「はぁ……はぁ……」


僕は膝に手をついた。全身が汗だくで、腕が震えていた。


「カイ! 大丈夫ですか!」


ミリアが駆け寄ってきて、すぐに回復魔法をかけてくれた。温かい光が体に染み込む。打撲と擦り傷の痛みが引いていく。


「ありがとう、ミリア。本当に助かった」


息を整えながら、ミリアを見た。


「弱点の情報もそうだけど、戦ってる間ずっと回復を入れてくれてたよね。あれがなかったら途中で足が止まってた。ミリアのおかげで勝てた。本当にありがとう!」


「そんな……私、横にいただけで——」


「横にいてくれたから安心して突っ込めたんだよ」


ミリアが口を開きかけて、閉じて、それからぽつりと言った。


「……前のパーティーでは、こういうこと言ってもらえたこと、なかったです」


少しだけ笑っていた。泣きそうにも見えた。


「よし、この魔石入れよう」


ミリアが魔法鞄に魔石を入れた。淡い光と共に、数字が一気に跳ね上がった。


「——102ポイントです!」


「100超えた……!」


思わず声が出た。ミリアも目を大きくして、それから満面の笑みになった。


「やりましたね、カイ!」


「ああ、やった!」


その時、手首のリングが光った。赤い魔石が脈打つように輝き、リングの表面に文字が浮かび上がった。


『第一試練——クリア』


「抜けた……! ミリア、クリアだ!」


「はい! やりました!」


ミリアが両手を握って飛び跳ねた。僕も立ち上がって、思わず拳を握った。

二人だけのパーティーでも、やれた。ちゃんと、ここまで——


——その瞬間だった。


背筋が凍った。

体が勝手に動いていた。ミリアの腕を掴んで横に跳ぶ。直後、僕たちがいた場所を何かが通過した。


石の床が抉れた。

幅1メートルほどの溝が、床を一直線に走っていた。さっきまで僕たちが立っていた場所を、何かが薙ぎ払ったのだ。


「なっ——」


霧の奥から、足音が聞こえた。一つじゃない。複数。そして、聞き覚えのある声。


「ち……クリアしてやがったか」


霧を割って、四人の人影が現れた。先頭に立つ男が、大剣を肩に担いでこちらを見下ろしている。待合室で見た、あの目だった。


「よお、ミリア。そしてEランクの雑魚」


レクトだった。猛牙の咆哮(レイジファング)の四人が、僕たちの前に立っていた。

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