幕間5 下馬評
開会式の少し前。
アリーナの観客席は既に人で溢れていた。すり鉢状に積み上がった石造りの席が、中央の砂地を取り囲んでいる。出場者たちはまだ待合室にいるようで、アリーナには誰もいない。だが、観客たちの熱気は既に十分すぎるほどだった。
その観客席の中段あたりに、三人の中年の男たちが陣取っていた。手元には出場者の名簿らしき紙が広げられている。毎年この大会を観に来ている、いわゆる常連だった。
「おい、今回の大会はどうなんだよ」
太った男が、隣の痩せた男に肘でつついた。
「なかなかだぜ。例年に比べてレベルが高い。Dランクパーティーがずらっと揃ってるし、最近注目の蒼嵐の刃のスヴェンもいる。あそこは前衛と後衛の切り替えが早くて、Dランクの中じゃ連携が一つ上だ。ギルドの職員も一目置いてるって話だぜ」
「へえ。じゃあ優勝候補はそのスヴェンか?」
「いや、今回の最注目はこいつらだな」
痩せた男が名簿を指で叩いた。
「まず、猛牙の咆哮のレクト。つい先日40層を突破してCランクに上がったらしい。攻撃力は出場者の中でも頭一つ抜けてる。一撃の威力がとにかくえげつなくて、30層のボスをルーキー最速で沈めたって噂だ」
「40層!?。ルーキー大会でCランクって、それだけで反則みてえなもんだな」
「それだけじゃねえ。もう一人いる。シンだ」
「シン?」
「ああ。白氷の帳幕のリーダー。こっちも40層突破済みのCランクだ。しかもシンのパーティーはもう50層に手を出してるって話だぜ。レクトが一撃の破壊力で押し切るタイプなら、シンは頭脳派だ。戦術の引き出しが多くて、どんな状況でも対応してくる」
「おいおい、Cランクが二組もいんのかよ。こりゃ決勝はこの二つで決まりだな」
太った男が腕を組んで唸った。名簿に目を落とす。出場者の名前とランクがずらりと並んでいる。その一番下に、一つだけ浮いた表記があった。
「……ん? おい、ちょっと待て。なんだこれ。一番最後にEランクがいるぞ」
「Eランク? そんなわけねえだろ。ここはDランク以上の大会みてえなもんだぞ」
「いや、書いてある。Eランク、カイ。……誰だこいつ。知らねえな」
太った男が首を傾げた。
「Eランクがこの大会に出るなんて、手も足も出ねえだろ。20層突破したからって推薦もらったんだろうが、かわいそうにな。初戦で消えるのが目に見えてる」
痩せた男も同意するように頷いた。
「まあ、場違いだわな。Cランクが二組もいる大会にEランクなんて——」
「いや、お前ら。それはどうかな」
三人目の男が口を開いた。
がっしりした体格に、日に焼けた肌。顎髭を蓄えた、いかにも歴戦の冒険者という風貌だった。腕を組んで、名簿ではなくアリーナの方をじっと見つめている。
「なんだよ、ヴォス。お前またそういう勘か?」
「勘じゃねえ。お前ら、こいつの情報をよく見てみろ」
「あ? だからEランクの——」
「パーティー名が書いてねえだろ。つまりこいつは、パーティーを組んでねえんだよ」
太った男と痩せた男が顔を見合わせた。
「パーティーなし……? ってことは——」
「そうだ。ソロで20層まで攻略したってことだ」
沈黙が落ちた。
「シーサーペントを、一人で倒したってのかよ」
「ああ、そういうことだ。それにな、聞いた話じゃこいつ、冒険者を始めてまだ一ヶ月らしいぜ」
「はあ? 一ヶ月で20層?」
太った男が素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい……これはやべえやつが入ってきたな」
ヴォスが、にやりと笑った。
「荒れるぜ、今年の大会は」
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その観客席の最上段、人目につかない場所に、数人の人影があった。
フードを深く被り、気配を消している。周囲の観客は誰一人として、そこにいる者たちの正体に気づいていない。隠密スキルで存在感そのものを薄くしている。気づかれれば、この場が騒然となる。
その中の一人——フードの奥の瞳が、アリーナではなく、出場者の名簿に向けられていた。
「へえ。カイって子、この大会に出るんだ」
隣に立つ女性が、小声で話しかけた。ユイだった。
リーナはフードの下で、にこにこと笑っていた。名簿のカイの名前を見つめたまま、口元が緩んでいる。
「リーナ、何その顔」
「うん、そう。え、何でもないよ」
全然何でもなくない顔をしていた。
パーティーの残りの二人が、ユイの後ろから覗き込んだ。
「おい、カイって誰だよ」
「この子が最近ずっと見てる配信者」
「配信者?」
「あー、だからリーナが夜いつも端末に張り付いてたのは、配信を見てたのか」
「へえ。それは楽しみですね」
リーナが胸を張った。
「私の自慢の子だよ。きっと優勝する」
その時、観客席の下の方から声が響いてきた。
「けどよ、待ってくれよヴォス」
「どうした?」
痩せた男が、名簿をもう一度見直していた。あることに気づいたらしい。
「こいつ、パーティー組んでねえんだよな」
「そうだな」
「第一試練ってよ、パーティーがなきゃ出られなくねえか?」
リーナの笑顔が固まった。
ユイが横目でリーナを見た。
パーティーの二人もリーナを見た。
三人の視線が同時にリーナに集中した。
「……あ」
リーナの顔から血の気が引いた。
「忘れてた」
「忘れてたって、あんた……」
「ユイ、どうしよう」
「知らないわよ」
ユイがため息をついた。
「まあ、あんたがずっと見てきた子でしょ。どうにかするんじゃないの」
リーナはフードの下で唇を噛んだ。アリーナの方に視線を戻す。まだ出場者は出てきていない。
「……カイ、絶対出てね。本当に頑張って」
祈るように、リーナは呟いた。




