第11話 謎の視聴者
カゲ:こんばんは
ひかりんさんじゃなかった。
アカウント名は「カゲ」。見たことのない名前だった。
「え……あ、こんばんは」
戸惑いながら返事をした。ひかりんさん以外の視聴者が来たのは、これが初めてだった。
カゲ:初見。ちょっと気になったから覗いてみた
「あ、ありがとうございます」
カゲ:こんな時間になんでダンジョン潜ってるの?
「ちょっと事情があって……夜の方が、やりやすいんです」
我ながら歯切れの悪い答え方だった。昼間に門前払いされたことを、初対面の人にわざわざ話すのも気が引ける。
カゲ:いつも一人?
「はい、そうです! あっ、でも、いつもひかりんさんっていう方からアドバイスをもらっているんです。正直、あの方がいなかったら、ここまで来られませんでした」
自然と笑顔になっていた。ひかりんさんのことを話すと、五日間の全部がよみがえってくる。スライムに負けていた夜。初めてアドバイスをもらった時。毎晩毎晩、どんなに遅い時間でも来てくれたこと。
カゲ:……そう
短い返事だった。でも、何か考えているようだった。
その時——先の方から、急速に接近する気配を感じた。
熱い。通路の奥から赤い光の塊がこちらに向かって飛んでくる。
火の玉だ。
「——っ!」
咄嗟に横に跳んだ。火の塊が頬をかすめるように通過して、背後の壁にぶつかった。小さな爆発音とともに石壁に黒い焦げ跡が刻まれていた。
「火の玉が飛んできた!?」
通路の奥を凝視すると四体のゴブリンが見えた。
前衛の三体は、さっき戦ったのと同じ鉄の短剣を持ったゴブリンだ。横に並んで通路を塞いでいる。
問題はその後ろだった。
四体目は他のゴブリンとは明らかに異質だった。体格は一回り小さいが、手に持っているのは鉄剣ではなく木の杖。頭に布きれを巻いていて、杖の先端が赤く光っている。
その光が、再び膨らみ始めた。
「——また来る!」
体を横に転がした。二発目の火球が通路の真ん中を突き抜けて、壁を焦がした。
「魔法を使うゴブリン!?」
カゲ:ゴブリンメイジ。魔法を扱える通常ゴブリンの上位種の一つ
コメントが即座に飛んできた。
カゲ:正面から突っ込むと前衛に足止めされてる間にやられる
その話を聞いただけでも厄介だった。
どうしようか悩んでいると、三発目の火球が来た。今度は少し軌道がずれて、壁際を抉るように飛んだ。
ゴブリンたちがじりじりと間合いを詰めてきていた。
どうすればいい。正面は三体の壁。後方から魔法。今の僕には、これを同時に相手にする力がない。
そう悩んでいると、一つのコメントが打たれた。
カゲ:指示をあげるから、その通りに動いて
僕が悩んでいる姿を見て、助けてくれるのだろうか。今はとてもありがたかった。
「はい! お願いします!」
カゲ:短剣、持ってる?
「はい!」
カゲ:じゃあ長剣は鞘に戻して、短剣に持ち替えて
「え、短剣だけでですか?」
カゲ:うん。今回は短剣の方がいい。長剣は威力があるけど、振りかぶりが大きい分だけ隙ができる
カゲ:狭い通路で前衛を抜いてメイジに詰める動きには向かない
カゲ:それと、メイジみたいに防御力が低い相手は、深い一撃より当てる速さの方が大事
カゲ:懐に入ってから長剣を振りかぶってる間に詠唱が完了する。短剣なら、入った瞬間に刺せる
なるほど——そういうことか。
長剣と短剣は、優劣じゃなくて用途が違う。力で押し切る場面は長剣。速さと機動力で勝負する場面は短剣。
今回のように「壁を抜けて後衛を仕留める」動きには、短剣の方が向いている。
長剣を鞘に収めて、短剣を右手に握り直した。軽い。長剣とは比べものにならないくらい、手が自由になる感覚がある。
「持ち替えました!」
カゲ:じゃあ今から倒し方を言うから、聞いて動いて。
僕はどんな擬音が来るのか身構えた。だけど、どんな擬音でも絶対に解読してやる!!
そう意気込んでコメント欄を見つめた。
カゲ:まず、右の壁際を走りながら移動して
カゲ:そしたら前衛が君を追って右に偏って、メイジとの間に前衛の体が入って射線が塞がる
カゲ:メイジは味方を撃てないから、射線が塞がってる間は魔法が飛んでこない
カゲ:壁に背中をつけたら止まって。前衛が詰めてくるのを待つ
カゲ:三体が正面に並んだら、左端の一体だけ狙う。右と中央は無視していい
カゲ:左端のゴブリンが斬りかかってきたら、攻撃を一発よけて。そしたらゴブリンの右脇が開くからそこに短剣を差し込む
カゲ:短剣は突きで。斬ると刃が引っかかって抜けが遅くなるから、突いて抜く
カゲ:一体倒したら、すぐ右に走る。残り二体の間を抜けるんじゃなくて、右端を回り込む
カゲ:回り込んだ先にメイジがいるはず。距離は三歩か四歩だから走って詰める。メイジは杖を構え直すのに一秒半かかる
カゲ:射線が通った瞬間から詠唱再開しても、完了まで約三秒
カゲ:三歩なら一秒で届く。余裕があるから焦らなくていい
カゲ:メイジの懐に入ったら、杖を持ってる手の反対側から刺す
カゲ:杖側から入ると杖で殴られる可能性がある。反対側は完全に無防備
カゲ:メイジが倒れたら振り返って。残りの前衛二体はメイジを失うと連携が崩れる
カゲ:一体ずつ、さっきと同じ要領で処理して
指示のコメントが、数秒の間に一気に流れてきた。
そして驚いた
えっ擬音が一切ない!?
ひかりんさんのアドバイスは感覚の核を擬音一つで届けてくれる。僕はそれを受け取って、自分の頭の中で論理に組み立て直してから体に落とし込む。その変換が僕のやり方だった。
カゲさんのアドバイスには、その変換が要らなかった。とても論理的で、読めばそのまま理解できる。
だから、読んだ瞬間に体が動けた。
「やってみます!」
右の壁際を走って間合いを詰める。
前衛の三体がこちらを追って右に偏った。その背後で、メイジの杖の光が揺れた。前衛が射線を塞いでいる。魔法が来ない。
壁に背中がついたためその場に止まる。
そうすると三体が横並びを保ったまま正面に詰めてきた。
右と中央は無視して、左端だけを見る。
左端のゴブリンが鉄剣を振りかぶった瞬間、体を左に傾けて鉄剣の軌道から外れ回避した。
振り終わりの瞬間——右脇が開いた。カゲさんの言った通りだ。振りかぶった腕が戻りきっていない。右の脇腹ががら空きになっている。
短剣を突いた。斬るんじゃない、突く。刃がゴブリンの脇腹に入って、引き抜く。一拍で終わった。
一体目が崩れ落ちる。
すぐ右に走った。残り二体の間を抜けるんじゃない。右端を回り込む。間を抜ければ左右から挟まれる。
走りながら右端のゴブリンの外側を回った。ゴブリンが反応して振り向こうとするが、回り込む速度の方が速い。二体が左側にまとまった。
その先に——ゴブリンメイジがいた。距離は四歩。
カゲさんが言っていた通りなら、四歩でも二秒かからない。詠唱が完了するまでに余裕がある——はずだった。
だが、何かがおかしかった。
メイジの杖の先端が、さっきまでとは比べものにならないほど強く輝いていた。白い光が杖の先に凝縮されている。
詠唱が終わりかけている。
カゲさんの想定と違う。射線が塞がっている間も、メイジは詠唱をやめていなかったのだ。射線が通らなくても、魔力の充填だけは続けていた。
詠唱される前に倒す——その前提が崩れている。もう撃てる状態だ。
杖の先端が、こちらを向いた。
至近距離での火球。この距離では避けても爆風に巻き込まれる。
考えている暇はなかった。
体が動いた。避けている時間はない、だからもっと間合いを詰める!
あと二歩の距離で火球を撃てば、メイジ自身も爆発に呑まれる。自爆になる。だから——撃てないはずだ。
一歩目。メイジの目が揺れた。こちらが距離を詰めてくるのを想定していない。杖を向けたまま、判断が止まっている。
二歩目。懐に入った。杖の先端がすぐ目の前にある。白い光が頬を焼くほど近い。でも——メイジは撃たなかった。
自分自身の勘が当たったと感心する。そしてカゲさんの指示では「杖を持ってる手の反対側から刺す」だった。でも今は正面から入っている。反対側に回る余裕はない。
ならこのまま——正面から!
杖の下を潜るように体を沈めて、短剣を突き上げた。メイジの胸の下、杖を支えている両腕の間。そこに短い刃が沈む。
杖の先端の光が、ふっと消えた。溜め込まれていた魔力が霧散して、熱気が急速に冷めていく。
メイジが杖を取り落として、崩れ落ちた。
倒したことを確認して、即座に振り返った。残りのゴブリン二体がこちらに向かってきている。だがメイジを失って動きに迷いが出ていた。統率された連携がない。
一体ずつ、落ち着いて仕留めた。
そうして最後の一体が倒れた。
「……倒せた」
息が上がっていた。額の汗を腕で拭う。
前衛三体と魔法使い一体。初めての魔法攻撃を、初見で切り抜けた。
カゲさんの指示通りだった。すごいなこの人!!
カゲ:……驚いた
カゲ:正直、初見であそこまで動けると思ってなかった
「カゲさんの指示がとても分かりやすかったおかげです!」
カゲ:指示は普通だったと思うんだけど
カゲ:というか、メイジに詰めた時
カゲ:詠唱がほぼ完了してたよね
「はい。杖の光がすごく強くなってて、もう撃てる状態だったと思います」
カゲ:私の指示は、詠唱が間に合わない前提だった
カゲ:でも実際はメイジが射線を切られてる間も詠唱を続けてた
カゲ:想定と違ったのに、君はそのまま突っ込んだよね
カゲ:あれ、なんで?
「えっと……あの距離で火球を撃ったら、メイジ自身も巻き込まれると思ったんです。だったら撃てないんじゃないかなって。逃げるより詰めた方が安全だと思いました」
言った後、コメントが止んだ。
あれ?もしかして動きが間違ってた!?だめだった!?
「だめでしたか……?」
カゲ:間違ってはいない。私もあの動きが最善策だと思う。
カゲ:だけどあの状況で、咄嗟にそこまで考えて動ける人間はそういない
カゲ:ねえ、一つ聞いていい?
「はい!いいですよ!」
カゲ:さっき、ひかりんって人のアドバイスで学んだって言ってたけど
カゲ:その前は? 剣の基礎、どこかで習った?
「はい!CDの映像で学びました。五歳の時にもらって、それから十年間ずっと」
カゲ:CDの映像を十年間?
「はい!」
カゲ:それって
少し間が空いた。
カゲ:……ごめん。急用ができた
カゲ:また覗きに来るかも。頑張ってね
視聴者数が1から0に戻った。
「……行っちゃった」
嵐みたいな人だった。だけどあんな的確な指示が出せるのはすごい人なのかも。
あと最後何を聞こうとしてたんだろう?まあまた来てくれるかな。
今考えていてもしょうがない。
そう考え込んでいると——
ぴこん。
視聴者数が0から1に変わった。
コメント欄に、見慣れた名前が浮かんだ。
ひかりん:ごめんね遅くなった!!
ひかりん:今日もう始めてたんだ!
「あ、ひかりんさん! こんばんは!」
来てくれた。それだけで、胸の中にあった小さな不安がすっと溶けた。やっぱりひかりんさんがいると安心する。
「聞いてくださいよ! 今日すごかったんです! さっき別の視聴者さんが来てくれて——」
嬉しくて一気に話した。カゲさんという人が来たこと。ゴブリンメイジという魔法を使うゴブリンが出てきたこと。カゲさんの指示通りに動いたら全部倒せたこと。短剣で懐に飛び込んでメイジを仕留めたこと。
全部話し終えて、ひかりんさんの反応を待った。
コメント欄が、沈黙した。
「ひかりんさん?」
五秒。十秒。
ひかりん:……短剣で倒したの?
「はい! カゲさんに教わって、至近距離では短剣の方が早いって——」
ひかりん:カゲって誰
「えっと……初見の方で、戦い方を教えてくれた——」
ひかりん:私がいない間に?
「あ、はい。今日はひかりんさんが来る前だったので——」
ひかりん:ふーん
ひかりん:そう
「あの、ひかりんさん? 何か——」
ひかりん:別に
ひかりん:でもさ
ひかりん:あんまり知らない人のアドバイス聞かない方がいいよ
「え……?」
ひかりん:変な癖つくかもしれないし
ひかりん:短剣で戦うのも
ひかりん:まだ早いと思う
「で、でも実際に戦ってみたらすごく——」
ひかりん:私のアドバイスだけじゃ足りなかった?
言葉が詰まった。
そんなことはない。ひかりんさんのアドバイスがなかったら、僕はまだ第1層でスライムに負けていた。五日間で第8層まで来れたのは、全部ひかりんさんのおかげだ。
「そんなことないです! ひかりんさんがいなかったら、ここまで来れてません!」
ひかりん:……
ひかりん:ならいいけど
ひかりん:でも
ひかりん:短剣は
ひかりん:しばらく使わないで
「え——」
ひかりん:長剣だけで十分。短剣はまだ早い
ひかりん:ね?
文字なのに、有無を言わせない圧があった。「ね?」の一文字が、お願いなのか命令なのか分からない温度を帯びている。
「……分かりました」
そう答えるしかなかった。
ひかりん:うん
ひかりん:じゃあ、続きやろ
ひかりん:第8層、まだ奥があるでしょ
いつものひかりんさんに戻っていた。何事もなかったかのように、いつも通りの言葉が流れてくる。
「はい!じゃあ行きます!」
左手の短剣を、鞘に戻した。
ひかりんさん、なんか今日嫌なことでもあったのかな?
そう思いながら、僕は第8層の奥へ足を進めた。




