第10話 アドバイスの成果
ひかりんさんにアドバイスをもらい始めて、五日が経った。
僕は今、第8層の入口に立っている。
たった五日。でも振り返ってみると、信じられないくらい濃い五日間だった。
初日にスライムを倒してからというもの、毎晩のように新しいモンスターと出会った。
第2層のゴブリンは集団で動く厄介な相手だった。一匹が正面から突っ込んできたと思ったら、別の一匹が横から回り込んでくる。ただ群れているんじゃなくて、明らかに役割がある。
囮がいて、挟み撃ちがいて、隙を見て飛びかかってくるのがいる。相手が何をしたいのか——次にどう動こうとしているのかを、殴り合いの最中に読み取らなきゃいけなかった。
頭と体を同時に回し続ける戦いは、それまでのどの修行にもなかったものだった。
第4層のコボルドは革の盾を持っていて、正面から斬りかかっても弾かれた。第5層の大蝙蝠は天井から急降下してくるから、地上の敵とは全くタイミングが違った。第6層のロックリザードは背中が岩みたいに硬くて、腹の柔らかいところを正確に狙わないと刃が通らなかった。
層が一つ進むたびに、「今までのやり方じゃ通用しない」という壁がどんと現れる。
でも、毎回ひかりんさんのアドバイスがあった。そしてそのアドバイスが、そのアドバイスのおかげで、僕はここまで来ることができた。
——ただ、大変なことばかりだったかというと、そうでもない。
正直に言うと、僕はずっと興奮していた。
だって、絵本の中にしかいなかったモンスターが、目の前にいるのだ。ゴブリンと初めて目が合った時なんか、怖いより先に「本物だ!」と叫びそうになった。
蝙蝠が天井から舞い降りてきた時は、翼を広げた姿があまりにも絵本の挿絵そのままで、見惚れている間に爪で頬を掠められた。ロックリザードの岩のような鱗に剣が弾かれた時ですら、「すごい、本当に硬い!」と感動していた。
ひかりん:感動してる場合じゃないでしょ!!
ひかりん:早く避けて!!
「あ、はい! すみません!」
ひかりんさんには呆れられていたけど。
でもしょうがないじゃないか。十年間ずっと夢見てきた世界が、目の前に広がっているのだ。
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装備も、五日間で随分と変わった。
日中はダンジョンには入れない。昼間のダンジョン前はパーティーで溢れかえっていて、あの初日の夜に門前払いされた記憶もまだ新しい。だから僕の生活は自然と「昼に準備、夜にダンジョン」のリズムに落ち着いていった。
昼間の時間を使って、冒険者通りの武器屋を回った。ダンジョンで拾った魔石をギルドの窓口で換金して、最初に買ったのは強化鉄の長剣だ。支給品の鉄の剣より一回り頑丈で、刃も鋭い。
まだ実戦で師匠に教わった型を十全に出しきれていない今の僕では、ロックリザードの鱗に剣を弾かれた時の衝撃がまともに腕に返ってきた。「今の僕の腕で硬い相手と渡り合うなら、せめて武器だけでもいいものが要る」と痛感したのがきっかけだった。
それから——短剣も一本、腰に増えた。
これは武器屋のおじさんの言葉がきっかけだ。
「兄ちゃん、剣士ってのはな、剣を手放したら何もできなくなる生き物だ。だから懐に一本、短剣を忍ばせとけ。長剣が使えない距離で命を拾うのは、いつだって懐刀だ」
実際、ゴブリンに組みつかれた時に長剣が振れず、咄嗟に短剣で切り払えた場面が何度かあった。おじさん、助言をくれてありがとう。
腰の右側に強化鉄の長剣、左側に短剣。これが今の僕の基本装備だ。
防具も初期の革鎧から強化革鎧に替えた。肩当てと脛当てが追加されて、動きやすさはそのままに打撃の痛みがだいぶ和らいだ。ポーションも数本、常備するようにしている。ギルドの売店で買える基本的な回復薬で、傷口にかけると傷を塞いでくれるし、飲めば体力もある程度回復する。
あの初日に帰還石の存在すら知らなかった自分と比べると、少しはまともな冒険者の形になれた気がする。
ひかりんさんには、装備を新調するたびに配信で報告した。
「見てください! 新しい剣、買ったんです!」
ひかりん:かっこいいね
ひかりん:でも剣がかっこよくなっても、振る人がヘロヘロだったら意味ないよ?
「うっ……厳しい……」
ひかりん:冗談だって。似合ってるよ
こんなやり取りが、毎晩の当たり前になっていた。
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「よし! 準備もばっちり。——いくぞ、第8層!」
気合いを入れて足を踏み出す。
配信球体を起動した。ふわりと浮き上がった球体が淡い光を放ち、僕の斜め上で静止する。
画面が表示された。配信者名「カイ」、階層表示「第8層」。
視聴者数——0。
いつもの光景だ。ひかりんさんはだいたい、僕が配信を始めてから数分後にやってくる。たまに最初からいることもあるけど、今日はまだ来ていないらしい。
奥に進みながら、ちらちらと画面に目をやった。五分が経ち、十分が経った。
視聴者数は0のままだ。
「……今日はひかりんさん、来ないのかな」
口に出してみると、少し寂しかった。
でもすぐに頭を振った。当たり前じゃないか。ひかりんさんにだって自分の生活がある。毎晩毎晩、深夜に僕の配信を見に来てくれる方が特別だったのだ。五日連続で付き合ってくれたこと自体が、ありがたすぎるくらいだ。
「よし、今日は一人で頑張ろう」
そう自分に言い聞かせて、通路の奥に向かって歩き出した。
ゆっくりと進んでいくと、向こうの方から足音のようなものが聞こえてきた。複数。硬い地面を革靴で蹴るような、乾いた音。
通路を曲がった先の、少し開けた空間。
ゴブリンが三匹いた。
ゴブリン自体は第2層から何度も戦ってきた相手だ。でも、第8層のゴブリンは見るからに体格が違う。筋肉の付き方ががっしりしていて、持っている武器も粗末な棍棒ではなく、鉄製の短い剣だ。
三匹が一斉にこちらを向いた。
「——来る!」
一匹目が飛び出してきた。速い。第2層のゴブリンの二倍は速い。
でも動きの質は変わらない。
ゴブリンが鉄剣を振りかぶる瞬間、利き腕側の肩が持ち上がる。
ひかりんさんは「肩がグッて上がる」と言った動作だ。
ゴブリンは剣を振る前に必ず重心を後ろ足に移す。その時に肩が上がるのは、振り下ろすために体を弓のように引き絞っているからだ。
つまり「グッ」は攻撃の溜め動作で、そこから剣が出てくるまでには一拍の間がある。
その一拍が、僕の猶予だ。
その動作を確認して、半歩下がる。ゴブリンの鉄剣が鼻先をかすめて空を切った。
振り終わりの瞬間、体が前に流れて体勢が崩れる——今だ!
足を前に強く踏み込んで、長剣を横に薙いだ。
一匹目が倒れる。
残り二匹が左右に散った。
僕を挟み込むように、左と右。同時に間合いを詰めてくる。ゴブリンの連携だ。片方を相手にすれば、もう片方に背中を晒すことになる。
左右に目を配らせて、気配を感じとる。
ひかりんさんはこの感覚を「フワッと広げてピリッをキャッチする」と言った。
目で見ている敵以外の情報を、肌と耳で拾う。足音の間隔、空気の揺れ、殺気の密度。その中で一つだけ、他より鋭くなる瞬間がある。それが「ピリッ」だ。
攻撃動作に入った敵は呼吸を止める。呼吸を止めた瞬間、周囲の空気の流れがほんの僅かに変わり、左のゴブリンの殺気がピリッと尖った——こいつが次に動く。
左のゴブリンが先に仕掛けてくる。半拍遅れて、右も来る。同時ではない。ほんの僅かにずれている。
その僅かなずれが、僕の全てだ。
左に向き直して、半歩下がって鉄剣をやり過ごし、振り終わりに踏み込んで長剣を叩き込む。
斬り伏せた直後、右のゴブリンの殺気が背中に突き刺さった。振り向く——間に合う。左を一拍で仕留められたから、右が到達するまでにまだ猶予がある。
振り向きざまに長剣を横に振り抜いた。刃がゴブリンの胴を捉える。
三匹目が崩れ落ちた。
「……よし。三匹」
息を整えた。心臓がうるさいくらいに跳ねている。でも、五日前の自分とは全然違う。あの頃はスライム一匹にボコボコにされていた。今は、ゴブリン三匹を一人でさばけている。
全部、ひかりんさんのおかげだ。
ふと、配信画面に目をやった。
ぴこん。
小さな通知音が鳴った。視聴者数が0から1に変わっている。
「——来てくれた!」
思わず声が弾んだ。やっぱり来てくれたんだ。遅い時間だったから忙しかったのかもしれない。でも来てくれた。嬉しくて、反射的に画面に向かって手を振った。
「こんばんは! ひかりんさん! 今日は第8層に——」
コメント欄に文字が浮かんだ。
それを見て、言葉が途切れた。
カゲ:こんばんは
ひかりんさんじゃなかった。
アカウント名は「カゲ」。見たことのない名前だった。




