表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/18

幕間1 英雄幻想

ダンジョン史上初——勇者パーティー「ルミナス・ブレイド」、第80層突破。


その報せは、王都グランヴェルを駆け巡った。

号外の紙面はその一報で埋め尽くされ、酒場では乾杯の声が夜通し響き、広場では配信の映像を食い入るように見つめる人だかりができた。


千年以上前に姿を現したダンジョン。古くから数え切れない冒険者たちが挑み、幾多の犠牲を払いながら深層を目指してきた。その歴史に、また新たな一ページが刻まれたのだ。


快挙を成し遂げたのは、現代唯一のSSランクパーティー「ルミナス・ブレイド」。

そのリーダーは、「閃光」の二つ名を持つ剣士——リーナ。


かつてこの世界で最強と謳われた剣聖ヴォルフ。弟子を志願する者が後を絶たなかったその男が、生涯でただ一人だけ正式な継承者と認めた人物。

ヴォルフが創始した剣術流派「一閃流」の全課程を納め、その技の全てを受け継いだ唯一の剣士。


別名——現代最強の勇者。


その勇者は今、自室のベッドに顔から突っ伏していた。


「お疲れ、リーナ。今日は大変だったからゆっくり休みな」


パーティーの仲間であるユイが、部屋の扉越しにそう声をかけてくれた。リーナは顔を枕に埋めたまま、片手だけ上げて応えた。

扉の向こうで足音が遠ざかっていく。静かになった部屋に、自分の呼吸だけが残った。


「……疲れたなぁ」


誰にも聞かれていないことを確認して、小さく呟いた。

疲れていた。体だけじゃない。心が、ずっと重かった。


80層突破という歴史的快挙で王国中が沸いている。。明日からは取材が殺到するだろうし、ギルドからの要請も山のように来る。


国民の期待はさらに膨れ上がり、「次は90層だ」「100層到達は近い」と騒ぎ立てるに違いない。

千年前からダンジョンの最深部には「厄災」が眠ると言い伝えられてきた。


それを打ち払うのが勇者の使命だと、みんなが言う。国が言う。民が言う。あなたならできると。あなたにしかできないと。


「私はただ、剣を握っていたかっただけなのに……」


枕に顔を押し付けて、目を閉じた。

瞼の裏に浮かんだのは、師匠の背中だった。


ヴォルフ師匠。あの人のもとで剣を学んでいた頃は、何も考えなくてよかった。

ただ振れと言われたから振った。ギュッとしてバシュッだと言われたから、ギュッとしてバシュッとやった。


最初は意味が分からなかった。でも体を動かし続けるうちに、師匠の言葉が体の中で意味を持ち始めた。あの頃は、剣を振ること自体が楽しかった。

全課程をクリアした日、師匠は笑っていた。


『お前は俺の自慢の弟子だ。一閃流は、お前に託す』


そう言って、師匠は旅に出た。「ちょっと旅行してくる」と、まるで散歩にでも行くような口ぶりで。

それきり、師匠は表舞台から姿を消した。


残されたのは、一閃流の全てを継承した十五歳の少女と、「最強の剣士の後継者」という途方もない肩書きだった。


それから二年。勇者と呼ばれるようになった。パーティーを組み、ダンジョンの最前線を切り開いてきた。層を一つ突破するたびに歓声が上がり、期待が積み重なり、「英雄」という言葉が重石のように肩にのしかかっていった。


英雄幻想。


みんなが私に見ているのは、本当の私じゃない。「閃光の勇者リーナ」という物語の主人公を見ている。強くて、勇敢で、揺るがない英雄の姿を。

でも本当の私は、こうやってベッドに突っ伏して、疲れたと呟いている、ただの十七歳だ。


「……寝よ」


目を閉じた。

でも、その日はなんだか眠れなかった。


体は疲れ切っているのに、頭が冴えてしまっている。

寝返りを打って、天井を見上げた。何度も見た天井。何も変わらない天井。


ふと、部屋の隅に置いてある受信用の魔導具が目に入った。


配信を見るための装置だ。球形の魔導具を台座にはめ込むと、壁に映像が投影される仕組みになっている。普段はまったく使わない。私はいつも「見られる側」であって、他人の配信を見ることはほとんどなかった。


でも、今夜はなんとなく——本当になんとなく、気が向いた。

眠れないなら、何か見ていた方がマシかもしれない。


ベッドから起き上がって、魔導具の台座に手を伸ばした。起動すると、壁にぼんやりと配信の一覧が映し出された。


トップランカーをはじめとする最前線の冒険者には、公式の配信アカウントとは別に、プライベート用のアカウントが支給されている。常に衆目に晒される立場への配慮だ。私も普段の公式アカウントとは別に、プライベートアカウントを持っている。


登録名は「ひかりん」。


ユイに「何その名前」と笑われたけど、気に入っているから変えていない。


プライベートアカウントでログインして、配信一覧を眺めた。深夜だから、ほとんどの配信は終了している。人気配信者のアーカイブがいくつか並んでいるだけで、リアルタイムの配信はほぼない。


——と、一つだけ、ライブ配信の表示が光っていた。


「こんな夜中にダンジョンにいる子がいる……誰だろう」


配信者名は「カイ」。視聴者数は0。階層表示は第1層。

第1層。初心者中の初心者だ。しかもこんな深夜に、一人で。視聴者ゼロ。


なんとなく気になって、配信をタップした。

壁に映し出されたのは、薄暗いダンジョンの通路と、その真ん中に立っている少年の姿だった。


年は私より少し下くらいだろうか。鉄の剣を持って、革鎧を着て、一人で第1層を進んでいる。表情はカメラ越しにもはっきり見えた。緊張と、それからどこかわくわくしたような目。


「一人で潜ってるこの子。危ないな……」


見ていると、通路の先にスライムが現れた。少年が剣を構えて踏み込む。


——空振り。


思いきり振った剣が地面を叩いて、スライムには一ミリも当たっていない。直後にスライムの体当たりを横腹にもらって、少年がよろめく。


「あー……」


思わず声が出た。全然当たっていない。何度振っても当たらない。スライムはぷるぷる動いているだけなのに、少年の剣は全てその横を素通りしていく。


見ているうちに、ふっと笑いがこぼれた。


懐かしい。


私も同じだった。師匠から一閃流の型を叩き込まれて、「よし、お前はもう十分だ。一人でダンジョンに行ってこい」と送り出された日。


自信満々で第1層に踏み込んで、最初のスライムに一発も当てられなかった。型は完璧に入る。でも、動く相手に合わせる経験がまるでなかった。


あの時の私と、画面の中のこの少年が重なった。

少年は何度も何度も剣を振って、何度も何度もスライムに弾かれて、最後にはやけくそみたいな大振りでようやくスライムを倒した。壁にもたれかかって、荒い息をついている。ボロボロの姿。


「……頑張ったね、この子」


画面の中の少年が、ぼんやりと配信画面を眺めているのが見えた。何かに気づいたような顔をしている。


——あ。


私が見始めたから、視聴者数が0から1に変わったんだ。

少年が画面を見つめている。「見られてるのかな」というような、不思議そうな顔。


どうしよう。何か打った方がいいのかな。でも何を打てばいいのか分からない。コメントなんて打ったことがない。私はいつも打たれる側で——。


指が勝手に動いていた。


ひかりん:こ、こ、こんばんわ!!!!


打ってから気づいた。びっくりマーク四つ。「こ」が三回。なんだこれは。緊張しすぎて指が震えたせいだ。

画面の中の少年が、一瞬きょとんとした後、口を開いた。


『こ、こんばんは!』


声が裏返っていた。


……ふふ。


そこから会話が始まった。少年——カイは、素直で、少しおっちょこちょいで、でも目がきらきらしていた。昼間に何かあって夜に来たらしい。一人で来ているのは危ないと伝えたら、「今すごく実感してます」と苦笑いしていた。


再びスライムが現れて、カイが戦い始めた。また当たらない。でも、さっきよりは少しだけ動きが良くなっている気がする。スライムの体当たりを避けようとしている。避けきれずに食らっているけど、さっきみたいに棒立ちじゃない。


見ていて思った。

この子、私と型が似ている。


剣の振り方に、素人にはない芯がある。力任せに振っているように見えて、振りかぶる瞬間の体の使い方がきちんとしている。基礎がある。しっかりとした基礎が。でも、動く相手への対応だけが致命的に欠けている。


まるで——型だけを何年も練習してきたような。

私と、同じだ。


カイがまたやけくその大振りでスライムを倒した。壁にもたれて「悔しいな」と呟いている。

私の胸の中で、何かが動いた。


アドバイスしてみようかな。

そう思った瞬間、古い記憶がよぎった。


一閃流を継承してから、私に教えを請う者は何人もいた。みんな「勇者に直接指導してもらえる」と目を輝かせてやってきた。私は師匠にそうしてもらったように、自分の感覚をそのまま伝えようとした。


「ここでシャッて踏み込んで、相手がグッて来たらフワッて避けて、そこからスパーンって——」


全員、同じ顔をした。困惑。そして、申し訳なさそうな笑顔。


「すみません、ちょっと分からなくて……」


誰一人として、私の言葉を理解できなかった。


師匠から受け継いだ感覚は、私の中では鮮明に生きている。でもそれを言葉にすると、擬音になる。師匠がそうだったように、私もそうだった。そしてその擬音は、誰にも届かなかった。


一人去り、二人去り、やがて私に教えを請う者はいなくなった。


「最強」は、「孤独」と同じ意味だった。


……でも。


画面の中のカイを見つめた。ボロボロで、息を切らして、それでも目の光が消えていない少年。

この子なら——と思ったわけじゃない。期待なんてしていない。また「分かりません」と言われるだけかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。


ひかりん:あのさ


指が止まった。


ひかりん:その


また止まった。言い出しにくい。「分かりません」と言われるのが怖い。でも。


ひかりん:アドバイスとかしてもいいですか


打ち終わってから、心臓がうるさいことに気づいた。


画面の中のカイが、目を見開いた。


『本当ですか!? ありがたいです! お願いします!』


……え。


即答だった。迷いなく、目を輝かせて、全力で喜んでいる。

この子ならもしかして……と、淡い期待を抱いてしまった。


胸の奥がじんわりと温かくなった。その感覚に戸惑いながら、私はコメントを打ち始めた。

スライムの動きについて。体がピュッと縮む瞬間。そこからシャッと避けて、シュッと踏み込んで、スパンッと斬る。私にしか分からない、私の最大限のアドバイス。


全部打ち終わって、画面を見た。


カイが固まっていた。

やっぱり。分からなかったか。


そうだよね。誰だって分からない。私の言葉は、誰にも——。


『よし——やってみます!』


カイが立ち上がった。

壁から背中を離して、通路の奥に向かって歩き出した。


……え? やってみる? 本当に?


画面を食い入るように見つめた。カイがスライムと対峙している。剣を構えて、動かない。待っている。スライムの体が縮んだ瞬間——カイが横に跳んだ。


避けた。


タイミングが——合っている。


ピュッの瞬間にシャッと動いた。私が言った通りに。

そしてスライムが着地した瞬間、カイが踏み込んだ。シュッ。剣を振った。スパンッ。


——当たった。


かすっただけだった。完璧じゃなかった。でも、当たった。私の言葉が。擬音が。初めて、誰かに届いた。


ひかりん:すごい


指が震えた。


ひかりん:すごいすごい!!!!


ひかりん:今の、ちゃんとできてた!!!!


止まらなかった。思ったことが全部指から溢れ出していく。落ち着こうとしたけど無理だった。

画面の中のカイが照れくさそうに「言われた通りにやってみました」と言っている。


言われた通りにやった。それだけ。でも、「それだけ」ができる人間が今まで一人もいなかったのだ。私の感覚を聞いて、体で理解して、その場で実行した。初めてだった。世界で初めて、私の言葉が誰かに届いた。


それから一時間。

私は一度もベッドに戻らなかった。


画面の前に座り込んで、カイの配信を見続けた。スライムが来るたびにアドバイスを打ち、カイがそれを実行するのを見て、また次のアドバイスを打つ。カイの動きはみるみるうちに良くなっていった。


最初はかすっていただけの攻撃が、正面から捉えるようになり、二匹同時でも対処できるようになり、途中からは私がコメントを打つ前に体が動いていた。


一時間前にスライム一匹に負けていた少年が、今は三匹を相手にしている。


信じられない吸収速度だった。

やがてカイが「帰り方が分からない」と言い出した時は、思わず画面に向かって「嘘でしょ」と声が出た。帰還石の存在を教えて、使い方を伝えて。


ひかりん:また配信、見に来てもいい?


打ってから、少し怖くなった。迷惑かもしれない。深夜にいきなり現れて、感覚だらけのアドバイスを押し付けて。


『もちろんです! むしろお願いします!』


……この子は、本当に。


帰還石の光がカイの体を包んで、配信が切れた。壁に投影されていた映像が消えて、部屋が暗くなった。

魔導具の灯りだけが、ぼんやりと部屋を照らしている。


ふと気づくと、窓の外が明るくなっていた。カーテンの隙間から朝日が差し込んで、部屋の床に細い光の線を引いている。


もう朝だ。一晩中起きていた。


「あの子、すごかったな」


声に出したら、口元が自然と緩んだ。

私の擬音を、理解した。一回のアドバイスで七割再現した。あんな人間、師匠以来、見たことがない。


それに——楽しかった。


誰かに自分の感覚を伝えて、それが伝わって、相手が成長していく。その過程を見ているのが、こんなに楽しいことだとは知らなかった。80層を突破した時より、ずっと胸が弾んでいる。


「また見に行こう」


ベッドに倒れ込んだ。さっきまで眠れなかったのが嘘のように、まぶたが重くなっていく。

国民の期待も、英雄幻想も、明日の予定も、今だけは遠くに感じた。

頭の中にあるのは、薄暗いダンジョンの中で「よし、やってみます!」と目を輝かせた少年の姿だけだった。


リーナは穏やかな笑顔のまま、眠りに落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ