帝都ウィンドボナ
「帝都ウィンドボナ……見ない間に城壁が高くなった気がする」
「ここ五十年ほど、段階的に増築工事が行われていますからね」
北方帝領の南の国境に張り付くように広がる皇帝直轄領は、北方帝領や西方帝領では珍しい国有地である。もっとも、現在の皇帝家は六百年の長きにわたって世襲を安定させており、実質的には皇帝家の所有物と言ってもよい状態であるが。
そんな皇帝直轄領の中央部には、北方帝領の御座所である帝都ウィンドボナが存在する。人口は十五万ばかりを数え、東方帝領の帝都ビュザンティオンには及ばないが、世界有数の大都市の一つである。
その帝都ウィンドボナに、北方帝ジギスムントの招集を受けた諸侯の軍勢が集っていた。もちろんポメレニア辺境伯軍も四千の兵を連れて参陣している。
「そろそろ皇帝陛下との謁見の時間なのですが、一向に使者が来ません」
「暇だね」
「ええ、暇です。早く陛下の真意を直に聞きたいものです」
「それにしても、皆がそれぞれの旗を持ってて、随分と賑やかな光景だね」
「人間にとって旗はとても重要です。己がここにありと示す最大の証ですから」
ポメレニア辺境伯アドルフと吸血鬼ヴィルヘルミナは、色とりどりの軍旗に彩られた軍勢を眺めていた。
「結局どれくらい集まったんだい?」
「全軍を合わせて、およそ二万八千といったところでしょう」
「少なくないかい? 君だけで四千も連れてきてるのに」
「当家が戦争に慣れているだけです。当家以外の諸侯が、自らに益のない遠征に参加するのであれば、人口千人に一人ほどしか出せないでしょうね」
「世知辛いね」
「封建制は年々崩れています。いずれは、傭兵に頼る割合が上がっていくことでしょう」
「傭兵ねぇ。ロクなもんじゃないと思うけど」
「ヴィルヘルミナ殿も傭兵ではありませんか」
「私は善良な傭兵だけど、大抵の傭兵は金にしか興味がないし、戦争が終わったら略奪と虐殺に躊躇がないような、クソみたいな連中だよ」
「もちろん、わかっています」
傭兵は太古の昔から今に至るまで世界のどこにでも存在するが、そのほとんどは戦争を口実にした略奪で生計を立てている連中だ。
「殿下、皇帝陛下がお呼びです」
「わかった。ヴィルヘルミナ殿、申し訳ありませんが、ここで暫くお待ちください」
「私はいくらでも待つよ」
さすがにヴィルヘルミナを北方帝の前に連れていくわけにもいかない。ポメレニア辺境伯はわずかな供回りと共に、ウィンドボナ城内にある皇帝の御殿に向かった。
○
ポメレニア辺境伯が案内されたのは玉座の間である。一段高いところに豪奢な玉座が置かれており、諸侯は整列して皇帝を待っている。基本的に前にいるほど偉いので、北方帝領最大の諸侯であるポメレニア辺境伯は当然、最前列にいる。
しかし、北方正帝ジギスムントは現れなかった。代わりに現れたのは、ジギスムントによく似た老人である。当然玉座に座ることはなく、諸侯の前に立った。その後ろには件のグレーテルも控えている。
「皆、よくぞ集まってくれた。見知った者も多いが、儂は北方正帝ジギスムントが弟、リヒャルトじゃ。此度は兄の名代としてここに参った」
北方正帝ジギスムントと、その弟リヒャルト。二人は双子であり、その姿を絵でしか見たことのない人間であれば、見分けるのは不可能だろう。ちなみに皇弟リヒャルトはパンノニア公という称号も帯びており、儀礼的な序列はかなり高い。
「ジギスムント陛下はお身体が優れないのですか?」
ポメレニア辺境伯が尋ねた。
「いかにも。兄はこのところ体調が優れぬ。フリードリヒ殿下への御譲位を思し召しなのは、まさにそれ故なのだ」
「なれば、遠征など到底不可能ではあるまいか?」
別の諸侯――フランク公が問うた。
「此度のレムリア遠征の総大将は、北方正帝陛下の命により、この儂リヒャルトが務めることとなった。結果的には騙すような格好になったこと、実に申し訳なく思う」
皇帝親征が叶わないと、いきなり出鼻をくじかれた格好である。諸侯は大いにどよめいた。あるいは「左様なことがあり得るのか」と憚らずに言い合い、あるいは平静を装いながら皇弟リヒャルトの真意を測っていた。
「――もしも北方帝陛下の臨御なくして兵を出せぬのであれば、それでも構わぬ。咎めることは決してせぬと、陛下は仰せである」
「そ、そうであっても、せめてお顔を見せてはいただけぬものか?」
ヴィアドルス宮中伯コンラートが皇弟リヒャルトに問いかける。遠征に出ることが難しくとも挨拶くらいはするべきではないかという、実に真っ当な意見である。
「申し訳ない。兄は今、それすらできぬほどの重態なのだ」
「そ、そうか……」
「陛下は譲位をお急ぎじゃ。逸早くレムリアに向かいたい。先程申したように、気の進まぬ者は帰ってもらって構わぬ。志ある者は、このリヒャルトに続いてもらいたい。以上じゃ」
遠征前の景気づけは、これにて終了した。諸侯は各々の本陣へ戻る。
○
「――レムリア遠征だというのに、陛下がお顔すら見せてくださらないとは、前例のないことですね……」
兄から話を聞かされ、ヴェロニカは状況を訝しんでいた。
「やっぱり北方帝はとっくに死んでるから、あまり表に出せないんじゃないかい?」
「確かに、諸侯の中にはジギスムント陛下と何度も会ったことのある者もいます。影武者の噂が本当であるのなら、その者をあのような場に出すのは不可能でしょう」
「それか、そのリヒャルトが影武者なのかもね。諸侯の前でジギスムントを名乗るのは無理があったから、今回は普通に弟として出てきたんだ」
「ジギスムント陛下をよく知らない者相手であれば、リヒャルト殿は十分影武者としてやっていけるでしょうね」
「兄上は、その噂を信じているのですか?」
「今のところは、肯定するも否定するも判断材料がない。信じてもいないが、即座に棄却できるものでもない」
「そうですね……。もしも本当だったら、大変なことになりますが……」
「そうはなって欲しくないものだ」
「本当かい?」
「ええ、もちろん」
ヴィルヘルミナにはアドルフの口元にわずかな笑みが浮かんでいるように見えた。




