北方帝からの勅使
北方戦争とヘルムートらの騒動が集結してからおよそ一年半。平和な時を過ごしていたポメレニア辺境伯領に、北方帝ジギスムントからの勅使が訪れていた。
ポメレニア辺境伯アドルフは、首都グダンツの中央に位置する屋敷で、その勅使を出迎えた。
勅使本人は珍しく女性であった。質素なドレスを身にまとっている。若々しいが、まるで幾度も戦をくぐり抜けてきたような凛々しさと落ち着きがある。その名はグレーテルといい、北方帝ジギスムントの側近として、そこそこ名が通っている。
「――それで、グレーテル殿がわざわざ辺境の当家にいらっしゃるとは、いかなるご要件か」
「畏くも北方正帝陛下におかれましては、帝都レムリアへの遠征を思し召しです。しかるに、ポメレニア辺境伯殿下には兵を出していただきたいのです」
レムリア帝国唯一の都であるレムリアは、地中海に突き出した長靴状の半島の中央部に位置する。各方面の皇帝の本拠地とは一線を画する政治的な重要性を持ち、帝国の最高機関である元老院の在所でもある。
「レムリア遠征ですか。歴史上何度もあったことですが、此度はいかなる理由で?」
「北方正帝陛下は、御嫡子フリードリヒ殿下に譲位されるおつもりです」
「譲位ですか。それは珍しい。その理由を尋ねてもよろしいでしょうか?」
エウロパの君主は基本的に終身制である。譲位となれば、肉親同士の権力闘争など限定的にしか見られない。
「陛下は大変なご高齢です。御公務の遂行も難しくなってきておりますれば、早々にフリードリヒ殿下に帝位をお譲りしたいと思し召しです」
「なるほど。確かに、東方帝との抗争などで皇帝家は予断を許さない状況です。自然なお考えですね」
「ご理解いただけて何よりです」
要するに、レムリアの元老院に譲位を公認してもらいに行くのである。
「しかし、レムリアまでの遠征となると、当家でもそれほどの兵を出せないとは、ご理解いただきたい」
「無論です。しかし北方帝領全ての諸侯に参陣させます故、ご心配には及びませんかと」
ポメレニア辺境伯軍は、国内の防衛戦であれば二万近い軍勢を動員することが可能だが、遠征となると四千ほどが限界であろう。それでも北方帝領の諸侯としては高い動員率であるが。
「左様ですか。当家として無論、北方正帝陛下に全力で奉公するつもりです」
「ありがたきお言葉です。それでは、仔細については文書にまとめてありますので、ご確認ください」
グレーテルの供回りの者が辺境伯に書類を差し出した。上等な紙に達筆な文字で勅令が書かれている。羊皮紙ではなく、植物から作られた紙だ。
「――委細承知いたしました」
「はっ。それでは、私はこれにて」
グレーテルは一礼して応接間を出た。
○
グレーテルらが会談を終えて廊下を歩いている最中のこと。
――まったく、辺境伯も面倒なことをさせてくれる。
「やあ、こんにちは。グレーテル殿」
「ちょ、ヴィルヘルミナ様……!?」
「何だ貴様は!?」
ヴィルヘルミナがグレーテルを呼び止めた。突然の行動にヴェロニカは慌てふためいている。グレーテルの供回りはヴィルヘルミナを警戒し、剣を抜いた。
「落ち着いてください、皆さん。吸血鬼が何の御用ですか? そもそもここにどうして吸血鬼がいるのか、実に不思議ですが」
「まあそれは置いておいて、不思議なのは私もそうだ。君には三百年くらい前にも会ったことがある気がするんだが、気のせいかな? それとも、昔会った子の子孫だったりするのかな?」
「――さて、何を仰っているのか全くわかりません」
グレーテルが一瞬だけ言い淀んだのを見て、ヴィルヘルミナはほとんど確信に近いものを持った。
「そ、そうですよ。グレーテル様からは吸血鬼の気配なんて全くしませんし」
「そうだね。仮に吸血鬼だとしたら、いくら気配を隠すのが上手くても、この至近距離でわからないはずがない」
「で、でしたら、その時の方の末裔なのでは? 数百年にわたって皇帝家に仕える家もたくさんありますよ」
「吸血鬼以外にも不老の奴はいる。とは言え、証明するのは難しいね」
「残念ですが、証明などはできませんかと」
確かに、ヴィルヘルミナの記憶以外に根拠はないし、その記憶も完全なものとは言えない。
「私などより、あなたの方が余程正体を突き止めるべきかと思いますが。このことを報告すれば辺境伯殿下の立場も危うくなりますよ」
「辺境伯がどうなろうが知ったことじゃないね」
「はあ」
「さて、君自身かはさておいて、私が最初に彼女に会ったのは三百年前だ。950年くらいの北方帝は誰だったかな。わかるかい、ヴェロニカ?」
「ちょっと難しいですね……ええと……」
――考えればわかるのか? それはそれで凄いな。
「その方の特徴を言っていただければ、多分わかります!」
「そうだねぇ。確か、パンノニア公国を攻め落とした皇帝だったと思うんだが……」
「それはつい百五十年ほど前のことですが」
「そうですよ、ヴィルヘルミナ様」
グレーテルとヴェロニカに一斉に突っ込まれてしまった。
「あー、違った違った。確か、天然痘の瘢痕が顔に強く残っていたけど、本人はほとんど気にしてなかったね。実利的な人だったよ」
「オットー1世陛下ですか。確かにそのような方でしたね」
グレーテルは即答した。だが、ヴェロニカはその答えに強烈な違和感を持ったようだ。
「そ、そういうことは、基本的に記録に残らないと思うのですが……。まして三百年前ともなると……」
天然痘は誰でもかかり得る病気だ。だからこそ、その瘢痕については、わざわざ記録に残すべきものではないと考えられている。
「それは――」
「どうやら、上手くいったようだね」
グレーテルはすぐに答えられなかった。『非公式な記録も知っている』など、言い繕う余地はあっただろうが、この反応では疑念を深めるばかりである。グレーテルの供回りも、彼女の反応に動揺していた。




