吸血鬼ノエル
「ど、どうしましょうか……」
「この穴はそれほど長いわけではない。であれば、心臓を向こう側に投げ飛ばして死ねばよかろう」
「そ、そんなことができるのですか!?」
「つい先程ヴィルヘルミナがやったことであろう」
ここにいる吸血鬼たちが持つ『命を弄ぶ魔法』は、命を込めた心臓を事前に用意することで、その場所に肉体を再構成することができる。ヴィルヘルミナは日光で身体が消し飛んだ時の保険として用意していたが、意図的に死んで別の場所に生き返ることも可能だ。
「ゲルトルートがやってくれるのかい?」
「貴様がやれ。私は命を無駄遣いしたくないのでな」
「無駄遣いって言うのはどうかと思うんだけど、別に構わないよ。もう少し休息しないと無理だけど」
「そうか。なら、用意ができたらすぐにやれ」
「はいはい」
ヴィルヘルミナは溜息を吐きながらも、ゲルトルートの要求に素直に従った。
「いいんですか、ヴィルヘルミナ様? そんな言いなりになって……」
「いいんだよ。現実的にはこれしか手段がないし、私はユリアのせいで無駄に大量の生命力を持ってるからね」
「もしかして、最初からこうするつもりでした?」
「半分くらいはね」
ヴィルヘルミナの体力はまだ回復しきっていない。念のため入口の穴を警戒しつつ、三人は数時間の休息を取った。その間にゲッツが残っていた吸血鬼を皆殺しにした。
「もう陽が落ちてしまったかな」
「はい。もしかして、洞窟の外に逃げられるかもしれないのでしょうか」
「その可能性はある。血族の始祖であれば最もよく魔法を使いこなせるだろうしね」
「朝まで待ちますか?」
「まあ、その時は追いかければいいよ。相手もそれはわかっているはずだ」
吸血鬼の群れが四方八方に逃げ出したとなると、全員を捕捉するのは不可能だが、相手が一体だけなら何とでもなる。
「ゲルトルート、何かあったらヴェロニカをよろしくね」
「ああ」
「それじゃあ、行こうか」
ヴェロニカが息を呑んで見つめる中、ヴィルヘルミナは自らの心臓を抉り出し、小さな穴を通して反対側の空間に投げ入れた。そして、一瞬にして再生していた心臓を自ら短刀で突き刺して自害。その肉体が崩れ落ちると同時に、反対側に新たなヴィルヘルミナが生み出された。
○
「やはり、向こう側は広くなっていたか。一体どんな奴が待ち構えているんだか」
壁をすり抜けた先には、これまでと然程変わらない洞窟が広がっていた。ヴィルヘルミナは歩を進め、何度か曲がった先で、部屋のような広めの空間に出くわした。
「君が吸血鬼ノエルかな?」
「……そうだよ。だから何?」
透き通るような白い肌と髪、底の見えない赤い目をした女の吸血鬼。ヴィルヘルミナやエンヘドゥアンナと同等の血族の始祖であろう。岩盤を削り出した寝台にだらしなく横たわり、自身の身長より長い髪を、汚れるのも気にせず地面に垂らしている。
「君がヘルムートに血を与えたのかい?」
「そんな名前だったっけ……。血を寄越せって言ってきたから、血をあげた。それだけ」
非常に気怠そうな声で、ヴィルヘルミナに視線も合わせず、天井をぼんやりと見つめながら、ノエルは答えた。
「君は彼らが人間を虐殺していることを知っているのかい?」
「そうなの? 知らないし興味もない」
――少なくとも、真っ当な精神性はしていないな。
人を積極的に殺しそうではないが、殺人を躊躇することもなさそうである。
「彼らとはどういう関係なんだい?」
「この部屋を作ってもらった」
「それは三百年くらい前のことかい?」
ヘルムートは自身の生きてきた時間を三百年程度だと言っていた。
「ここを作ったのは最近。五十年前くらい、かな」
「わざわざ連中と同居しているのかい?」
「そう」
「どうして?」
「安全な洞窟を提供してくれるのに、断る理由がない」
「随分と不思議な関係だね」
――概ね想像はつく、か。
ノエル自身を利用しないのであれば、霧になる魔法が他者に渡るのを防ぎたかったと考えるのが自然だろう。だがノエルには最初からそんな気はなく、ここに半ば監禁されることも厭わなかったようである。
「君は外に出る気はないのかい?」
「面倒くさい」
「やりたいこととか――なんてないか」
「私は長く生きすぎた。やりたいことはないけど、死ぬ気も起きない。たまに外から面白い話を聞ければ、それでいい」
「人より長く生きる吸血鬼の典型的な症例だね。悪いとは言わないが」
人間の精神性はエルフのように数千年生きることを想定して設計されていない。吸血鬼になって寿命を失った人間は、往々にしてこのような無気力になるのだ。外界に多少の興味を持っているだけ、ノエルはマシな方であろう。
「君に面白い話を持ってきてくれる吸血鬼は皆殺しにしちゃったけど、それでもここにいるのかい?」
「飽きてきたら、外に出るかもしれない」
――こういう手合いは、大人しく引き籠ってくれた方がいい。
「それか、面白い話を持ってくるよう、お貴族様に頼んでおこうか?」
「それは、少し面白そう」
「そうかい。なら掛け合ってみよう。期待していいよ」
ノエルには取り立てて目的意識もなく、倫理観もあまり備わっているとも言えない。そういう存在は外に出すと面倒なことになりかねない。ここでの漫然とした生活に満足してもらっていた方が世間のためだと、ヴィルヘルミナは判断した。




