ゲルトルートの意志
「お前が手を引けば、こいつは返してやる。俺達が逃げるのを見逃せばいいだけだ。簡単な話だろう?」
「随分と捻りのない提案をしてくれるね」
「捻りなんて入れる必要ねぇだろ。こういうのはわかりやすい方がいいんだよ」
「それは一理あるね。とは言え、私は君達を許すつもりはないし、この場で皆殺しにするつもりだ」
ヴィルヘルミナに交渉に応じる気は一切ない。ヘルムートはその様子に焦りを隠せない。
「俺が躊躇するとでも思ってるのか? 今すぐにでもこいつを殺せるんだぜ?」
「そうかい?」
「……今すぐこいつの心臓を突き刺してやってもいいんだぜ?」
ヘルムートはヴェロニカの左脇腹にナイフを突き刺した。血は脚を伝って、地面に血溜まりを作った。ヴェロニカは弱々しく苦痛の声を漏らした。
「うっ……。ぐっ……」
「本当にいいのか? このままナイフを突き刺せば、こいつは死ぬんだろう?」
「それはそうかもしれないが……ヴェロニカ、今は脱出してくれるかい? 出口はすぐそこだ」
ヴェロニカと洞窟の出口の間にあるのは、ヘルムートとその配下の吸血鬼二体だけである。
「……何を言ってやがる」
「それは……こういう、ことです……!」
「ッ!?」
それは、ヘルムートにとって予想だにしないことだった。何が起こったか理解した頃には、彼の背中から幾本もの血の棘が突き出していた。言わずもがな、その血はヴェロニカの血である。
唐突な攻撃に、ヘルムートは反射的にヴェロニカを突き飛ばした。何本もの棘が身体を貫き、ヴェロニカ相手だとしても戦える状況ではない。
「ヴェロニカ! 逃げるんだ!」
「はい……!」
「親分!?」
ヴェロニカの動きは素早かった。洞窟の入口に立つ、まだ状況を掴めていない吸血鬼に向かって突進した。爪を伸ばし、片方の吸血鬼の首を突き刺して息の根を止め、そのまま洞窟の外へ転がり出た。
「せっかくの人質が……!」
「ヴェロニカに傷をつけたのが失敗だったね。ヴェロニカも私も、血を固めて武器を作ることができるんだ」
「クソッ。そんな力が……」
「さあ、どうする? 君達はもう詰んでいる。逃げ場はないよ?」
「クッ……」
一本道の洞窟で、奥にはヴィルヘルミナ、外にはヘルヴェコナ伯ゲッツ率いる軍勢が控える。人質を失い逃げ場は皆無。完全な挟み撃ちである。
戦況は、一気に好転した。
「ヴィルヘルミナ! こっちからも攻め込むか!?」
ゲッツが洞窟の奥に向かって叫んだ。大声で叫べば意思疎通を図ることは可能だ。
「ああ! そうしよう! こいつら全員皆殺しだ!」
「おうよ! んじゃ、突撃!!」
「クソッ! 舐めるなよ!!」
ヘルヴェコナ伯率いる騎士の突入が敢行される――まさにその時だった。
突如として、ゲッツの目の前に割り込む人影があった。吸血鬼ゲルトルートであった。ゲルトルートはサーベルをヘルヴェコナ伯に向け、洞窟へ通す気はなさそうだ。
「おいおい、何のつもりだ、あんた?」
「お前達が介入する必要はない。ヴィルヘルミナと勝手に殺し合わせて、消耗しきったところを皆殺しにすればよかろう」
「挟み撃ちした方が効率的だろ」
「ヴィルヘルミナにはできる限り死んでもらう。奴の生命力を消費させる。それまでは手を出すな」
「なるほどねぇ……」
ゲルトルートはヴィルヘルミナにもヘルムートにも死んでもらいたい。どちらかが圧倒的に勝つのは望んでいないのだ。それ故、戦闘不能になるまでヴィルヘルミナ一人に戦わせ、その後に残った吸血鬼を殺そうというのである。
「安心せよ。こいつらを討ち漏らすつもりはない」
「その言葉に嘘はないだろうがなぁ……」
「ヘルムートとやら、いいことを教えてやる。心臓から身体を再構成するのは体力を消耗する。奴を攻撃し続ければ、そのうち手足の再生も覚束無くなるであろう」
「ちょっと! 人の弱点を勝手に晒さないでもらえるかな!」
「何なんだ、お前は」
「ヴィルヘルミナを動けなくなるまで消耗させれば、褒美として楽に殺してやろう。それまでは私が背中を守ってやる。悪い話ではあるまい」
「……いいだろう。ただし、その時はお前を殺す」
「やってみるがよい」
ヴィルヘルミナを倒したいという目的だけは、ゲルトルートもヘルムートも同じであった。それまでの間だけ、この二人は束の間の同盟を結んだのである。
「で? 私を倒してヴィルヘルミナを助けに向かうか?」
ゲルトルートはヘルヴェコナ伯ゲッツに問いかける。
「あんたと敵対せずとも目的は果たせるが……さすがにヴィルヘルミナを見捨てるってのは、人の道を外れてるな」
「なれば、私と戦うか」
「ああ、そうさせてもらおうか!」
ゲッツは銀の棘がついた棍棒をゲルトルートに叩きつけようとした。ゲルトルートはその棍棒をサーベルで受け止めた。細身の刀身であったが、強度は十分であり、全く折れる気配はない。
「ただの人間が、私に勝てると思ったか?」
「確かに、人間は同じ数じゃ吸血鬼に勝てねぇな」
「――正々堂々と戦おうとは思わんのか?」
「化け物相手に騎士道なんてねぇよ」
「卑怯者め」
ゲッツの背中と洞窟の壁面との隙間に、弓兵が矢をねじ込んだ。銀メッキされた鏃がゲルトルートの心臓に迫る。




