ウル・シャリムの大図書館
暫く待たされた後、兵士が大慌てで城門にやってきた。
「勅令である! その吸血鬼ヴィルヘルミナを帝都に通し、交通の便宜を図れ!」
「勅令だと? 本気で言ってるのか?」
「本気だ! いいからさっさとご案内せよ!」
「ほらね。言っただろう?」
皇帝から直々の命とあらば、誰も文句は言えない。一瞬にして国賓待遇である。とは言え、ビュザンティオンに留まる気はないので、海峡の渡し船をすぐ手配してもらうことにした。数人の兵士に護衛されながらビュザンティオンに入り、市内の港へ向かう。
「ビュザンティオン……初めて来ました……」
「なかなか栄えてるだろう?」
「はい……。確かに、グダンツとは比べ物にならない、ですね……」
大都会ビュザンティオンでは真夜中になっても人の流れが絶えず、ランタンを持たずとも歩き回ることができる。その輝きにヴェロニカは魅入られていたが、ここはあくまで通過するだけである。
「名残惜しいかもしれないが、先を急ごう。私も早く辺境伯領に戻りたいからね」
「そ、そうですね……。私もです……」
「ヴィルヘルミナ様、渡し船の手配は整っております。今すぐ出発できますが、如何しますか?」
「今すぐで頼むよ」
「承知いたしました」
ビュザンティオン滞在は一時間にも満たなかった。港から渡し船を出してもらい、ほんの数分で対岸に到着した。
「ご苦労、兵士諸君」
「大変な失礼をいたしまして、申し訳ございません」
「いいよいいよ。気にしないで職務に励みたまえ」
すぐ背後のビュザンティオンの灯りを背に、ヴィルヘルミナとヴェロニカは更なる南下を開始した。
○
東方正帝領を抜けるとすぐに南方帝領に入り、いくつかの国を抜けて、アラビア・ペトラエア総督領に入った。総督と名乗るからには南方帝の官吏ということになっているが、実際には独立した君主のようなものである。
ウル・シャリムはそのアラビア・ペトラエア総督領に位置するが、地理的にその領域に属するだけで、政治的には完全に独立している。
「ようやく、到着ですか……」
「ああ。一ヶ月もかからなかったね。よかったよ」
ウル・シャリムは砂漠の中に佇む城塞都市である。その門には番兵こそ立っているが、特に検問の類はない。
「それで……大図書館というのは、どこにあるのですか……?」
「君が見ている建物のほとんど全てが大図書館だよ」
「そ、そうなのですか……?」
「ああ。この街は言わば、図書館のために存在しているような都市だからね」
都市の中に図書館があるというより、図書館の中に都市があると形容されるのが、このウル・シャリムである。一定以上の規模の建物は全て大図書館の一部であり、本棚の一つのようなものだ。
「まあ、とりあえず本館にいこうか。館長もそこにいるからね」
「わ、わかりました……」
あまりにも規格外の図書館に圧倒されているヴェロニカをユニコーンに乗せ、ヴィルヘルミナは都市の中心部に向かった。中心部にあるのは、古代の神殿のようなピラミッド状の建造物である。
ユニコーンを入口近くに繋いでおき、ヴェロニカを背負って、ヴィルヘルミナはその扉を開けた。扉だけは木製で、使いやすくなっている。
「これが……図書館……。見たこともない、数の本です……。兄上の図書館でも、これには遠く及びません……」
見渡す限り本棚が並び、ヴェロニカは圧倒されていた。
「ちなみに、ここにあるのは本じゃなくて本の目録だ」
「ほ、本当ですか……?」
目録だけで普通の図書館の数倍の規模を誇るのが、この大図書館なのである。
「ちょっといいかい? 館長を呼んでくれるかな?」
「えー、お名前と、ご要件は?」
「吸血鬼ヴィルヘルミナって伝えてくれれば、すぐに来てくれるよ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
司書に館長を呼ばせ、ヴェロニカを長椅子に座らせて、ヴィルヘルミナも一度座ることにした。
「吸血鬼と言っても、全く驚かれないの、ですね……」
「吸血鬼くらい普通にいるよ。それに、そもそもここの館長は吸血鬼だからね」
「そ、そうなのですか……?」
「ああ。ただの人間にこんな巨大な建物を何千年も管理できるわけがない。館長は吸血鬼だし、さっきの司書も吸血鬼だよ」
「はぁ……」
少し雑談をしていると、ほどなく館長が姿を現した。ヴィルヘルミナと同様、雪のように白い髪と肌、そして熟れた果実のような赤い目を持った、幼い少女の見た目をした吸血鬼である。
「久しいのう、ヴィルヘルミナ。して、此度はどの面下げて来たのだ?」
「この子を見て欲しくてね」
明らかに厄介者として扱われているが、ヴィルヘルミナはまるで意に介していなかった。
「ほう?」
「ど、どうも……」
「まずは自己紹介くらいしてあげなよ」
「よかろう。我はエンヘドゥアンナ。この大図書館の主よ」
「な、何と……?」
館長エンヘドゥアンナは、混乱するヴェロニカを揶揄うように笑みを浮かべた。
「ふふ。近頃の者には聞き馴染みがなかろうが、こう書くのだ」
と言って、彼女が懐から取り出した紙に書いたのは――象形文字のような線文字のような、普通の人間にはまず読めない文字であった。
「これは……楔形文字、ですか? さすがに読めはしませんが……」
「ほう。存在を知っているだけで上等だ」
「それで……館長様、私がここに来たのは――」
「用件は、汝の病、体内の血のことか」
「そ、そうです」
「面白いことになっておるのう」
またしてもニヤリと笑う館長。クセの強い人物であることは間違いないようだ。




