捕虜
ランゴバルド軍は敗走した。最初は一万三千いた兵士も、残るは五千。もちろんその八千が死んだというわけではなく、大半は捕虜である。ヴィルヘルミナは今回も、捕虜を絶対に殺さないようポメレニア辺境伯に釘を刺していた。
「――しかし、そう言われましても、これほどの捕虜を管理するのは大変です」
これほどの捕虜を連れて歩くことができず、北方帝諸侯の軍勢はフロレンティアで足止めを余儀なくされていた。
「だったら捕虜を解放すればいいじゃないか。少なくとも金にならないただの兵士は、すぐに解放するべきだ」
「それは吝かではありませんが、すぐに解放してしまっては、敵に兵を返すことになってしまいます」
「だったら、敵が遠くに逃げるまで待てばいい」
「しかし、私としてはこの機にランゴバルドに攻め込みたいのですよ。せっかく主力部隊が壊滅して丸裸なのですから」
「そんなのは初耳なんだけど?」
「向こうがいきなり裏切ってきたのです。制裁を加えても、ヴィルヘルミナ殿も文句はありますまい」
「それ自体は構わないけど」
敵の目の前で捕虜を解放するなど馬鹿げている。裏切り者のランゴバルド王国に報復する権利がある。ポメレニア辺境伯の主張はどちらも正しい。
「ランゴバルドに攻め込むってことは、王都ティキヌムを落とすつもりかい?」
「ええ、そのつもりです。一万もあれば十分に可能かと」
「その一万は本当に君についてくるのかい? そもそも半分はフランク公の兵なわけだし」
ポメレニア辺境伯に半分ほどの諸侯が協力してくれたのは、あくまで北方帝領に帰還するという共通の目標があったからである。王都ティキヌムに攻め込む目的で手を貸してくれる可能性は低い。
ヴィルヘルミナがそう指摘してみると、意外にもポメレニア辺境伯は答えに詰まった。
「――確かに、この一万の兵は私の手足と思っていましたが、それは間違いですね。私の手勢だけでは、王都まで攻め込むのは難しい」
「多分だけど、大体の諸侯は協力してくれないと思うよ」
「ええ、恐らくは。仕方がありませんので、ここは諦めるとしましょう。身代金を取れそうな貴族だけを残して、ただの兵士は解放します。フランク公もこれには同意してくださるでしょう」
早速、ポメレニア辺境伯はフランク公にこの話を伝えた。ランゴバルド王国に報復はせず、北方帝領に帰還すると。
「――捕虜については、儂もあの吸血鬼に同意する。そして貴様の予想通り、ティキヌムまで攻め込むつもりはない。仮に勝ったとしても、権益を平等に分配できるはずがない」
「そういう理由ですか。いずれにせよ、捕虜は丁重に扱いましょう」
「当たり前だ」
一部の貴族は捕虜を処分して今すぐ帰還することを訴えたが、ヴィルヘルミナに脅されるとすぐに黙り込んだ。三日この場に残った後、ランゴバルド兵のほとんど全てを解放し、北方帝領の軍勢は本国に向かって進軍を開始した。
○
一方その頃。王都ティキヌムに帰還していたランゴバルド王アストルフォには、北方帝諸侯から身代金を要求する魔導通信がこれでもかと飛んできていた。
「身代金は合わせて、銀貨八十三万枚ほどかと……」
「こ、このような巨額の身代金、払えるわけがない……」
ランゴバルド王国の年次歳入の倍近い額である。
「しかし、もしも北方帝領に囚われている方々を取り戻すことができなければ、領国の統治は崩壊します」
「わ、わかっておるわ、そのくらい……」
封建領主というのは時に国王に反抗する厄介な存在でもあるが、地方を統治するのに不可欠の存在でもある。国王の官僚に、封建領主に与えている土地を全て統治する行政能力はない。このままでは国全体が無法地帯になってしまう。
「か、かくなる上は、北方帝領に攻め込むしか……」
「兵を率いる者がいないのでは……?」
「そ、それも、そうだな……」
封建領主は将軍でもある。仮に兵士を集められても、指揮できる人材がいないのだ。
「これも、余がしくじったからか……」
「陛下、こうなった以上、屈辱的ではありますが、金を借りるしかありますまい」
ヤヌア公ロレンツォは言った。ヤヌア公は殿軍を務めながら無事に生還していた。
「……ああ、そうだな」
「ブルグントから借りましょうか?」
「いやいや、ブルグントはダメだ。借金までしたらいよいよブルグント王に頭が上がらなくなる。もっと遠くの国に頼むのだ」
「では、ゴートではいかがですか?」
ゴート王国はブルグント王国の向こうにあり、イスパニア地方の八割とガリア地方の三分の一ばかりを治める大国である。西方帝領内では圧倒的な大国と言ってもよい。
「いや、いくらブルグントを間に挟んでいるとは言え、ゴートは強すぎる」
「ならばいっそ、ブリタンニアに頼むのがよろしいかと」
北の海に浮かぶブリタンニア島の南半分ほどを統治するブリタンニア王国。これも大国であるが、ランゴバルドとは西方帝領の端と端と言ってもよい位置関係にある。
「それがよかろうな。このようなこと、末代までの恥であるが……ブリタンニア王リチャードに、借金を頼み込むのだ。あの変人であれば、貸し渋ってくることはないだろう……」
ブリタンニア王リチャードは、不気味なほどに気前よく金を貸してくれた。アストルフォ王にとっては非常に屈辱的であったが、ひとまず捕虜のほとんどを取り返すことができた。




