第二章:遠き場所よりきし者は7
「まったく、ばれなかったから良かったものの……勝手にうろつきまわるなんて止めてくださいませ。一人の時になにかあったらどうしますの?」
案の定怒り始めたハナの後ろに続きながら、セイラは見えないように口を尖らせた。
ハナもニキも自由に動きまわることが出来るなんてずるいじゃないか。
一人で留守番だなんて、退屈で仕方が無い。
「言いたいことがあるなら、言ってくださいませ」
「だって……」
この際だから言わせて貰おう。
口を開き始めたセイラの前で、ハナは悔しげに地団駄を踏んだ。
「黒い鬘をお使いなら、ディナートで特注したドレスの方が似合っていましたのに! 一人でふらふらしていたら必ず誘拐されますわ」
ハナのひっかかっている所は其処なのか。
誘拐はされないと思う。追剥には合うかもしれないけれど。
「侍女服ならば、茶のほうがよろしかったのではありませんこと? ほら、あの真白なコサージュもつけて。口紅は最新の色を。セイラ様がドレスの採寸から逃げ回っている隙に(ニキ殿を脅して)手に入れましたのよ」
いつのまにそんなことをしていたのだ。
もしかしてクローゼットに押し込まれている大量のもののほとんどはハナの指示によるものなのだろうか。
そういえば採寸なんてしていないがサイズはばっちりだ。
「ついでに爪も染めましょう!」
「いやいや、目立っちゃ困るんじゃなかったの?」
そんな派手な侍女は悪目立ちだ。
「では、王女のときは、めいいっぱいお洒落しましょうね」
「……え?」
「ね!」
「……う…………はい」
怒ってる。
ものすごく怒ってる。
さっきより口角が2度上がってる。
ハナが満面の笑みを浮かべている時は要注意だ。
セイラは頷くより他無かった。
どうにかハナの怒りを鎮める方法は無いだろうか。考えをめぐらせて、ようやく手元の重みに気がついた。
そうだ。カナンのお茶!
セイラはお土産をくれたカナンを全身全霊で拝みたくなった。
早くとハナを部屋に急きたてたことを後悔したのは、ちょうど自室のドアの前に人が立っていたからだ。
柔らかなオレンジの髪の主はケイトだ。
美しくラッピングされた箱をたくさん持ったまま器用に扉をノックしている。
返事が無いことに首を傾げ、もう一度。
やはり扉の向こうは静まりかえっている。
当然だ。部屋は無人で部屋の主は彼の背後にいるのだから。
「あっハナ殿」
白いものを目の端に捕らえてケイトが振り返る。
エスタニアの侍女が着る服だ。
ケイトはその服を見るたびにアリオスのものよりも優雅なような気がするのは裾元のレースのせいだろうか。
足に絡むようなスカートも踵の高い靴も彼女たちが戦いから縁遠いことを示しているようだった。
彼女たち?
人影は二人分。
ケイトはハナの着ている侍女服は彼女が着ているものしか見たことが無い。
あれは誰だろう。目を凝らせば、相手がとっさに顔を伏せた。
しまった! そんな心情が透けて見えそうだ。
ーあやしいですよね
友好を築くといえども、元々エスタニアとアリオスの仲が良いというわけではない。
今でも互いの間諜が国を走り回っている。
今回はたまたま利害が重なっただけ。エスタニアにとって王女を送り込んだこの機会はチャンスだ。
情報を得るばかりか有力な貴族と結びつくことも可能なのだから。
…ーでも間諜には見えないか?
まだハナを間諜とした方が納得がいく。
彼女は正しく侍女だ。だれもそれを疑いはしないだろう。
彼女が侍女の仕事として城の中をうろついていても誰も可笑しいなど思わない。
ハナの後ろに隠れているもう一人は侍女にしては粗忽すぎる。歩き方もどこかぎこちない。
「……セイラ様?」
ケイトは己の言葉に首を傾げた。
そんなわけがないじゃないか。だが侍女姿のその人物は諦めたかのように力を抜いた。
「…………セイラ様?」
ケイトの上ずった声にハナが頷いた。
「何をして……それより早く部屋の中へ!」
二人の少女を部屋に押し込んで、ケイトは扉を閉めた。
扉を背にしたケイトは怒るべきなのか驚くべきなのか分からないといった表情をしている。
いや、それより婦人の部屋に許可なくおし入ってしまった。なんたる無礼な行い。懲罰ものだ。
「すっ、すみません! すぐに出ますからお許しを! ちょっ、なんで」
ものすごい勢いでドアノブが動くがいっこうに開かない。
焦ったケイトが力をさらにこめれば、哀れな扉がミシミシと鳴った。
「……ケイト。それ引くんだよ」
「あっ、そうですね。すみません」
そんな二人のやり取りを傍目にハナはふぅと息を吐く。
「落ち着いてくださいませ。ここは執務室ですもの。ケイト殿が入っても何の問題もありませんわ」
「ですが、許可を取らずに部屋へ入ることなど本来許されることではありません。軍部会議にかけていただいてもかまいません」
頭でっかちの軍人め。
隠すこともなく舌打ちしたハナは、さっとセイラの方へ視線向ける。
お守役の兵士が扉の外で喚いているほうがよほど問題ありだ。
「セイラ様。許可を」
「どうぞ~」
床でずっこけたままのなんとも威厳のない許可だが、これで問題ないだろうとばかりに手を打ち終わりの合図だ。
これ以上騒ぐのもよくないと気を取り直したケイトが小さく咳払いをした。
「……では、気を取り直して、説明をしていただけますか?」
「ああ……そうだねぇ」
「説明も何も見たままです」と出かかった声を懸命に押しとどめて、二人の少女はふふふと小さく笑う。
「もしや、暇を持て余してふらふらと部屋を出たわけでは……」
「ケイトってば頭いい! あっでも、ふらふらとじゃなくてワクワクとだよ」
「どちらでも同じですよ。結果的には」
「そんな絶望的なため息をつかれたら、すっごく悪いことしちゃった気になるじゃない!」
「そう思っていただけると大変嬉しいんですがね。無事だからよかったものの……何かあったらどうするのですか。この間の賊のことも何もわかっていないんですよ」
「それは軍部の怠慢ではありませんこと」
つんとすましたハナの横顔にケイトは思わず言葉を飲み込んだ。
ハナの言うとおりだ。これだけの月日が経ちながら何の情報もつかめていない。
だがそれが手掛かりにもなりうる。情報収集に特化したカイザーの部隊が何も掴めていないということは、相手も慎重に己の正体を隠しているということだ。
ただの賊ではない。組織だって巧妙に動ける何者かがセイラ王女を狙っている。
だからこそ、供もつけずに勝手に行動してもらっては困るのだ。
「今日はどちらへ行かれたのですか」
「雪遊びをして」
「……雪遊びですか。そういえばエスタニアではそれほど雪が降らないのでしたね」
アリオスの生活は雪とはきっても切り離せない。
年の三分の一は雪に覆われているのだから、その雪がない冬の生活というものがケイトにはどうにも思い浮かばなかった。
「そう! ふわふわさらさらの雪ってきれいだよね。ああ、そうだ。書庫へ行ったの」
「書庫へですか」
「そう!」
ケイトの心臓が小さく音を立てた。
軍人のケイトにとってはあまり縁のない場所。いや、それどころか故意に避けてきた場所でもある。城の中で仕事をするものの大半がそうであろう。
『夜な夜な白い人影が現れる』
幽霊話よりもなお人を震え上がらせる噂が人の口に上るようになったのはいつのことからだろう、
『あそこは色なしの憩う場所』
『むやみに近づいてはならぬ。いらぬ厄をもらうから』
噂を消そうと苦心すればするほど、瞬く間に広がっていき嘗ては文官で賑わっていた書庫も今はひっそりと沈んでいる。
人通りの絶えた一角は同じ城の中とは思えぬほど静かだ。
そんな場所に王女一人で行ったのかと思うと、別の意味で心臓が縮み上がる。
「そこでね、素敵な人とであったんだ!」
「「はっ?」」
ハナとケイトの声は見事に重なった。
セイラの言葉のちょうど一拍おきに発声、転げ落ちそうなほど目を見開くタイミングもばっちりだ。
この瞬間ならば、生き別れの双子の兄妹ですと言い張ることもできそうだ。
「すっすっすてきってどういうことですか、セイラ様ぁ! 誰です。私のかわいいセイラ様を誘惑したのはっ」
「ハナ殿。落ち着いてください」
「落ち着いてなどいられますか! セイラ様、どなたですの」
「一人は書庫の管理人さんのカナン。お茶を入れるのがとってもうまいんだよ。はい。これ、お土産にもらったんだ」
「セイラ様! 見知らぬかたから頂いたものを無暗に口にしてはいけませんわ。何が入っているか分かったものではありませんもの」
「でも、とってもおいしいんだよ」
水筒のふたを開ければ芳醇に茶葉が香る。つんと天を向いていたハナの眉も僅かに緩む。
「カナン殿ならば大丈夫ですよ」
元月影の兵士でもあるカナン・スフィアがどういった経緯で書庫の管理人などやっているのか、ケイトには知る由もないが大先輩を疑う気持ちはこれっぽっちもなかった。
カイザーの情報にも不審な点は見当たらない。
「そっ、そうですの。ケイト殿がそうおっしゃるなら大丈夫なのでしょうね。もう一人は誰ですか?」
「ジンっていうんだよ。冬の化身みたいだった。今日は逃げられちゃったけど、絶対一緒にお茶を飲むの」
「「冬の化身?」」
今度も見事に重なったハナとケイトの声だったが、今回は若干声の響きに違いが出た。
ハナの声には疑問ばかりがうかがえるが、ケイトの声には驚きが混じっている。
「そう、とってもきれいなの」
「ジンというお名前なのですね。なんと幸運な方」
「えっ? 幸運なのですか?」
「ええ。だって神の名を与えられたのでしょう。エスタニアでは神の名を頂けるのは王族だけですもの」
ケイトに疑問にハナは当然とばかりに答えた。
「神……ですか」
「そうですわ。エスタニアでは夜を司る神をジンと呼びますの。夜の眠りを守る神様ですわ」
ハナはまだ温かいお茶をカップへと移す。
「アリオスには神様いないの?」
「そうですね……信仰としてはマルスやエイナ、それに英雄と称えれてきた軍人たちを崇めることはありますがエスタニアのように神様がたくさんいるという考え方ではありませんね」
「ふぅん」
「ああっ、いえ、別にエスタニアの信仰を否定するわけではありませんよ。あの、少し我々とは違うといいますか」
「気にしてないよ。エスタニアでは信じたいものを信じるの。トゥーラを信仰する人もいるしタナトを敬愛する人もいる。実際の軍人を信仰する人もいるしお金だっていう人もいる。ジニスではサイっていう魔物を守護に掲げてるし」
「魔物……ですか」
「そうだよ。玉が大好きな素敵な魔物」
ケイトはどう言葉を続けていいのか分からなかった。
セイラの口からこぼれる『魔物』という言葉に愛しささえ感じる響きを見つけてしまい、彼女がずいぶん遠くから来たことを改めて知ったのだ。