第4話 皇帝への道標
女帝エリザヴェータは早々に、ペーターをロシア皇帝たらしめるための帝王教育に着手した。
その白羽の矢が立ったのが、サンクトペテルブルク科学アカデミーのメンバーであり、後に大学でも教鞭を執ることになるドイツ人教授、ヤーコプ・シュテーリンである。
優れた著述家であり、文化人でもあったシュテーリンは、ペーターが内に秘める類稀な知性と、同時に既存の枠組みには収まらない独自の特性(ギフテッドの資質)を深く理解しようと努めた最初の理解者であった。
ペーターは、自らの知性を刺激することのない単調で無味乾燥な学問を頑なに忌避する傾向があったが、シュテーリンはこれを少年の「愚鈍さ」とは決して捉えなかった。
教授は多様な視覚教材や歴史的硬貨、軍事模型などを縦横に用い、少年の旺盛な知的好奇心へ直接訴えかけることで、その関心を学問の世界へと見事に誘導していく。
彼の優秀な弟子は、とりわけ数学、幾何学、そして製図の分野において、際立った才能を発揮し始める。
抽象的な数式や空間の規則性が持つ『明確な秩序』は、彼の過敏な脳細胞にこの上ない安らぎと刺激を与えた。
彼はシュテーリンの手ほどきを受けながら、定規と烏口を正確に操り、自身が暮らすクレムリンの居室の精緻な間取り図から、モスクワの広大な都市地図にいたるまで、多種多様な図面を次々と描き上げていった。
それは単なる手作業ではなく、空間を論理的に把握する高度な知性の発露であった。
ペーターは自らの問いに明晰に答えてくれるシュテーリンの膨大な知識を、乾いた砂が水を吸い上げるかのように、余すことなくその身に吸収していった。
さらに女帝は、ロシアの次期君主として不可欠な信仰と語学の基盤を固めるべく、二人の優秀な指導者をペーターの傍らに付ける。
ロシア正教の厳格な教義と精神を授ける教師として修道士シモン・トドールスキーを任命し、同時に、ロシア語とその宮廷文化を叩き込むための教師として、実務派のロシア人イサーク・ヴェセロフスキーを彼の学びに同行させたのである。
自らが優れたダンサーであり、熱狂的な舞踏会好きでもあった女帝エリザヴェータは、ペーターにも宮廷人としての洗練された身のこなしを求め、熱心にダンスを勧めた。
彼女は、ロシア・バレエの基礎を築いた伝説的なフランス人バレエマスター、ジャン=バティスト・ランデをペーターの専属教師に据え、直々にレッスンを受けさせたほどであった。
しかし、ペーターは、自らダンスをすることは全く好まなかった。
ペーターの心に唯一、安らぎをもたらしたのは、幼少期にバスティアンから教わったヴァイオリンの調べであった。
しかし、当時のロシア宮廷の空気はあまりに重苦しかった。
皇帝となるべき者が自ら楽器を奏でるなど、貴族の矜持からすれば到底考えられないことだったからだ。
音楽家はあくまで宮廷を彩る「芸能人」に過ぎず、君主が彼らと同列に身を落とすことは、権威を損なう軽薄な振る舞いと見なされていたのである。
それでも、シュテーリンは愛弟子ペーターの密かな願いを無下にすることはできなかった。
彼はペーターの情熱を汲み取り、宮廷に仕えるイタリア人の名手ジーを密かに教師として手配した。
こうして、女帝の耳には決して入れてはならない、禁断のヴァイオリン・レッスンが宮殿の隠れた一室で始まる。
ペーターにとって、指先から紡ぎ出される旋律だけが、規律と監視に縛られた広大な宮廷の中で、唯一彼を自由にする術であった。
後年、この秘密を女帝に告白した際、エリザヴェータは叱責することも、驚くこともなかったという。
ただ、遠い日の姉アンナを想うかのように、静かに、そして深く頷くのみであった。
それは、過酷な帝王教育という名の庇護の中で、愛する甥がただ一人の人間として「ささやかな自由」を求めていたことへの、せめてもの赦しと理解の証であったのかもしれない。
モスクワの十一月は、容赦のない冬の到来を告げていた。
クレムリンの灰色の空からは乾いた細雪が舞い散り、大聖堂の黄金のドームを薄く覆っていく。
ペーターがロシア皇帝の後継者となるために、必ず通過しなければならない最大の試練――それは、幼少期から厳格にその身に染み付いていた、ルター派の信仰と訣別することであった。
ロシア帝国の至高の座に就く者は、すべからくロシア正教の熱烈なる信徒でなければならない。
それがこの帝国の絶対の法である。
だが、彼はホルシュタイン公国の領主でもあった。
ルター派の国を治める君主でありながら、自らはその信仰を捨てる。
この絶対的な矛盾は、彼の鋭敏な精神を引き裂かんとしていたのだ。
儀式を翌月に控えた夜、自室の机の上でドイツ語の聖書を見つめるペーターの指先は、微かに震えていた。
北ドイツの質素な礼拝堂、幾何学的なまでに明晰な教理、それが彼の精神の錨であった。
それを公に否定し、呪うことすら求められる作法は、十四歳の少年にとって自己の崩壊にも等しい恐怖であった。
その動揺を見透かすように、正教の教師である修道士シモン・トドールスキーは、低い、しかし慈愛に満ちた声で少年に語りかけた。
「殿下、恐れることはございません。形式や儀式としての表れに違いはあれど、天に捧げられるその魂の本質は、同じものにございます。あなたがキールで培われた祈りは、この地でも決して消え去ることはありません」
その言葉は、動揺するペーターの心を落ち着かせた。
彼はシュテーリンから学んだ複雑な図面を解くように、それからの一ヶ月、シモンから授けられた膨大な正教の作法とロシア語の誓約文を、己の頭脳へ完璧に記憶させていった。
一七四二年十一月七日。
ウスペンスキー大聖堂の内部は、異様な熱気に満ちていた。
ひしめき合うロシアの廷臣たち、重厚な法衣をまとった聖職者たち、そして怪しく揺らめかせている数千本もの蝋燭の炎が照らす黄金のイコン。
濃密に立ち込める乳香の香りが、ペーターの鋭敏な嗅覚を刺激し、軽い眩暈を誘った。
最高位の聖職者であるアンブロシウス大主教の前に、少年は進み出た。
大聖堂の巨大な空間に、ペーターの明瞭な声が響き渡る。
シモンと叩き込んだロシア語の誓約文は、宗教歌のようなリズムに促され、一語の淀みもなく紡がれた。
ルター派の過ちを放棄し、東方正教の真理を受け入れるという宣言。
それは、彼が生まれてからの十四年間を支えていた歴史を、公式に削ぎ落す瞬間であった。
聖水がその額を濡らし、衣服が改められる。
大主教の厳かな祝福の声が響く中、少年は「カール・ペーター・ウルリヒ」というドイツの名を完全に失った。
そこに立っていたのは、ロシア大公「ピョートル・フェョードロヴィチ」という、帝国の未来を担うべき新たなる存在であった。
そのわずか十日後、十一月十八日。
女帝エリザヴェータの力強い宣言により、彼は正式にロシア皇帝の後継者(皇太子)として指名された。
波のようにひしめき合い、割れんばかりの歓呼の声を上げる大聖堂を埋め尽くす貴族たち。
その過剰な祝祭の中心で、新しき皇太子ピョートルは、まるで精緻な製図の真ん中に落とされた一つの点のような孤独を感じていた。
もはや故郷へ帰る道はない。 彼は背筋を正し、ロマノフの巨大な運命を見つめた。
プロイセンの辺境で育った少女に思いがけない転機が訪れる。
次回「シュテッティンの田舎姫」
☆ネタバレコーナー
ピョートルは、後年、自分の宮廷内に当時著名な演奏家達を招き入れ、自らがコンサートマスターとして貴族らを招いた演奏会を開催しています。プロ並みの腕前だったそうです。




