第百九話/ジンシン⑧・結末
「こんな場所が…」
周囲を警戒しつつ、ホエンは草むらから顔を出した。
周りを林に囲まれた二階建ての廃屋が、月明かりに照らされてそびえ立っている。
あの少年によれば、この中にニンナが居るらしい。
「…よし」
ゆっくりと、建物へと近づいていく。
「誰も見張ってる気配は…無いかな」
腰を上げようとしたその時、建物の中から赤い光が漏れて来た。
鍛冶場と見紛うような明かりと熱に足が止まる。
しかし、すぐに聞こえてきたジュゥという音に、ホエンは草むらから飛び出した。
扉まで回っている時間は無い。
ホエンは目の前にあった窓ガラスを破って飛び込んだ。
ガラスの破片とともに床を転がり、顔を上げたホエンの目に飛び込んできたのは、今にも水壁を突破されそうなニンナの姿だった。
「ニンナ!」
一目散に飛び込む。
ホエンの強化魔法は、対象に触れなければ発動しない。
掛けられる限りの強化を足に掛け、ニンナへ手を伸ばす。
ニンナもこちらに気付き、手を出した。
魔法強化の術式を掌に込め、ニンナの手を握った。
はずだった。
ホエンの手が触れる刹那、火柱が水壁を突き破り、ニンナを抱き込んで吹き飛ばした。
今の今までニンナの顔を捉えていた視界が、紅蓮の炎で埋め尽くされる。
ホエンはそのまま、バランスを崩して前に倒れた。
炎は壁へと到達し、木造の外壁へと火が移り始める。
「…ニン、ナ?」
火柱が収まり、壁に打ち付けられたであろうニンナの姿が月に照らされる。
「ニンナ…っ!」
ホエンは、犬掻きのような体勢でニンナへ駆け寄る。
周りの壁がパチパチと爆ぜる中、ニンナの身体からは既に火は消え、辺りには焦げ臭さが広がり始める。
「ニンナ!ニンナってば!」
ホエンがいくら揺さぶっても、ニンナからの返事は無い。
「くくくく…ははははは!実に無様。しかし王族たる僕の炎に焼かれて死ぬなど、貧民として最高の栄誉であろう!」
カンセイが笑い声をあげる中、ホエンは床を殴った。
「ふざけるな!」
「…ほう?」
笑い声が止まる。
ホエンは立ち上がり、獣のような眼光でカンセイを睨み付けた。
「お前たち王族はどうしてウチたちを踏み躙る…!勇者タイカが等しく魔法を分け与えたウチたちを!」
「ふん、笑わせるな貧民。僕と貴様で価値が等しくあるはずがないだろう。見ろ、この輝きを!」
カンセイは自身の額で揺らめくフレイムティアラを指差す。
「これこそが高貴の証!火炎魔法が他の魔法と一線を画す証明だ!庶民はこの煌めきに恐れ戦き、ひれ伏さねばならないのだ!」
「…それが王族の考え、って事ね…ああそう、もういい」
ホエンは全身に強化魔法を掛ける。
「ウチらを虐げるだけの王なんて、もう要らない」
「貧民、口が過ぎるぞ。貴様もここで粛清だ」
カンセイが手を翳すと、再び火柱が縦に伸びる。
だが次の瞬間、その上から落ちてきた大きな水の塊に相殺された。
大量の水蒸気が場に立ち込め、鎮火した火事場の臭いが充満する。
「…………は?」
カンセイは突然の出来事に、水浸しのままただ立ち尽くしていた。
家財に引火した火も全て鎮火し、再び月明かりのみが現場を照らす。
「うんうん、良い目だ」
「……なっ」
突如として眼前に現れたその姿に、ホエンは絶句する。
笑顔でホエンを見つめる瞳は、その背中に羽根を携えてカンセイとホエンを隔てる。
「き、貴様、その姿はまさか…」
「うん」
それはカンセイへと振り返ると、不敵に笑みを浮かべた。
「僕はカイドウ。魔族だよ」
「魔…族…」
カイドウの陰で立ち尽くすホエンとは対照的に、カンセイは笑い始める。
「はは、ははは!僕にも運が回って来たな!魔族の首さえあれば、僕の王位は確固たるものになる…っ!」
カイドウは首を傾げる。
「君に僕が倒せるの?」
「容易い事だ!この指輪さえあれば…」
「これの事?」
カイドウは右手に握った指輪を見せつける。
見覚えのあるその煌めきに、カンセイは自身の左手に目をやる。
人差し指にあった禁術具の硬質な感触は失われていた。
「貴様…いつそれを!」
「さっきね、うーんと、こうかな?」
指輪を左手の人差し指へ填める。
「よっ」
カイドウが力を込めると、大きな火柱が上がった。
それは先程カンセイが出したものとは、少なく見積もっても三倍ほど差がある大きさに見えた。
「なるほどねー」
「ば、馬鹿な…魔族が、僕より威力を出すなど…」
「僕ねぇ、一度見た術式ならコピー出来るんだよね」
「そんな、馬鹿な…う、うわあああ!」
カンセイは叫びながら、フレイムティアラを再発させる。
指輪を失ったからか、元の大きさに戻っていた。
「僕は…次期国王なんだああああああ!」
手の先から火球を繰り出す。
「よっと」
しかし、カイドウの火柱に包まれて呆気なく無と帰した。
「な…」
そのまま火柱は成長していき、瞬く間にカンセイを包み込んだ。
「ァ…っ」
一瞬の断末魔を残して、カンセイは炎の渦に飲まれて消えた。
「ふぅ…ん?」
火柱を解除したカイドウは、指輪を見て頭を掻いた。
「あちゃー、壊れちゃったか」
指輪はパリンと弾け、粉々になって床に落ちていく。
「やっぱ強化魔法の重ね掛けには耐えられなかったのかなぁ…ま、しょうがない…それよりも」
ぐるり、と振り向きホエンと目が合う。
「あ…」
「君、王族が憎いか?」
「…え?」
突然の問いに戸惑っていると、カイドウは消し炭となったカンセイを指差す。
「あれ、倒すつもりだったんだろう?」
ホエンが黙っていると、カイドウは続ける。
「王家は倒されるべきだ。僕にはそれをし得る力がある。でもまだ準備が足りない…その準備の為に仲間が欲しいんだ」
「仲間…?」
「そ。王を倒して、新しい世界を作る為の仲間!組織名はそうだな…カガセオ、なんてどうだろう」
「カガセオ…」
「勇者を終わらせる者って意味さ」
「……」
ホエンは、ニンナの亡骸を見遣る。
「…仲間になれば、もうこんな思いしなくて済む?」
「ああ、王家を倒せれば、待っているのは自由さ」
「……」
ホエンが頷こうとしたその時、ガラスの破片を踏む音が聞こえて横を見た。
「ホエン…どこか行っちゃうの…?」
「レーワ…」
四歳の幼子は、心細そうに袖口を握り、長い髪の向こうからこちらを見つめていた。
「ボク、魔法の研究頑張るよ?ホエンが働かなくてもいいくらい、いっぱいお金稼ぐから…」
「レーワ」
びくり、とレーワの体が跳ねる。
「レーワ、メイジを呼んできて。ニンナを治療しなきゃ」
「でもホエン…」
「早く!」
「……待っててね」
レーワは窓を飛び越え、孤児院へと走って行った。
「…心は決まったみたいだね?」
ホエンはただ、頷いた。
十数分後、レーワがメイジと見回りのギルド職員を連れて廃屋に戻ったが、そこには羽根の生えた男も、ホエンの姿さえも無かった。
あるのは炭の塊と、ニンナの焼死体のみであった。
「メイジ、ほんとだよ?ほんとにホエンも居たんだよ!?」
「ええ、レーワさん。私は信じますよ…」
メイジはそっと、レーワを抱き締めた。
「ホエンさんは…大丈夫です…」
きっと無事で帰ってきてくれる。
月を見上げ、祈った。




