第9話:乙女ナーバス
大聖堂まで送り届けてくれたセバスに別れを告げ、胡桃とボクは大聖堂の奥の奥に進んで行った。大聖堂の奥の扉を抜けると森に繋がっていて様々な低妖精が暮らす光るキノコの道を抜ける。まだまだ幼い無邪気な低妖精たちは何やら面白そうにクスクス笑いながら胡桃とボクは後をつけていく。泉の横を通ってフクロウに挨拶を告げるとフクロウはスゥ、と目を閉じて早く行けと言わんばかりにくちばしの先でクイクイ道の先を指し示した。それから少し進むと年季の入った立派な扉が現れたので胡桃は音を立てずに静かに大きな扉を押して開けた。そこは神聖力の強い者しか入ることが許されない舘。そこは主に様々な聖職者や神聖力の高い皇族が一時宿泊をして身体を休めたり、瘴気を癒したりする場所。また、少し離れた別棟には親のいない孤児の子供が沢山暮らしていて、成人するまで聖職者になる為の訓練をここで受けている。胡桃たち聖女候補は、この世界へと降りて来た時からこの舘で寝泊まりをしていた。中は美しい装飾が施されており室内にも関わらず輝く花がまるで庭園のように咲いており、噴水の水の流れる音が聞こえた。
胡桃はこっそりと忍びこんだ。ボクはその後を続こうとするが後ろから低妖精が一緒に着いて来ていたので「こら!帰りなさい!」と小さな声で言って扉を閉めた。何をそんなに興味を持ったのか。まぁ、まだ幼い無邪気な低妖精は何でも面白くなってしまうからなぁ、と思い胡桃と方を向くと胡桃は顔を顰めて「げぇ」と声を漏らした。視線の先を見てボクも同じ声を漏らす。其処には先程まではいなかった筈の部屋着姿の女性が仁王立ちで笑みを浮かべて立っていた。あぁ、きっと低妖精達は彼女が待ち構えていた事を知ってたのだろう。野次馬の如く面白がって見に来たに違いない。彼女のその笑みは口元を引くつかせていて、オマケに米神には青筋を浮かべていたので、ご立腹ですとデカデカと書いてあるのが伝わって来た。
「貴方たち?こんな時間まで何処に行っていたの?怒らないから言ってごらんなさい?」
もう怒ってるよ!ボクは内心ツッコミを入れた。彼女の背後には見えるはずの無い厳つい化身のような者が見える気がしてボクも胡桃も冷え上がった。気持ち彼女の持つ空色の長い髪が逆立って来ているように見えた。彼女の声は静かにも関わらず凄まじい威圧感に押し潰されそうだった。
「魔法訓練までサボって、こんな不良みたいな時間に帰ってきて…。」
「て、ててててテアさぁん。まだ起きてたのぉ?ウチはてっきりもう寝てるものだと、」
「えぇ、そうね胡桃ちゃん。普通だったらもう寝ているはずの時間だわ。ぐっすり眠りについてきっと今頃美しい美青年の夢でも見ている筈だったわ。さて、なぁんでそんな時間に貴方たちはこっそり帰って来たのかしら〜?」
シスター・テア。この教会のシスター長である。同時に聖女候補達の教育係兼保護者がわりのような存在なのだ。ボクは今日あった出来事を正直にテアに話そうと口を開こうとした。きっと話せば分かってくれるだろう。しかしボクの様子に気がつくと胡桃は咄嗟に物凄い力でボクの顔を鷲掴みにしてきて弁解の機会を奪われたのだ。
「ほら!ここにきて暫く経つけど、街には出た事なかったから、探検してたら道に迷っちゃった!あはは、胡桃ったらドジだからぁ。」
そう誤魔化す胡桃。暫く笑う胡桃をジィーっと見つめるテアに流石の胡桃もどんどん声が小さくなり身体を縮こまらせた。やがてテアはちいさく溜息を付いて優しそうな顔をした。
「分かった、もう何していたかは詳しく聞かないわ。でも、ずっと心配して待ってたんだから、何か言うことがあるんじゃない?」
「うぅ、心配かけてごめんなさい…。これからは早く帰ってくる。」
「ごめんなさい。」
「はい。反省しているんならいいわ。夜は危ないからね。」
テアは優しく諭すように言うと、素直に謝る僕たちを見て頭を撫でてくれた。
ボク達は安心して笑った。
♢♢♢
入浴を済ませてから部屋着に着替えてやっと自室に戻る。胡桃は「あ〜、疲れたぁ。」となさけない声を上げながらゴロンと顔から天蓋付きのベッドへと寝転がった。そんな胡桃にボクは深妙な雰囲気で問いかけた。
「それで、そろそろ聞かせてくれてもいいんじゃないかい?」
「ん〜?なァにがァ〜?」
ゴロンと気取るげに一回転がると髪をいじりながら惚ける胡桃。
「何が、じゃ無いでしょ?どうしてこの世界に来たばっかりの君があんな凶暴アンデットを浄化する事が出来たんだい?」
「ンな事知るわけないでしょ。なんか勝手に動いたの。」
「勝手にって…、胡桃ちゃん、ボクは凄いと思っているんだよ?今の君の能力ならば直ぐに聖女へとその才能を開花させるだろう。なのに、なんでテアに今日の事を隠したりしたんだい?」
生憎ボクは、彼女のステータスを干渉することができない。彼女がどんな固有魔法を取得していて、どんな特徴のある数値のステータスなのかは彼女のみぞ知る事なのだ。だから何も知らなかったボクは純粋に彼女の今後の活躍に期待して胸を馳せていたのだ。だが、本人がわざわざ苦労して獲得した功績を隠していては元も子も無い訳だ。
胡桃は依然として黙ったままゴロゴロと転がっているだけ。やがて、何やら元気のない様子で小さな声でゴニョゴニョ何かを話し始めた。聞こえなかったのでボクは聞き直すとまた暫く黙り、そして突然ガバリと立ち上がったと思ったらボクは抱きかかえられる様に捕獲されてしまったのだ。胡桃はボクをぬいぐるみの如く抱きながらうめく様な絞り出した声で語り出した。
「だって、可愛くないでしょ?」
「は?」
「うぅ、こんな筈じゃなかった。私は可愛い女の子になる為に今日これまでたくさん努力したわ。」
「ど、どうしたの胡桃ちゃん。何だか様子が…。」
やけに挙動不審で話す胡桃は昼間の活発の姿からは想像できなかった。それに何だかほぼ独り言の様だ。それに何だかキノコが生えてきそうなほどジメジメしている。
「可愛い女の子になって、みんなに好かれるの。私は皆んなに好かれて、中心人物になって、主人公は…主人公のあの子は…、」
其処まで謎の独り言を呟くとなんと突然滝のような涙をボロボロと流し始めたのだ。な、なんだ?!情緒不安定か?!それからボクのお腹に顔を埋めるとわんわん泣き始めたのだ。
「ゔぅゔ、だけど!そのつもりだけど…、流石にお姫様抱っこで全力疾走って…!!完全に引いてた…、ウッゥ、ヒグッゥ!」
「胡桃ちゃん落ち着いて、もしかして今日マーレ君の事をお姫様抱っこした出来事のこと気にしてるのかい?」
「ゥゥヴヴヴヴヴヴヴゥゥゥゥ、」
「サイレンみたいに泣くんだね。」
胡桃が泣くたびお腹が揺れてくすぐったいし、ボクの自慢のふかふかな毛が湿って行く。ま、まあこれで胡桃ちゃんが落ち着くのなら仕方ない犠牲か…。メンタルケアもサポートのうちの一つ、ボクは胡桃の頭を抱えた。
「守りたくて、ひっく、強くなりたくて一杯努力したけど、うっぅ、うぅぅ、さ、流石につよく、強くなりすぎたぁあ!!ウワァアアアン!!」
「あぁ〜、よしよし。よくわかんないけど、何だか胡桃ちゃんは見えない努力をたくさんしてたみたいだね。よしよし、えらいえらい。努力が実って良かったね。」
「そ、そうだね。一応努力は実った…。強くはなった。」
やっと少し落ち着いた様で顔を上げてうるうるした目でこちらをみた。
それから明後日の方向を向くと鼻水と涙でぐしゃぐしゃな顔で泣き笑いをした。
「うっぅ、マレたん…マレたん…、笑った顔が尊かった…守りたい、その笑顔…ひっぐ、えへ、えへえへへ、」
もう感情ぐしゃぐしゃじゃないか…。
「胡桃ちゃんはアレかい、君の世界で言うマーレ『推し』ってやつかい?」
ボクは少し不気味に笑う胡桃に問いかけた。何気ない問いだった。しかし胡桃はその問いを聞くとピタリと動きを止めて静かになる。突然の事だったので心配になったボクは「あれ?どうかした?」と声をかけると。そのままゆっくり抱えていたボクをベッドの上におろして枕にゴシゴシ顔を押しつけた。ボクはオロオロとしているとやがて胡桃は恐ろしく低い声で「違う。」とだけ答えた。
「え?」
「……。」
また静かになった。それから突然ガバッと顔を上げる胡桃にボクは驚き転がる。「何なんだい一体?」と再び胡桃へと目をむけるが其処にはいつもの様にきゅるんと効果音だ出そうな笑みを浮かべた明るい雰囲気の胡桃がいた。さっきまでのナヨナヨした胡桃の姿はもう居なかった。
「ウチはぁ、箱推しだよ!マレたんも良いけど、やっぱりサブキャラだから推しじゃないかなぁ。」
胡桃はクネクネしながら目を輝かせる。いつもの姿なのに余りのテンションの変わりようにボクは困惑した。ボクは「もう大丈夫なのかい?」と問うと胡桃は「瘴気ってやつ浴びすぎちゃったかなぁ?」と笑顔で呑気に言う。それからでんきを消してゴロンと寝転がると「疲れたから寝る〜。」と言って寝てしまった。結局きょうのことを隠したがったのは可愛くないからなんてそんな理由なのだろうか。さすがにあの様子で嘘だとは思っていないが、ならテアにまで可愛いと思われたがる理由は?あんな強力な力をボクにまで隠していた理由は?何だかそれだけじゃない気がしてしょうがなかったけど本人はもう寝てしまった様なのでボクは仕方なくモヤモヤした気持ちを残したまま眠りについた。
この時、まさか今日の出来事をきっかけにボク達の、いや、この世界の運命が大きく動き始めている事なんてまだボクは知るよしもなかった。
♢♢♢
深夜。人々はすでに眠りにつく時間。街では陽気に踊っていた大人達が酔い潰れて酒場の机に突っ伏して寝ている姿が見えた。昼間の賑やかさがまるで嘘のように静まり返っていた。そんな街を一人のマントを被った青年が歩いていく。やがて目的の小さなお屋敷に辿り着くと我が家の様に門を潜り、中庭を抜けて正面扉を静かに開けて中に入った。中は既に灯りが消えており真っ暗だったが小さなランプの光が青年を出迎えた。
「お帰りなさいませ、クラース様。」
「セバス、出迎えご苦労。」
マントを取った青年————クラース・イポメアニルは執事のセバスに身に付けていたマントを渡す。セバスはマントを受け取ると「ご案内いたします。」と言って廊下を歩き出し。
そして廊下の一番奥には一つの扉があり、セバスは扉の前まで来ると「どうぞ、お入りください。」と手のひらで先を指し示し扉へと誘う。クラースはノックせずに、音を立てず気配を消して中へと入る。セバスも後に続く様にしてランプの光を消してから部屋の中に入った。中には壁一面に沢山の本棚が置いてあり、有名作家が手掛けた話題の小説から魔法書や植物図鑑、児童書まで様々なジャンルの本が敷き詰まっていた。そして大きな丸い窓がぽっかりと一つ。そこから月明かりが差し込んでいて部屋の中心にある大きなベッドを照らしていた。クラスはベッドに近付いて行く。ベッドには青年————マーレ・イポメアニルが真っ青な顔で眠っていて、苦しそうにしているが全く起きる気配は無かった。
「…それで?」
「はい、」
クラースは冷たさを含んだ声でセバスに問う。セバスは何を問われているのか全てを理解して説明を行なった。
「本日、国立中央病院にて目視困難なアンデットが出現いたしました。」
「アンデット?守備の高い病院内で?」
「はい。マーレ様が病院内にて怪しい男を目撃しておりまして、推測ではありますが例の密売人ではないかと仰っておりました。」
「密売人…?まさか、一体どこからマーレの情報が…。」
クラースは斜め下を睨みつける。どうしてマーレがと思うのと同時に密売人達がマーレに目を付けたのには納得の行く理由がありすぎた。ただ、どう考えてもその理由が漏れるはずがないのだ。何故ならそれは極秘事項だからだ。
これは個人的に調査をしなければとクラースは思った。
「一先ず密売人のことは僕の方でも調査するから、お前はマーレの周りの警護を強化してくれ。」
「かしこまりました。」
クラースは再び思考をマーレへと戻す。事前に聞いていた話では帰ってきて暫くは虚勢を張って何事もないように振る舞っていた様だが、魔力消耗が激しい事と体内の損傷があった様で今は濃度の高い回復薬を点滴で打っている為その影響で深い眠りについている、と聞いていた。
「それで、一体どこの御親切なお方がマーレを救ってくださったの?まさかこんなボロボロのマーレが一人で帰ってきたなんて言わないだろうね。」
「はい、それが何とも信じ難いのですが…、」
先程まで冷静に会話をしていたセバスが少ししどろもどろとし出す。そんなセバスを見てクラースはおや、珍しいものを見たとぼんやりと思いながら「なに?早く話して。」と急かした。
「…一人の少女でございます。恐らく服装からして学園生かと。」
「………おちょくっているのか?」
「め、滅相もございませぬ。私自身も余りにも信じ難いのですが事実でございます。」
クラースは幼少期の頃から世話になっているセバスの事をそれなりに信頼している。こんな深刻な雰囲気の中で軽率な冗談を吐く様な男だとは当然思ってはいないが疑わずには居られないほどそれは余りにも突拍子もない馬鹿げた冗談にしか聞こえない程あり得無い話だったのだ。
「もしそれが事実だとしたら生徒会や教員たちと平気で肩を並べられる相当の才能を持つ人間が存在するということになる。そんな人材が学園内に本当にいたのならそれこそ学園会議レベルの大騒ぎになるんだよ?」
「はい、マーレ様自身がそう仰っておりましたので確かに事実でございます。」
マーレは昔から嘘が得意では無い。そもそもなんの突拍子もない嘘をセバスがつくとも思えないがマーレ自身が自ら発したと言うことでクラスの中のこの話の信憑性が格段に上がった。
「彼女は自身を「『クルミ クルス』と名乗っておりました。」
「『クルミ クルス』、だって?」
その名前にはとても聞き覚えがあった。今日、アドステラの側近兼教師のサルウェルが話していた生徒会室へ乗り込もうとしていた少女の名前が確かその名前だったはずだ。あの後、生徒会長兼第一王子のアドステラがあまりにも少女に興味を持つものだからそのままサルウェルから職務を行いながら詳しい話を聞ていた。どうやら聖女候補を名乗る少女で教師のマイヤーにその事実を疑われた彼女はそのまま颯爽と居なくなってしまったらしい。まさかこんなところでその名前を聞くことになるなんてとクラスは心底驚いた。
「本人曰く彼女は教会で世話になっているようで、真実かどうかは定かではありませんが後日伺おうかと。」
「そう。…なるほど、それは恐らく事実だね。」
「と、言いますと能力の高い聖職者でしょうか?」
「いや、彼女は『聖女候補』だ。放課後に生徒会室に訪ねてきたんだよ。まぁ、ボクは会えなかったけれどね。」
「せ、聖女候補ですと…?!」
—————神の予言ではもう時期『禍の時』が来るだろうと言われている。禍から世界を救うために神は異世界から少女をお連れになられた。少女達は世界を救う『聖女候補』としてそれぞれの願いを胸に日々修行を積んでいる。—————
そしてその聖女候補の一人がその『クルミ クルス』とやらだ。
「ふぅん、『クルミ クルス』、ね。」
クラースは興味深そうにその名を呼んだ。
「それとクラース様、こちらを。」
「?、これは?」
セバスの手の上には白い小さなクマのぬいぐるみが一つ、ちょこんと乗っておりクラースはそれを受け取るとまじまじと観察した。
「クルミ クルスが帰り際にマーレ様に贈られた物です。『お守り』との事でしたが一応ご報告をと。」
「お守り、ねぇ。確かに保護魔法がかけられているからある程度の瘴気は防げるな。これで瘴気中毒での体調不良は防げるかもね。潔すぎるくらい怪しいところは無い、確かにこれはお守りだ。ん?……これ、」
クラスはぬいぐるみを隈なく観察する。回転させて観察しているとクマのお尻あたりに茶色い何かのシミがついている事に気がつく。そしてクラースは数回そこを擦り、擦っていた指の匂いを嗅いだ所でそれが何なのか気がついてしまった。
「セバス、先程このぬいぐるみは『帰り際に』マーレへと渡されたと言ったね。」
「左様でございます。」
「…そう。」
セバスに問いかけてから再びそのシミを見て顔を怪しそうに顰める。それからマーレの枕元へとそれを置いた。
「さて、敵なのか味方なのか…。」
果たして君は一体どっちなんだろうね、クルミ クルス。
クラースはすぅっと目を細めた。その目には可愛らしいクマのぬいぐるみとその裏の茶色いシミが映っていた。




