第156話 母が待っていた場所
「家へ帰ろう。」
父と並んで歩く国道。
二十年以上探し続けた答えは、もう目の前にあるはずだった。
それでも母は、まだ一つだけ優斗へ伝えたいことを残していた。
「少し寄り道してもいいか。」
拓海が足を止めた。
優斗はロードバイクを押したまま頷く。
「もちろん。」
国道から一本外れた細い坂道。
アスファルトには、小さなひびが走っていた。
見覚えがある。
「ここ。」
優斗は目を細める。
「来たことある。」
「ある。」
拓海は笑った。
「お前が四歳の頃。」
坂を登り切る。
そこにあったのは、小さな丘だった。
派手な公園でもない。
観光地でもない。
古い一本桜が立つだけの静かな場所。
「綺麗だ。」
優斗は思わず息を漏らした。
朝日に照らされた桜の葉が、風で揺れている。
「春じゃないのに。」
「お母さんが好きだった場所だ。」
拓海は桜へ近づいた。
幹へそっと触れる。
「辛いことがあると。」
「ここへ来てた。」
優斗も幹へ手を置く。
温かかった。
不思議だった。
木なのに。
誰かの手みたいだった。
その時。
一本の枝から、小さな木札が揺れていることに気づいた。
「何だこれ。」
木札を裏返す。
そこには母の字。
『一年後に開ける』
優斗は苦笑した。
「またか。」
拓海も笑う。
「本当に最後が多いな。」
木札の裏に、小さな鍵が括り付けられていた。
「鍵?」
優斗が辺りを見回す。
桜の根元。
少し土が盛り上がっている。
手で掘る。
カツン。
木箱だった。
小さな裁縫箱くらいの大きさ。
鍵を差し込む。
カチッ。
蓋が開く。
中に入っていたのは。
一冊のアルバムだった。
「写真。」
優斗は最初のページを開いた。
そこには、自分が知らない家族の時間が詰まっていた。
母と父が笑っている。
まだ若い二人。
その隣で、赤ちゃんの自分が眠っている。
「こんなの。」
「初めて見る。」
ページをめくる。
泥だらけの自分。
運動会。
川遊び。
灯と並んで笑う写真。
「灯も写ってる。」
拓海が覗き込む。
「全部残してたんだな。」
その時。
一枚の写真が滑り落ちた。
拾い上げる。
それは。
国道だった。
あの日の国道。
しかし、優斗が知らない角度から撮られている。
写真の裏。
短く書かれていた。
『あの日、助けてくれた人』
優斗は写真を見返した。
ガードレールの影。
そこに。
小さな人影が写っている。
「誰だ。」
拓海の表情が変わる。
「この人。」
「知ってるの?」
「知らない。」
少し間を置く。
「でも。」
「この人がいなかったら。」
優斗を見る。
「俺たちは会えなかった。」
優斗の鼓動が速くなる。
「あの日。」
「父さんと母さん以外にも。」
「誰かいたのか。」
その時だった。
コト。
アルバムの最後のページから、小さなカセットテープが落ちた。
今度は白いラベルだった。
『優斗 二十歳になったら』
優斗は吹き出した。
「もう三十年以上遅れてる。」
拓海も笑う。
近くの古いラジカセへ入れる。
カチッ。
ザー……。
ノイズ。
そして。
母の声が流れた。
『優斗。』
『二十歳、おめでとう。』
優斗は目を閉じる。
「母さん。」
『二十歳になったら、一緒にお酒を飲もうって約束してたね。』
『ごめん。』
少し笑う声。
『約束、守れなかった。』
優斗は首を横へ振った。
「違う。」
涙がこぼれる。
「守ってくれた。」
母の声が続く。
『だから、一つお願い。』
『お父さんと飲んで。』
拓海が目を見開く。
『そしてね。』
『乾杯する時は。』
少し間が空く。
『私の分まで笑って。』
テープが止まる。
誰も喋らなかった。
風だけが吹く。
拓海がポケットから、小さな缶コーヒーを二本取り出した。
「酒じゃないけど。」
優斗は笑う。
「十分。」
プシュッ。
缶を開ける音。
二人は缶を軽く合わせた。
「乾杯。」
「乾杯。」
空へ向けて。
もう一本、見えない誰かの分も掲げる。
「母さん。」
優斗は笑った。
涙を流しながら。
「乾杯。」
その瞬間。
風が強く吹いた。
桜の葉が舞う。
その中で。
優斗は一瞬だけ見た。
桜の向こう。
母が笑っていた。
何も言わない。
ただ。
安心したように頷いていた。
目を瞬く。
もう姿はない。
でも。
今度は寂しくなかった。
母は、待っていてくれた。
そして。
送り出してくれた。
第156話、ありがとうございました。
今回は、母が大切にしていた桜の丘で、家族のアルバムと二十歳の優斗へ向けたカセットテープが見つかりました。
「お父さんと飲んで。私の分まで笑って。」
この約束は、二十年以上越しに親子が一緒に果たすことになります。
そして次回、第157話。
第5章「原点回帰編」は完結します。
第1話から続いてきた“国道で始まった人生”が、一つの答えへ辿り着きます。




