第157話 帰る場所
「家へ帰ろう。」
父と歩く国道。
母が残した約束。
黒糖飴に込められた優しさ。
すべての始まりだった場所で、第4章「原点回帰編」は、一つの答えへ辿り着く。
桜の丘をあとにして、優斗たちは再び国道へ戻った。
朝だった景色は、いつの間にか昼へ近づいている。
空は高い。
雲がゆっくり流れていた。
「優斗。」
拓海が歩きながら口を開く。
「最後に寄りたい場所がある。」
「まだあるのか。」
優斗は笑う。
「今日は寄り道ばっかりだ。」
「たまにはいいだろ。」
「そうだな。」
二人は国道を外れ、小さな住宅街へ入っていく。
見覚えのある景色。
古い郵便ポスト。
少し傾いた電柱。
角を曲がった瞬間。
優斗は足を止めた。
「……。」
そこにあったのは、一軒の家だった。
大きくはない。
でも。
世界で一番見慣れた家。
「帰ってきた。」
思わず声が漏れた。
拓海が静かに頷く。
「ああ。」
玄関先には、小さな植木鉢が並んでいる。
枯れているものもあれば、まだ花を咲かせているものもあった。
「母さん。」
優斗はしゃがみ込む。
一つの植木鉢には、小さな札が刺さっていた。
『優斗へ』
「またか。」
思わず笑う。
札の裏には、一言だけ。
『水やりお願い』
優斗は声を出して笑った。
「最後まで人使い荒いな。」
拓海も笑う。
「お母さんらしい。」
玄関の鍵を回す。
カチャ。
音がした。
開いた。
家の中は静かだった。
でも、不思議と寂しくない。
「ただいま。」
優斗が呟く。
返事はない。
それでも。
家が「おかえり」と言ってくれた気がした。
居間へ入る。
古い時計。
ちゃぶ台。
壁に掛かった家族写真。
時間が止まっているようだった。
「ここ。」
優斗は棚へ近づく。
「俺の身長。」
柱に刻まれた線。
五歳。
七歳。
十歳。
少しずつ伸びている。
一番下へ、新しい線が引かれていた。
「え?」
その線の横に書かれた文字。
『五十二歳』
優斗は振り返る。
「父さん。」
拓海が照れくさそうに笑う。
「さっき書いた。」
「ズルい。」
「今から測る。」
二人で柱の前に立つ。
拓海が鉛筆を持つ。
「動くな。」
「子ども扱いか。」
「息子だからな。」
スッ。
新しい線が刻まれる。
『五十二歳 優斗』
優斗は、その文字を見つめた。
五歳の線のすぐ上に、大人になった自分の線がある。
人生は。
ちゃんと続いていた。
その時。
玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン。
「誰だ?」
教育係が警戒する。
拓海は笑った。
「たぶん。」
玄関を開ける。
そこに立っていたのは。
近所のおばさんだった。
「あら。」
優斗を見る。
「帰ってきたと?」
「はい。」
「そう。」
おばさんは少し笑う。
「お母さん、喜ぶね。」
その一言だけで、胸が熱くなった。
「あんた。」
袋を差し出す。
「じゃがいも多かったけん。」
「持っていきな。」
優斗は思わず笑う。
「ありがとうございます。」
おばさんは手を振って帰っていく。
優斗は袋を見つめた。
じゃがいも。
たったそれだけ。
でも。
それが嬉しかった。
「父さん。」
「ん?」
「これが。」
少し照れながら笑う。
「普通なんだな。」
拓海は頷く。
「これが幸せだ。」
夕方。
縁側へ座る。
二人で缶コーヒーを飲む。
蝉の声が聞こえる。
ロードバイクは庭へ立て掛けてある。
優斗はポケットから、一粒だけ残った黒糖飴を取り出した。
包装紙を眺める。
もう、特別な力はない。
ただのお菓子。
でも。
優斗は半分に割った。
「父さん。」
半分を差し出す。
拓海は受け取る。
「半分こか。」
「母さんが言ってた。」
優斗は笑う。
「分け合える優しさ。」
二人で黒糖飴を口へ入れる。
甘かった。
涙が出るくらい。
甘かった。
その時。
縁側の風鈴が鳴る。
チリン。
優斗は空を見上げた。
「母さん。」
風が吹く。
白い花びらが一枚。
庭を横切っていく。
どこにも灯の姿はない。
母の姿もない。
でも。
今度は探さなかった。
「ありがとう。」
その言葉だけを空へ返す。
夕日が家を染める。
優斗は静かに目を閉じた。
あの日。
国道で人生が終わったと思った。
違った。
あの日。
人生は始まっていた。
その瞬間。
庭先で、小さな鈴の音がした。
チリン。
優斗が目を開ける。
門の前に、小さな男の子が立っていた。
ランドセルを背負っている。
俯いたまま。
「……。」
優斗は立ち上がる。
ポケットを見る。
黒糖飴は、もうない。
男の子が顔を上げる。
小さな声で言った。
「帰り道が。」
少し震えながら。
「分からない。」
優斗は優しく笑った。
「大丈夫。」
そう言って。
男の子へ手を差し出した。
第157話、ありがとうございました。
ここで、第5章「原点回帰編」は完結です。
第1話から続いてきた「国道で寝てたら人生終わったと思った」という始まりは、「帰る場所」という答えへ繋がりました。
身長の柱。
じゃがいものおすそ分け。
半分この黒糖飴。
どれも特別な奇跡ではありません。
だからこそ、この作品らしい幸せだと思います。
そして最後に現れた「帰り道が分からない」男の子。
ここから新しい物語が始まります。
次回より、第6章が開幕します。




