第149話 帰り方を教えて
「帰り方を教えて。」
道標の始祖が口にした、その一言。
世界を壊しかけていた存在が、本当に求めていたのは支配ではなく、“帰る道”だった。
優斗は、自分が帰還者になった理由と向き合うことになる。
「帰り方を教えて。」
その声が地下空間へ響いた瞬間。
誰も動けなかった。
巨大な黒い球体。
無数の目。
世界を壊しかけていた存在。
その口から出た言葉は、あまりにも弱々しかった。
「……。」
優斗は始祖を見つめる。
怒りが消えたわけじゃない。
恐怖がなくなったわけでもない。
それでも。
その声だけは、どこかで聞いたことがある気がした。
「父さん。」
優斗が小さく呟く。
「俺。」
「どうすればいい。」
拓海は始祖から目を離さない。
「答えは、お前がもう知ってる。」
「え?」
拓海は優斗を見る。
「影帰りへ何て言った。」
優斗は思い出す。
『帰ろう。』
たった一言。
それだけだった。
「でも。」
優斗は始祖を見る。
「こんな大きな存在まで。」
「帰せるのか。」
拓海は静かに頷いた。
「大きさじゃない。」
「帰りたいと思えるかどうかだ。」
その言葉に。
灯が微笑んだ。
「優斗。」
灯が手を差し出す。
優斗も手を重ねる。
温かかった。
「一人じゃ帰れない。」
灯が呟く。
「だから。」
「手を繋ぐ。」
優斗はその意味を理解した。
帰還者とは。
誰かを引っ張る人じゃない。
一緒に歩く人なんだ。
その時。
始祖の黒い身体が揺らぐ。
琥珀色の目だけが、優斗を見つめていた。
「……忘れた。」
掠れた声だった。
「家が。」
「思い出せない。」
優斗はゆっくり歩き出した。
教育係が止めようとする。
「待て!」
拓海が腕を伸ばす。
「止めるな。」
「兄さん!」
蓮司も振り返る。
拓海は笑った。
「今の優斗なら、大丈夫だ。」
優斗は始祖の目の前まで来た。
巨大だった。
手を伸ばしても届かない。
それでも。
始祖は身体を少しだけ低くする。
まるで子どもみたいだった。
「帰り方。」
始祖が震える声で言う。
「分からない。」
優斗はポケットへ手を入れた。
何もない。
黒糖飴は、もう使った。
そう思った、その時。
掌に、小さな温もりがあった。
包装紙のない黒糖飴。
最後の欠片だった。
「これ。」
優斗は始祖へ差し出した。
始祖は驚いたように目を開く。
「甘い。」
優斗は笑う。
「母さんが言ってた。」
始祖が首を傾ける。
「何て。」
優斗は少し照れながら答えた。
「苦い時ほど。」
「甘いものを食べなさい。」
その一言だった。
始祖の身体が震えた。
黒い霧が剥がれ始める。
「……。」
「思い出した。」
一つ。
また一つ。
無数の目が閉じていく。
地下空間を覆っていた黒い霧が、ゆっくり晴れていく。
そして。
始祖の姿が変わり始めた。
球体ではなくなる。
黒い殻が崩れ落ちる。
中から現れたのは。
一人の少年だった。
十歳くらい。
白い服。
黒かった瞳が、少しずつ琥珀色へ戻っていく。
灯が息を呑む。
「……。」
少年は灯を見る。
「ひさしぶり。」
灯の目から涙が溢れた。
「待ってた。」
二人は抱き合った。
優斗はその光景を見つめる。
「知り合いだったのか。」
拓海が頷く。
「始祖の本当の名前。」
少しだけ笑う。
「陽。」
少年――陽が照れくさそうに笑う。
「長かった。」
その一言だけで、何千年もの時間が伝わってきた。
その時だった。
地下空間へ、柔らかな風が吹いた。
一本道が光る。
一つだった道が。
世界中へ繋がる無数の道へ変わっていく。
E-01が驚いた声を上げる。
「帰還経路復旧。」
「白い光。」
教育係が模型を見る。
消えていた人生の光が、一つずつ戻っていた。
「戻ってる。」
真琴が涙を拭く。
「帰れてる。」
優斗は陽を見る。
「これで終わり?」
陽は静かに首を横へ振った。
「まだ。」
「え?」
陽は一本道の先を見つめる。
その先には。
国道があった。
「あそこ。」
「最後。」
優斗も見る。
国道の向こう。
朝焼けが始まっている。
陽が小さく笑う。
「約束。」
優斗は胸が熱くなる。
父が言った。
『次は、一緒に歩こう。』
母が残した。
『ありがとう。』
灯が待ち続けた。
『帰ろう。』
全部。
あの国道へ繋がっていた。
その時。
拓海が小さく咳き込む。
「父さん!」
優斗が駆け寄る。
拓海は笑う。
「安心したら。」
少し苦しそうに息を吐く。
「力が抜けた。」
E-01がすぐに状態を確認する。
「生命維持反応、急低下。」
地下空間が静まり返る。
二十四時間どころではなかった。
拓海の身体は。
約束を果たしたことで、限界を迎えようとしていた。
第149話、ありがとうございました。
今回は、“道標の始祖”の正体が少年・陽だったこと、そして彼もまた帰れなくなった存在だったことが明らかになりました。
黒糖飴の最後の欠片が、陽へ「帰るきっかけ」を与えたことで、世界中の帰還経路が再び繋がり始めます。
しかし、その代償のように、拓海の身体は急激に限界へ近づいてしまいました。
物語は、世界を救うだけでは終わりません。
次回、第150話では、優斗と拓海が約束の続きを歩くための選択が描かれます。




