第148話 道標の始祖
「あれが、道標を作った存在だ。」
拓海が見上げた先に現れた、無数の目を持つ黒い球体。
帰還者。
守人。
灯。
黒糖飴。
すべての始まりが、ついに姿を現す。
そして優斗は、“帰す”ことの本当の意味を知る。
『処理を開始する。』
機械のような声が地下空間に響く。
巨大な黒い球体は、音もなく降下を続けていた。
無数の目が開く。
一つ。
二つ。
十。
百。
そのすべてが、優斗だけを見つめていた。
「優斗!」
拓海が叫ぶ。
「目を見るな!」
優斗は咄嗟に視線を逸らした。
その瞬間。
教育係が息を詰まらせる。
「くっ……!」
一瞬だけ球体を見た教育係の足が止まる。
身体が硬直していた。
E-01が即座に支える。
「精神干渉を確認。」
「見るだけで……?」
「記憶へ直接アクセスしています。」
優斗は拳を握る。
「あいつは、人の記憶を見るのか。」
拓海は首を横に振った。
「違う。」
「記憶じゃない。」
「帰りたい場所を覗く。」
その言葉に、黒い優斗が反応した。
「だから……。」
目を伏せる。
「俺は帰れなかった。」
灯がそっと黒い優斗の手を握った。
「もう、一人じゃない。」
黒い優斗は驚いたように灯を見る。
初めて。
その瞳に、本当の涙が浮かんだ。
その時だった。
球体の目が一斉に光る。
『観測開始。』
『帰還者番号一。』
『帰還分離個体。』
『処理対象。』
「来るぞ!」
蓮司が叫ぶ。
球体から黒い糸のようなものが無数に伸びる。
一直線に優斗へ向かう。
バチィッ!
拓海が優斗を突き飛ばした。
黒い糸が床へ突き刺さる。
石畳が一瞬で黒く染まった。
「触るな!」
拓海の声が響く。
「あれは帰る場所を奪う!」
優斗は立ち上がる。
「父さん!」
拓海は息を切らしていた。
二十年以上眠っていた身体では、長く動けない。
それでも前へ出る。
「俺が止める。」
「無理だ!」
「無理でも。」
拓海は笑った。
「あの日と同じだ。」
優斗の胸が締め付けられる。
また。
父は自分を守ろうとしている。
「違う。」
優斗は一歩前へ出た。
「今度は一緒だ。」
その言葉に、拓海は少しだけ目を見開く。
そして。
嬉しそうに笑った。
「そうだったな。」
灯が白い花びらを舞わせる。
花びらは優斗の周りを包む。
すると。
ポケットの中の黒糖飴が温かくなった。
「……?」
二粒の黒糖飴。
そして。
黒い優斗が持っていた最後の一粒。
三粒が同時に光る。
球体が反応する。
『異常。』
『約束反応を確認。』
『修正対象。』
その瞬間。
地下全体へ鐘のような音が響いた。
カァン……。
誰も鳴らしていない。
それなのに。
どこか懐かしい音だった。
灯が小さく笑う。
「始まる。」
優斗が聞き返す。
「何が。」
灯は一本道を指差した。
白い石畳が、一本だけではなくなっていた。
二本。
三本。
無数の道が広がる。
それぞれ違う景色へ続いている。
「全部。」
灯が静かに言う。
「誰かの帰る道。」
優斗は息を呑む。
海へ続く道。
雪景色へ続く道。
街へ続く道。
家族の待つ家へ続く道。
人生そのものが、道になっていた。
その中で。
一本だけ。
真っ黒な道がある。
球体は、その道の上に浮かんでいた。
拓海が低く呟く。
「あれが始祖だ。」
「始祖?」
「道標を作った最初の存在。」
「でも。」
拓海は球体を見据える。
「最初は敵じゃなかった。」
優斗が振り向く。
「どういうこと。」
拓海はゆっくり話し始める。
「昔。」
「道標は、一つしかなかった。」
「迷った人を帰すためだけの場所。」
灯が頷く。
「優しかった。」
その一言が重かった。
拓海は続ける。
「でも。」
「帰りたくない人が現れた。」
優斗は思い出す。
自分もそうだった。
国道で。
人生を終わらせようとした。
「始祖は。」
「全員を帰そうとした。」
「だけど。」
「帰りたくない心まで消そうとした。」
優斗は目を見開く。
「だから。」
「壊れた。」
球体の目が一斉に開く。
『帰還拒否。』
『修正。』
『修正。』
『修正。』
声が重なる。
まるで壊れた機械だった。
灯が一歩前へ出る。
「かわいそう。」
優斗は灯を見る。
「助けたいのか。」
灯は頷いた。
「帰れてない。」
その言葉で、優斗は理解した。
始祖もまた。
帰れなかった存在だった。
その時。
球体の中央に、一つだけ違う目が開いた。
琥珀色だった。
優斗は息を呑む。
その色は。
母の記憶。
父の手紙。
黒糖飴。
全部と同じ色だった。
そして。
球体が初めて、人間のような声で呟いた。
「……帰り方を。」
地下空間が静まり返る。
「教えて。」
第148話、ありがとうございました。
今回は、“道標の始祖”が単なる敵ではなく、「帰れなくなった最初の存在」だったことが明らかになりました。
優斗が戦う相手は、憎しみだけで動く怪物ではなく、壊れた願いそのものです。
そして最後に始祖が口にした「帰り方を教えて」。
この一言で、物語は「倒す」から「救えるのか」という新たな局面へ入ります。
ここから終盤へ向けて、優斗の選択が世界そのものの結末を決めていきます。




