第138話 息子へ
父が遺した封筒。
そこに書かれていたのは、たった三文字。
「息子へ」
一度も会った記憶のない父。
それでも、この手紙は確かに優斗へ向けて残されていた。
しかし、その想いが届く直前、地下へ何者かが迫り始める。
カツ。
カツ。
カツ。
規則正しい足音が地下通路に響く。
優斗は封筒を胸へ抱き寄せた。
「教育係。」
「読め。」
短い返事だった。
「ここは俺たちが時間を稼ぐ。」
E-01が青い光を強める。
「侵入者五名。一定速度で接近。」
女性が奥の柱を指差した。
「あそこなら少しだけ隠れられる。」
優斗は頷き、石碑の横へ移動した。
震える指で封を切る。
中から現れたのは、一枚の便箋だった。
紙は少し黄ばんでいる。
しかし文字は力強い。
『優斗へ』
その一行だけで、胸が熱くなった。
父の字だった。
見たことがないはずなのに、不思議とそう思えた。
『この手紙を読んでいるということは、お前は約束を守ってここまで来てくれたんだな。』
優斗は息を止める。
『まず謝らせてほしい。』
『父親なのに、お前のそばで生きられなかった。』
文字が少し乱れていた。
急いで書いたのだろうか。
それとも。
迷っていたのだろうか。
『でも、それだけは分かってほしい。』
『俺は、お前を捨てたんじゃない。』
優斗の視界が滲む。
幼い頃から、一度だけ考えたことがある。
父は自分たちを捨てたのではないか。
母は何も言わなかった。
だから、自分でそう思い込んでいた。
違った。
父は、違った。
『お前のお母さんは、本当に強い人だ。』
『俺よりずっと強かった。』
『だから俺は、最後に一つだけ約束した。』
ページをめくる。
その瞬間。
ゴンッ!
地下通路に衝撃音が響いた。
教育係が叫ぶ。
「来たぞ!」
鉄扉を叩く音だった。
侵入者が、もう目の前まで来ている。
E-01が報告する。
「扉への衝撃を確認。」
「突破まで推定一分。」
優斗は続きを読む。
『約束の内容は、お前にはまだ話せない。』
「え?」
思わず声が漏れる。
ここまで来ても、まだ秘密なのか。
しかし、その下の一文に目が止まった。
『理由は簡単だ。』
『お前自身が思い出すことに意味があるからだ。』
優斗は歯を食いしばる。
また記憶。
また、自分の中に答えがあるという。
その時だった。
白い少女が優斗の袖を引いた。
「?」
少女は壁を指差す。
石碑の後ろ。
そこに、小さな窪みがあった。
優斗が近づく。
「これ……。」
窪みは手紙と同じくらいの大きさだった。
女性が息を呑む。
「まさか。」
優斗は便箋を近づける。
スッ。
紙が吸い込まれるように収まった。
カチッ。
小さな音。
そして。
石碑の文字が淡く光り始めた。
『帰る場所を忘れるな』
その文字の下に、新しい文字が浮かぶ。
『記憶は、消えていない』
優斗の頭に痛みが走った。
ズキッ。
「……っ!」
膝をつく。
視界が揺れる。
一瞬だけ。
景色が変わった。
青空。
夏の日。
国道沿い。
幼い自分が笑っている。
その隣に立つ父。
「優斗。」
優しい声。
振り返る。
「転んでもいい。」
父が笑う。
「でも、帰る道だけは忘れるな。」
ブツッ。
映像が消えた。
優斗は肩で息をする。
「今の……。」
教育係が駆け寄る。
「大丈夫か!」
「思い出した。」
「何を?」
「父さんの声。」
その瞬間。
ドォン!
鉄扉が大きく歪んだ。
E-01が警告する。
「突破まで十秒。」
女性が焦る。
「間に合わない!」
優斗は立ち上がる。
父の手紙を握る。
すると、便箋の裏に今までなかった文字が浮かんできた。
『最後の道は、お前が開け。』
その文字が消えると同時に。
地下空間の中央。
白い一本道が眩しく輝いた。
白い少女が、その道の先へ走る。
振り返る。
そして笑った。
「来て。」
初めて。
優斗には、そう聞こえた気がした。
ドォォン!
ついに鉄扉が吹き飛ぶ。
土煙の向こうから、黒い装備をまとった五人が姿を現した。
その先頭に立つ男を見た瞬間。
女性の顔色が変わる。
「……嘘。」
男は静かにヘルメットを外した。
優斗は息を呑む。
その顔は。
アルバムで見た父――拓海に、あまりにも似ていた。
第138話、ありがとうございました。
今回は、父・拓海が優斗へ残した最初の手紙が届きました。
「捨てたんじゃない。」
その一言は、優斗が抱え続けてきた思い込みを崩す大きな転機になりました。
さらに石碑が反応し、優斗の記憶が少しだけ戻り始めます。
しかし、その直後に地下へ侵入した男は、拓海と瓜二つの顔をしていました。
次回、第139話では、この男の正体と、“道標”という紋章に隠された意味が明かされていきます。




