第137話 父が遺した紋章
国道の下。
母が残した声は、ついに父の存在を語り始めた。
そして地上には、一台の黒い車。
男の胸元で光る紋章は、アルバムの父が身につけていたものと同じだった。
止まっていた時間が、静かに動き出す。
地下通路に、しばらく沈黙が流れた。
優斗は胸ポケットに入れた家族写真へ、そっと手を当てる。
初めて見た父の笑顔。
あれほど遠い存在だった父が、少しだけ近く感じられた。
「行こう。」
教育係が頷く。
女性が先頭へ立ち、通路の奥へ歩き始めた。
「入口までは、あと少し。」
「入口って、本当の入口か?」
「ええ。」
女性の声は静かだった。
「ここから先は、私も入ったことがない。」
優斗は足を止めた。
「母さんも?」
「最後に入ったのは、あなたのお父さん。」
その一言に、空気が張り詰める。
「父さんが……。」
女性は頷いた。
「そして、戻ってきたのは、あなたのお母さん一人だった。」
優斗は何も言えなかった。
通路の先に、大きな鉄扉が見えてくる。
高さは三メートルほど。
中央には、丸い紋章が刻まれていた。
「これ……。」
優斗は息を呑む。
アルバムで見た父のバッジ。
地上の黒い車の男が胸につけていた紋章。
すべて同じだった。
円の中央に一本の道。
その上を、一枚の花びらが舞っている。
「国道……。」
女性が静かに答えた。
「この紋章の名前は“道標”。」
「道標?」
「迷った人を帰すための印。」
優斗は紋章に手を伸ばした。
触れた瞬間。
カチッ。
微かな音が響く。
「反応した!」
E-01が叫ぶ。
「生体認証を確認。」
「え?」
「優斗さん本人を認識しています。」
鉄扉が低く唸る。
ゴゴゴ……。
少しだけ開いた。
冷たい風が吹き抜ける。
その風に混じって、懐かしい匂いがした。
黒糖。
優斗は目を見開く。
「黒糖飴の匂い……。」
女性も驚いていた。
「こんなこと、初めて。」
扉の隙間から、中へ入る。
そこは広い地下空間だった。
天井は高く、まるで地下駅のようだ。
しかし線路はない。
代わりに、中央へ一本の白い道が伸びている。
「道がある。」
教育係が周囲を見渡す。
「一本道だ。」
その先に、小さな石碑が立っていた。
優斗は近づく。
石碑には文字が刻まれている。
『帰る場所を忘れるな』
その下に、小さな文字。
『拓海』
優斗の息が止まる。
「拓海……。」
女性が微笑んだ。
「あなたのお父さんの名前。」
初めて知る父の名前。
優斗は指先で文字をなぞった。
「父さん……。」
その時だった。
地上。
黒い車の男が無線機を手に取る。
「対象が地下第二層へ到達。」
ノイズの向こうから声が返る。
『確保するか?』
男は首を横に振った。
「まだだ。」
視線は国道へ向けられている。
「彼自身に選ばせる。」
無線が切れた。
男は胸元の紋章を握る。
「拓海さん。」
小さく呟く。
「約束は守ります。」
再び地下。
優斗は石碑の前に立っていた。
すると、白い少女が現れる。
今までと違う。
少しだけ輪郭がはっきりしている。
少女は石碑の向こうを指差した。
「……あっち?」
少女は笑って頷いた。
優斗が歩き出そうとした、その時。
石碑の裏に、小さな箱があることに気づく。
木箱だった。
蓋には同じ紋章。
そして、黒糖飴を二粒置ける丸いくぼみ。
優斗は息を呑む。
「また二粒……。」
母の言葉が蘇る。
“黒糖飴を忘れないで。”
優斗はポケットから二粒を取り出した。
母から受け継いだ一粒。
老人から託された一粒。
そっと、くぼみに置く。
カチッ。
箱が開いた。
中には、一枚の封筒。
宛名は、たった一言。
『息子へ』
優斗の手が震える。
「父さんから……。」
封を開こうとした、その瞬間。
地下全体が低く震えた。
ゴォン……。
E-01が警告音を鳴らす。
「外部侵入反応!」
教育係が振り返る。
「誰か来る!」
通路の奥から、複数の足音が響いてきた。
カツ。
カツ。
カツ。
規則正しい足音。
そして暗闇の向こうで、一つだけ赤い光が灯る。
優斗は封筒を胸に抱いた。
足音は、確実にこちらへ近づいていた。
第137話、ありがとうございました。
今回は、優斗が初めて父の名前――「拓海」を知る回となりました。
地下に刻まれた“道標”の紋章。
父が遺した石碑。
そして「息子へ」と書かれた封筒。
少しずつ家族の過去が繋がる一方で、地上では謎の組織も動き始めています。
次回、第138話では、父が残した手紙の内容と、地下へ迫る侵入者の正体が明らかになっていきます。




