第135話 国道の下に眠るもの
前書き
母から託された鍵。
そこに残されていた言葉は――「国道の下」。
優斗が人生の終わりだと思って眠っていた、あの日の国道。
そこには、母が守り続けてきた秘密が眠っているという。
しかし、その秘密を知るためには、まず「あの日」に何が起きたのかを知らなければならなかった。
本文
優斗は、手のひらに乗せた小さな鍵を見つめていた。
古い。
錆びているわけではない。
むしろ、長い年月を経たものとは思えないほど綺麗だった。
「……これが、国道の下にあるものを開ける鍵?」
目の前の女性が頷く。
「そうよ」
「何が入ってる?」
女性は少しだけ視線を落とした。
「私も知らない」
「知らない?」
「ええ」
女性は静かに答えた。
「あなたのお母さんから、鍵を預かっただけだから」
優斗は眉を寄せる。
「じゃあ、母さんは知ってたんだな」
「知っていたと思う」
「何があるのかも?」
「たぶんね」
たぶん。
その言葉が妙に引っかかった。
優斗は鍵を握った。
「だったら、どうして自分で取りに行かなかったんだ?」
女性は答えなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
「……行けなかったのよ」
「行けなかった?」
「あなたのお母さんには、どうしても守らなければならないものがあったから」
「それが俺?」
女性は優斗を見る。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「あなた“だけ”ではないわ」
「……」
「あなたのお母さんが守っていたのは、あなたと――」
女性は言葉を止めた。
「何?」
「まだ、あなたには早い」
優斗は少し苛立った。
「またそれかよ」
母も。
老人も。
そして、この女性も。
みんな何かを知っている。
なのに。
自分だけが何も知らない。
「俺はもう子供じゃない」
優斗の声が強くなる。
「ずっと何も知らされないまま生きてきたんだ」
女性は黙っている。
「母さんが何を守ってたのかも知らない」
「……」
「どうして国道なのかも知らない」
「……」
「どうして黒糖飴なのかも知らない」
優斗は二粒の黒糖飴を取り出した。
「これだってそうだ」
女性の目が、黒糖飴に向けられる。
その瞬間。
女性の表情が変わった。
驚き。
そして、ほんの少しの悲しみ。
「……二つあるのね」
「知ってるのか?」
「ええ」
「何のためのものなんだ?」
女性は答えなかった。
代わりに、部屋の奥へ歩いていく。
「ついてきて」
優斗たちは後を追った。
古い建物の奥。
女性は壁際にある棚を動かした。
ギギギ……。
棚の後ろから、小さな扉が現れる。
「こんなところに……」
教育係が呟く。
女性は鍵を取り出した。
「この先は、あなたのお母さんが使っていた部屋」
優斗は息を呑んだ。
「母さんの?」
「そう」
鍵を差し込む。
カチッ。
扉が開いた。
中は驚くほど小さかった。
机。
椅子。
古いランプ。
そして、壁いっぱいに貼られた写真。
優斗は一歩入ったところで立ち止まった。
写真。
写真。
写真。
そこには、たくさんの人が写っていた。
若い頃の母。
老人。
見知らぬ男女。
そして――。
「……俺?」
一枚の写真に、幼い優斗が写っていた。
まだ小さな子供だった。
母の手を握っている。
その隣には、あの老人。
「なんで……」
優斗は写真を手に取った。
裏には日付がある。
――二〇〇〇年五月十二日。
さっきの写真と同じ日だった。
「この日に、俺もここにいたのか?」
女性が頷く。
「そうよ」
「じゃあ、俺は覚えてないのか?」
「覚えていないでしょうね」
「どうして?」
女性は写真を見つめた。
「あなたのお母さんが、忘れさせたから」
優斗の手から写真が落ちそうになった。
「……何?」
「正確には、忘れなければならないようにした」
「母さんが……俺の記憶を?」
女性は静かに頷く。
「あなたを守るために」
優斗は頭を抱えた。
記憶。
自分が知らない過去。
母が意図的に隠したもの。
そして国道。
すべてが、急速に繋がり始めていた。
「……何から俺を守ったんだ?」
女性は答えなかった。
代わりに、壁の写真を一枚外した。
その後ろに、小さな穴がある。
「鍵を」
優斗が鍵を渡す。
女性はその鍵を穴に差し込んだ。
カチッ。
壁の一部がゆっくり開いた。
中には、古い金属製の箱が置かれていた。
優斗は箱を見つめる。
「これが……?」
「そう」
「国道の下にあるもの?」
女性は首を横に振った。
「違うわ」
「じゃあ何なんだ?」
女性は箱を見た。
「これは、国道の下へ行くためのもの」
優斗の目が細くなる。
箱を開ける。
中には一枚の古い地図が入っていた。
地図には、現在の国道と旧道が描かれている。
そして。
国道の真下に、一本の線が伸びていた。
地下道。
その終点には、小さな印がある。
優斗はその印を見つめた。
「……ここ」
「ええ」
女性が答える。
「あなたのお母さんが、最後に残した場所」
優斗は地図を握りしめた。
その時。
ポケットの中の黒糖飴が、床に落ちた。
コロッ。
二粒が転がる。
一つは女性の足元へ。
もう一つは、壁の隙間へ。
「あっ……!」
優斗が手を伸ばす。
しかし。
壁の奥から。
カチッ。
小さな音がした。
そして。
――ゴゴゴゴゴ……。
建物全体が震え始めた。
「何だ!?」
E-01が警告する。
「地下構造に変化!」
床がゆっくりと開いていく。
その下から現れたのは。
古い階段だった。
地下へ続いている。
女性は目を見開いた。
「……そんな」
「どうした?」
「鍵だけで開くはずだったのに」
女性は二粒の黒糖飴を見る。
「まさか……」
優斗が尋ねる。
「何だよ?」
女性は震える声で答えた。
「あなたのお母さんは……鍵だけじゃなく、黒糖飴まで必要になるようにしていたのね」
優斗は階段を見下ろした。
暗闇の先。
何があるのか分からない。
けれど。
もう答えは一つしかなかった。
行くしかない。
優斗は一歩、階段へ足をかけた。
その瞬間。
地下の奥から。
かすかな声が聞こえた。
「……優斗」
優斗の足が止まる。
今の声。
聞き間違えるはずがない。
「……母さん?」
暗闇の奥。
もう一度。
声がした。
「……やっと、来たのね」
優斗は息を呑んだ。
そして。
ゆっくりと。
地下へ続く階段を下り始めた。
後書き
第135話、ありがとうございました。
今回は、ついに優斗が「自分の知らない過去」に触れ始めました。
二〇〇〇年五月十二日。
母と老人が出会った日。
そして、幼い優斗もその場にいた。
さらに、母が優斗の記憶を隠した理由。
物語の始まりだった「あの日の国道」が、実は優斗自身の過去と深く繋がっていたことが見えてきました。
そして最後に聞こえた声。
「やっと、来たのね」
果たして本当に母の声なのか。
それとも――。
次回、優斗はついに国道の下へと足を踏み入れます。




