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笑わない花婿

「今日は婚儀だわ」

夜明け前、目を覚ましたシリは静かに窓辺へ向かい、独り言のように呟いた。


ミンスタ領に比べ、ワスト領の空気は重く湿っていた。

露を含んだ冷気が肌にまとわりつく。


眼下に広がるロク湖は、夜の闇に沈み、まるで黒い鏡のように静かに横たわっている。


その湖の深い色を見つめていると、自然とグユウの瞳が思い出された。


今日は、式と初夜。

そして1日空けて披露宴。

これから先、数えきれない儀式が待っている。


何を考えているのか全く読めない、まるで置き物のような人と、これから夫婦になる。


ため息が、自然と漏れる。


ーー先のことは考えず、目の前のことをひとつずつ片付けるしかない。


東の丘から陽が昇り始める頃、シリは婚礼の支度に取りかかった。


身にまとうのは、自分の瞳と同じ色のウェディングドレス。


ミンスタ領でこのドレスを着た日の夜、兄ゼンシに乱暴された。


辛く悲しい記憶と結びついたこのドレスが、皮肉にも自分には一番よく似合うという。


ワスト領の侍女たちも、口々にシリの美しさを称えた。


細くしなやかな首筋には、サファイアのネックレスが青く光り、エマがそっとヴェールをかぶせてくれる。


レーク城の式場は、こぢんまりとしてはいたが、手入れが行き届いていた。


式にはワスト領の関係者が列席していた。

エマを除けば、シリの知る顔はひとつもない。


霞のようなヴェールをかぶり、青のドレスの裾を引きながら、シリは無言のままグユウのもとへ歩みを進めた。


グユウは銀糸の刺繍が施された紺色のフロックコートをまとい、式場の中央に立っていた。


相変わらず無表情で、まるで人形のようだった。


ヴェール越しにその顔を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。


本当に胸の内で何かが跳ねたような、奇妙な感覚だった。


動悸は式の間も収まらない。


――緊張しているだけよ。


シリは自分にそう言い聞かせた。


式は順調に進み指輪の交換になる。


グユウは不器用にシリの手を取り、中指に指輪をはめようとした。


「薬指よ」

ヴェール越しに、イタズラっぽく微笑みながら、シリはそっと自分の薬指をつついた。


そのときグユウと目が合った。


ほんの一瞬、彼の瞳が「ありがとう」と語ったように思えた。


ーーこの人は、言葉よりも瞳で気持ちを伝える人なのかもしれない。


グユウがヴェールを上げる。


シリは夢見るように瞼を伏せた。


長い睫毛が、かすかに震えている。


その瞬間、グユウの瞳がわずかに揺れた。


けれど、その変化にシリは気づかない。


口づけは儀式的に軽く交わされ、結婚証明書に署名を終えると、式は滞りなく終了した。


長身の二人が並ぶその姿は、まるで絵画のように美しかった。


式の後は、城のホールでささやかな宴が開かれた。


シュドリー城の宴に比べれば簡素だったが、親しみのある温かな雰囲気に包まれていた。


結婚前には「ミンスタの魔女」と警戒していたグユウの父・マサキも、酒が入ると、そんな警戒心はどこへやら、シリを褒めちぎった。


「こんなに美しい女性は見たことがない。グユウは幸せ者だ」


その言葉に、シリはほんのりと頬を染めた。


けれど――肝心のグユウは、隣に座っていながら、まるで人形のように表情を動かさなかった。


祝福に満ちた場の中で、彼の無反応は際立っていた。


そしてふと、視線を感じる。


そっと目を向けると、マサキに仕える家臣たちがこちらをじっと見つめていた。


中でもひときわ目を引く、広い肩と精悍な顔立ちをした若い家臣――その目には、露骨な警戒と敵意が滲んでいた。


シリが見返すと、彼は慌てて視線を逸らした。


ーー無理もない。


自分は他領から来た者。


乗っ取りを警戒されるのも当然だ。


シリはまた、心の中でため息をついた。


何度目だろう。


場が賑わえば賑わうほど、自分の孤独が際立つ。


思い切って、隣のグユウを見上げる。


自分を見てほしいという気持ちは、隠しようもなく露骨だった。


だが彼は、前だけを見ていた。


まるでそこにシリが存在しないかのように。


無視――そう言っても過言ではない態度だった。


グユウは、他の家臣とは短くても言葉を交わしているのに、シリとは一言も会話をしない。


ドレス姿を見ても無反応。

口づけも義務。

目も合わせず、話しかけることすらない。


ーーきっと、私との結婚が嫌なのだろう。


シリは小さな息を吐いた。


もちろん、私だって望んだ結婚ではない。


そう思いながらも、胸の奥に詰まる孤独は、どうしようもなかった。


宴が終わりに近づく。


このあとは――初夜。


シリの不安と緊張は、静かに、けれど確実に高まっていった。



次回ーー


初夜の夜。

「怖がる女は抱けない」と告げた寡黙な夫。

涙をこらえるシリの心に、安らぎは訪れるのか――。

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