7.年上皇妃ブリジットの離婚事情 〜後編・コナー外務大臣の場合〜
イアンの成人の儀は滞りなく進み、国内外の貴人を招いた晩餐会も無事に終えた。あとは着替えて寝るだけとなると、今日という日を終えるのが名残惜しく感じる。ブリジットは部屋を抜け出て議事堂に向かった。
扉を開けると中に小さな火が灯されていた。壁には見覚えのある影がゆらりと揺れる。
「クラーク大臣?」
「皇妃陛下!」
「「どうしてここに」」
思いがけず二人の声が重なり、顔を見合わせてふっと笑い合う。肩の力の抜けた笑顔は、まるで昔に戻ったようだ。
「あなたとはここで何度もやり合ったわね」
「数々の非礼をお許しください」
「いいえ。ここまで来れたのはあなたのおかげよ」
コナーに負けたくない、失望されたくないという想いがブリジットを強くしてくれた。
「あなたはなぜここに?」
「勇気をもらいに。どうしても失敗できないことがあるんです」
「あなたでもそんなことがあるの?」
今は周辺国との軋轢もなく、大きな外交問題は起きていないはずだ。するとコナーが懐から金のメダルを取り出した。
「ちょうどいい。これをあなたに」
「これは……メダル?」
「えぇ。学園卒業の際、優秀者に渡される物です」
それは卒業試験の主席に授与されるもので、結婚のため中退したブリジットには手に入れることが叶わなかった。メダルにはコナーの名が彫られている。
「なぜこれを私に?」
「本来あなたがもらうべきものだからです。卒業していればあなたの名が刻まれたはずだ」
「でも私は卒業できなかったわ」
「実はあなたの代わりに貰ったこのメダルに恥じることがないよう、ずっとお守りにしてきました。今の俺があるのはこのメダルのおかげです」
「それならあなたが持っていて」
「いえ。いい加減、俺もあなたの思い出から卒業しないと」
「そう……そうね。ありがとう」
コナーの手からメダルを受け取り、嬉しさと共に寂しさが胸を吹き抜ける。過去の繋がりごと切り捨てられたようで、ブリジットは自嘲しながら小さく笑った。
「まるで卒業祝いね」
そう考えると、皇妃からの卒業に相応しい贈り物かもしれない。
「皇妃陛下はここを出たらどうするつもりですか」
「そうね。外国を訪ねるのも面白いかもしれないわ」
皇妃の立場では無理だったことを、しばらく自由に楽しむつもりだ。
「……俺を連れていくと便利ですよ」
「え?」
「これでも外国語が得意なんです」
「これでもって、あなたの語学が堪能なことは十分知っているわ。外務大臣を通訳になんて恐れ多くてできないわよ」
いったい何を言い出すのかと笑うが、コナーは真面目な顔のままブリジットを見つめる。
「では夫としてなら?」
「え?」
発言の真意がわからず、ブリジットが目を瞬かせる。するとコナーが眉間のシワをいっそう深くした。
「あなたに婚約破棄を告げられた日のことは今でも悪夢に見ます」
「っ!!」
かつて二人は婚約しており、卒業後に結婚する予定だった。しかしブリジットが急遽イアンと結婚することになり、婚約は破棄されたのだ。
「何度もあきらめようと思ったけれどできなかった。それから少しして、あなたは皇帝が成人したら宮殿から去るつもりだと耳にしました」
ブリジットとイアンが白い結婚で、いずれこの婚姻が終わることは公然の秘密だった。だからといって待っててくれと言えるはずもなく、コナーへの想いはずっと昔に心の奥底に沈めてしまった。それなのに今、コナーが昔のような熱い目をブリジットに向ける。
「俺が今も結婚していない意味がわかりませんか?」
「そんな……だって……」
「ずっとこの日を待っていた」
コナーがずっと結婚しないことには気づいていた。もしかして――と思ったことだってある。しかし期待して裏切られたらと思うと、確かめることなどできなかった。それに二十八歳の出戻り令嬢では、優秀な外務大臣の相手には相応しくない。
「私はもう二十八よ」
「俺だってそうだ」
「……男と女では違うわ」
「同じだ」
コナーがブリジットに一歩近づく。それは皇妃と大臣の関係では決して踏み込んでくることのなかった距離だった。
「俺が嫌いならそう言って。そうすればあなたには二度と近づかない」
切なげに目を細めながら、コナーが胸に手を当てる。
「……ただあなたを想うことだけは許して欲しい」
どんな時でも顔色を変えない冷静な人だったはずなのに、今は辛そうに顔を歪めている。ブリジットが喉から声を絞り出した。
「嫌い……じゃないわ。私だって、あなたがいつまでも独身なせいであきらめられなかった。いっそ早く結婚をしてくれればと何度も思って……」
「ブリジット!」
コナーがブリジットを強く抱きしめた。あふれた涙がコナーの胸元を濡らす。こんな風に抱きしめられたのは、婚約していた頃にほんのおふざけでの一度だけだ。
「やっと……やっと!!」
「コナー……」
二人の声も抱き合う身体も震えていた。互いに顔を見合わせ、頬を濡らす涙を拭いあう。小さな灯りが揺らめく議事堂で、二つの影が静かに重なりあった。




