第27話 特権
上層区へと足を踏み入れたアゲハたちを待っていたのは、まばゆい未来都市の景観の美しさと、それを支える理不尽なまでの特権システムだった。
区画の入り口にそびえ立つ、大理石で設えられた運営の【レベル保護受付・上層オフィス】。
ガラス張りの自動カウンターの前に整列したアゲハチームの4人は、そこで初めて「レベル維持システム」の具体的な料金設定(維持金)を突きつけられていた。
「……なるほど。チーム全員のレベルを維持するには、毎月のラムが必要ってわけか」
ボルテックが、提示された請求金額のホログラムを睨みながら、小さく口元を歪めた。
「高いわね。でも、支払えない額じゃない。4人で割り勘にしましょう」
アゲハの提案に、メルティとシーラは黙って頷いた。
4人はレギュラーサバイバルを安定して勝ち抜き、取り分を均等に分け合ってきたため、全員の口座には十分な蓄えがあった。お互いのレベル(ステータス)を守るために、全員で痛みを分かち合う。これこそが、アゲハチームの「信頼」の証明だった。
しかし、その隣のカウンターで手続きを行おうとしていた「モミジ同盟」の様子は、あまりにも対照的だった。
「……私は、自分の分だけ支払うわ」
モミジが、冷淡な声で受付のタッチパネルを操作する。
彼女は、同盟メンバーであるサブリナ、マーリン、ゲイダたちの分は一切支払おうとはしなかった。
そもそも、中層区を上がったばかりのレベル10の平メンバーたちは、レベル維持システムの対象となる「レベル20以上」の資格すら満たしていない。彼らはサバイバルで死ねばいつでもレベル1に逆戻りする、ただの使い捨ての弾除け(デコイ)だった。
サブリナたちは、維持金を悠々と支払うモミジの背中を、言葉にできない屈辱と絶望の瞳で見つめていた。彼らには、自分を守るための「特権」を買う金すら、モミジに吸い上げられて残っていなかった。
その時、モミジの端末が「残高不足」の赤いエラーインジケーターを点滅させた。
『警告:引き落とし口座の残高が不足しています。維持金の支払いが完了するまで、レベル保護は適用されません』
モミジの顔が一瞬にして青ざめる。
レベル1にリセットされてからまだ日が浅く、必死にキルを稼いだとはいえ、中層区のアパートの契約維持費や機材への投資で、モミジ個人の口座は完全に底を突きかけていたのだ。
それを見たアゲハは、無言でモミジのカウンターへと近づき、自らの生体ID端末をタッチした。
『同行者の代理決済(肩代わり)を検知しました。チームレベル維持の支払い手続きを完了します』
不思議なほどに、あの容赦のないシステムエラーの警告音は鳴り響かなかった。
この世界の絶対ルールである「無償譲渡・物々交換の禁止」は、個人間での直接的な「送金」を血眼になって監視し、検知すれば100%没収する。貧しい者同士が金を融通し合い、自力で這い上がることを、システムは絶対に許さない。
しかし、そこには、どこまでも運営(支配者)にとって都合のいい『システムの不条理な穴』が存在していた。
ラムが他人ではなく、システムの中枢――「運営の金庫」に直接上納される支払いに限っては、システムはそれを「譲渡」とはみなさず、単なる『代理決済』として大歓迎でスルーするのだ。
金が自分たちの懐に入る形であれば、どれほど不自然な肩代わりであっても、システムは見て見ぬ振りをする。超・資本主義の法は、最初から支配者の利益のためにのみ最適化されていた。あくまでチームでの支払いなのだからなのかはわからない。アゲハはもちろん、この事は誰にも気づけないでいた。
「な、何してるのよ、お姉ちゃん……!」
モミジが、プライドを酷く傷つけられたような激しい拒絶の目をアゲハに向け、その手を振り払おうとした。
「アゲハには関係ないって言ったはずよ! 私は、お姉ちゃんの同情なんて――」
「同情じゃないわ。意地を張るのもいい加減にしなさい、モミジ」
アゲハは、モミジの言葉を強固に遮り、妹の胸ぐらを掴むかのような真剣な瞳で睨みつけた。
「私たちは、何のためにここまで来たの? お父さんとお母さんを殺した、あのラグランドルに復讐するためでしょ? 目的を忘れたの?」
アゲハはモミジに続けてこう言った。
「あなたがここで維持金を払えず、次のサバイバルでまたリセットされてレベル1に戻されたら……その瞬間に、復讐を果たす目的は完全に閉ざされるのよ。そんなくだらないプライドのために、両親の魂を無駄にするつもり?」
アゲハの言葉は、冷酷な正論だった。
モミジは、唇を血がにじむほど強く噛み締め、アゲハを激しく睨みつけたが――やがて、悔しさに震えながら、しぶしぶとその代理支払いを受け入れるように手を引っ込めた。
「……返せばいいんでしょ。いつか、キル(お金)で絶対に返すわ」
モミジはそう吐き捨てると、アパートを飛び出していった。
アゲハは、去っていく妹の歪んだ背中を見つめながら、やるせないため息をつくしかなかった。
「おい。いいのか? このままで……」
ぽつりと、背後からボルテックが声をかけた。
ボルテックは腕を組み、モミジが去っていったゲートの方向を見つめている。
「せっかく俺たち4人で命を削って、レギュラーサバイバルで泥まみれになって稼いだ大金だ。あんなに突っ突っぱねて、しかも平メンバーを弾除けにしてる冷酷な同盟を作っている妹に、そこまでしてやる義理があるのかい?」
「……あるわ、ボルテック」
アゲハは視線を落とし、自らの細い指先を強く握りしめた。その瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が、大理石の床へとこぼれ落ちる。
「私はただ……モミジにだけは、お父さんやお母さんみたいに『消滅』してほしくないの。レベルなんて、1だろうが20だろうがどうでもいい。ただ、無事で生きていてほしい……。なのに、私の言葉はいつもあの子を傷つけて、余計に遠ざけてしまう……」
姉としての不器用な後悔と悲痛な叫び。
俯くアゲハの肩に、シーラがそっと、温かい手を置いた。
「アゲハさん……。あなたたちのすれ違いは、見ていて本当に胸が痛むんだよ。でも、お姉さんとしてのあなたの想いは、決して間違っていないとも思う。嘘をつけない私だから分かります。あなたのその想いには、1ミリの欺瞞もない。いつか必ず、モミジさんにも届きます」
シーラの実直で、温かい励まし。
すると、隣でメルティがフンと鼻を鳴らし、担いでいたアサルトライフルを軽く叩いた。
「ケッ、本当にとんだバカなお姉ちゃんだよ、お前は」
メルティの口調は荒っぽかったが、その口元には、不器用な優しさの笑みが浮かんでいた。
「だがね……そういう泥臭いバカ、私は嫌いじゃないよ。身内を護るためなら、財布が軽くなろうが何だろうが知ったこっちゃないってか。いいよ、減った分の維持金なんて、また次のレギュラーサバイバルで、この4人の『壁越しハント』で荒稼ぎして取り戻しゃいいだけの話さ。そうだろ、ボルテック?」
「まあ、そういうことだな」
ボルテックも、苦笑しながら肩をすくめた。
「ばあさんからお前たちを頼まれた以上、俺もあの妹が無事なのは願っているよ。さあ、いつまでも泣いてる暇はない。上層区のレギュラーサバイバルへ行くぞ。稼ぎの効率を上げなきゃな」
「……ええ。みんな、本当に、ありがとう……」
アゲハは涙を拭い、3人の温かい顔を見つめて、強く頷いた。
傷つき、裏切られ、誰も信じられなくなっていた4人が、お互いの「背負うもの」を共有し、本当の家族以上の絆で結ばれた。その確かな光を胸に、彼らは再び歩み出した。
**
数日後。
アゲハチームの4人は、上層区での初のレギュラーサバイバルへとエントリーした。
「レベル20〜30の上層区は、どれほどバケモノじみた戦闘スピードの向上が待っているのだろう」
アゲハもボルテックも、全身の神経を極限まで尖らせて戦場に臨んだ。
しかし――。
実際に戦闘が始まってみると、アゲハの胸には、奇妙な違和感だけが残った。
アゲハの【気配察知】が、ビルの陰から突撃してくる上層区のサバイバー(レベル25)の動きを捉える。
(来る……! 中層区のスピードなら、ここからコンクリートの破片を投げて死角に回り込むはず――)
だが、敵はそんな高度な体捌きをするでもなく、ただ正面から大雑把に銃を物質化させて、引き金を引くだけだった。
物質化のタイムラグも遅く、何より、撃った瞬間のキックバック(反動)の制御すらまともにできておらず、弾道が大きく上にブレている。
「え……?」
アゲハは、呆気にとられながらも、体捌きでその温い射線を軽々と交わし、敵の胸へと、ピストルを突きつけて撃ち抜いた。
驚くほど簡単だった。
中層区のギリギリの泥臭い技術。
コンマ秒のタイムラグを削るための、あの地獄のような戦闘。
それらに比べて、上層区のサバイバーたちの動きには、明らかな「温さ(遅さ)」があった。レベルの数値は高いが、戦闘の技術や駆け引きにおいて、中層区の手練れと何一つ大差がないのだ。
サバイバル終了後。
無傷で生還したアゲハは、待機ロビーの隅で、不思議そうに周囲のサバイバーたちの様子を観察していた。
彼らの多くは、戦闘後のトラウマに怯える様子もなく、高級な炭酸水を飲みながら優雅に談笑していた。
「おい、アゲハ。何を難しい顔をしてるんだ?」
メルティが声をかける。
「……おかしいのよ、メルティ。上層区のレギュラーサバイバルは、レベル20以上の人たちばかりなのに、戦闘のスピードが……中層区とそこまで差が感じられない。みんな、レベルの数字(ステータス補正)が高いだけで、銃の物質化も、反動のいなし方も、なんだかすごく『温い』気がするの」
アゲハの疑問に、近くの柱に寄りかかっていた、上層区で長年燻っているらしい一人のサバイバーが、冷ややかな笑い声を漏らした。
「そりゃそうさ、お嬢ちゃん。……ここは、レベルが『維持』できるからだよ」
「え……?」
アゲハが振り返る。
「金さえ払えば、何度死んでも、どんなに無様な負け方をしても、レベル20以上をキープできる。つまり、死の恐怖も、レベルを戻すための血の滲むような這い上がりの苦痛(特訓)も、ここの連中は誰も経験しちゃいないのさ。本当の技術や肉体を鍛えなくても、システムが与えてくれる『自動ステータス補正』だけを、毎月金で維持し続けている。上層区の連中なんてのはね、みんな、金で買われた『張り子の虎(レベル保護者)』ばかりなのさ」
男の言葉は、アゲハの脳裏を激しく打ち砕いた。
「レベルが……維持できるから、ここの人たちは……」
アゲハの胸の奥から、激しい、マグマのような怒りが湧き上がってきた。
「じゃあ……何よそれ。下層や中層で、死に物狂いになって這い上がってきた自分たちが……バカみたいじゃない……!」
おばあちゃんのもとで、泥にまみれ、骨を削るような特訓に涙し、現実の肉体を鍛え抜いてようやく手に入れたレベル21。
だが、この上層区の人々は、金さえ払えば、何の努力も、這い上がりの苦痛も経ることなく、ただ数字としての強さをシステムから買い取っている。
汗も、血も、涙も、すべてが「金」という数値の前には無意味。
アゲハは、自らの震える手を見つめ、歯を食いしばった。
おばあちゃんたちが暮らす下層区の惨めな日常と、金で強さを買う上層区のまばゆい不条理。
「この世界のシステムは……何か、間違っているわ」
アゲハの絞り出すような強い憤りが、上層区の澄み切った人工の空の下で、不気味に響き渡った。
上層区編突入! ラストスパート!
次回の更新日は20時です。




