第18話 それぞれの想い
アパートのリビングには、窓の外から差し込む中層区の人工的な街の灯りが、静かに影を落としていた。シーラとメルティは、深く息を吐き出し、それぞれの身体を椅子の背もたれに預けた。
「まったく……とんだ策士だ。信じられない。中層区のレベル差なんて最初から計算に入ってないってわけかい」
メルティが、感心したように首を振りながら、テーブルの上の空になったコーヒーカップを見つめた。
アゲハは下層でおばあちゃんにもらった食材で作った料理の余韻を感じながら、頷いた。
4人は正式にチームとなった。だが、アゲハの胸には、おばあちゃんが旅立つ前に残したもう一つの言葉が、重く去来していた。
『本当に信頼できるメンバーを厳選しなさい。お互いが何を背負って銃を握っているのか、それを知らずに背中は預けられないよ』
「ねえ、ボルテック、シーラ、メルティ」
アゲハは、3人の顔を交互に見つめ、静かに、けれど真摯な声で問いかけた。
「私は、いえ、私ともう一人の妹、モミジは上層区のラグランドルに復讐するためにここまで来ている。……あなたたちは、何のために、ここで戦っているの?」
その問いに、リビングの空気がわずかに緊張を帯びた。
お互いの「過去」に踏み込む領域。裏切りが日常茶飯事のこの世界では、手の内や弱みを晒すような行為は、最も忌まわれる。
だが、最初にふっと小さく笑ったのは、ボルテックだった。
「俺の理由は、さっきも言った通り極めて現実的で、つまらないものさ」
ボルテックは、窓の外のきらびやかな中層区の街並みを見つめた。
「下層区のあの肥溜めみたいなスラムに、二度と戻りたくない。ただそれだけだ。……お前たちは、おばあさんの泥付きの野菜を分けてもらっていただろう? だが、あんな温かい恩恵を受けられるのは、下層区全体を見渡してもお前たちの一家くらいだったんだ」
ボルテックの瞳に、暗い影がよぎる。
「下層区の本当の食事ってのはな、ゴミ溜めから拾い集めてきたような、泥のついた腐った食べ物ばかりさ。システム登録すらされていない、防腐剤まみれの廃棄物。それを、毎日泥水をすするようにして口に運ぶんだ。水はもちろん泥水をすする。そんな地獄を俺は死ぬまで繰り返すのなんて絶対に嫌だ。だから俺は中層区や上層区で暮らしたい。そのために金が必要なんだよ」
ボルテックはアゲハを振り返り、悪戯っぽく口元を緩めた。
「まあ、実を言うとね。お前たちがおばあさんのもとで猛特訓を始める、ほんの少し前――俺は、あのおばあさんの掘っ立て小屋に通って、特訓をしてもらっていたんだ」
「えっ……ボルテックが?」
アゲハが驚いて目を見開く。
「ああ。タイムラグの削り方も、反動の逃がし方も、俺はおばあさんから教わった。だから、お前たちの実力がおばあさんの弟子として本物であることは、最初から分かっていたのさ。おばあさんへの恩もあるし、お前たちを無駄死にさせたくない。……それが、俺が手を貸している、もう一つの理由だよ」
ボルテックの告白に、アゲハは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……私は……私は……みんなの期待を裏切りたくないんです」
次に静かに口を開いたのは、青い髪を揺らしたシーラだった。
彼女の指先は、テーブルの上で固く組み合わされていた。嘘がつけない、実直すぎる彼女の不器用な葛藤が、その声に滲み出ている。
「私は、下層区の孤立した『孤児院』で育ちました。そこには、今もシステムに見捨てられ、配給水すら満足に得られない小さな子供たちがたくさん暮らしています。私はその孤児院で、一番上の『お姉さん』でした」
シーラは、実直な瞳をアゲハに向けた。
「子供たちは、中層区に上がった私を、自分たちの希望の光として見つめています。私が稼ぐラム(お金)だけが、彼らが毎日ひもじい思いをせずに生きていくための、唯一の命綱なんです。みんなの期待に応えるために、私は絶対にレベルをリセットされるわけにはいかない。いつも必死になって、自分を極限まで追い詰めて戦ってきました」
シーラは、小さく自嘲的な息を吐いた。
「だからこそ……私は、裏切られるのが何よりも怖いんです。一瞬の不信で連携が崩れれば、私のレベルは1になり、孤児院の子供たちは飢えて死んでしまう。私が嘘をつけないのは、他人に対して誠実でありたいからじゃない。嘘や欺瞞に満ちた中層区のチームに嫌気が差し、裏切られるリスクを、ただ恐れているだけなんです」
シーラの告白。それは、子供たちの命を背負った、あまりにも痛々しい「お姉さん」としての責任感と恐怖だった。
アゲハは、シーラの震える手を、そっと両手で包み込んだ。
「わかるわ、シーラ。私も、モミジを守るために必死だった。あなたの背負う重圧は、私が一緒に背負うわ。このチームは、絶対にあなたを裏切らない」
「……アゲハさん、ありがとう」
シーラの瞳に、かすかな涙がにじみ、張り詰めていた表情がふっと和らいだ。
「ハッ、湿っぽい話はそこまでだね」
最後に、メルティが男勝りな声で割って入った。だが、その口元には、いつもの攻撃的な尖りはなかった。
「私の理由は、もっと泥臭くて、バカげた想いさ」
メルティは天井を見上げ、遠い目をしながら、自らの過去を語り始めた。
「昔、私は中層区の別のチームで戦っていた。……だけどある日、レギュラーサバイバルで、私の油断のせいで敵に包囲され、殺されそうになったんだ。レベルが1にリセットされる寸前。その時――チームの『仲間』が私の盾になって、代わりに弾丸を浴びて死んでくれたんだよ」
メルティの喉が、一瞬だけつかえた。
「そのせいで、私をかばってくれたそいつはレベル1にリセットされちまった。チームに籍が残ってさえいれば、私のレベルが中層区の居住資格を維持していたから、そいつも下層区に堕ちずに済んだんだ。だけど、当時の冷酷なリーダーたちは、レベル1になったそいつを『ただの足手まとい』だと言って、一方的にチームから除外しやがった。私は必死に止めたんだよ! 頼むから除外しないでくれって、泣いて縋ったのに……無理だった。そいつはチームから弾かれ、そのまま資格を失って下層区へ強制退去させられちまった」
メルティは、拳をテーブルに強く叩きつけた。
「そいつは、私の身代わりに奈落へ落ちたんだ! だから私は、そいつを何が何でも、もう一度中層区に引き上げるために、死に物狂いでキルを稼ぎ、レベルを元に戻してやった。……あんな事は二度とごめんだ。だからもうチームは組む気はなかったんだがね」
男勝りで粗暴に見えたメルティ。だが、その胸の奥には、自分を救ってくれた仲間への、狂おしいほどの「義理堅さ」と「優しさ」、そして無力だった過去への悔しさが、静かに燃え盛っていた。
ボルテックの思惑。シーラの葛藤。メルティの想い。
お互いが抱える、決して人には明かせないはずの弱みと、譲れない命の理由。
それをすべて曝け出し、共有した瞬間。
リビングに立ち込めていた不信の霧は完全に消え去り、そこには、中層区のいかなるシステムも検知できない、血の通った「本物の絆」が、確かに結ばれていた。
アゲハは、3人の顔をまっすぐに見つめ、力強く宣言した。
「私の進む道は、中層区で終わる事はないわ。復讐したい相手はラグランドル。上層区よ。あの領域へ這い上がること。それまであなたたちの背中は、私が死んでも守り抜くわ」
「「「おう!」」」
アパートの暗い部屋の中で、4人の魂は一つに結ばれ、中層区を揺るがす本物の『アゲハチーム』が、ここに完全なる産声をあげたのだった。
次回、双子のサバイバルの続きは月曜20時からとなります。
ストックがもうないぞー!orz




