第15話 別々の道
激しい嵐が通り過ぎた後のような、重苦しい静寂が部屋を支配していた。
翌朝、モミジはアパートを出ていくための荷物をまとめていた。
「本気なのね、モミジ」
アゲハが、リビングの入り口に佇んだまま、妹の背中に向けて冷たく静かな声をかけた。
「ええ。言ったはずよ、お姉ちゃん」
モミジはアゲハの方を振り返ることなく、ダークグレーのバックパックのジッパーを、きつい音を立てて閉めた。
その整った丸顔には、かつて下層区で泥大根を分け合って笑っていた頃の幼さは微塵もなく、復讐という名の呪いに焼き尽くされた、凍てつくような決意だけが張り付いていた。
「私は数の力(同盟)で、確実にラグランドルを包囲して殺す。お姉ちゃんの臆病な理想論に、これ以上付き合う気はないわ」
「大人数で組めば、プレミアムサバイバルで必ず何かが起きる。それはお父さんたちを裏切ったラグランドルと同じ地獄に、自ら飛び込むようなものよ」
「……それでも、このまま中層区でレベル1のまま、あいつの手の届かない高みを見上げるよりは、よっぽどマシ」
モミジは荷物を背負うと、アゲハの脇をすり抜け、一度も目を合わせることなくアパートの電子ロックを開けて外へと出ていった。
バタン、と重い金属音が響き、再び静まり返った部屋。
アゲハは、自らの震える両手を強く握りしめた。双子として生まれ、泥にまみれながらもお互いを支え合ってきた二人が、完全に「別々の道」へと歩み出した瞬間だった。
モミジが向かったのは、中層区の最下層に近い、薄暗い集合住宅の一室だった。
そこには、先日彼女に接触してきた、下層区から上がってきたばかりのサバイバーたちが待っていた。
「待っていたよ、モミジさん」
そう言って迎えたのは、無骨なサブマシンガンを具現化させる女性サバイバー、サブリナだった。
その隣には、バレル(銃身)の長い狙撃銃を持つ物静かな女性マーリンと、同じくサブマシンガンを持つ大柄な男ゲイダが、緊張した面持ちで立っていた。彼らは全員がレベル10。中層区の最低ボーダーラインで、いつリセットされるか怯えている「持たざる者」たちだった。
「本当に、あんたの戦術眼があれば、俺たちを勝たせてくれるんだろうな? あんた、レベル1に落ちちまったんだろ?」
ゲイダが疑わしげに目を細める。
「ええ。確かに今の私のステータスは最低よ。だけど、私の『気配察知』と、下層区を支配した戦術眼は健在よ。いくら中層区でスキルが生えた人たちでも、下層区からスキルを磨いている私よりは扱えきれてないわ」
レベル1にリセットされ、身体能力が最低値に戻ってしまったモミジだが、その瞳に宿る威圧感は、レベル10の彼らを黙らせるのに十分だった。
モミジが彼らに提示した戦術は、中層区のルールをハックする「8人同盟」の立ち上げだった。
1チーム4人の制限がある中、モミジたちのチーム(4人)と、下層から上がってきた別の協力チーム(4人)が事前に裏で協定を結び、同じサバイバルに同時にエントリーする。
バトルエリア内では、お互いの位置を共有し、決して銃口を向け合わない。そして、8人の圧倒的な物量をもって、孤立した4人チームを次々と包囲し、数の暴力で一方的に圧殺していくのだ。
「いいわ。まずは次のレギュラーサバイバルで、この戦術(同盟)を試すわよ。私の指示には絶対に従ってもらう」
モミジは、自分をレベル1に叩き落とした中層区の強豪たちを、今度は「数の力」で蹂躙するための準備を、冷酷に、淡々と進め始めた。
一方――。
モミジが去った後の静まり返ったアパートで、アゲハはボルテックと共に向かい合っていた。
「行ってしまったな、モミジは」
ボルテックが、静かにコーヒーカップを置きながら言った。
「ええ。……止められなかった。今のあの子は、ラグランドルへの憎しみと、レベル1に落ちた焦りで、完全に周りが見えなくなっているわ」
アゲハは、古びた手帳に書かれた『L22-08911』というIDコードを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「だけど、私はあの子のやり方には絶対に賛成できない。おばあちゃんの言った通りよ。上層区へ行くなら、信頼できる『眼』を背中に置き、本当に信頼できる4人のメンバーを厳選しなきゃ、本番では確実に裏切られて全滅する」
アゲハはボルテックに向き直った。
「ボルテック。中層区のレギュラーを生き抜き、確実に這い上がるために……あなたに心当たりはない? 技術が確かで、何より、絶対に裏切らない『信頼できる仲間』の心当たりが」
ボルテックは、少しの間沈黙した後、思い出したように顎に手を当てた。
「……一人、いや、二人、心当たりがある。俺がソロで中層区のレギュラーを回していた時に、戦場で見かけた、とんでもない腕前のサバイバーだ」
ボルテックが語ったのは、中層区で特定のチームに所属せず、ソロや臨時の寄せ集めチームで戦っている、二人の女性サバイバーの噂だった。
「一人は、シーラ。幾何学的な光のラインが走る、特異なレーザーガンを具現化させる女性だ。技術は一流だが、実直すぎて嘘がつけない性格のせいで、中層区の汚いチームからは煙たがられ、ずっとソロで苦戦しているらしい」
「もう一人は?」
「メルティ。無骨なアサルトライフルを抱え、男勝りの立ち回りをする義理堅い女性だ。腕は確かだが、口が悪くて協調性がないとされていてな。やはり固定のチームを持たずにソロで暴れている」
ボルテックはアゲハの目を見つめた。
「お前と同じだ、アゲハ。彼女たちもまた、中層区の『不信(裏切り)』に傷つき、誰も信じられなくなって、一人で戦うことを選んだ。……簡単には、俺たちのチーム(お前への復讐の旅路)には乗らないだろう。俺はおばあちゃんの知り合いだから、手を貸してやってるだけだからな。だがその二人に言い寄ったところで、双子のガキなんて信用できるか、復讐の面倒ごとに巻き込まれたくない、と一蹴されるのがオチだ」
アゲハは、ボルテックの言葉に深く納得した。
裏切りの蔓延るこの世界で、一瞬で他人を信用できる者などいるはずがない。だからこそ、おばあちゃんは「時間をかけて厳選しなさい」と言ったのだ。
「いいわ、ボルテック。時間をかけて、彼女たちをテストしましょう。次のレギュラーサバイバルで、彼女たちの動きを私のこの『目』で、そして『心』で確かめる」
アゲハは立ち上がり、新調したダークグレーのタクティカルウェアの袖を強く引いた。
「まずは彼女たちに接触するわよ。私たちの、本当の『4人チーム』を築き上げるために」
中層区の、どん底の闇。
かつては一つだった双子が、異なる二つの信念――「少数厳選の信頼」と「大所帯の同盟」を胸に抱き、それぞれのやり方で、復讐のための這い上がりを始めた。
宿命の歯車は、それぞれのチームの結成に向けて、激しく、残酷に回り始めようとしていた。
裏切りの代償……




