第13話 復讐のトリガー
中層区のエントリーゲートを通過した双子を待っていたのは、下層区の濁った灰色とは異なる、どこか人工的な青空だった。
そびえ立つ高層住宅の壁面は綺麗に洗浄され、ホログラム広告のノイズも下層区ほど耳障りではない。排気ガスと汚水の匂いに満ちていた下層区に比べ、中層区には人工的な清浄フィルターを通った風が吹いていた。
二人が借りた新しいアパートは、狭いながらも電子ロックが正常に機能し、温かい配給水が毎日蛇口から出る、下層区の住人からすれば夢のような場所だった。
だが、どれほど環境が良くなろうとも、アゲハとモミジの凍りついた心が温まることはなかった。
「……申請、通ったよ」
薄暗い新居のリビング。
モミジが、手元のホログラム端末を見つめながら、重い声音で言った。
端末の画面には、莫大なラムの引き落とし通知と、一つの圧縮データファイルが表示されている。
『接続承認:バトルエリア24、第12回プレミアムサバイバル・詳細戦闘記録』
下層区での一年間、死に物狂いでレギュラーサバイバルを生き抜き、稼ぎに稼いだ数万ラム。その大半を、双子はこの「一本のデータ」を閲覧するためだけに支払った。
かつては多額の閲覧料を前に絶望するしかなかったが、今の彼女たちには、その真実を買い取るだけの資金があった。
「再生するわよ、モミジ」
「……うん」
アゲハが画面をタップする。
空間に投影されたホログラム映像が、ノイズと共に光を成し、あの日――二人の両親が命を落とした、あのプレミアムサバイバルの「地下室」の光景を映し出した。
アーカイブ映像は、俯瞰用の監視システムや、死亡したサバイバーの生体ログを再構成した立体ホログラムだ。
そこには、埃っぽい地下室の隅で、迫り来るエリア収縮の恐怖に耐えながら、息を潜めている四人の姿があった。
『D48-09544』――父親。
『D48-05466』――母親。
そして、彼らとチームを組む、ラグランドル『L22-08911』と、その相棒『K15-00342』。
映像内のデジタルタイマーが「残り五分」を指し、スピーカーからあの非情なシステム音声が響き渡った。
『通達。残り生存者数、12名。制限時間まで残り五分』
そのアナウンスが流れた瞬間、地下室の緊迫感は、一瞬にして狂気へと変貌した。
「どうする、ラグランドル! あと二人が死ななければ、全員が間引き(死亡)されるんだぞ!」
父親の切迫した声が、アーカイブの音声データから生々しく再生される。だが、ラグランドルは答えなかった。
彼は無言で、長い銃身のスナイパーライフルをしっかりとホールドしたまま、背後に立つ相棒『K15-00342』へ、視線だけで静かに合図を送った。
直後、相棒の男が、前方を警戒していた母親の背中に向けて、ピストルを静かに具現化させた。
その冷たい殺気の揺らぎに、父親が本能的に気づく。
「危ない!」
父親は叫ぶと同時に、お母さんの身体を全力で横へと投げ飛ばした。
「え――!?」
母親が床へと転がり込むのと、相棒の男が引き金を引くのは、ほぼ同時だった。
――バァンッ!
――ドン、ドォン!
激しい銃声が地下室に炸裂する。
お母さんを庇って無防備になった父親の胸を、相棒の弾丸が射抜く。だが、父親もまた、投げ飛ばされながら執念でピストルを具現化させ、相棒の胸へと正確にカウンターの弾丸を叩き込んでいた。
二つの身体が、同時に鮮やかな赤い光のエフェクトに包まれる。
父親と、ラグランドルの相棒――二人は、相打ちとなり、そのまま光の塵となってその場に消滅した。
「あなた……!? 嘘、嘘よ、あなたァァッ!!」
投げ飛ばされた床から這い起きた母親は、たった今、目の前で夫が消滅したというあまりの絶望に、狂ったように絶叫した。
母親は、夫の消え去った光の残渣が舞う床に泣き崩れ、その場に両膝をついて放心状態に陥る。戦う意志も、生き残る意志も、その瞬間に完全に喪失していた。
その、泣き叫ぶお母さんの無防備な背後へ。
ラグランドルが、長い銃身のスナイパーライフルを抱えたまま、ゆっくりと近づいていった。
普通であれば、至近距離でのスナイパーライフルによる射撃は、取り回しが悪く、外すリスクが極めて高い。
だが、悲しみに暮れて微動だにしない、完全に無防備なお母さんが相手なら――どれほど長い銃身であろうとも、外すはずがなかった。
ラグランドルは、泣き崩れるお母さんの頭部へ、スナイパーライフルの冷たい銃口を、ピタリと、無慈悲に押し当てた。
そして――引き金を引いた。
――ズドォンッ!
重い銃声が、至近距離で炸裂した。
「すまねえな。生かしておくこともできたが、こんなとこ見られるわけにはいかねえんだ」
お母さんの身体が赤い光に包まれ、一瞬にして光の塵へと還り、地下室の闇へと消え去っていく。
カウンターが『9名』を示し、サバイバルの終了を告げるファンファーレが虚しく響き渡る。
「これで十人(生存枠)いや、九人生存だな」
ラグランドルは、消え去った両親と、相打ちで死んだ自らの相棒の残渣を冷淡に見下ろし、吐き捨てるようにそう言った。
「あいつら、俺たちを信じきってやがったのに。正面から敵を狙うより、背後の味方をハントする方が、よっぽどリスクがなくて確実だからそうしたんだが。あそこで相棒が死んだのは予定外だが……まぁ、分け前が増えたと思えば悪くない」
映像は、そこで完全に途切れた。
「っ……あああああぁぁぁッ!!」
モミジが、悲鳴のような絶叫を上げて床に膝をついた。
両手を固く握りしめ、爪が手の平に食い込んで血がにじむのも構わず、彼女は激しく床を叩き、涙を流した。
「あの男……! 信じていたお父さんたちを、躊躇もなく撃ち殺した……!!」
アゲハは、声も出なかった。身体中を、凍りつくような激しい怒りと憎悪が駆け巡る。
「敵に急襲され、自分たちも生き残るのが精一杯だった」
と、涙ぐみながら自分たちに嘘を吐いた、あの男の高級な衣服。全ては、自分たちの両親を背後から闇討ちし、その命を「二十万ラム」というはした金に変えて得たものだったのだ。
「絶対に、許さない……」
アゲハの喉から、呪詛のような声が漏れた。その瞳は、怒りのあまり紅く血走り、漆黒の虚無がその奥底で渦巻いていた。
「ラグランドル……。私たちの手で、必ず、地獄へ引きずり下ろしてやる」
双子は暗い部屋の中で、復讐の炎にその身を焦がしながら、固く引き金を引く決意を新たにした。
しかし、その激しい怒りの中に、おばあちゃんが旅立ちの日に残してくれた、冷静な「忠告」が冷水のように差し込まれた。
『アゲハ、モミジ。あんたたちは近〜中距離じゃ下層区で敵なしだ。お互いに連携して、ピストルと二丁リボルバーで敵を圧倒する術を身につけたからね』
おばあちゃんは、二人にダークグレーのタクティカルウェアを手渡したあの朝、真剣な瞳でこう言っていた。
『だけどね、中層区から上は、下層とは戦場のスケールが違うんだよ。サバイバルってのは、遮蔽物のない広い平原や、超高層ビル群も舞台になる。もし、一キロ先からスコープを覗き、一方的に狙撃してくるプロのスナイパーに出会ったら……あんたたちのピストルじゃ、弾が届きやしないよ』
おばあちゃんは、アゲハの肩を優しく叩いた。
『上層区へ行くなら、信頼できる「眼」――。自分たちの代わりに遠距離を監視し、敵のスナイパーの射線を潰してくれる「スナイパー」を背中に置くことを考えなさい。二人だけで戦うのには、限界があるんだからね』
おばあちゃんの言葉の重みが、今のアゲハにはよく理解できた。あのブラルドですら、チームを組んで不意打ちの連携を行っていた。
もし、復讐のターゲットであるラグランドルに近づく途中で、顔も分からない遠距離のスナイパーに頭を撃ち抜かれれば、その瞬間にレベルは1にリセットされ、復讐は永久に不可能になる。
「……仲間を、集める必要があるわね」
アゲハが、震える声を絞り出した。
「おばあちゃんの言う通りよ。私たち二人だけじゃ、上層区のプロたちの射線を防ぎきることはできない」
「うん」
モミジも涙を拭い、冷徹なサバイバーの目を取り戻して頷いた。
「連携できるチームが必要だよ。でも……どんな仲間を、どうやって集める?」
その問いに、リビングの空気は再び緊張に包まれた。一人につき一種類の銃しか持てない世界。
自分たちの背中を預け、遠距離からの死神を排除してくれる、本物の信頼できる「眼」をどうやって見つけるのか。
双子が中層区での新たな戦いに向けて、チーム作りの作戦会議を始めようとしたその時、二人の「復讐の思想」に、静かな、しかし決定的な亀裂が入り始めようとしていた。
次回、双子のサバイバルの続きは月曜からとなります。
ストックが追い付かなくなってきたーorz




