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第八章 風間ジェミニ――護衛艦『ぎんが』艦長 その八

三十六

「まず、私がお伺いしたいのは、主砲発射の時の話です」

 勢いのある若手検事の声が、白い空気を震わせた。

「被告人は、あの指揮は、正当防衛であり、相手には明瞭な攻撃の意思があった、だから自衛権の逸脱には当たらないと――主任検事の質問に、そのように答えていましたが、間違いありませんか?」

 しばらく沈黙してから、白い制服が口を開いた。

「間違いありません」

 若手検事は、そんな風間に少し視線を止めてから続けた。

「ところで、被告人は、この後の、主任検事からの質問の中で、撃沈したイラン艦船の乗員を放置した時、燃える日本のタンカーの乗員救助が一刻を争う状況だったということ、そして敵兵を艦内に抱え込むと救助にリスクが発生するという理由で、この放置を正当化しました。しかし、これが国際問題に発展するかもしれない、という意識があったかと問われ、これもあったとお答えになった。だから、最後は、この時の判断も、正しかったか間違っていたか、判らない、と、そう仰いましたね?」

 若手検事の質問に、風間は、

「はい」

 小さく答えた。


「では、主砲発射の時のことに戻りますが、

 この時、被告人は、

 もし、この国籍不明の艦船に主砲を発射してしまったら、国際問題に――

 引いては、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 そういった意識は、なかったのですか?」


 座った主任検事は、静かに目を閉じている。

 もう一人、初老の検事は、両肘を机に突き組んだ両掌に口を置いた姿勢で、鋭く風間を見詰めている。

 風間はしばし、薄灰色の瞳を上げて、白い法廷の天井を見上げた。

 あの夜の、あの時の気持ちを、風間が思い出そうとしているようだった。

 そして、しばらくしてから、風間は一言――


「考えていませんでした」


 そう、答えた。

 若手検事は、ぐっ……と机の上に両手を突き、身を乗り出した。


「では、被告人は、

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 ということですね?」


 若手検事の舌鋒は鋭かった。

「そう、かも知れません」

「被告人は、燃える『五輪丸』から乗員を救助する、

 そのただ一点にのみを自己の『責務』として集中した、

 何かを救うためには何かを犠牲にしなければならない、

 だから自分が責任を負おうとした、そう言いました。

 その結果、館野一尉を死なせてしまい、

 村澤副長に辛い指揮を執らせてしまった、

 そんな自分には指揮官の『責任』を語る資格はない、

 と、そう、仰いましたね? 今も、そう思いますか?」

「はい……そう、思っています」

 風間の白い背中が揺らめく――

 そんな風間を、若手検事は鋭く見据えた。

「被告人――その反省は非常にもっともだと、私も思いますが、

 私は、被告人の反省には、欠けているところが――

 もしくは、語っていないことが――」


「異議あり!」


 滝村が立ち上がり、検事の言葉を止める。

「誘導です。検察官は、質問を変えていただきたい」


三十七

 白髪の検事が、眼鏡の中の眼を細め、滝村を見詰めた。

 若手検事は、裁判官の問いを待たず、風間をじっと見詰めたまま、

「質問を撤回します」

 言った。

「被告人は、今回の事件で、これまでの尋問で被告人が話した以外に、何か反省していることなどは、ありませんか?」

 滝村が、静かに自席に腰を下ろした。

 しばしの沈黙――

 風間は、中空を、じっ――と見据え……

 薄灰色の瞳は、自己の内側を見詰めているようであった――

「私は――」

 ぽつり――と、風間の言葉が法廷に落ちた……


「私は、私の、あの軽率な主砲発射と、

 これに伴うイラン艦船の撃沈によって、

 日本とイランが交戦状態に陥るかもしれないという危険を

 招いてしまったことについて――

 深く、反省しています」


 若手検事は、机に突いていた手をゆっくりと引き上げ、背筋を伸ばした。

「なるほど。被告人は、主砲発射の指揮の際に、目前の危険を排除することに集中するあまり、この引き金が取り返しのつかない国際紛争に発展するかもしれないという意識が欠けていたことについて、深く反省している、と、こういうことでよろしいですか?」

「はい。まったく、その通りです」

「――それだけ、ですか?」

 さらに若手検事は畳みかけた。

 一瞬――黙ってから、風間は、ちらりと薄灰色の瞳を若手検事に送った。

「そうですね……南部一曹……」

 ぼそっ……と、呟くように南部の名前を法廷の空間に転がし、

「南部君に――私の指揮で主砲発射の引き金を引いた、南部一曹に、

 彼自身が国家を混乱に陥れたかもしれないという、

 過大な責任感を背負わせてしまい――

 結果、彼を除隊に追い込んだことについても――反省しています」

 若手検事は、相変わらず鋭い視線で風間を見詰めて、ゆっくりと頷いた。

「それだけじゃない……」

 風間が続ける。

「氷室元司令にも――海江田元幕僚長にも……

 自衛隊、防衛省、もろもろ関係する日本政府、

 そして日本国民の皆さんに対しても――

 イランの、海に投げ出された兵士の方々、そのご家族にも――

 私の取った指揮の重さを、今は、自覚し、反省しています」

 静かな風間の言葉が、法廷に響き渡った。

 そんな風間を、じっと見詰めたまま、若手検事が言った。


「では、別のことについてお訊きしますね……

 被告人は、小学生の頃、近所のゲームセンターの駐車場で、

 自分をいじめていた級友が、中学生からカツアゲされている現場に遭遇した時、

 これを助けに入ったと言いました。

 ですが、この時の気持ちについては、被告人は良く判らない、と答えていた。

 一方で、この事件の直後、比嘉さんから

『なぜ、助けに入ったのか』

 と聞かれた時、

『祖父から空手は他人を守るために使えと言われた』と答えた、

 と言っています。

 どちらが、あなたの本当の気持ちなんですか?

 よろしければ、この時の気持ちを、もう一度思い出し、

 聞かせていただけませんか?」


 若い検事のはきはきした言葉に、風間は目をすがめ、何かを思い出そうとするかのように薄灰色の瞳を彷徨わせた。

 そして――


「そうですね――その――

 最初は、自分をいじめていた人間が、やられているのを見て――

 ざまあ見ろ、という感情が湧きました――

 でも、同時に何か……こう……

 ()()()()()()()()()()()()が湧きあがってきて……

 気が付いたら……走り出していました」


 若い検事が、さらに鋭く切り込む。

「被告人は、自分の空手で、他人を守ろうと、

 その時、そう思ったのではないのですか?」

 顔を俯け、また思い出すようにしながら、風間が、

「いや、その時は――そんな気持ちは……なかったですね」

「では、被告人をその時、突き動かしたものは何ですか?」

 風間は目を閉じ、少し考えてから言った。


「何か――自分でも()()()()()()()()に突き動かされて走った――

 としか……言えません」


 若手検事は、少し頷き、


「なるほど、()()()()()()()()()()()()()が自分を突き動かしたと――」


 一呼吸置くと、


「では、お聞きします。

 この事件のあの夜、向かってくる艦船に対し主砲発射を指揮した際、

 被告人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()――」


「異議あり!」


 滝村が、再びさっと立ち上がった。


三十八

「誘導尋問です」

「そうですね。検察官、質問を変えてください」

 女性の裁判長が、直立する若手検事をやんわりと諭した。

 検察官は、身体を少し揺らしてから、


「では、質問を変えます。

 被告人の――主砲発射を命じたまさにその時の気持ち、感情を――

 教えてください」


 風間は、ゆっくりと、薄灰色の瞳を若手検事に向け、


「そうですね……そうかもしれません。

 あの夜――あの急速に接近する艦船に対し、私は、一瞬で判断した――

 不吉な予感とでも言いましょうか――

 何か、胸がざわついて……

 反射的に、主砲発射の指揮を下していた――

 それを、単に()()()だったと言われれば、

 ()()()だった、のかもしれません」



『右、二時の方向! 船です! 高速で我が艦に向け接近中!』


 風間の耳に、CICからの夏井電測員の高い声が突き刺さった。

 オレンジに輝く『五輪丸』から、双眼鏡を二時の方向に向ける――

 そこに――


 波を蹴立てて急激に肉薄する黒い舟艇――


「艦長! 確かに……あれは……」

 副長の声が耳を打った。


 ぞくり――


 風間のうなじの毛が逆立った。

 速度――角度――進行方向――

 こいつは――この“敵”は――


 ()()()()――


 沖縄の、ゲームセンターの駐車場――

 両手をポケットに突っ込んだまま急迫する“やせっぽち”の額が――

 そして――

 道場の、向かい合った祖父の、凄絶な唇の“笑み”が――


 主砲の俯角――

 “やつ”は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 間に合うか?


 即座に風間は双眼鏡を下ろし、マイクを掴み取る。


「主砲、撃ち方用意! 目標、接近する敵艦船!」


「艦長! ()()()()()()()()()()()()!」


 副長の声が遠い――


 ウイイイイイイン……


 単装砲の砲口が、過たず黒い“敵艦船”を指向した。

 だが――

 止まらない、停まらない、緩まない――


 ――そうかい、()()のかよ!


 なら――()()()()()()


 風間の胸の奥で、何かが、ぞわり――と、跳ねた――


「主砲、てーっ!」


 一呼吸置き――

 主砲が、俯角ぎりぎり下方に射線を放った。

 ほぼ同時に――

 黒い敵艦船の艦首付近が、断続的に光を放つ――


 ガンガンガンガン!


 鉄塊が金属を穿つ音――

 まるで、自分の横っ面を殴られたような衝撃が艦体を襲って――

 そして――

 進撃していた“敵船”は、鉛筆の先が、ぼっきりと折れたかのように、

 炎を噴き上げ海面をスピンして――


「う、撃たれた?」

 副長の声に、

「状況確認!」

 風間が指示をかぶせた。

 ややあって、

「て、敵性艦に着弾した模様! 目標は、火を噴いています!」

『も、目標沈黙! キル、確認!』

『右舷前部に被弾あり! 応急班、確認急げ!』

 CICからも戦果報告が入る。

 すっ――と、風間の胸の中の激情の渦が凪いだ。

「よし――本艦はこのまま、タンカーに向かう」


 危なかった――


 風間は、自分の身体がわずかに震えていることに、この時になって気付いた。

 右舷方向――

 黒い波間に赤い炎を上げ過ぎていく“敵艦”を、風間は静かに一瞥した――


三十九

「以前の証人尋問で、村澤証人が言った言葉についてお伺いします。

 あの主砲発射の指揮の瞬間、村澤証人は、


 ()()()()()()()()()


 と証言しました。このことについて、事実で間違いないですか?」


 弁護人席の滝村の眼が大きく見開かれ、立ち上がろうとしたその時、

「検察官は、質問の仕方に注意してください」

 女性裁判長が、穏やかだがピシャリと若手検事を諭した。

 若手検事は、

「失礼しました。質問を、撤回します」

 答え、再度、


「では、被告人自身の認識を、お伺いします。

 あの時、敵艦船に向け、主砲発射を指揮したまさにあの時――

 ()()()()()()()()()()()()?」


 風間の目つきが険しくなった。

 ぐっ……と眉間にしわが寄り、唇が引き結ばれた。

 が――やがて、その唇の端に、皮肉な笑みがこびりつき……


「そうですね……あの時、まさにあの瞬間――


 ()()()()()()()……


 そう、思います」


 傍聴席がかすかにざわめいた。

 そのざわめきの中、若手検事がなおも訊いた――


「被告人の、その笑いは、一体何なのですか?」


 風間は、自嘲気味に笑ったまま、目を閉じた。

 そして、ひとつ、大きく息を吐きだしてから――

 その時には、風間の笑みは消えていて――答えた。


「私の中の()が――

 何か、()()()()()()()()()()()が、私の中から出てくる――

 そうした時に、私は、()()()()()()のかもしれません。

 ですから、私のあの時の指揮は、まさに衝動的なもので、

 私には元から、指揮官の資格など――」


「やめろ!」


 突然――傍聴席から怒声が上がった。


「ソージ! もうやめろ! もういい!


 ()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 傍聴席に、一人の男が立ち上がっていた。

 風間は思わず振り返った。

 いや――風間だけではない。

 検事たちも、滝村達弁護士も、裁判官も、そして傍聴人の面々も――

 この突然の審理への闖入者に視線を送っていた。


 男は、太った男だった。

 アロハシャツを着て、サングラスをかけている――


「シマブー……」


 証言席で振り返った風間が、呆然と呟いた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()――」


「静粛に! 傍聴人は、静かにしてください!」


 裁判長が厳しく叱声を放つ。


「うるさい!

 ソージ! あの時のお前は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうだろ? お前は……」


 叫び続け、傍聴席の手前に歩き始めたシマブーに、裁判所の警備員が近づいた。

 警備員たちがシマブーの肩や手を掴む。


「おい! 放せよ! ソージ!」


「退出させてください!」


 裁判長の左に座った男の判事が厳しく指示した。

 シマブーは、警備員たちに後ろから組みつかれ、引きずられながらも、


「ソージ! 俺たちは、お前のことを良く判ってる!

 お前はそんな男じゃない!

 大体お前は、


 ()()()()()()()()()()()――


 そうとも、獣なんかじゃない!

 お前は……くそ! 放せ、放せよ!

 ソージ! ()()()()()()()()()! おい! ……」


 外に連れ出されてなお、シマブーの声が法廷の中に届き……

 やがて、法廷内は、白い静寂を取り戻した……


「では、検察官、質問の続きを」

 女性裁判長が促す。

 呆然とシマブーを見送っていた若手検事は、はっと我に返り、

「あ、いや、その」

 言ってから、

「私からの質問は、以上です」

 言って、着席した。

「では弁護人、最終質問は?」

 女性裁判長の言葉に、

「ありません」

 滝村が答えた――

 証言台には、再び机の方を向いて俯く、白い風間の背中が残されていた――

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