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第八章 風間ジェミニ――護衛艦『ぎんが』艦長 その五

十八

 比嘉勇真は、一番広い部屋の布団に、白布を顔に被せられ静かに横たわっていた。

 比嘉の家――

 彼の家族親族と共に、畳の上に正座した風間は、比嘉の祖母が泣きながら唱える沖縄独特の“御願(うがん)”の言葉を聞きながら、じっ――と、比嘉を見詰めていた。

 一番先頭に比嘉の祖母が、その後ろに比嘉の家族が並んでいた。

 比嘉の父、母、弟、妹――

 比嘉は三人兄弟の長男だった。

 父も、母も、弟、妹も……皆、泣いていた。

 次の列に、比嘉の親族たちが数名並び、一番最後尾に、比嘉の彼女と、風間、シマブー、高校の友人たちが並んでいた。

 比嘉の彼女は、風間の左隣でずっと嗚咽していた。

 シマブーも、グスグスと鼻を鳴らして泣いている。

 でも――

 不思議なことに、風間は泣いていなかった。

 涙は出てこなかった。

 ただ、現実感がなかった。

 布団に横たわっているのが比嘉である――

 何か、それが現実のような気がしていなかった。


 比嘉の通夜だった。


 どうも――風間には、良く判らなかった。

 あの比嘉が、自分に何の一言もなく、突然逝ってしまった――

 そんなことは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 “御願”が終わった後――

 ひとりずつ線香を上げ、風間はシマブーと共に比嘉の家を辞した。


 静かな夜、だった。風もほとんどない。

 虫が鳴き、天空には鋭く細い月がかかり、星が煌めいていた。

 互いに自転車を引きながら――二人はいつしか、海岸に出ていた。


 道路から見下ろす砂浜の先に、暗い海が蠢いていた。

 比嘉が命を落とした……あの海だった。


「そーじは、強いな」

 急に、シマブーが言った。

 不思議なものでも見るような目を、風間はシマブーに向けた。

「だって、泣かないから、そーじは――強いよ」

 波の打ち寄せる音が響いた。

 何も答えず、風間はまた、海に目を移した。


『いつか、自分のふねを持つぞ~!』


 突然、比嘉の声が耳に甦った。

 身長は高くなったが、いたずらっぽくてすばしっこい吊り上がった目は、小学生の時と何も変わってなかった。


『俺の仲間を助けてくれたお前を、俺が助けないわけにはいかないだろ?』


 赤くなった頬、血の付いた唇――

 小学生の比嘉の顔が、目の前に浮かんだ。


『なあ、俺もその漫画好きなんだよ』

 一緒に漫画の内容を熱く語り合った日々――


『ちょっとお前、カッコいいからいじめたくなっただけ、って言ったら、怒るか?』

 いたずらっぽく言って、ガジュマルの木の間を駆けていく比嘉の背中――


 これらが皆、暗い海の向こうに攫われて行って――


 いつしか、熱いものが風間の目から迸り出ていた。

 震えて泣き始める風間を見たシマブーもまた、涙を流し始め……


「比嘉――なんでだよ……」


 風間が呟いていた。波の音が大きくこだまする――


「何で、逝っちまったんだよ!」


 叫んだ。

 夜の海岸に――

 二人の少年の、友を偲び泣く声が、寄せては返す波の音に紛れ響き渡っていた――


十九

「そーちゃん、防衛大学に行くの?」

 祖母が身を乗り出し、驚いたように風間を見詰めた。

 風間の家の居間――

 ちゃぶ台の向こうに、腕組みをした祖父、左に祖母、右に母が座っていた。

 蝉の声がかしましく響いていた。

 比嘉の死から一週間。

 もうすぐ夏休みが終わろうとしていた。

 外は今日も、ギラギラと夏の陽射しが大地を突き刺している。

 開け放たれた窓から、風が……

 と言いたいところだが、時が止まったように、重い大気が部屋に沈殿していた。


「まあ、ジェミニ! 防衛大学? お母さんは、大賛成よ!」

 派手なワンピースを着た母の、濃い化粧が笑顔に輝いた。

 そんな母を、祖父がじろりと細い目で睨む。

 祖母は、そんな母と祖父をおどおどと見比べてから、

「でも、どうして急に? そーちゃん、九州の大学に行くって、この前まで」

「決めたんだ」

 決然と、風間は言った。

 それを聞き、母がさらに相好を崩す。

「立派だわ! やっぱり、あの人の――」

()()()()()()()

 母の言葉を風間は遮った。

 祖母がはらはらと二人を見詰める。

 それまでじっと黙っていた祖父が、

「ソウジ……道場に来い」

 のっそりと、立ち上がった――


 ヒノキの香りが籠る静謐な道場で、祖父と風間は道着を着て向かい合った。

「今日は自由組手をする――どこからでもかかって来なさい」

 風間は驚いた。

 祖父と自由組手など、何年ぶりだろうか?

 祖父は百六十センチと、背が低い。

 対して風間は、アメリカ人の父の血だろうか――

 この頃には百八十センチを優に超える背丈となっていた。

 中学生の頃から、祖父は、

「もうお前には敵わんよ」

 笑いながら、やんわりと風間との自由組手をしなくなっていた。

 以後、風間は、もっぱら自分と体格の近い者や大人との稽古に励んだ。


 ――祖父と、自由組手?


 実感が湧かなかった。

 もう、自分は祖父に負けない自信があった。

 体格もそうだが、年齢も――

 祖父はすでに六十半ばを過ぎている。

 そんな祖父に、自分が後れを取るはずがなかった。

「え? じいちゃん、ティマチとかじゃなくて?」

 “ティマチ”とは、約束組手である。

 ある程度決まった筋道で攻防する組手だ。

「違う。実戦だ」

 知らず、風間の顔に笑みが浮かんでいた。

 じいちゃんは、何を言ってるのか?

 ちょっとこれは、手加減しないといけないかな……

「いいけど――じいちゃん、無理しないでよ」

「それはこっちの台詞だ」

 祖父の言葉に、少し風間は胸の内がざわめくのを感じた。

 祖父の意図が掴めなかった。

「……じゃあ、いつ、始めるの?」

「もう始まっておる」

 祖父の言葉に、風間は、一礼してから構えた。


二十

 風間が、胸の高さに両拳を上げた。

 つま先を床に立て、ステップを踏み始める。

 そして、祖父がどう動くのか、見極めようとした。

 が――

 祖父は、先ほどと全く姿勢を変えていなかった。

 小さな身体で、だらりと両腕を下げ、ただ、そこに立っている。


 無構え――


 琉球空手のトップに君臨する師範たちの至上の構えだ。

 風間の背に、ぞくぞくっ――と、震えが走った。

 だけど――

 風間は、小中学生の頃の、祖父との自由組手を思い出す。

 あの頃は、祖父から圧倒的な“圧”を感じた。

 だが今は、その“圧”を、全く感じない……


 いける。


 風間は、最初の対峙で自身の成長を噛みしめていた。

 そして――動いた。

 左足で鋭く踏み込み、右拳を一気に祖父の胸に撃ち込む。

 祖父がひらりと身を躱す。

 そのまま、風間は左右の突きの連撃を、祖父の中段に放った。

 と――

 風間が左の突きを放った直後だった。

 祖父の身体が、すっ――と風間の左に密着し――


「ぐっ!」


 呻き声をあげ――

 風間は、身体を「く」の字に折って道場の床にうずくまった。

「――っ!」

 息ができない――

 身体を密着させた祖父の、鳩尾への正確な打突……


「ジェミニ!」

「そーちゃん!」

 母と祖母の声が響いた。

 二人は、四方を開け放たれた道場の隅で、固唾を呑んで見守っていた。

「来るな!」

 祖父の鋭い声が飛んだ。

 おそらく、母か祖母が自分のところに駆け寄ろうとしたのだろう――

 それを、祖父が止めたのだ。


「あっ――ふっ!」


 徐々に、呼吸が戻ってきた。

 見上げると、さっきと同じように、祖父はだらりと両腕を下げ、風間を睥睨している。

 歯を食いしばり、風間は立ち上がった。

 大きく息を吸い込み――吐く。

 先ほどのダメージから、どうにか回復した。

 風間はもう一度、息を大きく吸い込み、


「カァ――――――ッ!」


 気合いと共に息を吐きだした。

 それを見た祖父が、

「ソウジ――手加減していては、敵は倒せんぞ」

 静かに言った。

 ぐっ……と、風間の腹に力が溜まった。


 そうだ――()()()()()()()()()


 何を勘違いしていたんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 風間は、じっ……と、祖父を睨みつけた。


二十一

 バチィィィィィン――――


 道場に、肉が肉を撃つ音が響き渡った。


 風間の右ロー――


 無構えの祖父に、風間が強烈な右の下段蹴りを放つ。

 祖父は、左足を軽く上げてこれを受け止め――

 とはいえ、凄まじい音が道場には響き渡ったが――

 その足を前に送って間合いを詰めようとした。

 が、風間は、さっ――と後退し、距離を取る。

 そして再び、猫足立ちでステップを踏んでから、踏み込んで右下段蹴りを繰り出し、祖父がこれを受け流す――


 風間は、自分のリーチを生かす戦法にシフトしていた。

 今、祖父に対して取れる最上の()だった。

 祖父の空手の神髄は接近戦にある。

 得意の間合いに入らせず、徐々に祖父を消耗させる作戦だった。


 バチィィィ――ン……


 再び、道場に肉が肉を打つ音が響く。

 キュッ、キュッ……と裸足が床を擦る音、踏み込む祖父、後退する風間――


 よし、いける!


 手応えを感じ始めた風間は、ふと、祖父が片方の唇の端を吊り上げて笑っているのを見た。


 ぞくっ――


 風間の背に、悪寒が走る。

 いや――これでいいはずだ。

 風間は自分に言い聞かせる。

 この戦法で間違ってないはずだ。

 再び、風間はリズムを取りながらステップを踏み、右ローを放った。

 祖父が左足を上げて受け、そのまま前に踏み込んでくる。

 風間は今までと同じように後退して――


 景色が反転した。


 風間はそのまま、背後に倒れていた。

 したたかに、大地が背を打った。

 ものの見事に――風間は道場の外の庭に仰向けに転倒していた。


 しまった! 

 いつの間にか、祖父は道場の端に自分を追い詰めていたのだ!


 そこに――


「カアァッ!」


 裂ぱくの気合が聴こえ、目の前に祖父がいた。

 祖父の拳が風間の顔面に撃ち下ろされ――

 拳風を額に感じ――祖父の拳は止まっていた……


「まだだ、まだ」

 祖父に誘われ、風間はまた道場に立った。

 風間は先ほどの反省から、道場の端を気にしながら一撃離脱を繰り返した。

 が――

 祖父は、左足への打撃を捌きつつ、見事な歩法で風間を追い詰め、いつの間にか密着し、床に投げ倒したり、打撃を見舞ったりした。

 そのたびに、風間は悶絶して――


 じいちゃんって、こんなに強かったのか!


 焦りと共に、祖父に対する賞賛の念が湧きあがっていた――


二十二

 祖父の息が上がっていた。

 左足を引きずるようにしている。

 もう祖父は、“無構え”ではなくなっていた。

 左脚を前に、右脚を後ろに引き、左右の手を上げ防御の構えを取っている。

 風間も、荒く肩を上下させていた。

 身体のあちこちが痛い。

 祖父の左脚を蹴り続けた右足が特に痛かった。

 あばらも数本、イッてるかも知れない――


「シュッ!」


 呼気とともに、風間が祖父の左脚をまた蹴りつけた。

「ぐぬっ!」

 祖父は左脚を上げようとしたが、満足に動かない。

 ぐらり――と、祖父の身体が揺れた。


 好機――!


 風間は痛む右足を、無理やりもう一度蹴り上げて、祖父の顔面を狙った。


 ばちっ!


 祖父の左腕が、どうにか風間の蹴りをブロックした。

 刹那――

 祖父が前に踏み出し……いや――倒れた、のか?

 風間に密着した。

 祖父の身体の重みに押され、風間は道場の床に仰向けに倒れた。

 風間の身体と祖父の身体が重なった。


「あんた!」

「ジェミニ!」


 祖母と母が、同時に駆け寄ってきた。

 風間と祖父は、互いに肩で息をしながら、しばらく倒れ込んでいた。

 道場の床の冷たさが心地よい。

 そして何より、小さな祖父が――重かった、そして、あばらが……

「いて、いてててっ!」

 風間が祖父の身体の下で身を捩った。

 祖父は、ゆっくりと身体を起こして風間から離れた。


「ふっ――この――笑いながら――わしの左脚を――つっ……」


 しわだらけで汗だくの、祖父の顔が、さっきとは違う笑みを浮かべている。

「じ、じいちゃんこそ、わ、笑って、俺の事……こ、殺すつもり?」

 隣の床に、祖父が大の字に倒れ込む。

 しばらく荒く息を吐いていた祖父が、


「……怖いんだよ、ソウジ――お前が、怖かった……」


 ぽつりと呟いた。

「え?」

 駆けつけた祖母と母が心配そうに二人を見詰めている。


「わしはな――怖い時ほど、笑うんだよ――

 そうするとな、不思議と、踏み込める……

 自分を、奮い立たせてるんだよ……

 お前も――そうなのか?」


 虫の音が耳をくすぐる。

 祖父の言葉が頭の中で反芻する……

 しばらく息を整えてから、寝転がったまま、祖父が言った。


「ソウジ……いいか、やるなら、今みたいに、全力でやれ」


 道場の、組木が剥き出しの天井を見上げながら、風間は祖父の言葉を聴いていた。

「ソウジ、お前の進む道は……決して、甘くない。いいな……判ったな?」

 蝉の声と、虫の声が半々になっていた。

 いつの間にか、外は暗くなり始めている。

 涼しい風が、道場に吹き込んでいた。


 ()()()()()――


 風間は、道場の床の上で、この祖父の言葉を、何度も噛みしめていた……

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