第八章 風間ジェミニ――護衛艦『ぎんが』艦長 その三
九
「では次に、被告人にお聞きしたいのは、被告人が自衛官になった動機です。被告人は、なぜ、自衛官になったのですか?」
滝村が質問を続けた。
しばし、風間は間を置いてから、答えた。
「親友が――死んでしまった親友が、自衛官になりたいと、言っていたからです」
「なあ、シマブー! 今日さ、帰ったら一緒にミニモン――」
小学校の昼休みの教室――
風間は同級生である太った少年、島袋翔太に声をかけた。
が――
島袋――シマブーは、黙って風間の脇を、ふいっ――と、通り過ぎた。
なんだよ、シマブー! 昨日から変だぜ……
『ひめゆりの塔』の文字が大書された校内新聞の前で――
風間は立ち尽くした。
シマブーだけではなかった。
金城も我那覇も、風間と目を合わせようとしない――
この二人も、昨日から一切、風間と話をしようとしなくなっている……
「おう、シマブー! それでいいんだ! もうアメリカ人には口を利くんじゃねーぜ!」
声の飛んできた方を見ると、一人の少年が、机の上に腰かけていた。
比嘉勇真――身体は小さいがすばしっこい運動神経抜群の少年。
クラスの、ちょっとしたリーダー的存在だった。
風間は、吊り上がった比嘉の視線をまっすぐに見詰めて歩み寄った。
「俺はアメリカ人じゃない!」
大きな声で訴える。
が、比嘉は、
「何言ってんだよ! お前、どう見てもアメリカ人じゃねえか! 瞳の色が薄くて気持ち悪いんだよ! そんな日本人、いねえよ!」
「俺の母さんは、日本人だ!」
「じゃあ何でお前の瞳はそんな色なんだよ!」
「父さんがアメリカ人だから――」
「ほら見ろ! やっぱりアメリカ人じゃねえか!」
比嘉が勝ち誇る。
「父親がアメリカ人だったら、何でダメなんだよ!」
風間が食って掛かると、比嘉は、
「お前らアメリカ人が沖縄にどんなひどいことをしたか、考えてみろよ! 俺は許さねえぞ! アメリカ人は、俺の敵だ!」
「そうだ! アメリカ人は、ひどいやつらだ!」
「じいちゃんばあちゃんも、ひどい目にあったんだ!」
金城も、シマブーも、口々に風間を攻撃した。
「それは昔の話だ! なんでそれで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ!」
比嘉は、机から素早く降りると、風間の胸を手で押した。
「うるさい! お前は純粋な日本人じゃない! なら、俺の敵だ!」
風間の胸の奥で、怒りが渦を巻いた。
握り拳を作った手が勝手に震えた。
歯を食い縛り、比嘉の顔面に突きを見舞いそうになったその時――
『いいか、ソウジ、空手は人を守るためのものだ。絶対に、自分のために使ってはいかんぞ』
祖父の風間清賢の言葉が脳裏に蘇った。
風間は自分の中の荒れ狂う獣を無理やり抑え込み……比嘉に背を向けた。
刹那――
背中に衝撃が走り、床にうつぶせに倒れた。
どうやら比嘉に蹴られたらしいという理解は後からだった。
「これからは俺たち日本人に気安く話しかけるんじゃないぞ! いいな!」
比嘉の声と、
「こら! お前ら! 何してるんだ!」
担当教師が教室に入ってきて叱声を放つのが同時だった。
蜘蛛の子を散らすように、比嘉たちが自分の席に戻る。
「おい、風間、大丈夫か?」
立ち上がる風間に担任が声をかける。
「大丈夫です」
悔しい気持ちを噛み殺し、風間は答えて席に戻る。
「おら、お前ら! いじめとかダメだからな! 仲よくしろよ!」
担当の言葉に、
「はーい」
シマブーたちが返事をし、比嘉は憎々しげな眼で風間を睨みつけていた――
十
風間の小学校五年は、孤独のうちに過ぎて行った。
クラスのリーダー、比嘉に目を付けられ、教室に風間の居場所はなくなってしまった。
誰も相手をしてくれない――
あれ以降、比嘉たちが風間に暴力をふるう、ということはなかった。ただ、比嘉の圧力で、級友全員が風間を“異物”とみなし、無視するという態度に出たのだった。
担任も、特にこの状況に手を打つということはなった。
そもそも、気付いていたのかどうか。
また、風間自身も、担任に相談するという選択肢は持っていなかった。
それは風間にとって、“弱さの証明”のように思えた。
唯一、祖父母だけが、風間の変化に気付いていたようではあった。
「最近、島袋君、来ないねえ? ミニモン、一緒にやらないの?」
祖母が心配そうに風間に訊いてきたことがある。
「あー、シマブー、最近、塾で忙しいみたい」
風間はそう、嘘を吐いた。そんな風間に、
「おい、ソウジ、道場に行くぞ」
と、祖父は声をかけてくれたりした。
米軍のジェット戦闘機が空を滑り、エンジン音に窓が震える。
大きな部屋の隅にあるソファに、風間は座っていた。
手には、ぼろぼろの漫画週刊誌――
中央の卓球台で、弾かれたピンポン玉の軽快な音が響く。
傍らの机上で、ボードゲームを囲む少年たちが、喚声を上げる。
別の場所では、少女がヨーヨーを振り回している。
児童館は、程よく空調が効いていて、子供たちがそれぞれの世界を楽しんでいた。
六年生になった風間の、ここが避難場所になっていた。
風間のそばの本棚に、人気の漫画週刊誌が数か月分、無造作に置かれている。
その週刊誌で連載中の海洋冒険漫画に、風間は夢中になっていた。
何度も何度も、貪るように繰り返し読んでいて――
この時と、祖父の道場にいる時だけ、風間の心は孤独から解放された。
六時のチャイムが部屋に響き渡った。
風間は、雑誌を本棚に戻し、児童館を後にする。
駐輪場に停めた自転車に乗り、ペダルをこいで家路に向かった。
蒸し暑い夕暮れ時――
蝉がかしましく鳴いていた。
児童館と自宅の間にあるゲームセンターの前を通りかかる。
その駐車場に、シマブーたち同級生三人を見かけた。
彼らの前に、明らかに身体の大きい少年三人が立ち塞がっていて――
異様な雰囲気に、風間は、ペダルをこぐ足を停めていた。
十一
風間は、自転車をゲーセンの建物の壁に立てかけると、ガジュマルの絡み合う幹の影に身を潜めた。
同級生は、シマブーと、金城、我那覇の三人だ。
学ランを着た少年たちは、近くの中学生だろうか……
蝉や虫の声に交じって、中学生たちの声が届く――
「なあ、ボクたち、ちょっとでいいんだよ……数百円、俺たちに貸してくれたらいいんだけどなあ」
学ランのボタンを全部外した太った少年が、俯くシマブーに顔を近づけた。
背の高いひょろっと痩せた少年が、ポケットに手を突っ込んで三人を睥睨し、
「そうそう、ほんのちょっとずつでもいいのよ。そうねえ、五百円くらいくれたら、お兄ちゃんたち、嬉しいんだけどなあ」
「五百円ずつ出してくれたら千五百円だあ! これなら全然手を打つよ、君たち」
もう一人の、中肉中背で眼鏡をかけた中学生が嗤った。
シマブーたちは、ただただ身を縮こませてもじもじしているだけ――
「おいおら、何とか言えよボーズ!」
太った男に身体を押され、シマブーは後ろによたよたと後退った。
「痛い目にあいたくなかったら、とっとと出すもん出せよ、おい」
ひょろひょろの男が、手をポケットに入れたまま金城を胸でどん、と押した。
「早くしろよ、らぁ!」
眼鏡が我那覇の足を軽く蹴り、
「たっ!」
我那覇は叫んでその場にうずくまった。
と、シマブーが、
「お、お前らなんかな、比嘉っちが来たら、お前ら何か!」
叫んだ。太っちょが、
「ああ? ヒガッチが、どうしたってえ?」
シマブーの胸ぐらを掴んで引き寄せる。
シマブーの身体がぶるぶる震えるのが、遠目にも判った。
いい気味だ――
ガジュマルの葉の陰からこの様子を眺めていた風間は、思った。
あんなに自分と仲良く遊んでいたくせに、簡単に自分を捨てたシマブー。
そんな彼が、中学生に脅され震えているのが、滑稽でおかしかった。
「おら、早く出せよ!」
太っちょに突き飛ばされたシマブーが、あっけなく地面に尻もちをついた。
「いつ来てくれるんだ、そのヒガッチってのは?」
太っちょがシマブーを嘲笑いながら蹴っ飛ばしている。
ざまあ見ろ――
風間の心に、得体の知れないどろどろとした感情が渦を巻く。
渦を巻き――
気が付けば、風間は――
風間の身体がひとりでに木陰から飛び出し、太っちょに向かって全速力で走り出していた。
十二
「なぜ、あなたをいじめていた人たちを、あなたは助ける気になったんですか?」
法廷の白い光に照らされながら、書類を持った滝村が、風間に訊いている。
風間は、少しだけ考えてから――答えた。
「自分でも、よく判りません」
「大きい者が小さい者からお金を巻き上げる――力の強い者が弱い者をいじめる、これが許せなかった、違いますか?」
「判りません、でも、そうかも……いや、判らないです」
「そうですか――まあ、子供の頃の感情は、なかなか言葉にしにくいものです。ともかく、あなたはお友達を助けに入った。中学生たちの前に立ちはだかったのですか?」
走り寄る風間を、太っちょが驚いたような目で見つめた。
風間は太っちょの前に立つと、
「シュッ!」
呼気一閃、右足を跳ね上げ、太っちょの腹部につま先蹴りをめり込ませた。
「うげぇ!」
妙な声を上げて太っちょがうずくまった。
続いて今度は両手を突っ込んでいる痩せた男に向き直る――
その瞬間だった。
顔面を激しい痛みが襲った。
思わず目を閉じる。
膝をつき、顔を抑えた風間は、つん――と、鼻の奥が出血するのを感じた。
目を開けると、痩せた男が相変わらずポケットに両手を突っ込み、立ちはだかって風間を見下ろしていた。
「てめえがこいつらの言ってたヒガッチさんかぁ?」
物凄い目つきで睥睨してくるやせっぽち。
この時になって――風間は、どうやらこのやせっぽちの頭突きを顔面に喰ったのだと理解した。
「何笑ってやがんだてめえ――気持ち悪い奴だな」
やせっぽちが足元に唾を吐いた。
笑ってる? 俺が?
風間は自分の唇の端が無意識にめくれあがっていることに気付き――
「調子くれてんじゃねえぞ!」
いつのまにかそこにいた眼鏡が、立とうとした風間を蹴りつける。
わき腹に走った激痛に、風間はその場にうずくまった。
「らぁっ!」
「クソがきゃっ」
やせっぽちと眼鏡が、所かまわず風間を蹴りつける。
したたかに後頭部を踏みつけられた風間は、思いっきり頬を地面に打ち付け、歯が砂を噛む感触を味わう――
その時だった。
「うああああああっ!」
誰かの叫び声――
直後、風間の頭部の圧迫が消え、目の端にやせっぽちが地面に倒れ込むのが見えた。
「ああ? 何だてめえは?」
眼鏡が、新たな闖入者に向き直った。
「ヒガッチ!」
シマブーの縋るような声……
眼鏡に対峙しているのは、あの、背の低い比嘉だった。
「何だ、てめえがヒガッチ様か」
眼鏡が凄みながら比嘉に近付いていく――
「らぁ!」
眼鏡が比嘉にパンチを見舞う――
が、比嘉はそれを、するり――と躱し、眼鏡のお腹に頭から飛び込んだ。
「おおっ?」
眼鏡はそんな比嘉を受け止め、比嘉のTシャツをわっしと掴むと、
「らぁっ!」
比嘉をぶん回して地面に投げ転がした。
その頃には、やせっぽちも立ち上がって、
「なろ」
言いながら倒れた比嘉を蹴りつけ始めた。
太っちょも、苦し気に腹を抑えながら比嘉に近付き、蹴りを見舞った。
風間は、鼻と全身の痛みに歯を食いしばりながら立ち上がる。
比嘉を助けに動こうとした、その時――
「おい! お前たち、何をしている!」
背後から大人の男性の声がかかり、
「やべえ! ずらかるぞ!」
中学生たちは、風間たちを残して、疾風のごとくその場から逃げて行った――




