第七章 南部史郎――元・護衛艦『ぎんが』射撃管制員 その四
十四
「さて――では、次の質問に移りたいと思いますが、証人、あなたは弁護人の質問で、敵艦船を撃沈した後、その乗員が海に投げ出されたのに、被告人はこれを助けず放置したことを、海の男の思いを踏みにじった、そう表現されましたね」
「はい、そうです」
「では、この被告人の命令も、自衛官として間違っていたと――」
「それは少し違いますね」
若手検事の言葉を遮って、南部は言った。
裁判長がやんわりと、証言を記録しているので、質問が終わってから答えてもらいたい、と注意した。
南部は謝罪し――そして、続けた。
「自衛官として、ではありません。
あの時は、そもそも海の男としての絆とでもいいますか、
それ自体を踏みにじっています。
自衛隊法云々ではありません。それ以前の問題です」
南部の言葉は手厳しかった。
若手検事は満足げに頷き、さらに最後の場面に言及する。
「館野一尉を見捨てた指揮については、証人はどうお考えですか?」
南部は、証言席で、ふっ――と、顔を歪めた。
それは、もしかしたら、南部が笑ったのかも知れなかった。
が――若手検事には何とも言いようがない表情に見えた。
「あの指揮は――確か、村澤副長が執ったと記憶しています」
言ってから、南部は続けた。
「村澤副長には怒りが湧きましたよ……
なんせ、自分の一番大事な同僚を――
親友を、見捨てろ、と、目の前で指揮されたんですからね。
ですが……後から冷静に考えたら、
村澤副長の指揮には何も間違いはないことに気付きました。
あの局面では、仕方がなかった……
副長の指揮が無ければ、館野どころか、
タチケン隊と救助された乗員皆が、全滅していたでしょう――」
「では、村澤副長の指揮は妥当で、
被告人の指揮は間違っていたということですね?」
すると、南部は、ぎろり――と、若手検事を睨み据えた。
「いや――館野を救えという風間艦長の指揮には、
私は激しく同意しましたよ。
あの事件での、唯一、
風間艦長のまっとうな指揮だったかもしれない――」
若手検事は困惑した。
「え? ですが、証人は、先ほど村澤副長の指揮が妥当と――」
「そういうことなんです!」
若手検事の言葉を遮り、南部が叫んだ。
「あ、証人、先ほども言いましたが――」
裁判長が言いかけたが、南部は構わず、
「そういうことなんですよ! ダメですか?
あの時は、風間艦長も、村澤副長も正しかった!
そういうことなんですよ! ダメなんですか?
何でダメなんだ!」
あくまで落ち着いて、時に力強く語っていた南部が、初めて声を荒げた。
「い、いや、証人、誰もダメだと言ってません」
南部は、狼狽える若手検事から視線を外し――目を閉じた。
被告人席では、風間が再び足元を見詰め、沈黙していた――
十五
「証人、南部さん、落ち着いてください。私は、ただ、どちらの指揮が妥当だったかを――」
言い募る若手検事の隣で、主任検事が静かに立ち上がった。
若手検事の肩に手を置いて何やら耳打ちする。
若手検事は、呆然と主任検事を見詰め――
静かに自席に着席した。
そして、主任検事は、南部の座る証言台に向かって歩を進め、
「証人――さきほどは、取り乱させてしまい、申し訳ありませんでした」
謝した後、きつく目を閉じている南部に向かい、
「最後に、私からひとつ、質問をお許しください。
法規でも、指揮の妥当性でも、責任の所在でもなく、ただ、証人の――
南部さんの、風間艦長に対する偽らざる気持ちを、
私たちにお聞かせいただけませんか?
……どうでしょう?
そうでなければ、あなたは、ここから一歩も先へ、進めない――
そんな気が、私はしているのです」
証人尋問ではあり得ない質問……しかし――
滝村も、裁判官も……誰も、この質問を止めようとはしない――
南部は、閉じていた瞼をゆっくりと引き上げた。
眼鏡の奥から、涙で潤んだ目で、主任検事を見上げる。
「私自身の人生を変えた――狂わせた――この事件を、
私は除隊後もずっと考えてきました」
静かに語り始めた南部――
あの夜に置き去りにしたものを、拾い集めようと――
「世間では、風間艦長を英雄と呼ぶ人もいるようです。
除隊前、自衛隊でも、『ぎんが』クルーの中にも、
艦長をそう呼ぶ人がいたのは事実です。
ですが――私は――とても、彼を英雄なんて呼べない。
私は風間艦長を許せない。
自分自身も許せない。
あの日、艦長の下した決断が、
そして私が引いてしまった引き金が、
私の日常を、私の親友を、
そしてこの国の平和を――壊してしまったのですから」
目を閉じ、黙って南部の言葉を聴く風間の唇が、また自嘲気味に吊り上がった。
「でも――ですが――風間艦長は、
館野を、見捨てなかった。
指揮命令系統も、自衛隊法も、国際法も、何もかもを壊し、
そして――
自分自身を壊してまでも、館野の命を救おうとした。
だから私は、こう思うことにしました。
風間艦長は、人間です。
私と変わらぬ、一人の不器用な人間です」
被告人席の風間が、初めて顔を上げ、南部を見た。
その口元からは、笑みが消えていて――
南部は、険しい目つきで正面を見続けている。
「村澤副長も、人間です。
氷室司令も、飯塚さんも、館野も――
私たちは皆、自衛官である前に、
たった一人の人間でした――
そういうことです――
そう思わないと、私はこれ以上、前に進むことができません」
風間がまた、視線を落とした。
その目じりが小さく光ったことに、気づいた者はいなかった――
十六
びっしょりと汗をかいていた。
護衛艦『ぎんが』の第一居住区――
そのベッドの上で、南部は上半身を起こし、呼吸を荒げていた。
機関の止まった『ぎんが』艦内は、静寂に満たされている。
夢か――
南部は大きく息を吐いた。
嫌な夢だ――
『五輪丸』の乗員救助以来、南部は“悪夢”にうなされるようになっていた。
迫る敵艦に対し、主砲発射を下命されるも、系脱ボタンを見失う悪夢――
南部はベッドから立ち上がって眼鏡をかけ、のろのろと制服を身に着けていく。
左手首にかけた腕時計を見ると、午前十時のデジタル表示――
まだ交代まで二時間ある――
でも、もう眠れないだろう……
数名の隊員が寝息を立てているのを確認し、南部は居住区の外に出た。
天井に配管の走る狭い通路――
『おう、南部! また総員起こしだな!』
あの夜の館野の声が、南部の脳裏に蘇る。
もう……館野はいないんだ――
南部が、廊下をゆっくりと歩き始める。
機関の音のしない静寂が、館野の不在を強調しているかのようだ。
ゆったりと――『ぎんが』が、波に揺れていた。
館野はあの夜、炎上するタンカー『五輪丸』に乗り込み、占拠していた“テロリスト”と交戦、制圧して十一名の日本人を救助したが、自身も脱出の際に撃たれ、爆発炎上するタンカーに取り残されて死んでしまった。
その後、『ぎんが』は、救出したタンカー乗員を乗せ現場を離脱――
ソマリア海賊対策の任に就いている『てんま』座乗の氷室司令にすべてを報告し、警戒を厳としたまま、オマーン湾をイランから遠ざかる形で南下した。
事案直後、イランは、『ぎんが』の行為を、「戦争行為」と激しく非難。
日本とイランは戦争状態に入るかも知れない――
イラン軍は『ぎんが』を捕捉し、いつでもミサイルを撃ち込める状態にある――
そんな“誰が言い出したかも判らない噂”が、艦内を駆け巡った。
艦隊司令部からは、
「イラン艦の動向に注意せよ。接近の兆候あり」
との警告と共に、無用な交戦は避け、オマーン国のドゥクム港に向かい、『てんま』と合流するよう指示された。
それから――
南部たち『ぎんが』クルーは、いつイラン軍からの攻撃を受けるかもしれないという極度の緊張状態の中、ドゥクム港を目指し南下した。
二日後――
どうにかドゥクム港に到達したものの、日本とイランの関係が緊張しているとの事情から、『ぎんが』は入港を保留され、港外錨地で待機することとなった。
しかし、翌日――事態は急転した。
「日本のタンカーを攻撃し、自衛隊の護衛艦に撃沈されたのは、イラン軍から離脱した非正規軍、すなわちテロリストであった」
と、イラン政府が正式な声明を出したのだ。
これをもって、『ぎんが』は警戒態勢を解除――
ドゥクムへの入港も許可された。
しかし、港が混雑しているとの理由から、引き続き、『ぎんが』は、港外錨地に待機を余儀なくされたのだった――
階段を上って扉を開けると、まぶしい陽光と青空が南部の目を焼いた。
熱風が頬を撫でる。
扉を閉め、南部は青い海を近くで見ようと左舷側に歩いて行く。
そこに、舷側の手すりに身を寄せて海を眺める小さな人影を認めた。
近付くと、人影が振り向いた。
海風になびく癖のないショートカット、吊り上がった目。
鈴野弘美二尉――
館野の率いる――
いや、率いていた、か……立入検査隊の副隊長だった。
「おや、副隊長もおられましたか」
声をかけると、鈴野は南部に向き直り、ぺこり――と、頭を下げた。
十七
南部は鈴野の隣に立ち、一緒に海を眺めた。
降錨した『ぎんが』は、今、ゆったりと波に揺れている――
艦首方向を見やると、乾いた大地とドゥクム港が、すぐそこに佇んでいた。
「何度も停泊してるはずなんだけどなあ――なんだか違って見えますね」
「……そうですね」
南部の言葉に、左隣の鈴野が囁くように答えた。
「入港したら、私たちも一段落ですねえ」
南部が海風に声を乗せた。
青い空でカモメたちが舞う。
つい昨日までの緊張感が、今は嘘のようだ――
「港に救助した人たちを降ろして、しばらく私たちは自重――というところですか」
眼鏡越しに見る鈴野は、海に寂しげな視線を投げたまま口を閉ざしている。
「館野――館野一尉とあなた方は、本当に凄いことを成し遂げましたね」
鈴野に南部が語り掛ける。
「あんな極限状況の中で、テロリストと戦い、日本人を十一名も救出した――本当に、凄いことだと思いますよ。今回の事件は、色々と物議を醸すでしょうけど、あなたたち立入検査隊の上げた成果は、決して非難されるものじゃないでしょう」
「私――私は、動けませんでしたよ」
鈴野がそろりと言葉をこぼした。
「怖かったです――死体を見た時は。身体が硬直して動けなくなりました……でも、隊長は――館野さんは、そんな私を手荒に、でも優しく勇気づけて下さって……」
鈴野の言葉が途中から震え始めた。
溢れた涙が一筋、頬を伝い――
南部は、ぎゅっ――と、手すりを握りしめた。
そうでもしないと、自分も涙に負けてしまいそうだった。
「あいつは――館野一尉は、同期でした、自分の――まだ拝命したての頃、『ぎんが』で一緒に勤務した仲でした……」
海に落涙していた鈴野が、はっ――と、南部を見詰めた。
眼鏡の奥の南部の目が、真っ赤に充血している。
「あいつは――今回の件を、自分の命と引き換えに終わらせて逝ってしまった、そう、思います……ひとりだけ、カッコつけやがって……」
南部は手すりから離した右手を、赤い目でじっと凝視した。
「私は――今回の件で、最初に引き金を引きました――
敵艦を沈めた主砲の引き金を引いたのは、私です。
思えば、あの時は、艦長の指揮に従って、
迫りくる危険に対し主砲を撃っただけでしたが、
果たしてそれだけだったのでしょうか?
下手をしたら、あの引き金は、
日本を戦争に導いたかもしれない引き金だった……
私は、とんでもない一線を踏み越えてしまったのではないでしょうか?」
震える南部の腕に、そっと鈴野が掌を当てる。
「そんなこと――そんなこと、ないですよ……現に、相手はテロリストだって」
「結果はね!」
鈴野の言葉を南部が遮った。
南部の真っ赤な目と、鈴野の涙目が交わった。
南部は唇を震わせながら、続けた。
「だから――その、私の踏み越えた一線も、何もかも背負って、館野は――死んでいったんじゃないでしょうか――私は、そんな気がしてなりません……」
目を閉じた南部の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「南部さん――自分を、責めないでください……」
鈴野が、静かに言った。
「私も――私も、テロリストを――
イラン人を二人、殺しています……
目の前で――私の撃った銃で――だから……」
南部は、頭をぶん殴られたような衝撃を受け、鈴野を見た。
こんな若い、あどけない顔をした彼女が――
いや――知っていた、判っていた筈だった、けれど……
鈴野が、艦首方向のドゥクム港に視線を移し、
「もうすぐです、もうすぐ、終わりますから」
南部と、自分自身に言い聞かせるように、言った。
「……終わる? 本当に――
本当に、終わる、んでしょうか――」
南部は、声を絞り出し答えていた――
十八
神妙な面持ちで、主任検事が自席に戻り、着席した。
しばらくして――女性の裁判長が、
「検察官の質問は、以上でよろしいですか?」
ゆったりと訊いた。
主任検事は、はっ――として、
「あ、すみません、以上です」
答えた。
裁判長は再び、滝村を見やった。
「では、弁護人、最終尋問はありますか?」
滝村は、眼鏡の中の目を一瞬、裁判長の方に送ると、さっと立ち上がった。
「お願いします……では、私から、ひとつだけ――質問させていただきますね」
南部が少し赤くなった目を滝村に向けた。
「証人――あなたの証言で、この事件で戦った皆が、
被告人、自衛隊、英雄――
そういったものを超えて、生身の人間の、
本当に命を賭けた戦いだった真実が浮かび上がりました。
ですが証人――あなた方は――
特に証人は、被告人の命令によって押した主砲の発射ボタンに、
今でも苦しんでらっしゃいます。
そこで証人――
証人は、この苦しみは、どこからもたらされているとお考えか――
お聴かせいただけますか?」
南部の顔つきが変わった。
眼鏡の中の目つきが、これまでになく鋭くなった。
ぎろり――と、南部は滝村を睨み……
重々しく口を開いた。
「何が言いたいんですか、滝村さん――」
南部の声は震えていた。
対して、滝村は、あくまで涼やか――いや、冷ややかに、
「ですから、この苦しみをあなたはどこから――」
「人間だから、ですよ!」
南部の叫びが、法廷を貫いた。
「何であんた、そんなこと聞くんだ!
あんた言ったじゃないか!
俺たち人間の苦しみだよ!
それだけだよ!
これ以上聞く必要があるのか?
バカにするな! バカにするなよ、お前! ふざけるな!
俺はもう、答えない! 答えないぞ!」
南部の怒号に、法廷が揺れた。
着席している弁護人二人が、検事三人が――
そして裁判官も、傍聴人、報道関係者も――
唖然として証言台の南部を見詰めた。
ただ、滝村だけが静かに南部を見下ろし――
そして、そんな滝村を、被告人席の風間が、険しい目で睨んでいて――
「これで、弁護人の質問を終わります」
淡々と、滝村が告げ、静かに着席した。
張り詰めた白い空間――
ややあってから、裁判長が、
「お疲れさまでした――本当に長時間、苦しい胸の内をありのまま明かしていただき、ありがとうございました。証人尋問は終わりました、ご退出ください――」
南部の肩が震えていた。
唇をへの字に結び、眼鏡の中の閉じた目からは涙が次々と溢れ出ていた。
南部は立ち上がると、裁判長に頭を下げ、足早に法廷から退出していった――




