第七章 南部史郎――元・護衛艦『ぎんが』射撃管制員 その三
九
「左舷十一時の方角、目標探知! 本艦に向かう、弾着まで約五十秒!」
女性電測員、夏井の緊迫した声が、『ぎんが』の暗いCIC内に響き渡った。
「対空戦闘! 迎撃ミサイル発射用意!」
風間艦長の声が飛び、
「対空戦闘、レッド! 目標〇一、ESSMエンゲージ(攻撃開始)!」
直ちにTAO(戦術行動士官)の桧垣一尉が指示する。
ESSMとは、『ぎんが』に搭載されている対空迎撃用のミサイルだ。
「ESSM、エンゲージ!」
赤い照り返しの中、ミサイル管制員の太田が応じた。
「ESSM、アサイン(割り当て)、よし! ――撃て!」
「発射!」
桧垣一尉の指揮に太田が応えて発射ボタンを押した。
床下からの突き上げるような重低音とともに、ミサイルが空に放たれた。
南部は、目の前のディスプレイを見詰める。
ミサイルが、白く煙を引いて青空に伸びていく。
眼鏡の中の目をすがめ、唇を噛みしめる。
もし、この迎撃ミサイルが外れたら――
自分がCIWS(近接防空システム)を操作し、弾幕を張らねばならない。
画面の中、遠ざかるミサイル――
レーダー画面で、目標“〇一”の光点にESSMの光点が重なり――
明滅した。
ディスプレイ内で爆発が起こる。
一息遅れて、
ドドン――
スピーカーから、ノイズ交じりの爆発音が、CICに届いた。
「命中! ターゲットロスト!」
夏井の声に、南部はほっ……と、胸を撫でおろした。
だが、安堵も束の間――
「レーダーに感! 大量のデブリ……いえ、これは、ドローンです! 海面スレスレから急上昇!」
ほとんど悲鳴に近い夏井の声が響く。
レーダー画面には、『ぎんが』を取り囲むいくつもの光点が出現していた。
「なぜ気付かなかったかぁ!」
副長の村澤が怒号する。
「目標、メニー(多数)! ヒトヒト、ヒトフタ……駄目です、多すぎます!」
「目標〇二から〇五、ESSMエンゲージ! 残余はCIWSで迎撃!」
桧垣一尉の指示が飛ぶ。
隣席で太田が慌ただしくコンソールを叩く。
「ESSM、エンゲージ!」
「ダメです! 間に合いません! 目標、本艦突入まで五秒!」
夏井の悲痛な声が南部の耳を突き刺す。
南部の眼前のディスプレイに、海面から浮上する多数のドローンが――
反射的にCIWSの起動スイッチに手を伸ばす。
が――
CIWSの起動スイッチが見当たらない?
刹那――
レーダー画面のドローンの光点が中心の『ぎんが』に吸い込まれて行き――
十
だが――
予想された爆発音や揺れは感じない。
いや――
南部の見詰めるレーダには、何も映っていなかった。
なんだ? 何が起こったんだ?
混乱する南部の耳に、
「レーダーに感! 右、二時の方向! 船です! 高速で我が艦に向け接近中!」
再び夏井の緊迫した声が聞こえた。
「各コンソール、探知追尾を継続せよ!」
TAOの桧垣一尉の指示が飛ぶ。
南部はディスプレイに視線を移す。
右舷前方から波を蹴立てて突進してくる黒い舟艇――
「主砲、打ち方用意! 目標、接近する敵艦船!」
艦長の声がCICに響き、
「対水上、レッド! 打ち方用意! ケいだつ(系脱)!」
桧垣一尉の迷いのない声が艦長の指揮に倣った。
南部は急いで系脱のトグルスイッチを弾こうと――
だが――
まただ……ない。
系脱のスイッチが見当たらない!
「聞こえなかったのか、南部! 撃ち方用意、系脱! 急げ!」
飯塚先任伍長の怒号が耳元で響いた。
「う、撃ち方用意、ケいだつ!」
復唱したものの、やはり系脱ボタンが見当たらない――
いや、そもそもどうやって主砲の安全装置を解除するのだったか?
南部の頭は混乱する。
「艦長! それは自衛権の逸脱ですよ!」
副長の厳しい声がCICに響く――
しかし、
「主砲、てーっ!」
風間艦長が、副長の制止の意を解することなく命じた。
「……主砲、てーっ!」
桧垣一尉も艦長に続いて号令した。
いや、待て! だから――スイッチがないんだって!
南部は叫ぼうとしたが声にならない。
左掌で必死でトラックボール――デスクに上部半球が出ている形で、左掌全体で操作する照準装置――を必死で転がす。
だが――
いつもなら、ぴたりと合うはずのディスプレイ内の照準が――
照準が、標的に合わせられない?
「バカ野郎! 発砲命令だ! 撃て!」
目の前に、しわだらけの飯塚の顔が迫った。
今度は眼前に、
「てーっ!」
暗い中でも目立つ薄灰色の瞳の風間艦長が――
「自衛権の逸脱だ!」
左の耳朶に突き刺さる怒号――
振り向くと、そこには村澤副長の細い目が南部を睨んでいて――
「四の五の考えている暇なんてねえぞ、南部ぅ!」
背後で大きな声がして振り向くと――
そこは、ほの暗いどこかのブリッジ?
窓の外では炎が燃え盛り……
立入検査隊の防弾チョッキを着て銃を持った館野が、顔からどす黒い血を流して笑って立っていて――
「撃て! 南部!」
「早くしろ!」
「自衛権の逸脱だ!」
「おら、ここは戦場だ! 南部! 決断しろ!」
「てーっ」――――
南部を囲んだ人々の声が迫って来る――
十一
布団を跳ね上げ、南部は飛び起きていた。
いやな汗をぐっしょりと掻いている。
肩で荒く呼吸しながら、南部は周囲を確認した。
家――
寝室のベッドの上、だった。
右を見ると、妻と、四歳になる娘が、静かに寝息を立てている。
時計を確認する。
――午前二時。真夜中だった。
大きく溜息をつき、南部は、そっ……と、ベッドから床に降り立った。
妻と娘を起こさないよう、静かに歩いて部屋の外に出る。
リビングに赴き、冷蔵庫を開ける。
中のペットボトルを取ろうとして――
南部は、自分の右手の人差し指がすっかり冷え切っていることに気付いた。
――くそっ!
心の中で毒づき、ミネラルウォーターを冷蔵庫から引っこ抜いた。
ふたを外して口にくわえ、一気にごくごくと喉を鳴らして水を流し込む。
胃に落ちて行く冷たい水が、静かに南部の熱を冷ましていく。
一気に半分ほどの水を飲み干した南部は、
ふーっ……
大きく溜息をついた。
「また、見るようになっちまった……」
暗いリビングで、南部は独りごちた。
この“悪夢”――
『ぎんが』の主砲発射のボタンを押した“あの夜”以来……
南部は、睡眠時に何度もこの“悪夢”にうなされ、飛び起きた。
だが、自衛隊を除隊し、数年経って、ようやくこの“悪夢”を見なくなった。
さらに最近は、“悪夢”を見ていたことさえ忘れ始めていたというのに――
『南部さん――なにも、風間さんに有利な証言を、あなたにしてほしいわけじゃないんです』
眼鏡をかけた滝村の言葉を、南部は思い出していた。
当初――
滝村は、自衛隊を辞め、家業を手伝い始めた南部の元に、足しげく通ってきて、
『風間を無罪にするのを手伝ってほしい』
しつこく依頼してきた。
が、南部は、風間への複雑な思いを抱えていることから、
『申し訳ないが手伝えない』
と、断り続けていたのだ。
それが、ある日、突然――
滝村は、諦めたかのように、
『思いのたけをぶつけてもらえればそれでいい』
と、言ってきた。
そして、滝村はこう付け加えた。
『あなたがあの夜に感じた苦しみや悩み――それを、きちんと、風間さんにも判ってもらった方が、いいのではないか』
そうだ――と、南部は思った。
俺は、何でこんなに苦しんだのか、そして苦しんでいるのか――
その発端、その原因を作ったのは、間違いなく風間だった。
自衛隊にいた時は、幹部と一兵という立場であったし、事案後も風間と話す機会は設けられなかった。
――当たり前だ。
風間は前代未聞の混乱を日本にもたらした張本人として検察に起訴されたし、自分も自衛隊から散々な尋問を受け続けていたのだから。
落ち着いて事案の当人同士が話す――なんてことは、全くなかったのだ。
俺はこんなに苦しんでいる、お前のせいで――
そう、チャンスが巡ってきたのかもしれない。
南部は、滝村の言葉に、そう思った。
だから、滝村の要請を――受けた。
法廷で、滝村側の証人として、事案について語ることを決意した。
しかし、決意してから――
南部はまた、この“悪夢”に、うなされるようになってしまったのだった――
十二
「証人……証人は今、イランの艦艇を撃沈した自分を許せない、と仰いましたが、それは飽くまで、被告人の命令に従っただけ――そうではありませんか?」
主任検事が、南部に問いかける。
「そうです、私は、風間艦長の指揮に従っただけ、その通りです」
「では、証人が許せないのは、被告人なのではありませんか? あなた自身が呵責を感じる必要はないはずではないですか?」
主任検事の口調に、やや慰めの感情が滲む。
「いえ、それは違います」
南部はきっぱりと否定した。
主任検事は眉をひそめた。
「どうしてですか?」
南部は強い視線を主任検事に向けた。
「確かに、他の国の軍隊では、指揮官に責任があるでしょう。
ですが、日本では――自衛隊では違います。
自衛隊は、軍事的行動が憲法や法で厳しく規制されています。
自衛隊法は、我々自衛官を縛るものです。
自衛官の逸脱を制限するために。
この時の艦長の命令は、自衛隊法を逸脱していた。
要するに、命令として不当だった。
不当な命令に従う義務は、自衛隊員にはありません。
私はあの時、艦長の命令に従ってはいけなかったのです。
艦長の不当な命令に背くべきでした。
だから、主砲の発射ボタンを押しては、いけなかったのです!」
南部の言葉が白い空間を撃った。
傍聴席の記者のペン先が、さんざめくのをやめた。
法廷は、時間さえも制止したようだった――
風間は、この南部の言葉を聞き――そっと、目を閉じた。
「では――証人は、あの場面では、被告人の命令に従うべきではなかったと――そう仰るのですね?」
「そうです」
「ですが、しかし、それは――」
主任検事は言いよどみ、ふと滝村を見た。
滝村は、表情を変えずに眼鏡の中の視線を机上の書類に落としている――
南部に目線を戻し――主任検事は続けた。
「証人――しかしそれは、自衛隊員としての、指揮命令系統の拒否、ではありませんか? さすがにそれは、自衛隊という組織の中で実行することは、不可能に近いのでは?」
すると、南部は証言席で、ふっ――と笑みを浮かべ、主任検事から目を逸らすと、
「だから、辞めたんです、自衛隊――私には、しょせん無理な世界だったんだと」
そんな南部に、主任検事は言った。
「なるほど、納得しました。証人は、今回の事件で、指揮官である被告人の命令で主砲を発射しましたが、この時の手続きに法的瑕疵があり、本来なら反対すべきであったのに発射ボタンを押してしまった自分が許せなくなり、除隊した――そういうことですね」
「そうです」
「では、この命令を下した被告人を、証人はどう思いますか?」
南部の目が険しくなった。
「非常に危険な人物です――軍人としては優秀かもしれませんが、自衛官としては最低です。自衛隊は軍隊ではない。軍の常識を持ち込めば、自衛隊は壊れます」
ここまで言って、いったん南部は言葉を切った。
そして――自嘲気味に笑った。
「現に――私は壊れました」
十三
被告人席の風間が、天を仰いでいた。
その口元には笑みが張り付いている。
着席している若手検事は、南部と主任検事を交互に見詰めてしきりに頷いている。
初老の検事は、五指を組んだ手の上に顎を載せ、滝村を鋭く見据えている。
主任検事は、静かな瞳で南部を見詰め――
「これで、私の質問を終わります」
尋問を打ち切って、着席してしまった。
傍聴席がまたもやざわついた。
若手検事が、あんぐりと口を開けた後、隣の主任検事に何か詰め寄っている。
再三、裁判長は、法廷全体に静粛を求めなければならなかった。
ざわめきがまだ冷めやらぬ中、若手検事が決然と起立して言った。
「では、私から続いて質問させていただきます!」
席に着いた主任検事が、横目でそんな若手検事を見詰めた。
「証人――証人が引き金を引いた主砲は、敵艦船の乗員のみならず、もっと多くのものを壊しましたが、証人は理解していますか?」
勢い込んで訊く検事を、南部の眼鏡の中の視線が、すっ――と捉えた。
「はい、十分に理解しています」
「具体的には、あなたの引いた引き金で、何が壊れましたか?」
若手検事の毅然とした問いの反響が、法廷から完全に消えるのを待ち――
南部が静かに言った。
「平和です」
若手検事が、我が意を得たり、とでも言いたげな表情を見せた。
「そうですね、証人。あなたたちの行動は、平和を壊した。どこの平和ですか?」
「日本と、イランの平和です」
「具体的には、どうなりましたか?」
「日本とイランが、戦争状態になるかもしれない――その、一歩手前まで、私の指は導いてしまった――そう、思っています」
ここで、若手検事は、少し間を置いた。
「ですが証人。さすがに、あなた自身が、日本とイランの戦争状態を現出したかもしれないと、そこまでの責任を感じる必要はないんじゃないですか? そこまで大きな、国家間の衝突、戦争、という責任は、一兵卒であるあなたの責任ではなく、これを指揮した指揮官の責任ではありませんか?」
若手検事の言葉を受け、それでもなお、南部は言った。
「だから、私は自分が許せないんです。
そのような巨大な責任を、一兵である私が負えるはずもない。
それなのに、私は、軽々と、主砲の引き金を引いてしまいました。
引いてはいけなかったのです、私は。
日本を未曽有の危機に陥れた、あの『三日間戦争』の事を考えると、
私は今でも、自分のした行為に、後悔の念を禁じ得ないのです」




