第七章 南部史郎――元・護衛艦『ぎんが』射撃管制員 その二
五
「当然、艦長は救助命令を下してくださるもの、と思っていました」
南部のはっきりとした声が、法廷に響いた。
滝村の質問は、敵艦の乗員が海に投げ出された場面に移っていた。
「ですが、聞こえてきたのは、信じられない言葉でした」
南部は、ここで言葉を切った。
滝村の質問に対し、“答えすぎた”と思ったのか、
「すみません」
小さく頭を下げ、口を引き結んだ。
滝村は、持った書類に目を落とし、右手人差し指で書類をとんとん叩きながら、
「いや、いいですよ、証人、続けてください。信じられない言葉とは、どんな言葉でしたか?」
南部の眼鏡の上の、太い眉の間にしわが寄った。
「艦長は、タンカーの乗員救助の命令を下し、その後、副長が、敵艦船の乗員救助を主張しましたが、聞き入れませんでした」
かすかに、南部の声が震えて掠れている。
「証人は――なんと、思いましたか?」
ゆっくりと、滝村が尋ねた。
南部は、ぐっ――と、目を閉じた。
「あり得ない……そう、思いました」
風間の薄灰色の瞳も、瞼に隠れる。
「どう、あり得なかったのですか?」
南部は目を閉じたまま、だが、はっきりした声で言った。
「敵とはいえ、海に投げ出された人たちは要救助者です。
これが海の男の共通した思いです。
艦長は、それを踏みにじった――
そういうことです」
「ですが、『五輪丸』は炎上し、乗員は生死の境にありました。もし、証人の仰るように、被告人が敵船乗員の救助を優先した場合、『五輪丸』の乗員は――」
「異議あり!」
主任検事が立ち上がった。
「仮定の話です、弁護人の質問は失当です」
滝村は沈黙した。
「弁護人、意義に対する意見は?」
裁判長が問いかけ、滝村はひとつ、咳払いをした。
「いえ……質問を変えます。では、証人は、『五輪丸』の状況について、どう考えてましたか?」
「一刻の猶予もならないと思っていました」
南部は即答する。
「では、被告人の命令も、証人は理解できるのではないですか?」
南部は閉じていた目を開いて滝村を見詰めた――いや、睨んだ。
「いえ、解りません。それとこれとは別です」
南部の気迫に圧され、滝村の身体が少し仰け反った。
「別とは?」
「もし、自分たちが敵と同じように撃沈され、海に投げ出されたら、
敵に救ってもらえる。
これが海に生きる男の思いです。
艦長は、この思いを一顧だにせず、敵艦船の乗員を見捨て、
タンカーの乗員救助を即断した。迷いもなった。
そして今でも 憶えています。
全責任は私が取る、という艦長の言葉――
艦長は何か勘違いをしていた――
私には、そう思えてなりません」
いんいんと、南部の力強い声が法廷に響いた――
六
記者のペン先が紙をひっかく音が耳につく――
三人の裁判官が、じっ――と、証言席に座る南部を見詰めている。
そして――
被告人席で目を閉じた風間の唇が、にっ――と、笑みの形に歪んだ。
「勘違い――ですが、その勘違いのお陰で、タンカーの乗員は……」
はっ――と、滝村は言葉を飲み込んだ。
「撤回します」
傍聴席がざわめく。
滝村が、明らかにうろたえている――
傍聴人たちの、危惧を囁く声や嘲笑が、法廷を包んだ。
この喧噪をまた、女裁判長が凛とした声で静め――
法廷は、再び記者のペン先の擦過音が支配する静けさを取り戻した。
滝村は、この後の展開を南部に質問していった。
『ぎんが』は『五輪丸』に接近し、救助活動に入る――
これを、南部はCICの射管員席から、じっと見詰めていた。
そしてこの時、タンカーに乗り込んだのは、南部の同期の館野であった、と語り――
「周囲5マイル以内、新目標なし。タンカー周辺、異常ありません」
CICの、各種機器の電子音に、女性電測員の声が通った。
南部の正面モニターに、巨大なタンカーが映し出されている。
タンカーは、船首から噴煙を上げ続けていて――
救難ヘリが、ブリッジ周辺を飛び回る。
タンカーには武装した敵性兵士が乗り込んでいた。
ヘリは、敵兵の注意を引き付ける“囮”だ。
その間に、館野率いるタチケン隊が、タンカーの乗り込みに成功――
敵性兵士の排除と邦人の救助活動を開始した。
『お前ら射撃管制は永久に出番はなさそうだけどな!』
『俺たちは『出番がないのが良いこと』なんだよ』
つい数十分前の、総員起こしでの起床後――
廊下での館野との会話が、遥か昔の事のように感じられる。
俺は出番がない方が良かったよ、館野――
南部は、デスク上の主砲発射ボタンを、じっ――と見詰めた。
小さく、何の変哲もない、『FIRE』と表示されたボタン――
このボタンを押下した時の感覚が、今も右手人差し指に残っている。
訓練で押し慣れていた筈のボタン――
しかし、その感覚は、訓練の時よりも、いやに軽く感じられて――
その軽いボタンの押下から、艦全体を震わせるような振動を伴い、
主砲から鉄塊が弾き出されていき、“敵艦”を沈めてしまった――
どうも――現実味が湧かなかった。
あの船には、人が乗っていたんだ――
そして俺たちは、あの船の人達を、見捨てた――
俺が殺したのかなあ。
自嘲気味な笑みが自分の口元に浮かんでいることに、南部は気付いていない。
『南部、よくやった』
しわくちゃの顔の飯塚からそう声を掛けられ――
何かが自分の身体から“抜け落ちた”感覚を、南部は思い出していた。
そうだとも――
俺は訓練通りにやっただけだ。
何も変わったことをやった訳じゃない。
訓練で、何十回、何百回と俺は主砲を発射してきたじゃないか。
そして、間違いなくあの船は俺たちの艦を撃って来た。
艦長の判断は正しい、俺のやったことも正しかったんだ。
そうさ、殺らなきゃ殺られる。これが戦場さ――
『正当防衛だの緊急避難だの――
本当にその時が来たら、頭でごちゃごちゃ考えてる暇なんてねえぜ、きっと』
いつだったかの酒場で、緑茶ハイを飲み干す館野の姿を思い出す――
『こちらヒトマルヨン、ブリッジにて六名の侵入者排除!
ブリッジクリア、要救助者六名、確保!』
「おー! すげえな!」
「やるじゃねえか、館野一尉――」
館野の報告に沸き上がるCIC要員たちの声を聞きながら、
館野――
タンカーに乗り込んでいる親友に、心の中で声をかけた。
お前は今、まさに
「頭でごちゃごちゃ考えてる暇」なんてない場所に、いるんだな――
そう考えて、南部はふっと自嘲する。
お前だったら、こんな風に悩まないよな――
だったら――絶対に、絶対に無事に帰って来いよ……
南部は、祈りを込めて主砲の発射ボタンを見詰めた――
七
暗いCICに、要員の期待と歓喜が入り混じっていた。
定期的に入るタンカー『五輪丸』の各エリアの『クリア』報告――
そしてなにより――
要救助者の数が増えていく。
「さすがミスター・タチケン!」
「ここまでとはなあ――」
「今のは鈴野の声じゃないか?」
「あの子も頑張ってるなぁ!」
「おら、浮かれてないで、夏井、周囲に変化はないか?」
くぎを刺すTAOの桧垣一尉をふと見れば――
いつもは冷たい彼の顔が、ディスプレイの照り返しの中で微笑んでいる。
「はい! 6マイル内、異常ありません!」
夏井の声も弾んでいる。
その中で、独り、南部は沈んだ心を抱え――
悄然と燃え盛るタンカーを見詰める……
いくつもの無線報告や交信が、CICを飛び交った。
その度に、CICは、不安を囁き合ったり、沸き立ったり――
どのくらいの時間が経過しただろう――
『艦長! タンカーの乗員のうち、十一名を救助しましたが、
隊長の館野一尉が最後の乗員を救出後、
どうやら船上で撃たれたようで、
戻りません!』
無線から、飯塚の悲痛な声が聴こえ――
南部は、はっ――と、一気に意識が浮上するのを感じた。
それまでやや沸き返っていたCICの空気が、ざっ――と静まった。
うなじの毛が逆立つような錯覚――
「館野!」
思わず、南部は立ち上がって叫んでいた。
『館野を待て! なんとしても館野を……』
艦橋からCICに、風間の必死の声が聴こえてくる……
その時だった――
南部の見詰めていた画像が真っ赤に染まり――
一拍遅れて、
ドドオオオオオオン――
という爆音が、響き渡った。
ビリビリビリ……
『ぎんが』の艦体が、細かく振動した。
『艦長! 限界です!』
CICに、副長の叫びが突き刺さった。
南部は、信じられない思いでモニターを見詰める。
赤外線モニターは、ただただ、真っ赤な高熱の塊を映し出しているだけ――
『タチケン隊! 要救助者と共に全員離脱!
館野を捨ててでも戻れ! 急げ!!』
村澤副長の悲鳴が、南部の頭をしたたかにぶっ叩いた。
弾かれるように南部は怒号した。
「冗談じゃねえぞ!
館野を! 館野を捨てんじゃねえ!」
南部はインカムをかなぐり捨て、走り出そうとした。
そんな南部に、背後から誰かが組み付いて止めた。
「待て! 南部! 落ち着け!」
ミサイル管制員の太田の声が南部の耳を打った。
「放せ太田! 俺は艦長に、意見具申に行く!」
「バカ言ってんじゃない! 落ち着け、落ち着いて座れ!」
「放せ!」
バチッ――!
自分の頬に衝撃を感じ――
南部は、はっ――と、我に返った。
目の前に、桧垣一尉が、鬼の形相で南部を睨み据えていた。
「南部一曹! すぐに持ち場に戻れ! 命令だ!」
南部は、激昂した自分に驚きつつ――
同時に、館野の置き去りに呆然としつつ――
のろのろと、自分の席に戻った。
「……すまない」
自分を止めてくれた太田に謝罪し――
はっ――とした。
太田の両眼は、涙で真っ赤になっていた――
しん――と静まり返ったCIC――
やがて、
「タチケン隊のボート二隻……
タンカーを離れ、本艦に向かって接近しています……」
夏井の囁くような報告を、南部は唇をかみしめて聴いていた……
八
「確かに、風間艦長は、タンカー『五輪丸』の乗員を、可能な限り救いました。
これは間違いありません。
彼らを救えたこと、これは等しく我々『ぎんが』乗員の誇りです。
ですが――
敵船の乗員を海に見捨て、館野を見捨てた――
これもまた事実です。
事実であり、これは、日本の自衛隊として、あってはならないことです。
ですから私は、風間艦長を、手放しで肯定することはできないのです」
本件の総括を、と滝村に問われた南部の、これが答えだった。
法廷には、一種、言いようのない空気が漂っていた。
風間は、いつもと同じく、薄灰色の瞳で足元を見詰め、両掌を組み座っていて――
滝村は、眼鏡の奥からやや厳しい目つきで南部を見詰めた。
が――やがて、諦めたかのように、
「本日は、難しい証言を、本当にありがとうございました――お疲れ様でした」
労うと、
「弁護人の質問は、以上です」
ポケットからハンカチを取り出し、額の辺りを少し拭ってから席に着いた。
検事席では、若い検事が頬に笑みを浮かべながら主任検事に話しかけている。
しかし、主任検事は、腕組みをしながら滝村をじっと見詰め、手前の初老の検事は、何かしきりに書類にボールペンを走らせ――
「では検察官、反対尋問を」
女性裁判長が柔らかく促した。
滝村をじっと見詰めていた主任検事は、ゆっくりと立ち上がると、南部に視線を移し、
「では――今から、検察官から質問をさせていただきます」
南部は微動だにせず、証言席に座っている。
「証人――証人は、今は自衛隊を除隊し、家業を継いでおられるとのことでしたね? ちなみに、どのような名前の工場で、どんな物を作っておられるのですか?」
「『南部精巧』と言いまして、医療機器等の歯車等を作っています――あ、継いだと言っても、社長はまだ親父です、私は微細加工する機械の習熟のためにまだまだ修行中の身です」
「いつかはお父様の後を継がれる、そう決意されたのですね」
「まあ……そうです」
「ちなみに、ご結婚はなさっているのですか?」
南部は、この質問にちょっと間を置いてから、
「はい、一年前に結婚しました」
「そうですか」
答えてから、検事はさらに質問を続ける。
「自衛隊を除隊した理由を、教えてください」
南部はまた、しばし沈黙し――
「『ぎんが』事件が、理由です」
「本件が除隊の直接的な理由だったと」
「そうです」
「証人が、除隊を決意された理由を教えていただけますか?」
南部は目を閉じてから、
「私は――
イランの艦船を撃沈した私を、許すことができませんでした」
はっきりと述べる南部の横で、風間がぐっと唇を嚙みしめていた――




