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第七章 南部史郎――元・護衛艦『ぎんが』射撃管制員 その二

「当然、艦長は救助命令を下してくださるもの、と思っていました」

 南部のはっきりとした声が、法廷に響いた。

 滝村の質問は、敵艦の乗員が海に投げ出された場面に移っていた。

「ですが、聞こえてきたのは、信じられない言葉でした」

 南部は、ここで言葉を切った。

 滝村の質問に対し、“答えすぎた”と思ったのか、

「すみません」

 小さく頭を下げ、口を引き結んだ。

 滝村は、持った書類に目を落とし、右手人差し指で書類をとんとん叩きながら、

「いや、いいですよ、証人、続けてください。信じられない言葉とは、どんな言葉でしたか?」

 南部の眼鏡の上の、太い眉の間にしわが寄った。

「艦長は、タンカーの乗員救助の命令を下し、その後、副長が、敵艦船の乗員救助を主張しましたが、聞き入れませんでした」

 かすかに、南部の声が震えて掠れている。

「証人は――なんと、思いましたか?」

 ゆっくりと、滝村が尋ねた。

 南部は、ぐっ――と、目を閉じた。

「あり得ない……そう、思いました」

 風間の薄灰色の瞳も、瞼に隠れる。

「どう、あり得なかったのですか?」

 南部は目を閉じたまま、だが、はっきりした声で言った。

「敵とはいえ、海に投げ出された人たちは要救助者です。

 これが海の男の共通した思いです。

 艦長は、()()()()()()()()()――

 そういうことです」

「ですが、『五輪丸』は炎上し、乗員は生死の境にありました。もし、証人の仰るように、被告人が敵船乗員の救助を優先した場合、『五輪丸』の乗員は――」

「異議あり!」

 主任検事が立ち上がった。

「仮定の話です、弁護人の質問は失当です」

 滝村は沈黙した。

「弁護人、意義に対する意見は?」

 裁判長が問いかけ、滝村はひとつ、咳払いをした。

「いえ……質問を変えます。では、証人は、『五輪丸』の状況について、どう考えてましたか?」

「一刻の猶予もならないと思っていました」

 南部は即答する。

「では、被告人の命令も、証人は理解できるのではないですか?」

 南部は閉じていた目を開いて滝村を見詰めた――いや、睨んだ。

「いえ、解りません。()()()()()()()()()()

 南部の気迫に圧され、滝村の身体が少し仰け反った。

「別とは?」


「もし、自分たちが敵と同じように撃沈され、海に投げ出されたら、

 敵に救ってもらえる。

 これが海に生きる男の思いです。

 艦長は、この思いを一顧だにせず、敵艦船の乗員を見捨て、

 タンカーの乗員救助を即断した。迷いもなった。

 そして今でも 憶えています。

 ()()()()()()()()、という艦長の言葉――

 艦長は何か()()()をしていた――

 私には、そう思えてなりません」


 いんいんと、南部の力強い声が法廷に響いた――


 六

 記者のペン先が紙をひっかく音が耳につく――

 三人の裁判官が、じっ――と、証言席に座る南部を見詰めている。

 そして――

 被告人席で目を閉じた風間の唇が、にっ――と、笑みの形に歪んだ。

「勘違い――ですが、その勘違いのお陰で、タンカーの乗員は……」

 はっ――と、滝村は言葉を飲み込んだ。

「撤回します」

 傍聴席がざわめく。

 滝村が、明らかに()()()()()()()――

 傍聴人たちの、危惧を囁く声や嘲笑が、法廷を包んだ。

 この喧噪をまた、女裁判長が凛とした声で静め――

 法廷は、再び記者のペン先の擦過音が支配する静けさを取り戻した。


 滝村は、この後の展開を南部に質問していった。

『ぎんが』は『五輪丸』に接近し、救助活動に入る――

 これを、南部はCICの射管員席から、じっと見詰めていた。

 そしてこの時、タンカーに乗り込んだのは、南部の同期の館野であった、と語り――



「周囲5マイル以内、新目標なし。タンカー周辺、異常ありません」

 CICの、各種機器の電子音に、女性電測員の声が通った。

 南部の正面モニターに、巨大なタンカーが映し出されている。

 タンカーは、船首から噴煙を上げ続けていて――

 救難ヘリが、ブリッジ周辺を飛び回る。

 タンカーには武装した敵性兵士が乗り込んでいた。

 ヘリは、敵兵の注意を引き付ける“囮”だ。

 その間に、館野率いるタチケン隊が、タンカーの乗り込みに成功――

 敵性兵士の排除と邦人の救助活動を開始した。


『お前ら射撃管制は永久に出番はなさそうだけどな!』

『俺たちは『出番がないのが良いこと』なんだよ』


 つい数十分前の、総員起こしでの起床後――

 廊下での館野との会話が、遥か昔の事のように感じられる。


 ()()()()()()()()()()()()()よ、館野――


 南部は、デスク上の主砲発射ボタンを、じっ――と見詰めた。


 小さく、何の変哲もない、『FIRE』と表示されたボタン――


 このボタンを押下した時の感覚が、今も右手人差し指に残っている。

 訓練で押し慣れていた筈のボタン――

 しかし、その感覚は、訓練の時よりも、いやに軽く感じられて――


 その()()()()()()()()から、艦全体を震わせるような振動を伴い、

 主砲から鉄塊が弾き出されていき、“()()()()()()()()()()――


 どうも――現実味が湧かなかった。

 あの船には、()()()()()()()()()――

 そして俺たちは、あの船の人達を、()()()()――


 ()()()()()のかなあ。


 自嘲気味な笑みが自分の口元に浮かんでいることに、南部は気付いていない。


『南部、よくやった』


 しわくちゃの顔の飯塚からそう声を掛けられ――

 何かが自分の身体から“抜け落ちた”感覚を、南部は思い出していた。


 そうだとも――

 俺は()()()()()()()()()()()

 何も変わったことをやった訳じゃない。

 訓練で、何十回、何百回と俺は主砲を発射してきたじゃないか。

 そして、間違いなくあの船は俺たちの艦を()()()来た。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 そうさ、()()()()()()()()()。これが戦場さ――


『正当防衛だの緊急避難だの――

 本当にその時が来たら、頭でごちゃごちゃ考えてる暇なんてねえぜ、きっと』


 いつだったかの酒場で、緑茶ハイを飲み干す館野の姿を思い出す――


『こちらヒトマルヨン、ブリッジにて六名の侵入者排除!

 ブリッジクリア、要救助者六名、確保!』


「おー! すげえな!」

「やるじゃねえか、館野一尉――」

 館野の報告に沸き上がるCIC要員たちの声を聞きながら、


 館野――


 タンカーに乗り込んでいる親友に、心の中で声をかけた。


 お前は今、まさに

「頭でごちゃごちゃ考えてる暇」なんてない場所に、いるんだな――


 そう考えて、南部はふっと自嘲する。


 お前だったら、こんな風に悩まないよな――

 だったら――絶対に、絶対に無事に帰って来いよ……


 南部は、祈りを込めて主砲の発射ボタンを見詰めた――


 七

 暗いCICに、要員の期待と歓喜が入り混じっていた。

 定期的に入るタンカー『五輪丸』の各エリアの『クリア』報告――

 そしてなにより――

 要救助者の数が増えていく。


「さすがミスター・タチケン!」

「ここまでとはなあ――」

「今のは鈴野の声じゃないか?」

「あの子も頑張ってるなぁ!」

「おら、浮かれてないで、夏井(なつい)、周囲に変化はないか?」


 くぎを刺すTAOの桧垣一尉をふと見れば――

 いつもは冷たい彼の顔が、ディスプレイの照り返しの中で微笑んでいる。

「はい! 6マイル内、異常ありません!」

 夏井の声も弾んでいる。


 その中で、独り、南部は沈んだ心を抱え――

 悄然と燃え盛るタンカーを見詰める……


 いくつもの無線報告や交信が、CICを飛び交った。

 その度に、CICは、不安を囁き合ったり、沸き立ったり――

 どのくらいの時間が経過しただろう――


『艦長! タンカーの乗員のうち、十一名を救助しましたが、


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()


 戻りません!』


 無線から、飯塚の悲痛な声が聴こえ――


 南部は、はっ――と、一気に意識が浮上するのを感じた。


 それまでやや沸き返っていたCICの空気が、ざっ――と静まった。

 うなじの毛が逆立つような錯覚――


「館野!」


 思わず、南部は立ち上がって叫んでいた。


『館野を待て! なんとしても館野を……』


 艦橋からCICに、風間の必死の声が聴こえてくる……

 その時だった――


 南部の見詰めていた画像が真っ赤に染まり――

 一拍遅れて、


 ドドオオオオオオン――


 という爆音が、響き渡った。


 ビリビリビリ……


『ぎんが』の艦体が、細かく振動した。


『艦長! 限界です!』


 CICに、副長の叫びが突き刺さった。

 南部は、信じられない思いでモニターを見詰める。

 赤外線モニターは、ただただ、真っ赤な高熱の塊を映し出しているだけ――


『タチケン隊! 要救助者と共に全員離脱!


 ()()()()()()()()()()! 急げ!!』


 村澤副長の悲鳴が、南部の頭をしたたかにぶっ叩いた。

 弾かれるように南部は怒号した。


「冗談じゃねえぞ!

 ()()()! ()()()()()()()()()()!」


 南部はインカムをかなぐり捨て、走り出そうとした。

 そんな南部に、背後から誰かが組み付いて止めた。


「待て! 南部! 落ち着け!」


 ミサイル管制員の太田の声が南部の耳を打った。


「放せ太田! 俺は艦長に、意見具申に行く!」

「バカ言ってんじゃない! 落ち着け、落ち着いて座れ!」

「放せ!」


 バチッ――!


 自分の頬に衝撃を感じ――

 南部は、はっ――と、我に返った。

 目の前に、桧垣一尉が、鬼の形相で南部を睨み据えていた。


「南部一曹! すぐに持ち場に戻れ! 命令だ!」


 南部は、激昂した自分に驚きつつ――

 同時に、館野の置き去りに呆然としつつ――

 のろのろと、自分の席に戻った。

「……すまない」

 自分を止めてくれた太田に謝罪し――

 はっ――とした。

 太田の両眼は、涙で真っ赤になっていた――

 しん――と静まり返ったCIC――

 やがて、

「タチケン隊のボート二隻……

 タンカーを離れ、本艦に向かって接近しています……」

 夏井の囁くような報告を、南部は唇をかみしめて聴いていた……


 八

「確かに、風間艦長は、タンカー『五輪丸』の乗員を、可能な限り救いました。

 これは間違いありません。

 彼らを救えたこと、これは等しく我々『ぎんが』乗員の誇りです。

 ですが――

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 これもまた事実です。

 事実であり、これは、日本の自衛隊として、あってはならないことです。

 ですから私は、風間艦長を、手放しで肯定することはできないのです」


 本件の総括を、と滝村に問われた南部の、これが答えだった。

 法廷には、一種、言いようのない空気が漂っていた。

 風間は、いつもと同じく、薄灰色の瞳で足元を見詰め、両掌を組み座っていて――

 滝村は、眼鏡の奥からやや厳しい目つきで南部を見詰めた。

 が――やがて、諦めたかのように、

「本日は、難しい証言を、本当にありがとうございました――お疲れ様でした」

 労うと、

「弁護人の質問は、以上です」

 ポケットからハンカチを取り出し、額の辺りを少し拭ってから席に着いた。


 検事席では、若い検事が頬に笑みを浮かべながら主任検事に話しかけている。

 しかし、主任検事は、腕組みをしながら滝村をじっと見詰め、手前の初老の検事は、何かしきりに書類にボールペンを走らせ――


「では検察官、反対尋問を」

 女性裁判長が柔らかく促した。

 滝村をじっと見詰めていた主任検事は、ゆっくりと立ち上がると、南部に視線を移し、

「では――今から、検察官から質問をさせていただきます」

 南部は微動だにせず、証言席に座っている。

「証人――証人は、今は自衛隊を除隊し、家業を継いでおられるとのことでしたね? ちなみに、どのような名前の工場で、どんな物を作っておられるのですか?」

「『南部精巧』と言いまして、医療機器等の歯車等を作っています――あ、継いだと言っても、社長はまだ親父です、私は微細加工する機械の習熟のためにまだまだ修行中の身です」

「いつかはお父様の後を継がれる、そう決意されたのですね」

「まあ……そうです」

「ちなみに、ご結婚はなさっているのですか?」

 南部は、この質問にちょっと間を置いてから、

「はい、一年前に結婚しました」

「そうですか」

 答えてから、検事はさらに質問を続ける。

「自衛隊を除隊した理由を、教えてください」

 南部はまた、しばし沈黙し――

「『ぎんが』事件が、理由です」

「本件が除隊の直接的な理由だったと」

「そうです」

「証人が、除隊を決意された理由を教えていただけますか?」

 南部は目を閉じてから、


「私は――

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 はっきりと述べる南部の横で、風間がぐっと唇を嚙みしめていた――


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