第七章 南部史郎――元・護衛艦『ぎんが』射撃管制員 その一
一
「しっかし、またお前と同じ釜の飯を食うことになるとはなあ」
店内の喧騒をものともしない野太い声。
館野が、乾杯後のビールジョッキをどん、とテーブルに置いた。
「とりあえずタチケン隊隊長就任おめでとう、そして『ぎんが』へ、お帰り! だな」
南部が、笑った口角の泡を拭った。
『ぎんが』の母港、横須賀にある大衆居酒屋――
夜八時……店は大勢の客で溢れている。
あちこちで笑い声が上がり、人々が飲食と会話を楽しんでいた。
館野がふと、天井を見上げ、
「何年振りかなあ、『ぎんが』……七年? いや、八年になるか?」
「お前から『部内受ける』って聞いた時、正直俺は驚いたよ」
部内……部内幹候――
正式名称は 、「一般幹部候補生採用試験(部内)」。
十八歳の高卒で一緒に入隊し、同じ『ぎんが』配属となった二人。
館野は、二十代半ばに、この「部内幹候」を受けて合格――
『ぎんが』を降り、幹部への道を踏み出した。
対して南部は、自分が幹部になる、などと考えたこともなく、『ぎんが』に残って現場経験を積み、一等海曹となった。
現在、射撃管制員として、主砲等の管制を任されている。
直前の任務を終え、母港に帰港した『ぎんが』。
次に命ぜられたのは、オマーン湾での情報収集任務だった。
同海域に危険がないかどうかを調査し、日本船舶に情報提供する――
長期間、日本を離れることとなる、過酷な任務だ。
そんな『ぎんが』に、十数名からなる立入検査の専門部隊が編入された。
その隊長が、一等海尉に昇進していた館野だったのだ。
因果なものであった。
「で? どうなんだよ、『ぎんが』は?」
シーザーサラダを頬張りながら、館野が訊く。
「先任伍長に飯塚さんが就いたのは、知ってるんだっけ?」
「ああ、この前の着任の申告の時に、挨拶してきたからな。まったく、相変わらずだな、飯塚さんは」
館野はにやりと笑った。
「変わんないよ、あの人は。今でも何かあると、すぐどやされるよ」
「へっ……だろうなあ」
館野の飲み干したジョッキに、南部が瓶ビールを注ぐ。
「そうそう! そういや、飯塚さん、お前の事褒めてたぜ? 南部の主砲の腕は、間違いなく隊内一だってな!」
「えー? 本当か? 本当に飯塚さんがそんな事を?」
半信半疑の南部に、
「ホントだって! あの飯塚さんにそこまで言わせるとは、お前も大したもんだよ」
ジョッキをあおる館野の太い薬指が、一瞬、きらり――と光った。
少し傷のついた結婚指輪――
ビールを腹に流し込んだ館野が、
「そうだ、今度、時間ある時にうちに遊びに来いよ。遥もお前に会いたがってるしな」
チクリ――南部の胸を、何かが刺した。
数年前に別れた彼女――由佳の面影が、脳裏をよぎる。
「引っ越したばかりで大変だろ? それに、俺がいちゃお邪魔じゃないのか?」
冗談めかすと、
「何言ってんだ。遥が、せっかくだから是非もてなしたいって言ってるんだよ。娘の瑠偉にも会わせたいしな」
「そうだ、お前、娘さんできたんだったよな? 瑠偉ちゃんっていうのか」
南部が、ニヤニヤと笑った。
「何だよ。何が言いたいんだよ」
「いやあ、お前に子供がいるなんてなあ。にわかには信じがたくてな」
「うるせえ! こいつ、バカにしやがって」
館野が南部を睨みつけ――しばらくして二人は破顔した。
南部の心に、館野と遥、南部と由佳の四人で遊び倒した若い日の記憶が駆け巡る。
俺は、その四人の輪から零れ落ちてしまったけど……
館野は今、確かな幸せと帰るべき場所を得たのだな――
南部は、少しの羨望と安心を館野に抱いていた。
二
南部の注いだビールを飲み干し、
「で? 風間って艦長、どうなんだ?」
館野が真剣な眼差しを南部に向けた。
「まあ――噂通り、だよ」
南部が答えてポテトを口に放り込んだ。
風間ジェミニ二等海佐――
演習や実際の任務で、“危険な判断”を下す指揮官。
「ふうん――じゃあ、結構振り回されてるのか?」
「あー、そうだな、例えば――」
南部は言ってから、瞳を上に向けた。
「この前の警備任務で、領海侵犯してきそうな不審船を捕捉してな。そしたら艦長、第一戦闘配置、第一戦速! って指揮して、全速力で不審船に並走させて、領海外に追っ払ったんだぜ。真中――ああ、あいつ今、総舵員やってるんだよ――は、不審船にぶつけないよう必死で、汗びっしょりになったって言ってたな」
館野は一瞬、呆けたような顔をした後、豪快に笑いだし、
「わっははは! そいつはいいや! 最高だ!」
「何が最高だよ! 一歩間違えりゃ、国際問題だぞ? 付き合わされる俺たちの身にもなって見ろってんだ」
じろりと館野を睨んだ。
そこに運ばれてきた皿の上の刺身を見た館野が、
「おう、これこれ! 来た来た! こいつが美味いんだよなあ!」
ひとつ、箸でつまんで醤油を付け、口の中に放り込んでから、
「おう、なんだ南部、食わねえのか?」
「いや、前にこいつのステーキ食ったんだけど、その時の臭いがちょっと――」
「刺身なら大丈夫だろ? 食えよ、おら」
「いや、いい、遠慮しておく」
刺身は、カンガルーの肉だった。
「何だ、もったいねえなあ――じゃあ全部喰っちまうぞ!」
「ご自由に」
次々と運ばれてくる料理に館野が舌鼓を打つ。
南部は、そんな館野を見ながら、
「まあ、飯塚さんも結構艦長の事諫めてはいるんだけどさあ――なかなか」
「へっ、いいじゃねえか。嫌いじゃないぜ、風間ジェミニ」
館野は言ってから、少し口を休めて天井を見上げ、
「なあ――なんか海江田艦長を思い出さねえか?」
ぽつりと呟いた。
南部は少し笑って、
「あー、俺たちが『ぎんが』に乗り組んだばかりの頃の艦長な」
「いや、二人目だって。一人目は落合さんだったろ?」
「あ……そうだった――いやあ、海江田艦長、強烈だったからなあ」
「な? あれ、確かアメリカ海軍との訓練の時のこと、覚えてるか?」
「なんだっけ?」
「ほら、模擬戦でさ。こっちが防御側だってのに、最大戦速でアメリカの艦艇に肉薄してさあ……」
「あー! 魚雷を全弾命中させちまったやつな! 防御側だから、本来こっちは攻撃しちゃいけない想定だったのにな」
思い出した南部の声が弾んだ。
「そう、それだよ! でよ、後から聞いたら、海江田艦長、CICで『攻撃は最大の防御だ!』って叫んだって言うじゃねえか……笑ったぜ」
「まあ、確かに……似てるよな」
「あのイカれた艦長が、今じゃ幕僚長サマだってんだから、世の中判らないよな!」
「えっ? 海江田さん、幕僚長になったのか?」
「何だ南部、お前、知らなかったのか? まあ、お前はそういうの、昔っから全く興味なかったもんなあ」
「あんなイカれた人が海自のトップだなんて……日本は大丈夫なのか?」
「心配し過ぎだって、史郎」
館野は呆れたように言い、続けて、
「いや、それにしても、今度俺と一緒に赴任してきた副長の村澤三佐も苦労しそうだな」
意地悪そうに笑った。
南部はそんな館野を見て、
「そうだな――艦長、新しい副長の言うことに少しは耳、貸してくれりゃいいんだけど」
「いや、南部……現場においては、いかに迅速に対応できるかが勝負だからよ」
「迅速に……ね」
言って、南部は、自分の右手の人差し指――主砲の発射ボタンを押す指――に視線を落とす。
「変わってないなあ、館野は……けど、俺たち自衛官には、そんな――」
「英雄行為は求められていない、だろ?」
館野が南部の言葉を引き取り、
「史郎こそ、変わってねえなあ……と、ビールはもういいや。おーい、ちょっと姉ちゃん! 緑茶ハイ、頼むわ!」
南部は溜息を吐いた。
「いや、部内、お前が受けるって聞いた時はびっくりしたけどさ……お前みたいなイケイケな自衛官は、幹部として教育を受けた方が角が取れると思ってたんだけどなあ」
「ああ? まあ、色々習ったよ、正当防衛だの緊急避難だのよ――けどさ、本当にその時が来たら、頭でごちゃごちゃ考えてる暇なんてねえぜ、きっと」
緑茶ハイを受け取り、一気に仰ぐ館野を見詰め、
「風間艦長に館野隊長、そして中東派遣ですか――あーあ、俺は一気に不安になってきたよ!」
「わっはっは! そう気に病むなって! せっかくだから、楽しくやろうぜ!」
豪快に笑う館野に、南部は苦笑することしかできなかった……
三
「証人は、被告人の主砲発射用意の指揮を聞いて、何と思いましたか?」
降り注ぐ白い光の中、滝村が訊いた。
それまで正面を見ていた南部が、弁護人に視線を送る。
視界の隅に、白い光を反射する海上自衛隊の制服が映り込んだ。
――そこに、風間ジェミニがいるのだ。
敢えて風間を見ないよう注意する。
が――彼の茶褐色の顔は、白い制服の中でやけに目立った。
関東地方裁判所第104号法廷。
証言席に、スーツを着た南部史郎が座っていた。
四角い顔の中の眼鏡が白く光り、口元はしっかり引き結ばれている。
癖のある髪の毛は、耳が隠れるほど長い。
彼が今、自衛隊員ではないことを、静かに主張しているようである。
「色んな思いが、あったと思います」
南部の声が法廷に響いた。
「色々な思い――ひとつずつ、教えていただけますか?」
滝村の問いに、南部はひとつ、深く息を吸い込んだ。
「まず、艦長は確か『敵艦船』と言いました。え? と思いました。同時に、この艦長は、撃つ気だ、そう思いました。警告は? 威嚇射撃は?」
しばらく間を置き、
「こんな感じです」
「被告人は、『敵艦船』と言った。間違いないですか?」
「間違いないと思います」
「どうして、証人は、え? と思ったのですか?」
「そんな簡単に判断するのか、と思ったからです」
「では、普通なら――本来なら、被告人はどうするべきだった、と証人は思いますか?」
南部はまっすぐ前を向き、
「ですから、さきほども言いました。まず、警告するべき、そう思いました――あ、それから、相手の国籍等の確認も、するべきでした」
ふむ、とひとつ、滝村は書類に目を落とし、
「その後、何がありましたか?」
「はい、確か、TAOの桧垣一尉から系脱の指揮を受けました」
「タオ? けいだつ? 何ですか、それは」
「はい、『タオ』は、CICの指揮官で、『系脱』は、いわゆる主砲の安全装置の解除ですね」
「なるほど、CICの指揮官から安全装置解除を指揮された、それで証人はどうしましたか?」
「すぐに反応できず、飯塚先任伍長からどやされ、やっと指揮通りに動くことができました」
その後、南部は、副長の、
「艦長! それは自衛権の逸脱ですよ!」
との声がインカムから聞こえたこと。
続いて、艦長が“主砲発射”を命令したこと――
ここでも南部は、一瞬、躊躇し、飯塚に叱咤され、主砲を発射したこと。
これらを、順繰りに、正直に述べていった。
そして、艦長が“敵艦”と呼んだ艦船からほぼ同時に攻撃を受け――
攻撃の応酬により“敵艦”は沈黙。
対して、『ぎんが』の損害は軽微だったことも、南部は語った。
「証人は、結果、攻撃を受けたことで、この被告人が呼んだ“敵艦”が、まさに“敵艦”だった、と、納得しましたか?」
「納得しました」
南部の即答に、滝村が続けた。
「では、この時の被告人の判断は正しかった――そう、証人は思いますか?」
この質問に、南部はしばらく沈黙した後――
「思いません」
南部のはっきりとした声が、法廷の白い空気を震わせた――
四
「おい……風間の行為を、否定したぞ?」
「どういうことだ? 弁護人側証人だろ?」
「滝村、困ってるぞ……」
傍聴席のざわめき……
記者たちもペンを止め、じっと法廷を見詰める。
滝村の反対側に座った主任検事に、若い検事が何か話しかけている。
一番手前に座った初老の検事は、じっと滝村を見詰め――
「静粛に願います」
女性の裁判長の声に、潮騒は静まり法廷は元の静けさに戻った。
滝村は、じっ……と書類に視線を落とし――
「弁護人、続けてください」
裁判長の言葉に、滝村は、はっ――と顔を上げ、
「あ、ああ、申し訳ありません、質問を続けますね」
証言席に座る南部に目線を移した。
「なぜ、証人は、被告人のこの時の命令を、正しい、とは思わないのですか?」
「自衛権を大きく逸脱していたからです」
一瞬、被告人席で俯いている風間の、握り合わせた掌が、ぴくっ――と動いた。
滝村は、眼鏡のブリッジを指で押し上げ、
「ですが、証人。もし、この時、証人が主砲を発射していなければ、敵艦の発射した砲弾が艦橋を直撃していた、その可能性はあり――」
「仮定の話です、お答えできません」
南部の返答は揺るぎない。
滝村は、やや間を置いてから、
「では、証人は、やはりまず、この“敵艦”に対して“警告”を行うべきだった、そうおっしゃるのですか?」
「そうです」
力強い南部の答え――
「なぜ、証人は、そう思うのですか?」
南部は、滝村の方を見詰めてから、言った。
「それは、我々が自衛官だから、です。我々自衛官には、先制攻撃は絶対に許されません。相手の明らかな攻撃を受けてから、正当防衛の範囲内で反撃する。これを守らなければ、自衛隊は自衛隊でなくなります」
「では、証人は、この時は、敵艦の攻撃を受けてから反撃を決断するべきだったと、そう仰るのですね?」
滝村から目を外し、正面を向いてから、
「そうです」
答えた。




