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第四章 飯塚徹三――護衛艦『ぎんが』先任伍長 その五

二十四

 館野、急げ、急げ――


 帰ってきたタチケン隊で、ボートは真に“すし詰め”になっていた。

 飯塚は、操舵席の隣に立ち、いまだ戻らぬ館野に心の中で声をかけ続ける――

 館野との最後の通信から五分は経過していた。


 と――縄梯子に一人、要救助者が取りついて降りてくるのが見え――

 ドドン――

 という少し大きな誘爆の音の中、

「よし、頑張れ! 下にボートが待ってるぞ!」

 館野の良く通る声が飯塚たちに届いた。


「隊長!」

「館野一尉! 早く!」


 ボートの隊員たちが口々に頭上に向かって叫ぶ。

 よし、手の届くところまで館野が帰ってきた! 

 飯塚の心に安堵と焦燥が同居した。

 ゆっくりと、その人物が縄梯子を降りてくるのが見える――

 ん? 館野は、二人、生存者を確保した、って言ってなかったか?

 ふと、飯塚が疑問を覚えたその時――


 ターン……


 虚空に銃声が響き――一瞬、海さえも息を呑んだ……


 カチャッ――カチャ、カチャッ――


 待機している舟艇員とタチケン隊が、一斉にタンカー舷側に銃口を向ける。

「だ、大丈夫ですか!」

 切迫した声が、はるか上の縄梯子に取りついた生存者から響いてくる。

 舷側から顔をのぞかせていた館野が、身を捩ったように飯塚には見えた――


 館野、撃たれたのか?


「いいから早く降りろ!」


 館野の生存者を急かす声が、空間に大きく響いた。

 そして――ふっ、と、館野の姿が舷側の影に消え――


 タタタタ、タタタタ――


 船上からの乾いた銃声が闇を裂いた。


「ひいいいいいいっ」

 最後の生存者は、高い悲鳴を上げだかと思いきや――


 そのまま、縄梯子から両手両足が離れ――


 ――なんてこった!


 最後の生存者が縄梯子の横の空間を落ちていく――


 ダパッ――


 大きな水しぶきを上げ、敵ボートの舷側すれすれに沈み込んだ。


 船首にいた吉村と島田が、だっ――と、敵ボートに乗り込む。

 しばらく最後の生存者が落ちた暗い海を見詰める二人――

 やがて、波間に生存者の顔が現れ、

 ぐいっ――

 吉村と島田が生存者を海から敵ボート上に引き揚げた。


「ふあっ――げっ……げほっ! げほっ!」

 

 ずぶ濡れの生存者が、床に手を突いてむせこんだ。

 オレンジ色のライフジャケットが震えている。

「大丈夫ですか?」

「歩けます?」

 吉村と島田が、そんな生存者を気遣って声をかけていた――


二十五

「ヒトマルハチ、要救助者、一名確保ぉ!」


 ()()()()()()()()を、飯塚は無線に怒鳴りつけていた。


『ヒトマルゴ、全班員乗船完了!』


 ほぼ同時に、右舷ボートの鈴野の高い声が無線から聞こえた。

 だが――

 “全班員収容の報告”は、飯塚は――できない。

 なぜなら――


「こちらヒトマルハチ! 艦長!

 タンカーの乗員のうち、十一名を救助しましたが、

 隊長の館野一尉が最後の乗員を救出後、どうやら船上で撃たれたようで

 ――戻りません!」


 叫んで、飯塚は、館野の消えた舷側を睨みつけた。

 ――と、無線から、


『館野を待て! なんとしても館野を……』


 取り乱したような声は――艦長?

 刹那――


 ドドオォォォ……ン!


 凄まじい爆音が周囲に轟き、激しい熱風が飯塚たちを襲った。


 吉村と島田が、最後の生存者を飯塚たちのボートの船首部分に押さえつけるのが見え――


「うわぁっ……」

「きゃあっ!」

「伏せろぉっ!」


 乗員でひしめき合うボート上で、飯塚も目の前の生存者の背中を強く抑え込んだ。

 自らも目を閉じ身体をくの字に折る。

 ボートが、ぐわっ――と大きく揺れ動いた。

 動揺が落ち着くのを待たず、飯塚はきっ、と顔を上げた。

 大気のものではない、炎の熱波が飯塚の頬をなぶった。

 タンカーの上空、巨大なきのこ雲のような不気味な爆炎が星空を覆い隠す。

 飯塚は、自分の腹部にぶら下がった鉄塊を握りしめた。


「くそっ! お前たちはここで待て! 俺が館野を連れて来る!」


 叫んで、揺れるボートの床を踏みしめ立ち上がろうと――


『タチケン隊! 要救助者と共に全員離脱!

 ()()()()()()()()()()

 急げ!!』


 副長の金切り声が飯塚の耳を切り裂く。


 ()()()()()()? ――バカな!


 激しく揺れる視界――

 縄梯子も激しく揺れている。

 飯塚は、生存者とタチケン隊班員を掻き分け、足を踏み出そうと――

 突然、飯塚は背後から誰かに羽交い絞めにされた。


二十六

「先任! 離脱命令です!」

「先任! 先任!!」


 飯塚は、ボートの床にがっちりと抑え込まれた。

 身動きが取れない――


 この巨体――椚田?


「こら、放せ! 放せぇっ!」


 もがく飯塚の無線のイヤホンに、


『こち……ルヨン、おやっ……に構わず……タイしてください……』


 爆音と無線のノイズの中、途切れ途切れに館野の声が聴こえ――


 馬鹿野郎! 館野、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「いい! 出せ!」


 椚田の声を、飯塚は巨体の下で聞いた。


 ふざけるな! 俺は認めない! 認めないぞ!


「こ、後進いっぱ――い! ……くそっ! かかれ!」

 総舵手の悲鳴が飯塚の耳に届く。

 直後――


 ヒュッ……ヒュイイイ――――――――ン!


 エンジンが悲鳴を上げる――

 飯塚の身体の下のボートがわずかに身震いして――


 ドッ……バババババババババババっ!


 スクリューが水を掴み、船体が跳ねるように震えた。

 ボートがタンカーを離脱し始める――


「ま、待ってください! あの人が、私を助けてくれたあの人がまだ!」


 最後の生存者の悲鳴が、飯塚の耳に届く――


「くそっ! 館野! たてのぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 椚田の身体の下でもがきながら――

 飯塚は、遠ざかる『五輪丸』に向け、絶叫を迸らせていた……


二十七

「証人は、凄まじい――いえ――何といえばいいのか――大変な体験をされましたね」

 悄然と、検察官が言った。

 飯塚の視界で、法廷の白い蛍光管の光がぼんやりと霞んだ。

 ポケットからハンカチを取り出し、目元を拭う。

 しん――

 とした法廷に、飯塚の鼻をすする音だけが響いた。

 それまで身動きひとつしなかった風間が、


 ふう―――――――――っ……


 大きく溜息を吐き――さらに深く身体を折り曲げた。

 ペンが床に落ちる乾いた音が法廷内に響き――

 それが合図だったかのように、飯塚が、ふっ――と笑った。

「すいませんねえ……大の大人が、みっともないとこ見せちゃって」

 飯塚の赤く染まった目を見つめ返しながら、主任検事は首を振った。

「いえ……あなた方自衛官が、どれほどの危険と隣り合わせで任務に就き、今回、命を賭けて要救助者を救ったか――その現実に、頭が下がる思いです」

 検察官が、さっと飯塚に対し、頭を下げた。

 海に焼けた男の顔が、あの夜の油と炎に焼かれてさらに黒くなったように見えた。

 しばらくしてから、主任検事が質問を再開した。

「もう一度、確認しておきます。タンカー救出の任務の最後に、『館野を捨ててでも離脱せよ』と命じたのは、被告人ではなく、村澤副長だったのですね」

 しばし唇を引き結んで黙った後、飯塚は答えた。

「そうです。あの時、無線から聞こえてきたのは、副長の指示でした」

「その副長の指示がなければ、証人たちはどうなっていたと思いますか?」

 少し考えてから、飯塚が答える。

「間一髪でした。ボートが離脱した直後、タンカーは立て続けにすさまじい爆発を起こした。もし、副長の指示がなければ、私も、私たちも、救助したタンカーの乗員も、皆、命を失っていたと、思います」

 厳しい表情ながら、検察官は飯塚を見て、二度、三度と頷いている。

「少し語弊がある、というか、もし、証人の心を傷つけてしまったなら申し訳ないのですが――副長の指揮のお陰で、犠牲を、館野一尉という最小限にとどめ、証人たちは生き残ったと――そう言う事が出来ますか?」

 飯塚は、一瞬、目を閉じ、ぐすっ――と鼻を大きく一つ鳴らした。

 そして、ポケットからチリ紙を取り出し、大きく鼻をかんだ。

「すいませんね」

 ひとつ謝ってから、飯塚は言った。

「館野は――館野は、本当にいい男でした。いや――

 最高の自衛官だった。

 彼を失ったことは……悔やんでも、悔やみきれません」


二十八

「最後に、証人、この事件と、被告人の責任について、総括していただけますか?」

 促された飯塚は、主任検事をじっと見つめ――言った。

「そうですね。かざま――被告人は、自衛隊の規律や、自衛隊法などを踏み外す指揮を執る指揮官です。自衛隊にとって、間違いなく、彼は危険人物でしょうねえ。今回の任務でも、敵艦に対し、警告も何もなくいきなり主砲をぶっぱなしたし、敵艦の乗員も見捨てて、国際法も無視した。それから、最後の最後、撤退命令も出さずに、私らと生存者を、非常な危険にさらしました。要するに優柔不断、って言うやつですね」

 ここでいったん飯塚は一呼吸、間を置いた。

「また、主砲を敵艦にぶっぱなし沈めちまったことで、イランと戦争状態になりかけた。現に、私らは三日間、厳戒態勢でオマーン湾を航行するはめになりましたからね。そんでもって、日本では『イランとの三日間戦争』なんていう大混乱が巻き起こったと。まあ、こう並べると、ほんとにとんでもない艦長ですな、被告人は」

 飯塚の視線が、俯いて静かに座る風間に向けられる――

「ですが、私は――今回のこの自衛隊始まって以来の大きな事件で、日本人十一名を救出できたことにつき」

 飯塚は言葉を切って正面を向き――

 堂々と胸を反らし、こう、結んだ――


()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()


 うつむいていた風間の目が、はっ――と、見開かれた。

 書類を見ながら反対尋問の準備を進めていた滝村も、弾かれたように飯塚を見た。

 主任検察官の表情が、憐憫とも取れる微妙な表情のまま、固まって――

「飯塚さん?」

 検察官から素っ頓狂な声が漏れた。

「し、失礼……撤回します。証人? あの、もう一度、最後の言葉をお願いします」

 検察官の言葉を受け、飯塚は、一言一言、噛みしめるように喋り始めた――


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 検察官の顔に笑みが貼りついた。

「ははっ――」

 小さく嗤った後、主任検事は、こう切り出した。

「証人は、危険で、時に優柔不断な――しかも、その軽率な判断で『三日間戦争』と呼ばれる未曽有の混乱を日本にもたらした被告人の元で働けたことを――誇り、と仰ったのですか?」

「そうです」

 飯塚の返答は迷いない。

 主任検事の貼りついた笑みが音を立てて剥がれ落ち――

 みるみる頬が紅潮していった。

 隣に座る若手検事も、目をすがめて飯塚を睨み、もう一人の初老の検事も、指先で直した眼鏡の奥から、静かに飯塚を見据えた――

「すいません、証人、貴方の仰っていることが、良く判りませんが――どうして、こんな危険で優柔不断な指揮官の指揮で働けたことが、あなたは誇りになると仰るのですか?」

 主任検事の問いかけに、飯塚は、

「日本人を、自衛官が救う――これ以上に誇らしいことがありますか?」

「いや、ちょっと待ってください飯塚さん――あなた、こうおっしゃった、館野を見捨てても戻れという指揮を取れなかった被告人は優柔不断だと。大体、その前の敵船の乗員は簡単に見捨てたんですよ? こんな矛盾だらけの指揮官を、貴方は誇りだと、そうおっしゃるんですか?」

 それまで淡々と質問を続けていた検察官が、やや厳しく詰問した。

 飯塚は、泰然とそれを受け止め、こう答えた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――


 検事さん、そういう指揮官にこそ、

 私らはついて行きたいと、そう思うんじゃあないですかねえ」

 

 ぎりっ……

 検察官の表情から、歯ぎしりする音が響いてくるようであった。

「飯塚さん、あんた――」


 ドン!


 法廷に、検事が拳を机に叩きつけた音が響いた。

「検察官、静粛に」

 それを見た女裁判長が、冷静に検察官をたしなめる。

「……すいません」

 机についた握りこぶしを震わせ、証言台に悠然と座る飯塚を睨みつけてから――

「私の質問を――終わります」

 言って、検察官はドカッ――と、席に着いた。


二十九

 傍聴席のどよめきが法廷を揺らした。


「何だよ、タヌキ親父かよ――」

「これが現場の声なんだよ……」

「こういう流れが一番危ういんじゃないか――」


「静粛に!」

 凛とした裁判長の声が響き――裁判所はまた、元の静寂を取り戻した。

 それを見届けてから、裁判長は、おもむろに、

「では弁護人、反対尋問を」

 告げた。

 それまで、固まったように飯塚を見詰めていた滝村は、立ち上がると、

「私からの質問は――」

 静かに言葉を区切り、眼鏡の奥の視線でゆっくり法廷内を見回し――


「ありません」


 またも法廷がざわめいた。

「なんだよ、反対尋問なしかよ……」

「え? 弁護人と証人、組んでたの?」


「静粛に! 静粛に願います!」

 裁判長が再び傍聴人に落ち着くよう求めた。

 静まるのを待って、裁判長が穏やかに言った。

「それでは、最後に私の方から質問させていただきますね」

 裁判長は、上からゆったりと、飯塚を見降ろした。

「被告人は、敵艦の多数の要救助者を見捨てました。この行為は国際法違反に当たります。それは判りますか?」

「はい。重々承知しています」

 飯塚が答えた。

「『五輪丸』の乗員救助を最優先するために、被告人はこの国際法違反を犯しました。

 にもかかわらず、最後の最後、『五輪丸』が爆発し、乗員はおろか、

 あなた方立入検査隊を救うために、館野さん一人を見捨てる、

 という決断を、被告人は下せませんでした。

『五輪丸』乗員救助優先、という被告人の目的が、

 ここで危険にさらされました。

 副長の指揮が無ければ、被告人は、

 当初の目的である『五輪丸』乗員救助が達成できなかったばかりでなく、

 あなた方立入検査隊をも犠牲にしていたかも知れません――

 やはり、私としても、被告人の態度には矛盾があると感じざるを得ませんが、

 それでもあなたは、被告人を支持するお立場なのですか?」


 飯塚は、少し考えてからこう答えた。


「裁判長。もし、家族と他人と、どちらかしか救えないとしたら――


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ……そういうことです、裁判長」


 すると、裁判長は、にっこりと微笑み、言った。

「ありがとうございます。証人尋問は終わりました。大変な体験を長時間にわたりお話しいただき、ありがとうございました。証人は退出してください。」

 これを受け飯塚は、座ったまま、腕まくりしていた袖をいそいそと直し始めた。

 しわくちゃのスーツの袖のまま、飯塚は立ち上がると、裁判長に一礼した。

 そして、その後、今度は右を向き、被告人席の風間に正対する。

 飯塚は、この尋問で初めて風間を直視した。


 そのまま――


 飯塚が深々と、風間に頭を下げた。


 これを見た風間は唇をかみしめると、ゆっくり立ち上がり――


 自身も飯塚に向かって、深々と頭を下げ――

 

 二人の自衛官が、白い法廷で互いに深く敬礼していた。


 二人の間には、あの夜に、共に死線を潜り抜けた者同士にしか判らない、深い絆が結ばれているようであった……




第四章資料


刑法抜粋


第七章 犯罪の不成立及び刑の減免

(正当行為)

第三十五条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

(正当防衛)

第三十六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

(緊急避難)

第三十七条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。


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