第四章 飯塚徹三――護衛艦『ぎんが』先任伍長 その四
十八
タタタタタ――タタタタ――
上空を旋回するヘリの音のはるか向こうで、銃声が響く――
ブリッジ内での交戦の音だろうか?
じっとりと、飯塚の顔を汗が伝い落ちた。
気が付けば――べっとりと、服が身体に貼り付いている。
ぎゅっ――と、飯塚は、自身の小銃を、力を込めて握り締めた。
……
『こちらヒトマルヨン、ブリッジにて六名の侵入者排除!
ブリッジクリア、要救助者六名、確保!』
館野の力強い声が、飯塚の耳朶を打つ――
飯塚と、舟艇員たちが顔を見合わせ――
「よし!」
「――しゃあっ!」
「やった!」
『ヒトマルヨン! こちら『ぎんが』! 立入検査隊、人員に被害はないか?』
副長の確認が無線に入り、続いて館野の返答――
『ヒトマルヨン! 椚田二曹が腹に被弾――』
一瞬、飯塚たちは息を呑む――
『いや、防弾チョッキで大丈夫だ……我が方に被害なし!』
「はあ~っ!」
舟艇員の一人が大きく息を吐いた。
「椚田――あの野郎! 心配させやがって!」
ボート上で歓喜が爆発した。
十九
それからしばらくして――
『こちら、ヒトマルゴ! 要救助者六名、これより左舷側から降ろします!』
鈴野の凛とした声が飯塚の耳に届いた。
「おい! あれを見ろ!」
舟艇員の誰かが鋭く叫ぶ。
舷側にかけられた縄梯子に、赤い人型が取りつくのを飯塚の暗視ゴーグルが捉えた。
ゆっくりと、人影が縄梯子を降りてくる。
さらにその後からもう一人、また一人――
とはいえ、タンカーは相当な高さだ。
飯塚は、暗視ゴーグルを跳ね上げると、
「吉村、島田! 来い!」
急いで敵ボートに乗り込み、縄梯子の下に待機した。
銃を構えていた舟艇員の二人――吉村と島田も、飯塚に続く。
飯塚は、生存者たちが無事に降りて来られるよう、心の中で念じた。
と、その縄梯子の隣に、もう一つ、小さな黒い影が飛び出すのが見えた。
影は、リズミカルにタンカーの船体を跳ね返りながら、下に降りてくる。
ロワーリング――
班員がロープを使って要救助者を直接抱きかかえ降りて来る運搬方法だ。
飯塚は、抱きかかえ降下してきた班員を、吉村と協力して抱き留めた。
飯塚の両腕に、ずしりとした重量を感じる。
館野達が救出した、これがひとつめの命の重みか――
要救助者を抱きかかえて見事に降りてきた班員は、鈴野だった。
揺れるボートの上に立った鈴野の、ヘルメットの中の顔が青ざめていた。
鈴野は、自分と同じくらいの体格の女性を抱きかかえ、大きく息を吐き、
「お、お願いします」
レスキュー・スリングを手際よく外していく。
救助された女性は、気を失っており、そのままぐったりとボートに横たわった。
二十
「よし、この人を俺たちのボートに移すぞ!」
「はい」
飯塚の声掛けに、鈴野が小さく頷いた。
二人で女性を持ち上げて慎重に運搬する。
呼吸を整えつつ、女性の脚を持つ鈴野に、
「大丈夫か?」
飯塚が声をかけた。
「地獄です」
あどけなさの残る鈴野の口からこぼれた言葉に、飯塚は、
ズン――
と、みぞおちをぶん殴られたような衝撃を感じた。
「よし、止まれ――俺が先に行く」
指示しつつ、協力して自分たちのボートに女性を運び入れる。
そして、ボートに積載された担架に女性を横たえた。
そのまま、担架のベルトで女性を固定しながら、
「この女性は地獄を見ました……どうにか救助でき、良かったです」
喋る鈴野の唇は、紫色に染まり微かに震えていて――
「頑張れ! もう少しだぞ!」
「そうそう、その調子!」
縄梯子を降りてくる要救助者に、下で待つ吉村たちが声をかけている。
「きゃあっ!」
降りてきた人物が、高い悲鳴を上げた。
飯塚が、はっ――と目をやると、吉村と島田が、落ちて来た大柄な女性をしっかりと受け止めていた。
一瞬、敵ボートが波間に、ずん――と沈み込む。
「大丈夫ですよ!」
「ケガはありませんか?」
吉村たちが声をかける。
「あ、ありがとうございます、私は、私は大丈夫です」
大柄な女性が、吉村たちに礼を言っている。
「上で何があった?」
鈴野に目線を戻した飯塚が訊いた。
身体を、暑さによるものではない汗が這い落ちていく。
鈴野はしばらく沈黙してから、
「ブリッジは……ブリッジは、血の海です。せ、船長は銃弾を浴び、もう……後、もう一人の乗組員の方も――今回、ここまで連れて来れたのは、この女性を含めた六名だけです。私が抱えてきた女性は、恐怖で完全に自分を見失っていました。気絶してくれたのは幸いでした」
「あの――すみません、いいですか?」
大柄な女性が、飯塚たちの方に歩み寄ってきていた。
飯塚と鈴野が立ち上がると、大柄な女性が寝ている女性の傍らに跪き寄り添った。
「可哀そうに――」
言って、大柄な女性が小さな女性の額にかかった髪の毛を指で梳く。
飯塚は、沈痛な思いでそんな二人を見守った。
「よーし、大丈夫、大丈夫ですよ!」
「そのまま、下りて来て下さい!」
その後も、次々と生存者たちが縄梯子を降りて来ていた。
最後の男性が縄梯子を降り切ったのを見た鈴野は、決然と言った。
「館野隊長たちはまだ船内を捜索中です。戻ります! ここを、お願いします」
小さな鈴野の視線が、まっすぐに飯塚を見詰めた。
ぐっ――と、飯塚は唇を噛んだ。
「鈴野さん!」
大柄な女性が、そんな鈴野を見上げて声をかけ――
何か言おうとして――開けた口を、閉ざした。
数瞬、女性と鈴野が、視線を交わし――
「ありがとう!」
大柄な女性の言葉に、鈴野が、にこっ――と微笑んだ。
俺が行く! 君は残れ!
飯塚は、喉まで出かかった言葉を無理やり飲み込み、
「無理はするなよ」
自分でもバカなことを言っている――と思った……
「はい!」
律儀に答えた鈴野の身体が翻った。
敵ボートを走り去り、身軽に縄梯子に取りついて――
あんなに小さな背中が“地獄”に戻っていく――
俺は……見送ることしかできないのか!
自分の立場に、飯塚はぎりっ――と、奥歯を強く噛みしめていた。
二十一
鈴野の小さな身体が、するすると縄梯子を登り切り――
タンカーの舷側に消えた。
飯塚は、無線のマイクに、
『ヒトマルハチ! 要救助者、六名確保!』
告げた。
そして、ふと飯塚は、鈴野に礼を言った大柄な女性に目を移した。
彼女は、気絶している小柄な女性に寄り添うようにしゃがんでいる。
「さっき――あなたは、鈴野に何を言おうとしたんですか?」
飯塚が訊いた。
女性は、しばらく黙ってから、飯塚を見上げ、
「鈴野さんとは、艦に戻ったら、ビールを飲もうと約束したので――」
飯塚の頬が緩んだ。
「そうですか――」
女性も、静かに微笑んだ。
「先任……これ以上は乗員オーバーに……」
生存者を誘導してきた吉村が、不安気に飯塚に囁く。
ボート中央は、五名の生存者ですでにすし詰めだ。
そして、先端の空きスペースには、女性を一人載せた担架が横たえられている。
残ったスペースに、タチケン隊一班の班員たちを詰め込むことになるのだが――
「馬鹿野郎! 何としても全員連れ帰るんだ! どうやって詰めればいいか考えろ! その頭はただの飾りか何かか?」
飯塚が吉村のヘルメットを小突いた。
瞬間――
少し大きな爆音が聴こえ、吉村が首を竦める。
遅れてかすかに揺れる波とボート……
まずい、時間がない――
誘爆はタンカーの船内で確実に後方に向け迫ってきている。
くそっ、まるでゆっくり近づいてくる“足音”のようだ!
船内の館野達と俺たちを貪り喰おらうと迫る死神の――
引き上げ時は……飯塚は唇を噛んだ。
『こちらヒトマルキュウ! 要救助者、二名確保!』
『ヒトマルキュウ! 要救助者一名、確保しました!』
反対側、右舷のボートの艇長からの無線――
こちらのボートはほぼ満員だ。
それを判って、館野が反対側のボートに救助者を振り分けているのだろう。
飯塚は、ちらりと敵の無人のボートが波に揺れているのを一瞥した。
最悪、こいつを使うしかないか?
いや――
しかし、やはり自分たちの機材でないボートは信頼できない。
舟艇員にエンジンを確認し始動させているだけの余裕があるか?
それにここにいる舟艇員は、自分を含め最低限の四名だ。
舟艇員を向こうのボートと二人ずつに分けることになってしまう。
それはできるなら避けたいところだ。
また、何かどんな予測不能なトラップが仕掛けられていないとも限らない。
ここで、博打を打つわけにはいかない。
飯塚は、ボート中央に寄り添うように乗っている生存者たちに視線を走らせた。
俺たちの使命は、とにかく確実にこの命を『ぎんが』に届けることだ。
そう、自分に言い聞かせた――
二十二
『ヒトマルキュウ! 要救助者、一名、確保!』
これで十名か――
心の中で、飯塚が救助できた命の数を数えている。
タンカーの平均的な乗員は二十名から三十名。
あと、どれだけの乗員を救うことができるか?
時間……時間との勝負だ。
館野――
ドドドドン――
やや大きな音が響き、黒い“城塞”が身震いし、縄梯子が揺れた。
「先任……」
吉村が不安げな表情を飯塚に向ける。
「煙草」
飯塚は、そんな吉村に向かって言った。
「――は?」
吉村が、不思議そうな顔で飯塚を見返した。
「吉村、煙草持ってないか?」
「え? ……先任、こ、こんなところで煙草吸ったら、その――」
「ドッカーン!」
ビクッ――と身を竦める吉村を見て、飯塚は大声で笑った。
「まだ大丈夫だ、吉村。館野は引き際を、ちゃんと解ってるさ」
吉村の肩に手を置く。
と――
吉村がポケットから、そっと煙草の箱を取り出した。
「お前……この野郎! こんなとこにまで……どんだけ煙草、好きなんだよ?」
してやったり、と言った表情で笑う吉村に、
「吸わねえよ! こんなとこで吸ったら、俺が怒られちまう……馬鹿! お前も吸うんじゃねえぞ!」
ボート上の空気がひととき、軽くなった――
二十三
『ヒトマルヨン! こちらヒトマルヨン!
だめだ、火が船の中央まで迫ってきてやがる!
引き上げ時だ! 各員、それぞれのボートに戻れ!』
館野の声が飯塚の耳を突き刺した。
見上げる『五輪丸』の上の空が不気味にオレンジ色に照り返っている。
船上の絶望的な光景が脳裏に拡がり――
館野! お前もすぐ戻れ! 戻るんだ!
心の中で飯塚は叫んだ。
しばらくして――
縄梯子を、二人のタチケン隊班員が下りて来た。
一人は小さな身体の男と、もう一人は異様に横幅の大きな男――椚田だ。
ブリッジ制圧の館野の無線で、椚田が腹部に被弾していたことを思い出した飯塚が、
「おい、椚田――大丈夫か?」
声をかける。
敵ボート上を歩いて来た椚田が、ヘルメットの中の窮屈そうな顔をしかめて、
「いやあ――まだ痛いっすよ、先任」
言って、分厚い掌で自分の防弾チョッキの腹部をさすった。
「何言ってやがる! お前なら銃弾の二、三発、なんてことないだろ?」
「む、無茶苦茶言わないでくださいよ」
「ところで、館野はどうした?」
他にも数名のタチケン隊員が縄梯子を降りて来るのを見上げながら、飯塚が問うた。
「隊長は――俺たちに先に降りるように指示した後、『ちょっと、気になる所がある』って、ひとりでブリッジの下の区画に降りてっちゃったんですよ――ついて行こうとしたら、『お前は負傷してるんだから戻って待ってろ!』って――いや、大したことないんですけどねえ」
「館野――あの、馬鹿!」
気になる所、だって?
飯塚は、無線のマイクを手に持つと、
「こちらヒトマルハチ! ヒトマルヨン、ヒトマルヨン! 応答せよ! ……おい、館野!」
呼びかける。
しかし――無線からは応答がない。
「気になる所って……椚田、何か心当たりはないか?」
すると、椚田は、
「そういや、隊長、厨房に人がいた形跡があるのに周囲に誰もいなかったとかって言ってたから――厨房を確認しに行ったんですかねえ?」
厨房? 館野、あいつ……
飯塚の心にじわりと不安が広がり――
ドドドドン――
少し大きな爆音に、飯塚は、ばっ――とタンカーを睨みつけ――
「おい! ヒトマルヨン! こちらヒトマルハチだ! 応答しやがれ! 館野!」
『ヒトマルヨン! おやっさん、うるさいよ――聞こえてるから、もうちょっとその銅鑼声のボリューム、落としてくんねえかなあ』
無線から、館野の減らず口が聞こえ、飯塚の口がほころぶ。
「この野郎! 生意気なところを見ると元気なようだな――心配させんな! 今どこだ?」
『ヒトマルヨン! 厨房から二名の生存者確保! 今からそっちに向かう』
「隊長、すげえ……」
感心する椚田に、飯塚は頷きながら、
「ヒトマルハチ! ヒトマルヨン、急いで戻ってこい!」
『ヒトマルヨン、判ってるよ……置いてかれちゃたまったもんじゃない』




