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第四章 飯塚徹三――護衛艦『ぎんが』先任伍長 その三

十三

 バババババババ――


 海面に着底したエンジンが波を噛み、ボートが細かく震えた。


「よし! パージ!」


 飯塚の銅鑼声が闇に響く。

 

 バツン!


 舟艇員が、フックのレバーを力強く叩き落としたのを確認し、


「両舷前進、いっぱーい!」


 飯塚の吠え声に応え、操舵手が、


「前進いっぱい! よぉ――そろっ!」


 ぐっ――と後方にGがかかり――

 ボートが唸りを上げて海面を蹴った。

 飯塚は、とっさに身体を屈める。

 その横で、館野が無線に向かって叫んだ。


「こちらヒトマルヨン、これよりタンカーに向け発進する!」

『こちらヒトマルゴ、タンカーに向け発進する!』


 ほぼ同時に、イヤホンに鈴野の高い声が飛び込み――

 飯塚は視界の端に、もう一隻のボートが『ぎんが』の影から飛び出すのを捉えた。

 直後、副長の緊迫した声が無線に届く―


『タチケン隊! こちら『ぎんが』! 現在判明している状況を伝える!

 ブリッジ内の敵兵は二名、ブリッジ外に二名! その他六名が、船内を捜索中だ!

 なお、ブリッジには数は不明だが生存者がいる模様!』


 ザバッ――ザバッ――


 舳先の切った波の飛沫が飯塚の頬をなぶる。

 そして、さっきとは打って変わった、副長の重い声が耳に響いた――


『繰り返すが、正当防衛、緊急避難の範囲内で――()()()()()()()()

 そして――国民の生命を最優先しろ! いいな!』


 これは――

 

 飯塚は、息を呑んだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()――


 館野の眼が、わずかに細まった。

 副長の覚悟を、正面から受け止めた者の眼だ。

 ボート全体に、重苦しい何かが落とし込まれて――


「こちらヒトマルヨン! 了解!」

『ヒトマルゴ! 了解!』


 鈴野の応答の声がわずかに震えているのは、やはり――

 頭上を、救難ヘリが耳をつんざくローター音を従え追い抜いた。

 そのままタンカー上空に滑り込んで行く――

 それを鋭い視線で見送っていた館野が、おもむろに無線を口に構えた。


「ヒトマルヨンから各員へ! 聞いたな? 敵は十名だ!

 タンカー乗員が必死に状況を知らせてくれたらしい!

 この勇気を、無駄にはできねえぞ! 

 ……よおし、てめえら、気を抜くな! ヘリが身体張ってくれるんだ!

 最大戦速でタンカーに乗り込むぞ!」


 熱風の中、波だけが涼やかだ――


「敵は船長を射殺している……


 いいか。()()()()()()()()()


 静かに吐き出された館野の声が、飯塚たちの心に重みとなって沈み込む――


 そう――()()、のだ


 これは――()()()()()()()()()()()ということ――


 誰かが、咳ばらいをした。

 飯塚は、背に班員たちの覚悟を感じた。

 今から俺たちが向かうのは、()()()()()()なのだ――


十四

 ぐいっ――ぐいっ――


 と、ボートが吸い寄せられるように巨大な『五輪丸』に迫る。

 救難ヘリが、タンカー上空に達した。

 ヘリの主脚付近で火花が散る。

 船上の敵兵からの狙撃――

 胃が、ぐっ――と、鷲掴みにされるような感覚……


 俺はこの艦で最も経験豊富な船乗りのひとりだ。

 だが――

 そんな俺でも、ここまであからさまな殺意に向き合うのは初めてだ。

 敵艦を撃沈したところから、この「自衛隊開隊以来の大事件」の渦中に――

 いや――それどころか――

 もしかしたら――


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――


 そう思うと、飯塚は、緊張で太ももが震え出すのを止めることができない。

 情けない――

 ふと――飯塚は、“ミスタータチケン”の横顔を見詰めた。

 後方に飛び去る夜の海を背景に、鋭い眼差しと決然と引き結ばれた唇――

 さっきまで冗談を言っていた軽い表情が、今や完全に戦場に向かう覚悟を決めた男のそれに置き換わっていた。

 そして――

 その館野の向こうに、白波を蹴立てて突き進む第二班のボートが見える……

 それにしても――

 俺は、死地に飛び込もうとしているこいつらを、ただ見ていることしかできないのか?

 と、目の前の館野が再び無線を口に当てた。


「ヒトマルヨンだ! ヒトマルゴ、このままタンカー背後に回り込むぞ!

 こっちは左舷、第二班は右舷だ!

 それからエンジンを停止し、慣性でボートをタンカー後部に接舷させろ!」

『ヒトマルゴ、了解! 第二班は右舷に接舷します!』


 飯塚は、ふっ――と笑った。

 なんだ、俺なんかより、ひよっこの館野の方が数倍落ち着いているじゃないか。

 飯塚は自分の太ももに目を落とす。

 さっきまで震えていたレッグホルスターの拳銃――

 それが、今は嘘のように、ぴたり――と静止していた。

 まるで館野の“自信”に、当てられたようだ――


 覚悟は伝播する――


 飯塚は思った。


十五

 ボートは『五輪丸』を左に見ながらいったんやり過ごし――

 ぐいっ――

 右にGがかかり、ボート側面が波を蹴り立てた。

 一瞬――

『五輪丸』の巨大な艦尾を挟み、向こう側で同じように回頭する鈴野たちのボートが見えたかと思うと、今度はボート正面に、ぐっ――と、巨大なタンカーの船尾が迫る――

「おやっさん!」

 館野が飯塚に声をかけた。

 疾駆するボート上で、飯塚が後ろを振り返る。

 暗い中、操舵手が頷いたのを飯塚は確認し、


 さっ――


 右手を挙げた。


 ヒュウ――――――――――ン……


 高い音を響かせて機関が停止し――


 ずざざざざざざ……


 水を切る音だけが、惰性で進むボートから押し出された。

 巨大な黒い鉄の塊が、さらに目前に迫り来る。

 波の音、ヘリのローター音、散発的な銃声――

 そして、時折響いてくる、


 ドオン――ドドン――


 という遠雷のような音は――タンカー内部の小誘爆の音か?


「おい! おやっさん、あれ――」


 音量を殺した館野の鋭い声が飛んだ。

 暗闇の中――

 タンカー最後尾の左舷の下に、ボートがひとつ、接舷している――

 飯塚と館野は、ほぼ同時に暗視ゴーグルを降ろした。

 ボートの上に人型の赤い光がひとつ、ゆらりと立ち上がって――

 どうやらこっちに気付いたようだ。

 人型が、銃を構えるのがスローモーションのように飯塚には見え――

 と――


 タタタタ、タタタタ――


 小銃の乾いた銃声が響き――

 赤い人型がボート上で四肢を弾かせ……暗い海に転落した。

 しぶきひとつ目視できない。


 現実感のない、無機質な戦端――

 

 乾いた喉に、ごくり――と、飯塚が唾を飲み込んだ。

 暗視ゴーグルを跳ね上げ、館野を見る。

「危ねえところだった。ありゃあ……敵が乗り込みに使ったボートじゃねえか?」 

 館野の構える小銃の銃口が、細く煙を吐き出している。

 潮の臭いに交じる硝煙の香り――

 おそらく、館野の言う通りだ。

 敵ボートが接舷したタンカーの壁面で、縄梯子がかすかに揺れている。

 ボートが、静かに敵ボートの接舷した場所に緩接近する――


 館野の落ち着き、即断、小銃の腕前――


 飯塚は、心の中で舌を巻いていた。


十六

 静かに波を切って進むボート……

 ヘリの音、銃声、時折の爆音――

 無人の敵ボートが波に揺れていて――

 波間で浮き沈みする“敵兵”の死体――


 はっ――と、飯塚は、再び暗視ゴーグルを下げた。

 タンカー、頭上の舷側、周辺の海に視線を走らせる。

「とりあえず、周囲に敵兵はいないようだ」

 呟いた自分の声が妙に遠くに聞こえた。

「よぉし――このまま敵ボートのケツにボートをつけるんだ!」

 館野が総舵手に指示を飛ばす。

 ほぼ同時に舟艇員二人がボートの舳先に移動する。

 総舵手の巧みな操作で――

 ゆっくりと、ボートが敵ボートの背後に近付いて行き――


 ズシン!


 ゴムで保護されたボートの先端が、敵ボートの後部と接触した。

 舟艇員が即座に敵ボートのロープ留めにロープを通して引っ張り、保持する。

固定ホールドよろし!」

 舟艇員の声を聞きつつ、館野は立ち上がって暗視ゴーグルを跳ね上げ、

「よおし、ちょうどいい! やつらの縄梯子を利用させてもらおうぜ!」

 と――


 カチャカチャ……カチャカチャ……


 館野の持った小銃が、細かく震えている――

 飯塚は、館野の太い腕を、ぐっ――と強く握り、


「落ち着け館野! よくやった!」


『南部、よくやった!』


 一瞬――

 飯塚は、CICで主砲を撃ち動揺した南部を落ち着かせたことを思い出し――


 館野の目が飯塚を見下ろした。


「へっ……び、ビビってなんかねえよ、おやっさん!

 ビビってなんかねえさ――

 に、日本人の乗組員たちが、俺たちを待ってるんだ……」


 食いしばった歯を包む唇の端を、無理やり引き上げた。

 飯塚は、握った館野の腕の震えが徐々に収まるのを感じながら、

「気をつけろよ!」

「なあに、俺たちはこの時のために訓練してきたんだ! 訓練通りやるまでですよ! おやっさんこそ、ちゃあんとボートで待っていてくださいよ!」

「当たり前だ! 全員必ず戻ってこい! それ以外は許可しない!」

 そうとも、今の俺の至上任務は、お前ら全員が帰ってくるまで待つこと――

 そして、俺たちの『ぎんが』に連れ帰ることだ!

 飯塚は心の中で自分に言い聞かせて――


「ヒトマルヨン! これより『五輪丸』乗込み開始する!」


 館野は無線に向かって力強く宣言すると、飯塚に、片目をつぶって見せた。

「よおし、登攀開始! てめえら、俺に続けよ!」

 言うが早いか、館野は敵ボートを駆け抜け――

 いの一番に縄梯子に取りつき、巨体に似合わぬ素早さで登り始める。

 その後を、タチケン班員たちが次々と続いていく――

 縄梯子を登る館野からは、先ほどの震えは吹き飛んでしまったかのようだった。


十七

 ボートが、ゆったりと波に揺れていた。

 黒々とした巨大な“城”が視界を奪い、その上には満天の星空。

 船首方向は不気味に赤い光が揺らめいている。

 探照灯をブリッジに向けたヘリが、蛇行して飛んでいる。

 大きなローター音に隠れて、散発的な銃声と金属を叩くような硬い衝撃音が混じる。

 

 ありがとう――


 お前たちが空で踏ん張ってくれているお陰で、俺たちはここにたどり着け、そして――


 先ほど、反対側の班員たちの乗込み開始を告げる無線が、鈴野から入っていた。

 タチケン隊は無事、全班員が乗り込みを終えたようである。

 今、ボートは飯塚含め四名の舟艇員だけだ。

 舟艇員たちが、ゆらゆら揺れる縄梯子を、不安げに見上げている。

「なんだ――あんな奴らでもいなくなると寂しいもんだなあ」

 軽口を叩きながら、飯塚は、暗視ゴーグルを降ろし、小銃の銃床を肩に沈めた。

 タンカーの舷側と、海、隣のボート――

 銃口を向けながら瞬時に確認していく。

 これを見習ってか――

 舟艇員たちがそれぞれ自分たちの獲物を準備し、構える音が、飯塚の耳に届いた。

「そうだ、お前ら――何としても、奴らの帰る場所を守り切るぞ」

 飯塚が館野達の消えた“城壁”を仰ぎ見たその時――


『マルマルロク! こちら『ぎんが』! ブリッジ内に変化はないか?』

 無線から、ヘリを質す副長の緊迫した声が聞こえた。


『マルマルロク! 熱源がやや増えましたが、変化なし! それより、船上から当方に向けられていた銃撃が、ひとまず止みました!』


 飯塚は耳をそばだてた。

 確かに――散発的に聞こえてきていた銃声がなくなっている……


『こちらヒトマルヨン……』


 続いて、押し殺したような館野の声が無線に届く――


『ブリッジ左ウィング側入り口に到達……防水扉は開放……

 くそ、どうやら状況が変わってやがる……

 ブリッジ内、六名の敵性兵士を確認――

 六名の乗員が人質になっている模様――』


「先任! これ……」

 ゴーグルを跳ね上げ、舟艇員たちと顔を見合わせる飯塚――

 どうやら、館野達はブリッジに無事、到着したようだ……


『こちらヒトマルヨン――ヒトマルゴ、応答せよ――ヒトマルゴ――おい、スズ!』

『こちらヒトマルゴ――ヒトマルヨン、ブリッジ右ウィング出入り口に到達、

 こちらは扉は閉ざされている、どうぞ』


 鈴野の囁くような声が無線に流れた。

 これを受け、館野が、


『こちらヒトマルヨン、いいか、そっちの扉を叩いて敵の注意を引け――

 同時にこちら側から突入する。

 その後、第二班も突入、そっち側に三名、武器を持って立っている敵がいる、

 これを確実に排除しろ――どうぞ』


『ヒトマルゴ――了解』


 再び、飯塚と舟艇員たちが顔を見合わせる。

 ついに――

 ついに館野達が、“敵”のいるブリッジに突入しようとしている――


 館野――鈴野――上手くやれよ……そして――死ぬな!


 飯塚の祈りを、


『ヒトマルヨンからヒトマルゴ……やれ!』

 

 という館野の声が断ち切って――


 ジッ……


 それきり、ボートの上を、息のできない静寂が押し包んだ――

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