第四章 飯塚徹三――護衛艦『ぎんが』先任伍長 その二
八
「自衛官は、自衛隊法のそん守を第一とせよ――」
飯塚がぽつりと呟いた。
主任検事がそんな飯塚を怪訝な目で見つめ、
「証人、その言葉は何ですか?」
ふっ――と笑みを漏らした飯塚は、
「なあに、私の先代の『ぎんが』先任伍長の言葉ですよ。響きましたねえ、この言葉――あの事件の後の日本の状況を知った時には。いやあ、私も甘かったですわ。指揮官は頭脳、我々は手足、手足は頭脳の命令が黒でも白でも即動くべき、と思ってましたが」
飯塚の笑みが自嘲的な色彩を帯びる。
「まあ、間違いないですね。敵艦を撃沈したこと――これはもう、向こうに“やる気だ”って、見せちまったようなもんですからね。艦長も私も、その引き金を引いてしまった――その責任は、間違いなく、あるでしょうね」
飯塚の罪の是認――とも取れる言葉を受け、検察官が問いただす。
「では、証人は、あの場面で、どのような対応をすればよかったとお考えですか?」
「どのような対応?」
飯塚がオウム返しする。
「どうもこうもありません。私らは、南部も含め、あれ以外の対応はないですよ」
「質問を変えます。
被告人はどうすべきだった――と、証人は考えますか?」
「あー……」
飯塚は、主任検事に向けていた視線を、また白い天井に向ける――
「でもねえ、あの時は――艦長はああするしか……なかったと思いますよ」
「それはどういう意味ですか? やはり敵艦を撃つべきだった、と」
飯塚が検察官に視線を戻す。
「そうですね……撃つしかなかった――と、思いますね」
しばし飯塚と視線をぶつけ合う主任検事――
「そうですか……では証人は、イランとの戦争の引き金を引きかねなかった――
いや、引いてしまったと言ってもいい、あの一撃を、肯定するのですね?
そして、日本がイランとの戦争の恐怖におののいた『三日間戦争』も、
仕方なかった、と――」
「まさにあの夜のあの瞬間に、私らの頭の中にはそんなことはこれっぽっちも浮かんでいなかったですよ」
険しさを帯びた検事の目に、飯塚が答える。
「さっきから言っているとおり、日本の状況とかは後から知ったのであってね。その時の私たちには、ゼロコンマ数秒の、やるかやられるかしかなかったんですから」
「では、証人は、自衛隊法に則った手順は蔑ろにしても良い、と、そういうことですか?」
やや検事の言葉にとげが混ざった。
飯塚は、大きな右掌を短く刈り込んだ頭髪に乗せた。
「警告――威嚇射撃――相手が撃ってきてからの反撃――」
呟いた。
「そう……でも、私も、あの時の急迫してくる敵艦からは――
なんていうんでしょう……
殺気のようなものを感じましたからね。
あの敵艦の突っ込み方――
長く海でやってきた私にも、経験ないくらいの鋭さでした」
「“殺気みたいなもの”――ですか?」
検事の目が細くすがめられた。
「そんな不確かなもので、被告人は主砲発射を指揮したのですか?
そして――取り返しのつかない事態を招いた、と?」
切り込む主任検事に、飯塚は、うーんと唸ってから、
「……戦争としては――
風間艦長の指揮は間違っていなかった、と思います。
現にこちらがほぼ同時に撃たれちまってるんだから。
もし、自衛隊のセオリー通りに行動していたとしたら、下手したらこっちがやられちまって行動不能になっていたかも知れない。そしたら、タンカー救助も何も、あったもんじゃなかった」
「『戦争としては』と仰いましたが――
証人。
あれは戦争だったと――
そう、仰るのですか?」
検事が柔らかく、しかし鋭く飯塚の言葉を突く。
「戦争ですねえ、間違いなく。だから日本も三日間、戦争になったんだと、私はそう思っています」
「では証人は、被告人は何も間違っていなかったと――
そうおっしゃりたいのですか?」
「いや、そういうことではなくて」
飯塚がやんわりと否定する――
「そうだなあ……
艦長は、戦争としては正解だった、と思います。
でも、
自衛官としては間違っていた――そういう事です」
「自衛官としては問題がある指揮だったと、そういうことですか?」
検事の問いに、飯塚は、
「それは――間違いありません」
きっぱりと断定した。
九
「被告人は敵艦の要救助者の救助を行わず、燃えているタンカーに向かう指示を出したという事ですが、この決断について証人はどう思われましたか?」
飯塚の脳裏に、当時の状況がありありと蘇る――
ざわざわと落ち着かないCIC。
艦外カメラに映し出される、燃える敵艦から飛び降り、波間に漂う人々。
風間の、敵性艦船の乗員を捨てタンカー救助に向かうという指示。
これに対し怒号で反対する副長の声。
「さすがに、あの指揮は私もどうかと思いましたね」
あくまで落ち着いて、飯塚は答える。
「これは国際法を無視する指揮でした。私もこれは後で大問題になるのではないかと危惧しました」
「ということは、村澤副長が反対の声を上げたのは当然だったと」
「いや、しかし――」
飯塚はちょっと考え込んだ。
「それでも――難しい判断でしたよね。現に日本のタンカーが目の前で燃えていて、こっちには救助すべき敵艦の兵が海に漂ってる」
飯塚は天を仰ぎ目を閉じる。
「いや、しかし、その場面であっさり敵兵の救助を切り捨てた艦長は――」
暗いCICに浮かび上がる赤外線モニターの赤い光。
燃える敵艦と、敵艦からこぼれ落ち波間に漂う赤い光点――
それを眼鏡の奥から呆然と見詰める南部の青い頬――
「艦長は、やはり、危険というか、その指揮に違和感を持ったことも――確かです」
主任検事は、二度、三度頷いてから、
「ではあの場面では、被告人の指揮よりも、村澤副長の判断が正しかったと、そういうことでよろしいですか?」
「はい、そう思います」
飯塚の言葉が冴え冴えと法廷に響いた。
被告人席の風間は、罪を一身に背負ったかのように俯いたまま――
薄灰色の瞳を床に落とし、微動だにせず座り続けていた。
十
「『ぎんが』が燃えるタンカー『五輪丸』に接近していった時、証人はずっとCICに詰めていたのですか?」
法廷の白い空間に、検察官の声が響く。
「いえ。あの後すぐに、副長から指示が入りました」
「どのような指示ですか?」
「これよりタチケン隊をタンカーに乗り込ませるので、私もボートに乗り込み、現場をまとめてほしい、と言われました」
「タチケン隊とは、何ですか?」
検事の質問に、飯塚は一瞬、笑って、
「これは失礼しました、立入検査隊という、不審船などに乗り込んで立入検査をしたり、救助活動に当たったりする部隊が、海上自衛隊にはあります。これを、私たちは省略して、『タチケン』と呼んでます」
「では証人は、そのー、『タチケン隊』の指揮を執るように言われたのですね?」
「いや、違います、立入検査隊の指揮官は別にいます。副長は、私に対し、タチケン隊がタンカーの乗組員を救出し、帰って来るまで、舟艇員を指揮し、ボートで待機せよと、そういう意味で指示したのです」
「すみません、『舟艇員』という言葉についても、説明をお願いします」
飯塚が、あっ――と小さく口を開き、右手で「ごめんなさい」してから言った。
「いっけね。『舟艇員』は、ボートの操船を担当する隊員のことです」
そんな飯塚をにこやかに笑って見ながら、主任検事が続けた。
「ありがとうございます――なるほど、現場のトップである証人を信頼しての指示だった、という事ですね。副長の、証人に対する信頼の厚さが判るエピソードですね」
「いやあ」
飯塚は、ちょっと肩をすくめた。
「信頼というか、あの時の副長の声は、切羽詰まっていましたね。無理もありません、自衛隊始まって以来の異常事態に放り込まれたわけですから。私も――正直言えば、怖かったですから。みんな、同じ気持ちだったと思いますよ」
そう答える飯塚の頭に、あの夜の光景がまざまざと浮かんできていた――
十一
少し風が出ていた。
夜の闇に、潮の香りと――重油の少し鼻を突く臭いが混ざる。
かすかに……火薬の臭いを嗅いだように、飯塚は感じた。
ふと――巨大な単装砲の砲口を見上げる――
この戦いの火ぶたを切って落とした主砲。
青い顔で呆然と佇む南部の顔が脳裏をかすめた。
飯塚は視線を前方に戻し、再び甲板を歩み始める。
防弾チョッキの上の、肩からスリングで吊るした小銃が腹部で揺れる。
不気味で冷たく、しかし心強く感じる鉄塊の重み――
飯塚たちの向かう甲板中央部には、十数名の立入検査隊員の姿が見える。
「なあ、どう思う、さっきの艦長の判断」
背後から、舟艇員の一人の囁きが聞こえた。
「ああ、敵兵を海に見捨てたよな。ありゃまずいだろ。国際法違反だぜ」
「だよな。どうなるんだよ俺たち、これから――」
飯塚は脚を止め、振り返った。
防弾チョッキの衣擦れの音がみっつ――ひとつは、小銃の金属音と共に、止まった。
飯塚は、彼らをぐっ――と睨みつけ、
「うるさいぞ、お前ら! 余計な事くっちゃべってないで、お前たちはこれから乗るボートの事でも考えてろ!」
「すみませんでした」
「軽率でした!」
舟艇員が口々に謝罪した。
「両舷、ボート下ろせーっ!」
立入検査隊からの野太い声に、飯塚が艦中央を振り仰ぐ。
煙突の両脇に設置されている釣り下げ装置から、二隻のボートが艦の両舷にせり出し、ゆっくりと降下し始めた。
同時に艦後部のヘリポートから、耳を弄するローター音が響いてくる――
救難ヘリが発艦しようとしていた。
『ぎんが』甲板上は、今、まさに臨戦態勢の緊張感にひしひしと包まれていた。
「おい、おめえら! たった今、副長からボート発艦の指示が出た! 気合い入れて救助活動に入るぞ! だが、何があるか解らん! 全員、小銃は携行したな?」
ヘリのローター音に負けじと、館野一尉が隊員に檄を飛ばしている。
「おう、“ミスタータチケン”! やってるな!」
歩み寄った飯塚が、大きな館野の背中にこれまた大きな銅鑼声を浴びせた。
「おやっさん!」
館野は振り返ると、
「やめてくださいよ、おやっさん! 俺の苗字は『たての』、名前は『たけし』って、いつも言ってるじゃあないですか」
飯塚は豪快に笑うと、
「いいじゃないか。お前はまさに、『タチケン』になるよう生まれてきたような男だ!」
「いやそれより――おやっさんも行くんですか?」
飯塚が、暗い空を遠ざかるヘリを見詰める。
「ああ。副長の命令で、ミスタータチケンの仕事ぶりをしっかり確認して来いってな」
「へえ! 別にいいけど、俺たちの足手まといにならないようにしてくださいよ」
「こいつ……足手まといはお前たちの方だ! チンタラしてたら海に放り投げて帰って来ちまうからな?」
飯塚が、肩口に膨らみのある特殊なベストを着こんだ館野の脇腹を肘で小突いた。
館野の腹部に吊るされた小銃がカチャッ――と音を立てる。
「そりゃねえよ、おやっさん」
すがるような顔で大げさに言う館野に、
「飯塚先任が見捨てても、俺たちが見捨てませんよ!」
総舵手が力強く断言した。
「おいおい、なんだよ、俺一人悪者かよ」
飯塚が困った顔をして周囲を見渡す。
それまで緊張していた隊員たちに笑いが起こった。
笑い声の向こう、ボートが甲板の高さに止まった音が届く。
ボートの向こうには茫漠とした暗黒の海――
地獄への道案内――
一瞬、飯塚の頭に、そんな言葉がよぎった――
十二
「よおし! 鈴野、第二班を率いて左舷ボートに乗込み開始! 頼むぞ!」
館野が身体の小さな女性班員に声をかけた。
「はい!」
大きな返事が、かすかに震えていた。
鈴野弘美。
『ぎんが』タチケン隊の紅一点ながら、同隊副隊長。
ヘルメットの中の顔はあどけないが、こう見えて柔道軽量級の猛者だ。
以前、訓練中に鈴野が大男の隊員を背負いで見事にぶん投げたのを飯塚は見ている。
「脱落防止、よし! 弾倉確認、よし!」
声を掛ける鈴野の前に立つ班員の方がよほどに身体が大きい。
鈴野の掛け声に合わせ、班員たちが自身の装備品に素早く手を当て確認する。
彼女の声は、小柄な身体からは想像できないほどに良く通った。
自分の班員を率いて左舷に駆け去って行く鈴野を見送りつつ、
「舟艇員、乗艇!」
飯塚の指示に敬礼した舟艇員三名が、素早くボートに乗り込む。
続いて飯塚が乗り込もうとすると、
「おやっさん、こんなところで落ちないでくださいよ!」
背後から館野の揶揄る声――
「バカ野郎! 落ちる方が難しいわ!」
怒鳴り返し、飯塚は自らボートの船首部分に乗り込んだ。
「あれ? おやっさん、そこに乗るんですかい?」
「いいから早く乗れ!」
館野はにやりと笑うと、
「ま、いっか――タチケン隊、乗艇開始!」
言って、館野がその巨体を勢いよく飯塚の隣に飛び込ませた。
宙に吊られたボートがゆらりと揺れる――
「おい! 気を付けろ!」
飯塚の叱声に、
「ビビったかい? おやっさん――」
「ふん」
まったく、口の減らない奴め――
残りの班員が飯塚たちの後に次々と乗り込んでいく。
ボート中央に、整然と、立入検査隊の二列縦隊が形成された。
最後の班員が席に着くのを確認してから、飯塚が、
「ロー・アウェイ! 降ろせーっ!」
「ロー・アウェイ!」
艦上のウインチ操作係が復唱する。
一瞬、ボートが揺れ――ゆっくりと、海面に向かって降下を開始した。
さらに、
「両舷、始動ぉ――っ!」
飯塚が、銅鑼声を後方の総舵手に届けた。
「両舷始動、よーい……よろし!」
総舵手の応答と同時に、
ヒュイ―――――――――ン……
後方からのエンジンの唸りが、闇を切り裂く。
そして――
カチッ……カチッ、カチッ――
班員たちが、ヘルメットから伸びたコードのプラグを胸の無線機に差し込んだ。
飯塚も、無線のスイッチを入れる。
刹那、飯塚の耳に、
『……ロク、海面上に浮遊者なし! タンカー上構造物に熱源感知、人員と思われます! ……わっ!』
救難ヘリからの無線が飛び込んできた。
『どうした! マルマルロク!』
副長の緊迫した声。
『ま、マルマルロク、艦橋付近から小銃によると思われる発砲を受けました!』
『なんだと?』
緩やかなマイナスGがかかるボート内に緊張が走る。
飯塚は、班員たちと、そして館野と顔を見合わせた。
直後――
『直ちにタチケン隊ボート発進! 即座にタンカーに乗船せよ!
乗員からの貴重な情報により、
タンカーには敵性兵士少なくとも十名が乗船していると判明した!
なお、ブリッジでは船長が射殺されたとのこと、十分注意し、
もし命に危険を感じた場合は、武器使用を許可する。
正当防衛および緊急避難の範囲内において躊躇するな!
全責任は私が取る!』
風間の声は迷いがなく――
「――タンカーの船長が……射殺?」
タチケン隊員の一人が、呆然と呟く。
熱い風の中、ボート上の空気が一瞬で凍り付いた。
「へっ、風間ジェミニ、言うじゃねえか」
館野が唇の端を吊り上げる。
笑う館野の瞳に、決意と覚悟の炎が灯るのを飯塚は見た気がした。
そして、僅かな胸のざわめき――
艦長の「躊躇するな」という言葉が、飯塚の頭の中でこだまする。
この先に、躊躇できない戦場が待っている――
そこで、俺たちは、任務を全うできるのだろうか?
『マルマルロク、聞こえるか! これからタンカーにタチケンが突入する! タンカーのブリッジ周辺を飛んで、船上の敵兵の注意をひきつけろ!』
副長の指示が聞こえ、
『りょ、了解! マルマルロク、敵兵の注意を空に向けます!』
ドシン、との衝撃後――
ぐわっ……とボートが持ち上がって――沈んだ。
艦橋からは凪いだ海に見えたが、やはり海は海だ。
ボートの下で波がとぐろを巻く――
数万トンの『ぎんが』の安心感は消え失せた。
まるでボートは強風の中の木の葉だ。
暗黒の海の向こう、不気味に輝く『五輪丸』と炎――
ふん、“安全なCIC”と不安定な海、か――
飯塚は心の中で呟き、これから向かう戦場の厳しさに、思いを馳せた――




