第三章 村澤怜士――護衛艦『ぎんが』副長 その三
十
休廷を挟み、風間と村澤が法廷に戻ってきた。
裁判官三人が、一段高い壇上からお辞儀をして座った瞬間から、審理が再開した。
「では弁護人、反対尋問を」
女裁判長の穏やかな声に促され、滝村が立ち上がった。
被告人席の前に進み出ながら、風間の肩を、ポン、と、ひとつ叩く。
「それでは、これから弁護人の滝村が質問させていただきます」
書記官と弁護人席の間で立ち止まった滝村は、村澤を直視した。
村澤は、やや憮然とした面持ちで、正面の空間をじっと見据えている。
「まず、ここから確認させていただきたい。証人は、本件について、ご自身の責任はいかほどだと、お考えですか?」
しばしの沈黙の後、
「当時、被告人の副長であった私にも、大きな責任があったと思っています」
村澤は、はっきりと答えた。
「大きな責任と、今、証人は仰いました。その大きさは、どの程度ですか?」
「異議あり! 重複した質問……」
主任検事が立ち上がり声を上げたが、その言葉の途中で割って入った村澤が、
「被告人と同じ程度の責任です!」
大きな声で断じた。
主任検事が、唖然とした面持ちで村澤を見詰める――
一呼吸置いてから、村澤が続ける。
「私はこうして今、被告人の行為に対する証言者としてここに座っています。ですが、あの夜、被告人と共にあの海域にあった私は、被告人と同罪だと、そう思っています」
主任検事が、厳しい表情で席に着き、滝村が質問を再開する。
「では、証人は、被告として自らも裁かれる立場である、そう思っているという事ですか?」
「そうです」
すかさず村澤は答えた。
「ふむ」
滝村は、ちょっと村澤から目線を外す。
「では、なぜ被告人は刑事罰に問われ、これに対し証人は、行政罰たる懲戒に留まった――この立場の違いを、証人はどう考えていますか?」
主任検事が再び立ち上がりかけたが、村澤は、鋭い視線を送って止めた。
「それを判断するのは私ではなく、防衛省であり、検察官でありますから、私には解りません」
村澤の回答は明確だった。
主任検事が、厳しい表情ながらも、二度、三度、頷いて見せた。
隣の若い検事は、口元に少し笑みを浮かべ、もう一人の初老の検事は、静かに書類に目を落としている。
さらさらと、傍聴席の記者がメモにペンを走らせる音が法廷に響き渡った。
そんな法廷全体の状況を確認してから、滝村は言った。
「なるほど、証人が本件に関し、当事者として痛切なまでの責任と後悔を感じていることは判りました。ではこれより、個別の案件に関する質問に入らせていただきます」
踵を返し、滝村は自分の席に戻った。
十一
滝村は、再び村澤に向き直ると、淡々と細かく“尋問”を開始した。
「まず私がお伺いしたいのは、急迫する敵艦船に対し、『ぎんが』が主砲を発射し撃沈した時のことです。あの時、証人は、被告人の主砲発射命令を、『自衛権の逸脱だ』と止めようとしたが、被告人はこれを聞き入れず主砲の発射を命じた、そうでしたね?」
「そうです」
「そして、敵艦は炎上、しかしほぼ同時に、『ぎんが』は敵からの攻撃を受けていた、そうですね?」
「はい」
「この場面で、証人は、検察官から、この時、どのような手順を踏めば『自衛権の逸脱』に当たらなかったと思うか、と質問されましたね? その時、証人が検察官に答えたことを、もう一度、ここで述べてください」
少し間を置いてから、村澤は答えた。
「『威嚇射撃』が妥当――そう答えたと思います」
滝村が、眼鏡の奥からじっと村澤を見詰める。
「そうですね。あの場面で、証人は、『威嚇射撃』が妥当と仰いましたが、加えて――後から考えれば警告や国籍の確認もするべきだった――とも言っています。そこで、もう一度お聞きしたいのですが、後からの考えではなく、あの夜の、あの場面のその瞬間では、証人は、『威嚇射撃』が妥当だったと思うと――そういうことでよろしいですか?」
証言台の村澤の瞳がうろうろと動き、
「はい――そうです、そうですね」
「では、その前提でお伺いしますが――この時、この瞬間、ほぼ同時に『ぎんが』は敵艦からの攻撃を受けていました。この結果から言えば、あなたのおっしゃる『威嚇射撃』は、妥当だったのでしょうか? どうですか?」
細い眼の中の瞳を、ちらっと滝村に向けた村澤は、むっつりと黙り込んでしまった。
「質問を変えます。法的手続きや緊急事態での手順はさておき、実質的な戦場としてのこの主砲による先制攻撃を、あなたはどう、評価しますか?」
ゆらっと村澤の身体が揺れた。そして、村澤は、
「法的な部分を除けば――結果的には……妥当な攻撃だったかと……」
やや言い淀む村澤をじっと見詰め、
「そうですか、では次の……」
滝村が言いかけたその時、村澤ははっとしたように滝村の方を向き、
「結果は、です!」
大きな声で言った。
「結果は確かに有効だった。ですが、我々自衛隊は、結果ではなく、過程に法的な逸脱があってはいけません! あの時は、たまたま運が良かっただけだ!」
滝村が、机に両手をつき、ぐっと身を乗り出した。
「たまたま、ですか」
ゆっくりと、滝村が言った。
「そうです。たまたまあの時は、運が良かった」
「では、証人が仰るように、あの時、威嚇射撃のみを実施し、敵艦を撃っていなかったとしたら、敵艦からの射線がずれず、命中したのは艦首でなく艦橋だったのではないですか? または、もっと危険なミサイル等の発射も許していたかも――」
「異議あり!」
検察官が立ち上がった。
「すべて仮定の話です! 弁護人の質問は失当です!」
口をつぐむ滝村に、女裁判長が、
「弁護人、異議に対する反論は?」
しばらく考えてから、
「では、質問を変えます」
滝村は、机から両手を離し、ゆっくりと身体を起こした。
十二
「証人。証人は、『敵艦からの砲撃を受けた後であれば正当防衛が成立したと思った』と述べています。この考えは、今も変わりませんか?」
「はい。変わりません」
法廷の主導権をしばし静寂に明け渡してから、滝村がおもむろに喋り始める。
「私は弁護士です。軍事の専門家ではありません。なので、軍事の専門家である証人に伺いたい。いや、ご教示願いたい。軍事的な一般論として、まさに攻撃してこようとしてくる敵に対して、最も有効な戦術は、なんですか?」
厳しく正面を見詰めていた村澤の眉間にしわが寄った。
村澤は、ぎろり――と主任検事の方に視線を送る。
ゆっくりと立ち上がった主任検事が、
「弁護人の質問は、本件と直接関係のない軍事の一般論に関することです。質問の撤回を要求します」
「弁護人、ご意見は?」
裁判長が静かに聞く。
「いえ、裁判長、我々は、被告人の指揮の法的な是非だけでなく、軍事的な是非も問わなければなりませんので、ここで、軍事的見解を問うことは重要であると弁護人は思料しますが」
裁判長は左右の裁判官とそれぞれ言葉を交わす。
「異議を却下します。弁護人は、質問を続けてください」
これを受け、主任検事が険しい表情で着席する。
初老検事が、ふと書類から顔を上げ、滝村を見詰めた。
「証人、先ほどの私の質問、解りましたか?」
滝村の念押しに、村澤はしばらく沈黙してから、諦めたように、
「はい」
と答えた。
「では、証人の見解をお願いします」
村澤の細い目が、じっと虚空を睨みつけた。
「軍事的には――軍事的には、まさに急迫する危機に対しては、先手を打ち対処するのが最善であると……そう、教わります」
淡々と答えた。
「ありがとうございます。証人、では、この時の状況はまさに――」
「軍事的には、です!」
またも村澤が声を荒げた。
質問を途中でやめた滝村が、じっと村澤を見詰める。
「証人――発言は、弁護人の言葉が終わってからにしてくださいね。記録を取っていますので、質問と回答が被ると不都合が生じますので」
一段高い壇上から、初老の女性判事がやんわりと村澤を諭した。
「す、すいません」
恐縮し、裁判長に謝罪する村澤を見てから、再度、滝村が質問する。
「もう一度お伺いしますね。この時のこの状況はまさに、軍事的に言う急迫する危機そのもの、だったのではないですか? 相手に撃たせてから撃つ、正当防衛を成立させる余裕はなかった。そう言えませんか?」
ゆらゆらと身体を揺らしながら、村澤は早口でブツブツと何か呟いた。
滝村が、ちょっと首を傾げ、
「証人、もう一度お願いします」
村澤は、ぐっと唇をかみしめた後に、はっきりとこう答えた。
「仮定の話は、私には解りかねます」
十三
風間が海に逃れた敵艦乗員の放置を決断した場面の質疑に際し、
「燃えているタンカーを見て、証人は、どう思いましたか?」
「時間的猶予は少ない、と思いました」
「それは、どうしてですか?」
「燃えているタンカーは、中に重油等を満載しています。いつ誘爆が起こるか解りません」
「なるほど、タンカーの乗組員を救う時間は限られていると――証人も、感じていたのですね」
「そうです」
「証人も」という部分を、滝村はやや強調した。
「被告人も、証人と同じ気持ちだった、そう思いますか?」
一瞬、黙ってから、
「間違いありません」
村澤は答えた。
「なぜ、そう言い切れるのですか?」
「被告人自身があの時、そう言ったからです」
「どう言いましたか?」
村澤は、少し思い出すように天井を見上げてから、ゆっくりと言った。
「私が、国際法に抵触しかねないので、敵船の乗組員を救助してほしい旨を言った時、被告人が、いつタンカーが誘爆を起こすか判らないから、タンカーの救助を優先するのだ、というようなことを言っていた――と記憶しています。」
村澤の言葉を受け、滝村は持っている書類に目を落とした。
「証人は、検察官からの質問の際、敵船の要救助者を救助するべきであったと答えていますが――一方で、今、私の質問に対しては、燃えている日本のタンカーの乗員救助の猶予もなかったと仰っています。では、どうすればよかったと、証人はお考えだったのですか?」
村澤は、滝村を見詰めてから、ゆっくりとひとつ頷き、
「あの局面は、確かに非常に難しい判断を求められます。敵艦船の人命救助も、我々自衛官にとっては、無視してはならない重大な義務なのですから――そうですね、私が指揮官だったら」
眼を閉じ、しばらく考えを巡らせてから、
「ボートを一隻降ろして、敵艦船の要救助者の救助に当たらせ、その後、日本のタンカー救助に全力を尽くす――私が指揮官なら、そうしました」
「ふむ」
滝村は、眼鏡の中の視線を村澤に戻した。
「ですが、どうでしょう? 私は自衛隊の護衛艦のシステム等は良く判らないのですが、敵艦の乗員の救助にボートを一隻降ろす時間的余裕さえ、その時は、なかったのではないですか?」
村澤は目を開け、滝村の視線をまっすぐに受け止めた。
「それでも、何とかしてこのふたつを両立することを求められるのが、この時のこの局面であったと――私は信じています。自衛官として、何としても、このふたつは両立させるべきでした。これを何の迷いもなく、片方を切り捨てた被告人は、冷酷で危険な人物だと、私は今でも思っています」
「では、逆に聞きますね? もし、証人の仰ったとおり、ボートを一隻降ろして敵艦の乗員救助に当たらせた後に、タンカー救助に向かっていたとしたら、タンカー乗員の救助はどうなっていたでしょうか? 同じ結果を得られたでしょうか?」
むっつりと押し黙った村澤を見て、検事が立ち上がり、
「異議あり! 弁護人の質問は、仮定の話であり、質問の意味がありません!」
滝村は、検事の方を不思議そうに見ると、
「主尋問では、検察官も証人の進言を被告人が受け入れた場合の仮定の質問をしていたと記憶しますが――ま、いいでしょう、質問は撤回します」
そして、少し間を置いてから静かに宣言した――
「では、次の質問に移ります」
十四
質問は、村澤と『てんま』座乗の司令氷室との通信内容についてのものに移った。
「なぜこのタイミングで司令に報告したのか」
という滝村の問いに対し、村澤は、
「事態が一段落したことと、国際問題をはらみかねない敵船乗員の放置という風間の判断について、司令に是非を問いたかった」
と述べた。
「証人は、検事との先ほどのやり取りで、敵艦船乗員の救出を優先するよう指揮してほしいと、氷室司令に進言したと言いましたね?」
「はい、言いました」
「そして、司令は証人のその進言に対し、『五輪丸』救助を優先するよう指示し、これを証人は適切な指揮だと思ったと……落ち着いた、見事な指揮だったと、そのようなニュアンスで答えていましたね?」
「はい、そう思います」
村澤の回答は、毅然としている。
「また、最後に司令から、『君に任せる』と指示されたのは、感情的になって判断に迷っている自分の背中を押してくれたのだと思うと、そうでしたね?」
「そうです」
淀みなく質問をぶつけていた滝村が、いったんここで言葉を切る。
そして、背筋をまっすぐ伸ばして座る村澤に――訊いた。
「証人は、この考えについては、『後から考えると』と、言っていましたね。後から冷静に考えたらそう思えた……そうですね?」
滝村の質問に即答していた村澤が、少し間を置いてから、言った。
「はい――そうですね」
「では証人、思い出せたらでよいのですが――
後から考えたことではなく、
当時、まさにこの通信が交わされた時に、
『君に任せる』
と司令に言われた時の証人の正直な気持ちを、私に教えていただけませんか?」
『ぎんが』の機関のリズムを刻む音が響く暗い艦橋。
淀んだ海面の向こう……
船首から炎を噴き上げる『五輪丸』の姿が、じわり、じわりと大きくなって来る。
敵艦船乗員を救助すべきとの意見具申を風間に退けられ――
村澤は、釈然としないまま、通信員の席に赴いた。
「『てんま』に繋いでくれ」
村澤の指示に、通信員が『てんま』と繋がった衛星通信のハンドセットを手渡してくれた。
「氷室だ」
受信器から聴こえた声に、思わず村澤は、
「し、司令!」
縋るように返していた。
司令の存在が、まるで嵐の中で見つけた微かな灯台のともしびのようだった。
司令なら、艦長の、風間の危険な独断専行を止めてくれるに違いない……
「どうした、何があった?」
わずかなラグが、通信の間に生じるのがもどかしい――
「はい、その、本艦は、国籍不明の艦艇を撃沈し、目下……」
「何だと!」
受信器の向こうの氷室の声が、跳ね上がった。
十五
「撃沈? どういうことだ!」
詰問され、事態の深刻さを噛みしめた村澤は、一度、深呼吸してから、
「あ、いや、その、救難信号の発信源で、我が国のタンカーが炎上しているのを確認したんです……風間艦長は直ちにタンカーの救助に急行する判断を下し、そ、そこに国籍不明の艦船が急迫してきて……」
「撃ったのか!」
司令が報告の途中に割り込んだ。
「は、はい、風間艦長の命令で……」
氷室が沈黙した。ごくりと村澤の喉が鳴る。
「君は制止しなかったのか!」
次に聞えてきたのは、苛立たし気な司令の声だった。
「い、いえ、私は止めたのですが、風間二佐は、全く聞き入れず……」
うー……という唸りに似た声が、受信器の向こうから聞こえてきた。
氷室が黙ったままなので、さらに村澤は報告を続けた。
「そ、その後、撃沈した艦船の乗組員が波間に漂っていたのですが、艦長はそれを無視し、タンカー救助を優先すると言って……」
とにかく、この艦隊の最高責任者にこの件をきちんと報告しておかなければ――
今、自分にできることはそれだけだ。
その上で、司令が何とかしてくれる。
村澤はそう、自分に言い聞かせた。
氷室は優秀な指揮官だ。
国際問題に発展しかねない風間の敵艦船乗員の放置――
これについて、司令は自分と同じ意見に違いないと、村澤は信じていた。
一台だけボートを下ろし、敵艦の乗組員の救助に当たらせる。
そして残りの人員で『五輪丸』の救助に全力を尽くす――
この作戦こそが、この局面での最善の判断である。
そう信じ、次の言葉を氷室にぶつけた。
「……現在、本艦はタンカーの乗員を救出すべく航行中です……か、艦長に撃沈した艦船の乗組員の救助を優先するよう指揮してくださいますか?」
だが――
氷室から返ってきたのは、村澤の予想を裏切る返答だった。
「いや――いい。
そのまま、タンカーの邦人救助を優先しなさい。
任務が終了したら、また報告をしてくれ」
村澤は、一瞬――呆気にとられた。
氷室の返答には、諦めの冷たい風が吹いているようだった。
そして――次の氷室の言葉に、村澤は戦慄した。
「後は、君に任せる」
半分笑いの混じった氷室の言葉――
村澤は頭をぶん殴られたようなショックを受け……
「法を守れ」
「専守防衛だ」
「正当防衛の範囲が……」
「何、私たちは組織だ。組織が守って……」
「君なら大丈夫だ、私が責任を持つ」
以前、会話した時の氷室の言葉が、虚しく村澤の頭で踊る――
――司令は、俺たちを見捨てるのか?
まず村澤の心に浮かんできたのは、これであった。
何か良く判らない、どろどろとした怒りの感情が、自分の胸中に渦巻くのを感じた。
が――村澤は、その思いを飲み込み、
「判りました」
短く返答し、通信を切ったのであった。




