第三章 村澤怜士――護衛艦『ぎんが』副長 その二
六
質問は、沈む敵艦船の乗員を、風間が海に放置した場面に至る。
「証人は、その時、被告人に何と言いましたか?」
「国際法に抵触するので、まずは彼らを救助しましょうと、訴えました」
「被告人は、何と言いましたか?」
「風間艦長――いえ、被告人は、タンカーの救助を優先する、と、言いました」
「証人は、その時、どう思いましたか?」
「愕然としました。この艦長は、国際法を何だと思ってるんだと――胸の奥から怒りが湧いてきました」
勢いよく答えた村澤の、正面を見据えた目が大きく見開かれ、顔面が紅潮する。
「証人の言う、国際法とは何ですか?」
そんな村澤の熱を検察官が冷静に受け止めた。
「ジュネーブ条約に定められている、要救助者の救助義務です」
「証人が仰っているのは、戦闘終了後、たとえ敵艦船の乗組員であっても、差別なく、遭難者や傷病者を救助しなければならないと定めた、ジュネーブ条約の第二条約、第八条のことですね」
「そうです。私たち自衛官には、いや、全世界の軍人には、この国際条約の遵守が求められます。この時は、さすがに艦長のこの判断はあり得ないと、私は思いました」
「確かに、この被告人の判断が、今回の事件で一番問題になっている点ですね。国際社会からもこれが一番非難の的になっている――だから証人はこの後、さらに激しく被告人を思いとどまらせようとしていましたよね」
検察官の問いに、村澤は、何度も大きく頷きながら、
「そうです、かんちょ……被告人は、『全責任は私が取る』なんて、カッコいいことを言いましたが、これはそんな格好つけていい状況じゃないんです! 一艦長が取れる責任の範疇を超えている。国がその責任を背負わされることになると、なぜ判らないのか? だから私は、被告人に、再度、敵船乗員の救助優先を進言しました」
「被告人は、証人の進言を受け、どう答えましたか?」
主任検事のこの問いに、それまで身を乗り出し淀みなく喋っていた村澤は――
ゆっくりと、証言席に身体を沈め、
「私の進言を全く聞き入れず――タンカーに向け、全速前進を指揮し、さらにタンカーの救助作戦のための、ヘリの発艦準備と、立入検査隊のタンカー乗り込み準備を指揮しました」
「それで証人は?」
村澤の顔はますますピンク色になり、上唇が下唇をちぎれんばかりに噛みしめる。
「被告人の――艦長の、指揮に従うほか、ありませんでした」
悔しさに満ちた言葉が、静寂の法廷に落ちた。
しばらくして検察官が、村澤に声をかけた。
「証人は、このような指揮をした被告人に対し、どんな印象を抱きましたか?」
「冷たく、危険な人物だと思いました」
固い顔を上に向け、村澤は静かに言い放った。
「証人――もし、この時、証人の進言を被告人が入れ――又は、被告人がはじめから撃沈した艦船の乗員救助を実施していたとしたら、どうだったと思いますか?」
村澤は、法廷の白い天井をまっすぐに見上げた。
「先ほどの攻撃が、たとえ『正当防衛』が成立しない状況であったとしても――敵艦の要救助者の救助を実施していたならば、これほど非難されることは、なかったはずです。いずれにせよ、先制攻撃といい、要救助者の見捨てといい、艦長――被告人の指揮は、あまりにも自衛官の規範を逸脱していたと言わざるを得ません」
被告人席で俯く風間の、白い制服が、法廷の照明に冷たく輝いている。
その背後で、滝村が、眼鏡の奥からじっと村澤を見詰めていた。
七
『五輪丸』が接近する中、村澤は、ソマリア方面の『てんま』座乗・氷室司令に報告し、敵艦乗員の救助を指示してほしいと具申した。
しかし司令から返ってきたのは、
「日本タンカー乗員の救助優先」
という指示だった。
検事はこの時の村澤の内心について質問し――
村澤は、一瞬沈黙し、じっ――と法廷の白い光を見上げた。
「適切な――そう、適切な、指揮でした」
同じ指揮なのに、被告人は冷たく危険、氷室は適切――
主任検事は、どうしてそのような受け止めの違いが出るのかと村澤に問うた。
村澤は、厳しい視線を中空に向けた。
「それは、風間艦長のこれまでの指揮すべてを通じ感じたものだから、です。救難信号受信後、司令の指示を仰ぐことなく急行を指示したこと、急迫する敵艦に躊躇なく主砲発射を――それも笑いながら――命じたこと」
村澤は、「笑いながら」という言葉に、特に力を込めた――
「そして、絶対にしてはならない、要救助者を見捨てる、という即断。心が冷たいからこそ、下せた判断と感じました。しかも正当な業務行為と評価しがたい行動の数々。これらは、我々部下にとって危険極まりないものでした」
村澤は、視線を主任検事に向け、続ける。
「対して、司令――氷室司令は、遠くこちらの状況が見えない場所にいました。それに、司令は風間艦長と違い、現場の状況と国家の立ち位置を同時に思考できる方です。不明艦船から攻撃を受けそうになった際も、警告や、相手の国籍確認、威嚇射撃など――法的な手順を決して疎かにするような人ではない。事実、私の報告に司令は驚愕し、そうですね、怒ってさえいました。そんな司令が、この局面では落ち着いて――」
村澤は、検事に向けていた視線をすっ――と外し、法廷の白い照明を仰ぎ見る。
「そう……落ち着いて、私たちに日本人タンカーの救助優先を命じた。これは逆に司令の、適切な判断が際立っていたと――そう、私は、感じたのです」
どこか、別の場所を見ているような表情で、喋り――結んだ。
「この、氷室司令からの、日本のタンカーの救助を優先するように、との指揮の後、さらに氷室司令から、何か言葉をかけられましたか?」
この検事の問いかけに、村澤は目を閉じ、下を向いた。
「司令からは、『後は、君に任せる』――そう、声をかけられました」
俯く村澤に、主任検事が声をかける。
「この指示を受けた時、証人はどう、感じましたか?」
さっと頭を上げた村澤は、正面を見詰め、言った。
「司令としては、あの場面ではそう指示するしかなった、と、そう、思います。これも、私は――そう、私は、適切な指示だったと、そう思います」
「適切だったと……あなたのお考えを、詳しくお聞かせください」
「後から考えてですが」
前置きしてから、村澤は言った。
「私は現場にいて、少し感情的になっていました。そんな私を、氷室司令は察して、そっと背中を押してくれたのだと思います。タンカーは、あの時、危険な状態にありました。いつ、誘爆が連続的に発生して大爆発を起こすかもしれない。それを、氷室司令はちゃんと判っていたんだと思います。司令に、『任せる』と言われ、私はやっと、タンカーの日本人救助に専念できるようになりました。だから、そう思ったんです」
この後、検事の質問は、『五輪丸』からの乗員救助のシーンに移っていく――
先ほどの村澤の答えは、ある意味、村澤の「本音」ではあった。
氷室から「君に任せる」と言われた村澤は、完全に目の前の救出作戦に集中した。
いつもの「村澤副長」に戻った彼は、てきぱきと各部署に指示を飛ばした。
タンカー乗員からの、少なくとも敵兵が十名、乗り込んでいるとの決死の無線――最後は叫び声ととともに途切れた――が入り、さらに、タンカーのブリッジに接近した救難ヘリから、敵兵からの射撃を受けたとの報告が入ったことを、村澤は主任検事との質疑の中で明らかにしていき、
「タンカーに敵兵が乗っていると知り、証人はどうのように思いましたか?」
との検事の質問に、
「大変な事になった、と思いました。これは、我が方にも死傷者が出るかもしれないと。そして、これは海上自衛隊始まって以来の事件だと、感じていました」
重い口調で、そう、返答していたのだった。
八
「証人は、ヘリに船上の敵兵の注意をひきつけるよう指示したのですね? どのような意図でその指示をしたのですか?」
「はい、立入検査隊が船内に乗り込む時が、最も彼らが無防備になる瞬間です。ヘリが彼らの上空を飛ぶことで、少しでもタチケン隊の乗り込みに時間を稼げれば、という思いでした」
「タチケン隊?」
「すみません、立入検査隊のことです」
またやってしまった、と、頬を赤らめ頭を掻いた、その時――
――ありがとう
突然、風間の声が響き――
村澤は、思わず右手の被告人席に座る風間に視線を送り――息を呑んだ。
薄灰色の瞳が、まっすぐ村澤を見詰めている――
村澤の耳に、遠ざかるヘリのローター音が聞こえた気がした。
あの時も、炎が赤く照らす艦橋内で、自分はこうして風間艦長の薄灰色の瞳と視線を交わし合ったのではなかったか――
当時の緊張と不安と決意と共感が、村澤の胸中に一気に去来して――
「……証人? 聞いていますか? その後、タチケン隊はどうなりましたか?」
検事の声が耳に届き、村澤は、はっ――と「今の法廷」に引き戻された。
「す、すいません」
村澤は、薄灰色の瞳から慌てて視線を引きはがした。
「あ、は、はい、その、ど、どうにか彼らはタンカーに乗り込み、船内の敵兵と銃撃戦があったと記憶しています」
怪訝な表情で村澤を見詰めた主任検事の、
「大丈夫ですか? 証人、疲れましたか? 休憩しますか?」
との気遣いに、
「あ、いや、すみません、大丈夫です。すみません、ぼーっとしちゃって」
顔を真っ赤に染めて謝罪する。
「いえ――大変ですからね、疲れたら、いつでも仰ってくださいね?」
労いつつ、主任検事は質問を再開した。
立入検査隊の乗込みと同時並行で、タンカーに乗り込んだイラン人と思われる人物から英語の無線が入ったこと――
ただし、この人物は、簡単な単語程度の英会話しかできず、結局、交渉は不可能だったこと――
その後、ペルシャ語を話せるタンカー乗員が、敵兵の言葉を通訳して、ヘリを後退させるようにとの要求を突き付けてきたこと――
ちょうどこの直後に、立入検査隊がブリッジに突入し、同区域を制圧、要救助者六名の確保に成功したこと――
この後、ボートで待機している飯塚先任伍長らから、続々とさらなる救助情報が艦橋にもたらされたこと――
これらを、村澤は、検事とのやり取りで、淡々と明かしていった。
タチケン隊は大丈夫か、誘爆はまだ始まらないか――
敵兵の「排除」は問題ないか、生存している日本人の救出は――
検事の質問に答えながら、村澤は――
あの時、自分は風間と同じ気持ちだったと、認めざるを得なかった。
飯塚たちからの、
「一名要救助者確保!」
「二名、また日本人クルーをボートに収容!」
等といった報告に、自分は風間と目を交わし頷き合ったのではなかったか――
だが、村澤は、必死でそんな自分を否定する。
いや、確かに、救助の場面では風間と心をひとつに任務を遂行できた。
遂行できたが――問題はやはりここに至るまでの「過程」だ。
風間の行動はあまりにも危険だった。
何重もの違法行為の上に重ねられた砂上の楼閣――
もし、あの後――
日本が本格的にイランとの戦争に突入してしまっていたら……
この救助にいったいどんな意味があるというのだろう?
そして、現場指揮官にこのような独断専行を許せば、「専守防衛」を旨とする自衛隊の規律が保たれず、法治国家日本の根幹まで揺るがしかねない……
だからこそ、自分は証言しなければならない。
風間を弾劾しなければならない。
村澤は、無理やり自分に言い聞かせる。
だからこそ……だからこそ――
九
「飯塚先任から、館野が船上で撃たれたようであること、そして、まだボートに戻ってきていないと、報告がありました」
無線から聞こえた飯塚の叫びが、生々しく村澤の耳によみがえった。
「その後、どんなことがありましたか?」
「はい、艦長は――被告人は、館野を待てと厳命しました」
「そして、何が起こりましたか?」
艦橋が白光に染まり、村澤の網膜を焼いた。
タンカー中央に巨大な火柱が猛然と吹き上がる。
轟音が周囲の海域を激しく震わせた。
「艦長! 限界です!」
自分の悲鳴に似た叫びを、村澤は思い出し――
オレンジの光に照らされ、目を見開き唇をかみしめる風間の顔……
風間は沈黙したまま、何も言わない――
村澤の胸中にどす黒い怒りがこみ上げた。
何だよ艦長! あんた、見捨てれる人なんだろ?
多くを救うために少数を切り捨てられる人間だ!
早く、早く指揮しろよ! さっきみたいに……
しかし――風間は、まるで石化したかのように、動かない……
おい! まずいんだよ! このままじゃ……
タチケン隊も、救助した人たちも、全滅してしまう!
艦長! 早く指揮しろよ! 艦長!
……なら――指揮しないなら、俺が! 俺が――俺が……
――この、クソ野郎!
「タチケン隊! 要救助者と共に全員離脱! 館野を捨ててでも戻れ! 急げ!!」
館野を捨ててでも――
この言葉を、村澤は、立ち尽くす風間に叩きつけるようにして叫び……
『こち……ルヨン、おやっ……に構わず……タイしてください……』
途切れ途切れに、館野からの無線が、村澤の耳に届いて――
館野……お前――
村澤は、口の中で折れんばかりに、ぎりっ……と歯を噛みしめていた――
「証人は、立入検査隊や、救助した人々が犠牲になる二次被害、三次被害を防ぐために、敢えて館野一尉を捨ててでも、と飯塚伍長に告げたのですね?」
村澤はむっつりと黙り込み、天を仰いでいた。
唇はぐっと引き絞られ、丸い身体がゆらゆらと証言席で揺れる。
やがて――絞り出すように村澤が言った。
「……苦渋の決断、でした」
法廷内の誰もが、村澤を見詰めていた。
検事たちも、滝村達弁護人も、裁判官たちも、傍聴席の記者も傍聴人も……
ただ一人、風間だけは、すっと視線を村澤から外して自分の足元に落とした。
村澤の目から涙が零れ落ちた。
唇を震わせながら、村澤が続けた。
「館野一尉は……館野はほんとうに良い部下でした。み、みんなから慕われていた……彼が死んだのは――本当に、痛恨の極みでした。彼を救えなかったことは、今でも……後悔しています」
村澤の鼻をすする音が法廷内にこだまする。
そこには、「現場の自らの判断」にボロボロに傷ついた、一人の自衛官が座っていた――
「はい、被告人の指揮は、身勝手なものだったと思います」
最後に何か言っておくことはあるか、との検事からの質問に、村澤は、決然と、赤くなった目で裁判長を見て語った。
「特に、館野一尉を待て、と命令した艦長の指揮は、身勝手さが際立っていました。誘爆が次々と発生していたあの場面では、ボートに乗っていたタチケン隊も、救助された人々も、その誘爆に巻き込まれる可能性があった。あの場面では、館野一尉を捨ててでも、ボートに撤退を命じなければならない局面でした。それまでの独断専行、自衛権の逸脱、国際法違反など考えても、艦長――被告人の指揮は、すべて、身勝手そのものだったと、私は思わざるを得ません」
村澤は一気にそう言い切って、発言を終えた。
主任検事が、そんな村澤を見て、労うように言った。
「苦しい中、お答えいただきありがとうございました……これで、私の質問を終わります」




