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宇治、よりみち茶房にて――参道の片隅で、好きだったものにもう一度  作者: 明石竜


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第十五章 平等院へつづく道

 十一月になった。

 宇治の紅葉が、本格的に始まった。

 平等院の庭の木々が赤と橙に染まって、参道沿いの銀杏が黄色くなった。石畳の上に落ち葉が積もって、朝の開店準備のたびに史桜里は掃いた。掃いても掃いても、風が吹くたびに新しい葉が落ちてくる。それが繰り返された。

 観光客が増えた。

 平日でも、人が絶えなかった。修学旅行生も戻ってきて、家族連れも、カップルも、一人旅の人も、参道を行き来した。「よりみち」の席が全部埋まる日が、週に何度かあった。

 史桜里は忙しく動きながら、その景色を視界の端に入れていた。


 忙しい日々の中でも、紙もののことは考え続けていた。

 設計図は少しずつ変わっていた。最初のイメージから、細部が変わった部分もあるし、新しく加えたいことが出てきた部分もあった。

 一言の文章を何にするか、がまだ決まっていなかった。

 宇治のことを書きたかった。でも、宇治の説明ではなく、宇治にいる時の感覚のようなものを言葉にしたかった。

 よりみちする、という言葉が、この店の名前にもなっている。参道の途中で、少し立ち止まること。目的地へ向かう前に、少し寄り道すること。それが史桜里の感じる宇治の空気に近い気がした。

 でも、それをそのまま書くと、説明になってしまう。

 説明ではなく、読んだ人が自分のこととして受け取れるような言葉を探していた。


 ある朝、史桜里は開店前に参道に出た。

 落ち葉を掃きながら、道の先を見た。

 平等院へ続く道が、朝の光の中にあった。観光客がまだ少ない時間で、参道は静かだった。石畳の上に落ち葉が散っていて、道の両側の木々が色づいていた。道の先がゆるやかに曲がっていて、その向こうが見えない。

 見えないところへ続いていく道。

 史桜里はしばらくその道を見ていた。

 ここを毎日歩いていた。二年近く、この道を通って来て、この道の先に店があった。毎朝来て、毎夕帰っていく。でも今朝、この道をこんなふうに見ているのは初めてだった気がした。

 よりみち、という言葉の意味を、今朝改めて感じた。

 目的地へ向かう道の途中で、少し立ち止まること。立ち止まって、道の先を見ること。それは後退でも、迷子になることでもない。ただ、今ここにいる時間を、少しだけちゃんと使うこと。

 史桜里は箒を持ったまま、少しの間そこに立っていた。


 叶羽の課題が、佳境に入っていた。

 今月に入ってから、店に来る時間が少し短くなっていた。来ても、以前のようにゆっくりスケッチブックに向かうのではなく、コーヒーを飲みながら何かを確認して、また出ていく感じだった。

 ある日、叶羽が来て、席についてすぐ言った。

「課題、ようやく方向が決まって」

「そうなんですか」

「宇治の、参道を歩く人の連作にすることにしました」

「連作というのは」

「一枚の絵じゃなくて、続きのある複数の絵で。参道を歩く人の、入り口から平等院の前まで、何枚かで描いていくものを作ろうと思って」

「それは、この店も入りますか?」

「入ります」

叶羽は少し笑った。

「入り口の方で、この店の前を通る人も描こうと思って」

「それは嬉しいですね」

「見に来てもらいたいです、完成したら」

「ぜひ」

 叶羽は抹茶ラテを飲んでから、「難しいのは、一枚ごとにも意味があって、続けて見てもさらに意味がある、というものにしたくて、その設計が」と言った。

「拓人さんが言ってたことに似てますね。一つひとつにも面白さがあって、全体にもある、みたいな」

「そう。あの人に相談したら、それは設計の話だって言われて。感性型だから設計とか言われると頭が痛くて」

叶羽は笑った。

「でも、聞いてよかったとは思います」


 拓人は、珍しくゲームの画面を見せてくれた。

 タブレットを鞄から出して、テーブルの上に置いた。史桜里が近くを通ると、「少し見てもらえますか」と頼んだ。

 画面には、シンプルなゲームが動いていた。

 キャラクターが小さな町を歩いていて、途中で人に話しかけたり、場所を調べたりする。グラフィックは複雑ではなかった。でも、キャラクターの動き方や、話しかけた時の文章の出方に、丁寧さがあった。

「これが、作ってるやつですか」

「まだ全体の半分くらいしか動かないですけど、この部分は動くようになったので」

「歩いてる感じが、なんか自然ですね」

「キャラクターの足の動きに時間をかけて。そこがちゃんとしてると、見てる人が気持ちよく歩けるから」

「足の動きだけでそんなに変わるんですか」

「変わります。細かいところが気持ちいいと、全体が気持ちよく感じる。逆に細かいところが引っかかると、どこが問題かわからなくてもなんか違う、ってなる」

 史桜里はゲームの画面を見ながら、叶羽の言葉を思い出した。一枚ごとにも意味があって、続けて見てもさらに意味がある。拓人が言う細かいところが気持ちいいと全体が気持ちいい、というのも、同じことを別の角度から言っているような気がした。

「完成したら、遊ばせてもらえますか」

「完成したら……」

拓人は少し照れたように言った。

「完成するかどうかまだわからないですけど、完成したら最初に遊んでもらいたいです」


 山吹は、投稿した話に初めてまとまった感想が来た、と教えてくれた。

 感想というのは、短いコメントではなく、長い文章だった。話の中の、ある場面について書かれていた。山吹が特に力を入れた場面ではなかったが、読んだ人にとってはそこが印象に残ったらしかった。

「力を入れたところじゃないところに反応が来たんです」

山吹は少し興奮気味に言った。

「それはどうでしたか」

「最初は、あれ、って思って。でも、読み直したら、確かにそこ、自分でも好きだったと気づいて」

「無意識に好きだったところを、読んだ人が見つけてくれた感じですか」

「そう、そんな感じで。なんか、見てもらえた気がして」

 見てもらえた、という言葉に、山吹は少し照れていた。

「それは嬉しいですね」

「嬉しかったです。感想をもらえると、書いたものが本当にあったんだって実感できる気がして。ただ自分の中にあっただけのものが、外に出て、誰かに届いた感じがして」

 書いたものが本当にあったんだ、という感覚。史桜里には、まだその感覚がなかった。自分が作ったものが、誰かに届いた時に、初めてそれが実感できる。山吹がそこへ辿り着いていた。


 十一月の半ば、参道が一番込み合う時期になった。

 土曜日の昼、「よりみち」は満席だった。史桜里と佐伯が動き続けた。注文を聞いて、運んで、会計をして、次のお客さんを案内する。その繰り返しが止まらなかった。

 でも史桜里は、忙しい中で、不思議と落ち着いていた。

 お客さんの顔を見ながら仕事をした。宇治へ来て、この参道を歩いて、この店に入ってきた人たちの顔。平等院を見てきた後の顔、これから見に行く前の顔、ただ通りがかった顔、地元の人の顔。それぞれが違って、でも共通しているのは、今日ここにいる、ということだった。

 紙もののことを、また考えた。

 この人たちに渡せるものを作りたい。手に取ってもらって、宇治を歩きながら開いてもらえるような、小さなものを。

 忙しく動きながら、でも頭の中でそれを考えていた。

 仕事と、作りたいものが、重なっていた。


 夕方の落ち着いた時間に、沢渡さんが来た。

 今日は込んでいたから、いつもより少し遅い時間だった。

「今日は人が多かったわね」

「そうなんです、満席になる時間があって」

「紅葉の季節はそうよ。でも、すごく忙しそうにしてたのに、史桜里さん落ち着いてたわ」

「そうでしたか」

「前は、込んでる時に少し焦ってる感じがあったけど、今日は違った。なんか、この場所の真ん中にいる感じがして」

 この場所の真ん中にいる感じ。

 史桜里はその言葉を、しばらく持った。

「沢渡さんは、よく見てますね」

「ずっとここに来てるから。変化が見えるのよ」

「変わりましたか、わたし」

「変わったわよ。でも、変わったというより、もとに戻ってきた、という感じかしら。本来のところへ、少しずつ戻ってきてる」

 本来のところへ。

「本来のところ、というのはどんなところですか?」

「手を動かしてる人のところよ。史桜里さんは、手を動かしてる時が一番自分らしいんじゃないかと思って。今、そうなってきてる気がするから」

 沢渡さんはそう言って、ほうじ茶を一口飲んだ。

 史桜里は返事を探したが、見つからなかった。ただ、「ありがとうございます」と言った。


 その週の終わりに、叶羽から連絡が来た。

『朝倉さん、紙もの、そろそろ本格的に作り始めませんか。課題が一段落したら、一緒に考えたいです』

 史桜里は少し間を置いた。

 沢渡さんに言われた言葉が、まだ残っていた。本来のところへ、少しずつ戻ってきてる。

 返信を打った。

『はい。待っています。一緒に考えましょう』

 送信してから、窓の外を見た。

 参道の木々が、夕方の光の中で赤く染まっていた。葉が一枚、風に乗って参道に落ちた。また一枚、落ちた。

 どこかへ向かっていく道の途中で、少し立ち止まること。

 史桜里はその言葉を、今日の紙もののメモに書き加えた。

 一言の文章が、まだ決まっていなかった。でも、今日書き加えた言葉が、何かのかけらになる気がした。

 参道はまだ人が行き来していた。

 平等院へ続く道が、夕暮れの中で続いていた。


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