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レインボーピエロ 太陽の魂と白雪の心  作者: 水無月 一
第01章 少女の笑顔
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第05話 無能故の生き方

投稿です。初っ端から主人公フルボッコです。

「ハァ……ハァ……ハァ……ああいい汗掻いたぜ」

「ホント、虹野サマサマだな」


 気持ち良さそうに汗をぬぐう同級生たちは、校内の燃えるゴミ置き場に打ち捨てられている照光の前に立っていた。顔を腫れ上がらせて服の下にアザをこさえた照光とペアで見ればリンチと映るが、両者の間には契約があるからわだかまりなどは窺えなかった。


 同級生はワイワイとお互いの才能チカラを評価し合いながら、


「ありがとよ。また頼むぜ」


 伸びたままの照光に礼を言って、その場を去った。一人残ったボロボロの照光は死んだようにピクリとも動かない。だがゴミ捨て場周辺に気配がなくなったところで、


「ニシシ」


 と、快活に笑った。


「あーチクショウ。他人ヒトの仕事着だってのに散々汚しやがって。何でも屋は身だしなみ第一だってのに」


 しかも怪我よりも制服(兼仕事着)の汚れや仕事の影響について気にしていて、それでもなお笑顔を消さなかった。


 ボコボコにされて笑うだなんて頭がおかしいかドM以外にはありえない。しかし照光はそのどちらにも当てはまらないのに笑っていた。


 理由は彼のポケットの中にあった。


 ニシシ、とポケットから取り出してきれいに晴れ渡った空に掲げるそれは、先ほど照光をタコ殴りにした同級生たちが渡したお金だった。


 殴られ屋、というものがある。発祥は知らないが日本本島では東京歌舞伎町に見られる、殴り返すのも逃げるのも御法度で、しかも客寄せのために照光はよけることも禁止したサンドバックになる『仕事』だ。何でも屋がこれをやらない道理がないので、照光は進んでこれも請け負っていた。


 格闘技系の天才もいるここでこんなことをして痛くないわけがないし、怒りを覚えないわけでもない。それでも笑うのはただ稼げたことが嬉しいからだ。


 もちろん————


「…………」


 尊厳も何もあったものではないが。


 生きるためになんでもやるケダモノのような生き方に誇りなど見出みいだせるわけがなく、唐突に胸を掻き毟りたいほどの情けなさと悔しさに苛まれる。


 笑い続ける理由もそんな負の感情を押し殺すためによるところが大きいだろう。


 そんな生き方————胸を締めつけるような激痛を笑顔という麻酔でごまかし続ける生き方は、いずれ内側から崩壊していくと知りながらも、笑う以外になかった。


 その程度にはこの世に未練があるのだろうか、と一抹の疑問を抱く。それが一体なんなのかは分からないが、分からないものにしがみついてまで無様に生き続ける自分が酷く滑稽で情けなく思えた。


 ——マジで道化師ピエロだな、俺って。


 自身を皮肉りながら体を起き上がらせ、さっさと仕事の準備を始めるために家路に就こうとした。


 が。


「あれ? 普通に起きてんぞあいつ」


 ここにいるはずのない人間の声が聞こえて口から心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。


 恐る恐る振り向くと、


「っかしーな。何回正中線三段突きかましたと思ってんだよ。少なくとも気絶か悶絶しとかなきゃおかしいんだが……」


 先ほどの三人の同級生が照光に近づいていた。


「お前らも本気でやったよな?」

「おう、首吹っ飛ばす勢いでブン殴ってやったぜ」

「お、俺は可哀想だから手ぇ抜いてやったけどな」

「一番マジだった奴が何言いやがる。そもそも無運枠ラックラックを可哀想と思うこと自体間違いなんだよ」


 なんで……、と虚ろに言葉が漏れる。今までも彼らから何度も依頼を受けてきたが、一度たりとも戻ってくることはなかった。照光が規定時間の終了直後に倒れる演技をして、満足感に浸らせてきたからだ。だから彼らがここに戻ってきた理由が浮かばなかった。


 代わりに嫌な予感だけが頭を駆け巡った。


「俺たち思ったわけよ。たかが三十分殴られ続けるだけで一万五千円はないんじゃないかって。いやいや別にサービスに不満があるわけじゃないんよ? ただちょーっとばかりぼったくりじゃないかって思ってな」


 たかが三十分? とこめかみが震えそうになるのをおくびにも出さずに、照光は耳を傾け続ける。


 先頭の『空手』のジーニアスの同級生が含みのある笑みを浮かべながら、


「そ・こ・で、だ。お互い確執を残さないための提案があってここに来たってこと」


 おそらく考えうる限りで最悪な展開だった。


 照光は何も言わずに手にある三枚の紙幣を差し出した。


「おっ、物分かり良くて助かるぜ」


 乱雑に紙幣を取り上げ、三人は踵を返した。顔を上げ、離れていく同級生の後ろ姿を見ながら、照光は思う。


 ここは人気のない校舎裏。人外の力を持つ義肢を振るっても見る者はいない。そして三人は背中を向けている。


 振り向く間もなく背後から一発を叩き込むことができたら……。


 ガギギギギギギギ……、と憤怒と憎悪で暴れ狂う魔龍の腕ドラゴンインパクトを必死に押さえつけながら、こうも思う。


 やるなら今しかない、と。


 ゆっくりと手袋を外す。そして離れた同級生たちとの距離を一瞬で詰めるために照光は天龍の脚ドラゴンブラストにありったけの力を込め————


 ————それをやめた。


 次第に後ろ姿が離れていき、完全に見えなくなったところで膝をついた。


 できるわけがない。


 遠くなる彼らの笑い声が脳をマグマのように茹で上がらせ、照光の負の感情を膨張させる。だがそれでも照光の脚が立つことはなかった。


 人を傷つけたくないから。手足を晒したくないから。感情を爆発させたくないから。道化師ピエロを演じたくないから。無闇に笑いたくないから。


 自分を正当化する言い訳ばかりが浮かぶ。


 しかし真理はそれ以上に克明だった。


 ——違うんだ。本当はもっとくだらない理由なんだ。

 ——変わる勇気がない。そう、それだけなんだ。


 ガン! と地面を殴った照光を自殺せんばかりの自己嫌悪の念が包み込んでいた。


 変わろうとする勇気も持たずにヒエラルキーの底辺に甘んじて、下手にこれ以上立場を悪くしないためにモグラのように息を潜めるただの臆病者。そんな自分が可愛いくて仕方なく思っている自分に嫌気がさしていたのだ。


「もう……イヤだ……」


 いよいよ心が折れかかったその時————彼の耳が足音を拾った。慌てて義手を隠して顔を上げると、そこには一人の少女が仁王立ちしていた。


「無様ね。いい気味だわ」


 切れ長な目、肩まで伸びた艶やかな長髪、スラリとした手足などクールビューティーの要素をふんだんに盛り込んだ少女だった。


「……見てたなら助けてくれたっていいだろ」

「見てても助けなかった人がよく言う」

「ニシシ、違いない」


 ギン! と鋭い眼光で睨むその少女————蠍原さそりばらメイに構わずパンパン、とホコリを払って立ち上がると、


「そこで城ヶ崎と会ってアンタに伝えてって言われたわ。『僕じゃ君を助けられない。ごめん』ってさ」

「アチャー、まさかとは思ってたけど見られてたか。言い訳考えとかなきゃな」


 ニシシ、と笑う。


「そういえば補習中能力査定受けてただろ。ずっとボッカンボッカン聞こえてたぜ? ホンット、妬ましい限りだ」

「路傍の石が月を望むのはお門違いだと思うけど?」

「ニシシ。で? 学園の女王様が俺になんの用だよ。手厚い看護なんて味な真似してくれるってのならお断りするけど」

「頼まれてもしてあげるもんですか」


 だろうな、と聞こえないようにつぶやいて笑う。


「それにしても意外だわ。アタシが成績優秀眉目秀麗謹厳実直深謀遠慮質実剛健才色兼備文武両道容姿端麗傾城傾国、しかも十二人しかいない『白金プラチナ』のネクストで学園の女王であることを出来損ないのアンタが知ってるだなんて」

「冗長すぎるところととことん見下してるところと99%合ってるところがムカつくんだよなあ」


 残りの1%はそれらが猫を被ったものだということなのだが、それだと99%より大きくなる気がするがまあどうでもいいことだ。


 ニシシ、と笑顔でごまかしてその場を去ろうとしたら、


「……気に食わない」

「は?」

「キモいったらありゃしないわ。まるで頭のネジが一本しかないみたいじゃない」

「一本外れてるじゃなくて? そりゃあんまりだろ」

「アタシは事実を言ったまでよ」


 そう言い切られ、まるで喉元を押さえつけられたかのように弁解の言葉も出なかった。


「人間が笑顔を浮かべるメカニズムとしていくつもの理論が存在するわ。放出、ベクトル、ABC、緊張と緩和、……そんなのがね」


 けど、と前置きして冥はビシッ! と指を突きつける。


「それらはどれも精神が満たされることが前提なのに、アンタからはそれが伝わらないの。いかなる時でもアンタはからっぽのまま無条件無差別無分別無制限にヘラヘラヘラヘラ笑ってるのよ。それを見て異常と思わない方が異常だわ」


 よく見てるんだな、と感心と同時に喜びも感じた。どういう形であれ自分のような誰にも振り向かれない存在を見ている存在がいると知れば、自然とそうなるのではなかろうか。


 ——……ネジ一本、か。


 ふと、自分の生き方について考える。


 ——逆に、笑顔でネジ一本を残せているとしたら。

 ——それもやっぱり……いや、むしろそれこそ異常なんだろうなあ。


 仮にだが。


『笑顔』が人間を人間たらしめる最後の鎖だとして、それすらなくしてしまったら。


 その人間はもう、ヒトではなくなるのだろうか?


 あの少女のように、動く人形へと成り下がってしまうのだろうか?


 ——笑ったら絶対に可愛いだろうのに、なんで笑わないのかな。

 ——まあどうせ生まれつきとか無愛想なだけとかその辺だろ。

 ——……もったいないったらありゃしないぜ。


 気づいたらあの少女のことばかり考えている。貶し蔑む目に囲まれて人への関心を断ってきた照光にとって、これはあまりにも珍しい事象だった。


 逆を言えば、彼女はそんな目で見ていなかったから覚えているのかもしれない。思えば彼女の目は無機質だが根は優しそうで柔和なそれだった。初めて見るそれが印象に残っていたとしたら、ありえない話ではない。


 ——あいつ、今頃どうしてるかなぁ……。


 ボ〜っと空を見上げても思い浮かぶのはあの少女のことばかり。これじゃあまるで————


「————ぇ。ねぇって。ねぇったら!」

「ん、お? ああすまんちょっと考え事を……どうしたよ涙目になって」

「なんでこの前アタシを無視したのかって聞いてんのに無視するからよ!」

「ああ、あの時のね」


 おそらく冥は照光があの少女と出会った日……まあつまりゴミ掃除をしていた日のことについて怒っているのだろう。


 だがおそらく彼女は助けなかったなどという凡庸な理由で怒っているのではない。


「すまんすまん。でもお前に限って助けなんていらないだろ」

「助けてもらうためにあそこにいたのよ」


 そう、これなのだ。


 これがこの天才が全無能に絡んでくる理由なのだ。


「アタシはアンタが異常である証拠を掴むためにヤンキーにケンカ売ったんだから」

「とんでもねえなこの女王様は……」


 呆れ果てていつもの笑みすら浮かばなかった。彼女は照光が隠している(と思っている)チカラを見るために不良にケンカを売って仲裁させようと(あるいは不良を助けさせようと?)したのだ。成り行きとはいえその場に居合わせた不良にすごく申し訳なく感じた。


「完璧な存在であるアタシは選ばれし者なの。その選ばれし者には世界を守護する責任があるのよ」


 ビシッ! と威丈高に照光を指差して、


「ケラケラ笑う異常な無運枠ラックラックから、世界を守護する責任がね」


 ただの出来損ないだというのに世界に仇なす存在だと勘違いする冥には常日頃から酷く迷惑していた。


 あるいは、このように思い込んだら真っ直ぐなところが彼女のいいところであり、人の上に立つ重要なファクターなのかもしれない。


「お前なあ、路傍の石が世界にダメージを与えられるような存在に見えるか?」

「アンタが路傍の石じゃない証拠なんていくらでもあるわ」

 

 お前が言ったんだろ、とツッコもうか悩んでいるうちに冥がぐるりと指で空中をなぞり、照光の体————正確には胴体と頭部を囲んだ。


「アンタをリンチした三人は格闘技系のジーニアスでしょ。見たところ空手とボクシングとテコンドーだったわね。もはや人間凶器と言えるあいつらの攻撃を何十分も受け続けて死ぬどころか意識がはっきりしているのはどういうことかしらねぇ?」


 ざわり、と。まるで心臓を撫でられたかのような感覚を覚えて鳥肌が総立ちした。


「て、手加減してくれたんだろ。あいつらはいい奴だからな」


 まさか殴られ続けて打たれ強くなったと言っても信じてもらえるわけもないので、苦し紛れの言い逃れを口にする。


「少なくとも無運枠ラックラックに優しく接するような人には見えなかったけどね。それにもっと奇妙に思うところがあるのよね」


 次に冥はその指で照光の四肢を囲んだ。


なんで手足・・・・・は汚れてない・・・・・・のかしら・・・・・?」


 普通に聞けば全国の男性を魅了するアイスキャンディのように甘く凛とした声だ。だが今の照光にとってその声は髑髏しゃれこうべの顎を動かす音に聞こえた。


「少なくともアタシが見てる間はずっと手足に攻撃が当たらないように胴体や頭部へ誘導していたでしょ。こんなことをするのは手足を怪我しているからか怪我させて・・・・・しまうから・・・・・か。アンタの動作を見てる限り前者の可能性はほぼ皆無。となると…………」


 冥が右手で前髪を掻き上げた。その所作は果物のように瑞々しいおでこを露わにしたが、それに目が行かないほど照光は動揺していた。


「言いなさい。アンタの力は何? ことと場合によっちゃ——」


 ポウン、と可愛らしい光球が冥の左手のひらに生成された。


「——アタシの『反物質弾アンチスマッシュ』を、その身で味わうことになるわよ」


 前言撤回。可愛らしいなんて表現は場違いすぎた。


 万物と相容れない濁った白で象られたそれは凡人以下にも分かるほどの圧倒的なエネルギーを内側に宿し、ジジジジジジジジッ、と身を斬るような威圧感を放っている。まるでひとたび封印を解けばすべてを災厄で包むパンドラの箱のようだった。


「小さいからってバカにしないことね。これの質量は1マイクログラムにも満たないけどアンタを一万回殺してもお釣りが出るほどのエネルギーがあるんだから」


 冥の『反物質弾アンチスマッシュ』はたしか反物質を操作する力で、地球のエネルギー問題を解決するほどのパワーを相手に叩きつけてチリも残さない破壊的な能力だと聞いたことがある。


 彼女のような『白金プラチナ』のネクストにはある呼び名がある。


 最たる十二人。


 十二天道ドゥオデキモスト


(「まったく、羨ましいもんだ」)


 下手すれば次の瞬間に存在が消し飛ぶというのに、照光はまるで他人事のようにつぶやいた。さっきまで動揺で思考が定まらなかったのだが、絶体絶命の状況に置かれて逆に冷静さを取り戻したのだろう。


 その様子が袋小路に追い詰められ走馬灯を見るネズミにでも見えたのか、冥が誇らしげに高笑いを上げた。


「今さら逃げようったってそうはいかないわ。アンタが逃げようと振り向いた瞬間に反物質線を飛ばして粉々に吹き飛ばしてやるんだから」


 と、浮かべた下卑た笑みが完全に勝ち組特有のそれで、目は地べたを這いずるアリを睥睨するものであったのがさらに照光の神経を逆撫でした。


 自他ともに認める美貌と才能、そしてカリスマ性だけに飽き足らず、神は天外の力まで彼女に与えた。ここまで来ると理不尽さを通り越して納得すらしてしまう。


 いや、照光のような『マイナスの極地』の存在がいるのなら、それに侵された箇所を補ったり打ち消したりするために冥のような存在はむしろ当然と言えるかもしれない。


 ……だとすれば、あの少女の存在もまた、当然なのだろうか。


「ッッッ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


 いつまでもあの少女のことを引きずるみみっちい自分が気色悪く、乱雑に頭を掻き毟り、


 引き金トリガーが引かれた。


 つまり。


「……ぁあ……!!!!」


 憤怒の暴走。


 嫉妬の発露。


「ああああああクソ、クソ、クソ!! なんでだよ!? なんで俺ばっかこんな目に遭わなきゃなんねえんだよ!? ふざけやがって! ふざけやがって!! ふざけやがって!!!!」


 驚くほど些細な理由で爆発したのだと自分でも思う。だが逆を言えばそれほどにまで照光の精神はギリギリだったのだ。


「おかしいだろ!! 生きるために娯楽はすべて絶って血を見る仕事もこなして寝不足になるまで勉強も血反吐出すまで鍛錬してるってのに天才どころか一般人にだって届きゃしない!! 死に目に遭ったのは両手両足の指じゃ足らねえ!! だってのに友達の数は片手の指でも余っちまう!! 同級生からも教師からも誰からも世界からも蔑まされ憐れまれバカにされる!! そりゃそうだ!! どいつもこいつも人を見下す資格をちゃんと持ってるんだからな!! でももういいだろ!! もうそろそろ報われるなり諦めさせるなり殺すなりしてくれよ!! 変に期待させんじゃねえよクソッタレがぁああああああああああああああああ!!!!」


 その激情は決して冥に向けられた怒気でも嫉心でもない。


 青々と広がる空、ひいてはこの世界そのものへの怨嗟だ。


 だが人一人の怨嗟など高が知れている。現に怒号で空が乱れることも気合で大地が割れることなどはなかった。


 しかし、その余波だけでも所詮一人の少女でしかない冥を震え上がらせるには充分だった。


「殺せよ」

「えっ?」

「殺せっつってんだよ。お前の手にあるヤツを俺に当てたらよく分からんが苦しむ間もなく死ねるんだろ? だったらやってくれよ」


 照光にはもうこの世界で生きる理由を見出すことができなかった。だったらやることは一つだ。


 ガギギギギギギ、と照光の手足から鳴る不協和音を聞いた冥は圧倒的な感情を見せつけられたことも相まって終始うろたえ気味だ。


「な、何言ってんのよ。これはただの脅しに決ま」

「イヤならこっちから行ってやる」


 暗く淀んだ、まるで迎えに来た死神を厳かに受け入れる老人のような声を発した直後だった。


 天龍の脚ドラゴンブラストで地割れを起こすほど強く踏み込み、返す反動で弾丸のように冥に飛び込む。ひっ、と年頃の少女らしい声を漏らした冥は光球を持つ左手を突き出した。


 あれに触れたらこの苦しい世界から逃れられる。そう思うと恐怖などはなくむしろ人生で一番の笑顔すら浮かべられた。


 虐げられ、奪われ、憐れまれ、蔑まれ、絶望しかない世界に、


 未練などなかった。






『愚かな人』






 あの少女を見返せなかったこと以外は。


 思いっきり魔龍の腕ドラゴンインパクトを伸ばして光球に触れた。


 これですべてが終わる。


 目をつぶってそう思った。


「…………???」


 しかし返ってきたのは静寂のみ。耳をつんざく爆音も身を包む消失感もなく、もしかしてあっという間に天国————照光の存在価値を考慮すると地獄かもしれないが————に来たのかと思って恐る恐る目を開けたら、ちょうど突き飛ばされて尻餅をついた冥と校舎裏の光景が変わらずにそこにあった。


「……あれ?」


 思わず素っ頓狂な声を出して冥を見たが、彼女の方がこの状況の理解に苦しんでいる様子だった。


 成績の悪い照光の知る由もないが、反物質というのは何も触れたらすべてを消し飛ばす万能なものではない。ある物質と電荷などがまったく正反対の性質を持つものが反物質と呼ばれ、それと衝突して対消滅を起こした時に初めて莫大なエネルギーが発散される。


 冥がこの時生成したのは人間の皮膚の反物質。つまり、人体以外が・・・・・触れたら・・・・何も起こらない・・・・・・・爆弾・・だということだ。おそらく同級生の背後に殴りかかろうとした時に手袋を外したところは見えたが、無機義体であることまでは確認できなかったのだろう。


 照光は光球を握り潰した金属の手を見る。


 本人はなぜ何も起こらなかったのかさっぱり分からなかったが、一つだけはっきり分かる事実があった。


「なんで……死んでないんだよ……」


 死神の鎌が外れて落ち込む人間がいるとすれば、間違いなくこの世で彼だけだろう。


 自分が生き残ってしまったことを噛み締めながら、照光はとぼとぼと家路に就いた。


「……アタシは、……夢でも見ているの……?」


 一人残った冥の言葉だけが虚しく響き、虚しく空気に溶け込んだ。


次回、いよいよ闘争アンド逃走シーンです。無能の主人公はその手脚以外に何を武器にするのでしょうか?

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