第27話 ???VS白金
笑顔を忘れた道化師の反撃が始まります。ちなみに視点切り替えアリです。
照光は巨大な金属の腕を創造していく計を虚ろな目で見つめる。その顔にはもう輝かしい笑顔の残滓すらなく、冷たい無表情だけを湛えていた。
魔鋼の指をクラゲのように揺らし、天銀の爪先で地面をつつく。目を瞬かせて上体をぶらぶらと揺らす。黄泉返った身体の動作テストで特に異常は見当たらなかった。
ただ、表情筋だけは思うように動かない。口の端を上げようとすればギリギリと引きつり、まなじりを下げようとしてもピクリとも動かない。本当はぐちゃぐちゃに笑い飛ばしてこんな状況を有耶無耶にしてやりたいのに、その顔は軋むばかりだ。
どうやら……笑い方を忘れてしまったらしい。
——そうか……さっきの音は、『ネジ』が外れた音だったんだな。
照光はいつか誰かに言われた『一本しかない頭のネジ』の話を思い出す。当初はバカらしい話だと思っていたが、笑えない今となっては信じざるを得なかった。
今まで全無能な照光は周囲の蔑みや嘲りから自我を保つためにつらい時も悲しい時も絶望した時も笑うように心がけてきた。それがいつしか照光の人格の根幹となり支柱となりネジとなっていた。逆を言えば、それがなくなったら照光は照光じゃなくなるということだった。
ではなぜ、その最後のネジが外れてなお自我を保っていられるのか?
その答えを照光はもう知っていた。
「ありがとな、空井」
まるで遺言のように優しく弱々しい言葉を残し、ゴウンッ! と盛大に土煙を上げながら猛然と駆け出した。
「……なんなんだよ。何がテメェをそこまで駆り立てるんだ。義理も義務もないテメェがなんで生き返ってまでしてあんな気色悪い女を助けよーとすんだよ!?」
巨人の腕を薙ぐようにして振り抜く計の悲鳴にも似た疑問に、しかし笑うことなくつぶやくようにして答えた。
「『星を見せてね』って言われたから」
「はぁ!?」
横から迫る巨人の腕を避けることなく、抱え込むようにして受け止める。壮絶な衝突音が鳴ろうが身体の節々が悲鳴を上げようが何メートルも押し出されようが、照光の脚が揺らぐことはなかった。
「あの娘が言ったんだ。『星を見せてね』って! 自分の運命に絶望してすべてを諦めた女の子が、お前らが人形だの心がないだのと断ずる女の子が、一雫の涙を流しながら、……『星を見せてね』って!!」
胸がこの上なく熱い。力んで刀傷が開いた故か、はたまた止めどなく溢れる白心への思い故か。おそらくその両方だろう。
「こんな……こんな俺にだぞ!? 才能も何もなくて、道化師として自分を笑い殺し続けるしかない、俺にだぞ!?」
「このっクソがッ! 離っしやっがれッ!」
「お前は言われたことがあるか? いやないだろうな。助けを求める女の子を物欲や破壊欲の対象としか捉えられないんだからな」
食い縛る口の両端から血が溢れ出る。しかし照光はそれを己のエネルギーにすると言わんばかりに舐め取る。
「舐めんじゃねーよ三下ァ。俺ァ上でお前が下。いくら気張ろーがこの現実だけは絶対に覆られねーんだよクァーッカカカカ!」
人の神経を逆撫でする不愉快な嘲笑。しかし照光の耳に届くことはなかった。
「……俺は言われたぜ。だから俺はそれに応えなきゃならなかった」
あるいは、魂に、と言うべきか。
「だけどもうそれも叶わない。お前が、俺が、この世界が、あの娘を殺してしまったんだ!!」
「カッ。じゃー独りにさせねーようにさっさと追いかけてやれよ。喜んでくれるぜきっと?」
計は異常に指が長く手首が隆起した左手で多くの鉄塊を浮かせ、一斉に無防備な照光に向けて飛ばした。それらすべてが一つ残らず照光の顔面や腹部に襲いかかり、口や鼻からは血をブチ撒け完全に開いた前面の傷は学生服を赤黒に染め上げた。
それでも照光は倒れることなく計を見据える。
憤怒と憎悪に燃える瞳で、ずっとずっと、ずうぅぅっと。
「喜ばねえよ。笑い方を忘れた俺なんざ空井にとっていないも同然だろうから」
ゾクリ、と計の背筋に悪寒が走る。このままだと何をされるか分かったものではないのですぐに別のアプローチを試みた。
それはか弱い女でも成人男性を殺せる単純にして最強の手段。
すなわち、絞殺。
地中に埋まっている大量の砂鉄を持ち上げ照光の首にまとわりつかせる。それら一つ一つを磁力で強固に繋ぎ合わせ一気に喉を締め上げる。ゴヒュッ、と喉笛がなったことから間もなくその首をへし折れるだろう。
「あーばよ、ばーいばい、まーたらいねーん♬」
「や"っでみ"や"がれ"ぇえええぇええええぇぇええぇえぇえぇええぇぇえええええ!!」
気道圧迫による窒息死か、頚椎骨折による即死か、はたまた極限状況からの自殺か。
勝負の決め手は————
「オンドゥルガッサイヤぁぁあぁあああああああああああああ!!!!」
そのどちらでもなかった。
その光景を百人が見たら、その全員が口を塞げないほど驚いたことだろう。
何十トンもある金属の腕を装備した計が、空高く放り投げられたのだから。
「オイオイマジかよいったいどーなってやがんだよ!?」
「この際だ、もう一度言ってやるよ。お前の逆鱗に触れたあの一言をな」
なおもぐんぐんと昇り続ける計は錯乱状態に陥りそうな頭を必死に鎮めて眼下を見る。
そこに照光の姿はなかった。代わりに駆け抜けるような足音が耳に浸透する。信じられない気持ちで錆びたブリキ人形のようにギリギリと首を回すと、奴がそこにいた。
右腕の上を狼の如く駆け抜ける、虹野照光が。
「お前は空井に負けたんだよ」
「ああ……うわああああああああああああ!?」
猿叫のような悲鳴を上げながら慌てて右腕をパージし、照光から離れるようにそれを蹴飛ばす。そして最寄りのダストタワー(周囲のものはほとんどバラバラだったからかなりの距離があったが)に電磁力を利用して身体を一気に引き寄せた。
これで一安心、と気を緩めていた計は、自身がどんな魔獣を呼び起こしたのかをまだ理解してなかったのかもしれない。
「心が弱ければお前らを恐れて暴虐に耐え続ける。心がなければ自分を嘆くこともなく運命を受け入れる。だが実際はどうだ! あの娘は逃げた! お前らの陵辱にも拷問にも屈せずに自分の足で逃げて、そして勝ったんだ! これを強いと言わずしてなんと言う!?」
無運枠は。人間未満は。高天原の落ちこぼれは。虹野照光は————空中を走っていた。計が切り離した右腕からいくつもの鉄塊を剥ぎ取っては投げ、それを飛び石伝いにして計へと急接近していたのだ。
地獄の果てのその先まで追い詰めてやる。そう語る剥き出しなまでの本能を目の当たりにして計の心臓は比喩抜きに一瞬止まった。
「い、いくらなんでも突飛すぎんだろ!?」
「あの娘には心がある。お前らから離れたい、自由になりたい、人間として笑いたい、きれいな星空を見たいと願う、誰よりも温かい心を持っている! それなのに人形だの心がないだのナマ言ってんじゃねえぞクソッタレがァアア!!」
無数の雷の矢を投げるが縦横無尽に空中を駆ける照光はそのほとんどをかわし、当たった数本もまるで周囲を飛ぶ羽虫の如く気にもせず、ギラついた眼光で計を射抜く。
間もなく目の前に躍り出た照光がその拳を力のままに振り抜く。計はそれを間一髪でかわし拳圧で吹き荒れる風に鳥肌を立たせながらも、カウンターで空中上段回し蹴りを喰らわせた。
「落ちやがれゴキブリ野郎!」
ゴシャア!! と側頭部の肉が潰れるたしかな手応えを感じ、その威力を示すように照光は力なく地上に落ちていった。
「クカァーッカッカッカッカ! ザマーみやがれこの人類最底辺の頂点め! そのまま地獄に落ち————」
最後まで言葉が紡がれることはなく、代わりに計は目を思いっきりひん剥いた。
「第三演目…………————」
なぜ奴は、落ちながら空手の構えなどを取っているのだ?
「————【爆風正拳】!!」
咆吼する大気。
もはや驚く間も逃げる間もなかった。
手数に重きを置いたボクシングのパンチと違って一撃必殺の意志を込めた空手の正拳は、空気の壁を超えて一つの巨大な衝撃波として計に襲いかかる。
「ごあ————がはぁ!」
その衝撃は勢いとなり、ダストタワーまで一直線だった計の斥力をもってしてもそれを殺しきれず、流れ星を巻き戻したような軌道でダストタワーに減り込むほど強かに身体を打ちつけた。
絞り出すように息を吐き出し明滅する視界で見下ろすと、冷酷な殺意を秘めた顔でこのダストタワーに駆け寄る照光の姿を認めた。
その姿にはもう、動揺も弱さも全無能もない。
「げほっがはっ、ああクソッ、いいぜ、認めてやるよ。お前は俺の敵だ。そして史上最高に喰らい甲斐のある獲物だ」
計は飢えを湛えた目に明確な殺意が宿らせ、埋まる身体をダストタワーから踊らせる。
その右手に万象を灰燼に帰す巨大な雷剣を顕現しながら。
「嬉しいねー。俺の『強欲』はテメェからの強奪をもってして最高の充実を味わえる。喰わせてもらうぞ、テメェのすべてを」
万の渡り鳥がさえずるような音を響かせる雷剣を、計は思いっきり上段に振りかぶり、獲物の前で舌舐めずり狩人の笑みを浮かべた。
「お前の生きた証は俺の四肢となって生き続ける。一瞬で狩り獲らせてもらうぜ!」
あいにく今の俺に奪われるようなものはない。降ってくる計を見据えながら照光はそう思った。
白心を笑わせるための笑顔は完全に消え去り、温かいと言ってくれた義体の価値を見失い、照光が護りたかった白心はもうこの世にいない。生きる術も力も理由も失って、むしろこのまま死んだ方がいっそ楽な気さえした。
それでも、照光は走る。節々が悲鳴を上げ、胸は燃えるように熱く、口から血反吐を吐き、頭の中が荒波のように揺れても、照光は走る。いったいなぜこの状態で走れるかもあやふやなまま照光は走り続けた。
たった一つの思い。そして、新しく生まれた『ネジ』を守るために。
「あの娘はお前より強い。俺はあの娘を護りたい。だから俺はお前を倒せなきゃなんねえ。あの娘より弱くないことを証明するために、俺はお前ごときにやられるわけにはいかねえんだよ」
憤怒のギアを引上げた天龍の脚が、轟咆する。
「なのに。なのに! なのに!! あの娘は死んでしまった! お前らの残虐さが、世界の残酷さが、俺の残念さが、あの娘を殺したんだ! もう護ることも笑わせることもできない!」
憎悪の歯車が噛み合う魔龍の腕が、鳴響する。
「俺は憎む。こんな俺と悲劇を生んだ世界を、笑う意味と意義の失った世界を、空井から笑顔を奪った世界を、俺は憎む!!」
悲哀の紅涙を滴らせる虹野照光が、慟哭する。
「もう二度と笑ってなるものか。こんな腐れきってウジハエダニの湧いた世界なんかで、誰よりも気高くきれいな空井を殺した世界なんかで、二度と笑ってなるものかァアア!!!!」
照光の慟哭を楽しそうに見る計は背後のダストタワーを電磁力で大根のように引っこ抜き、それを縦に回転、すなわち剣道の面打ちのような軌道でブン回した。
ガオンッ! と空気を潰すような音を立たせて迫るダストタワーを照光は、
「第四演目、【烈風斬脚】!」
音速の上段回し蹴り————正確にはそれで発生したカマイタチ————で斬り落とした。
「な、にぃ!?」
「部外者は舞台から降りろ! このサーカスはあの娘だけに捧げる鎮魂歌だ!」
ボンッ! と地面を蹴り飛ばしダストタワーの切り口に飛び込む。間も無く空高く舞い上がり見下ろすと計が信じられないといった風にこちらを見上げていた。
——チャンスはここしかない。ここを逃がしたら後はない。
——これをモノにして、空井に強さを証明するんだ!
「見てるか空井! 虹の道化師の最初で最後の大一番だ! 見逃すんじゃねえぞ!」
脹脛と肘からブースターを噴いてさらなる推進力を生み、眼下の計の許へと突撃する。
「……気に食わねーな。なんだってそんな『勝ってやる!』みてーなやる気があるんだよ。なんだって無運枠と白金との間にある壁を超えようなんざすんだよ。俺とテメェの差は絶対的なモンなんだぞ!? どーしてそれでも諦めよーとしねーんだよ!」
そう言いながらも計はその理由をおそらく本人よりも理解していた。
『彼は特別なものを持っている。それは無機義体の四肢でもネジの外れた頭でもなくて、「太陽の魂」なのだよ』
絶対に輝きを失わない『太陽の魂』。
当初この話を計の上司から聞いた時は鼻で笑っていたものだ。自分の力を前にしたら、如何なる者でも慄き絶望して、それは照光も例外ではないと思っていたからだ。
それなのに。
その少年の瞳には、たしかに宿っていた。
万物を照らす太陽の如く強い輝きを。変わることのない大空の如く広大な意志を。
照光の瞳に呑み込まれていたこの時点で、あるいは決着がついていたのかもしれない。
照光の瞳にばかり気を取られていた計は、照光が腕まくりした魔龍の腕の前腕を重ね合わせ、何かを抱きしめるように前に突き出していたことに気づくことはなかった。
「第五演目…………————」
そして、その意味不明な構えから放たれた現象に計は思わず目を閉じた。
「————【照輝鏡】」
いや、閉じざるを得なかった。
「がっ————」
圧倒的な光の暴力がその腕から解き放たれ、計の網膜を焼き尽くしたからだ。
——クソッ、あのヤローやりやがった!
——無機義体の両腕をバカみてーな速さで広げてその摩擦で発光現象を起こしたんだ!
「だが残念だったな! テメェの動きなんざ裸同然に丸見えだ!」
クカカ! と獣骨を転がすような笑い声とともに雷剣を上段から脇構えに直し、さらにバスターソードの形だったそれをレイピアのように細長いものにした。
宣言通り計にはたとえ目をつぶっていようと照光の動きが手に取るように分かっていた。
電磁レーダー。
計を強襲した戦車の中にメガネの少年しかいなかったことを見抜いた能力。これは細かく短い電磁波を飛ばしてその反射波から対象との距離を正確に測れて、本気を出せば厚さ3メートルの核シェルターの内部構造だって読み取れる高位の索敵能力だ。
今回はそれを受信のみに特化していた。なぜなら照光の義肢は特別製故か異常なまでの電磁波を発していて、そうすることにより普通の人間が攻撃に使う拳と足の動きを肉眼以上に鮮明に見えるからだ。
もう一度言うが計は照光の動きが手に取るように分かっていた。
その上で自分の能力がおかしくなったのではないかと疑った。
照光の身体がムササビのように広がったのだから、誰だってそう思うはずだ。
「どうなってやが……!」
両腕が計に覆い被さるように上に行き、両脚が包み込むように下へ伸びている。義体自体の体積や形、発する電磁波量が増えていないことから間違いなく照光の胴体が広がっているのだ。
「うお、うおおおおおおおおお!?」
戦々恐々といった風に悲鳴を上げながらも、その首を掻き斬ろうと斜め上に雷剣を薙ぐ。
が、手応えが一切ない。目が見えなくても分かる。完全に空振ったのだ。
「テメェの敗因は俺の手脚しか見てなかったこと。そして俺が道化師だったことだ」
その声は刃筋の下から聞こえた。つまり、口の位置が通常の人間の高さにあったのだ。
計の脳裏に最恐にして最凶にして最狂の姿の照光が思い浮かぶ。
そんな。まさか。ありえない。————だが、それしか考えられない。
焼かれた網膜が治りかけ、それでも閉じようとするまぶたを無理やりに開ける。
そこに奴がいた。最恐にして最凶にして最狂の姿をした照光が。
「手脚ばっか見てんじゃねえよ! 目の前にいるのはこの俺だぞクソッタレがァアア!」
義体の四肢という柱のない袖と裾をはためかせ、ダルマのように無様な照光が、太陽の如く強い目で突っ込む。
義体なんざいらねえ。そんなものを使わなくてもお前に勝てる。————その目は確実にそう語っていた。
なぜ義体を捨てたのか。なぜここまでするのか。なぜそんなことができるのか。なぜこれほど怒っているのか。
計の頭に渦巻くそんな疑問は、おそらく照光にとって寸毫の価値もないのだろう。
それこそ道化師のようにふざけておどけようと思っただけのことだったのだ。
計はようやく恐怖する。命を弾丸にして命を的にする、破滅の権化のようなこの少年に。
「なんなんだよテメェは」
唇と喉が震えるように動く。
「なんなんだよテメェはよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
「道化師だよ」
もはや泣きそうな顔で雷剣を返す計の耳に、そんな声が届いた。
冷たく悲しそうで、しかしどこまでも強い声だった。
「笑顔を忘れて大切な人も護れない、哀れな道化師だよ」
グオン! と手脚のない体が思いっきり反らされる。
一人の少女のために四肢を切り離してでも勝とうとする意志を持つ者。かたや相手の本当の価値を見誤って軽視したことに後悔を抱く者。
勝敗の議論など、わざわざするまでもない。
鋼鉄のように硬い照光の頭が計の額を捉え、壮絶な打撃音を響かせながら計の身体が木の葉のように吹き飛ぶ。手に宿っていた破雷の剣は空気に溶けるように消えていく。人類の最上位に位置するネクストに人間未満が勝った瞬間だった。
しかし、払った代償はあまりにも大きかった。
勝利の美酒にも酔い痴れず、歓喜の咆吼も轟き上げず、翼を失ったカラスのように地上へ落ちながら、照光はただただこう思った。
ドウシテオレダケガイキテイルンダ?
佳境に入って参りました。あと何文字ぐらいになるかなあ。




