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レインボーピエロ 太陽の魂と白雪の心  作者: 水無月 一
第01章 少女の笑顔
30/41

第26話 崩壊

投稿です。視点切り替えがあります。

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 どれくらいの沈黙を置いただろうか。悠久の時が過ぎたとも感じられたし、一秒と経っていないようにも思えた。どちらにせよ、本当に信じられない光景を目の当たりにしたら人間は何も考えられなくなるということだけは確実に実感できた。


 気づいた時には仁王立ちしていた。炭となったはずの身体には血肉が通い黒鋼の四肢をはめている。そして側には横たわる白心がいた。たったそれだけ。たったそれだけの状況に置かれただけで照光の脳は真っ白に塗り潰されていた。


「う、つろ、い…………?」


 ドサッ、と震わせていた天龍の脚ドラゴンブラストの両膝を落とし、ようやく少女の名前を呼んだが案の定返事がない。


「な、……なあにこんなところで寝てんだよ。身体冷めちまうから早く布団に戻ろうぜ? ほら、さっさと起きろよ。起きないとその、ええっと、む、胸触っちゃうぞ? こうやってモミモミワキワキってな? ニシ、ニシシシシ」


 未だに何かの冗談と思ってこちらも慣れないジョークを飛ばすがまったく反応がない。つまらなかったかな? などと頬を引きつらせながら笑顔で現実逃避してもその現実がステルス機並の速さでチェイスしてくる。


 白心の顔を見るとそれは茹でダコのように真っ赤に上気していて、まるで『過剰に生きている』風に思えたが、頬に触れても引っ張っても餅みたいに伸びるばかりで一切の反応がない。


 体を起こそうと恐る恐る手を取り背中に腕を回す。その手にはあるべき脈や体温がまったく感じられず、体重など木の葉ほども感じられない。雪のような美しさを湛えた白い髪のたなびきも今では氷柱つららのように硬く冷たく無色に感じた。


 結論から言うとそれらは照光の勘違いだ。無機義体の手に感覚神経など通っているわけもなく、すなわち触診で白心から生命活動を読み取ることも圧覚で体重も感じることもできるわけがないのだ。しかし、逆を言えばそんな自身にまつわる常識を常識と認識できないほど今の照光の精神状態は摩耗していたということだ。


「嘘、だよな。なあ、嘘だよな? 起きてくれよ、笑ってくれよ、また頭突きしてくれよ。ほら、ここに笑顔があるぞ、空井だけの俺の笑顔があるぞ? ほーれニシシーニシシーニッシシッシシー! ……ようしじゃあ特別サービスだ、今起きたら一時間、いや一日中俺の笑顔を見せてやるよ。今だけだぜ? ほーれほーれ起っきろー起っきろーニッシシのシー!」


 暖簾に腕押し。糠に釘。死客に道化師。つまり、今の照光は哀れ以外の何者でもなかった。


 それに残念な話だが、照光の笑顔にはそれだけの価値はもうなかった。口の端は非対称に歪み、目と鼻からはしょっぱい水を無尽蔵に溢れさせ、喉の奥からは何度も嗚咽を覗かせる。顔にあるそれらを総括してできた構成物は、もはや嫌悪するものでしかない。


 ぐちゃり、とその笑顔が潰れる。痺れていた脳が少しずつ正常に戻る。


「————…………嘘だ。……嘘だ。嘘だ。嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソウソウソウソウソウソウソうそうそうそうそうそうそうそう…………そ、だよ、なあ?」


 気づけば視界が荒波の如く揺らいでいる。呼吸も自分のものと思えないほど早くなっている。


 粘土のように顔を歪ませた照光の頭で走馬灯が回る。


 白心の無表情。白心の激しい頭突き。白心の心の闇。白心の純粋さ。白心の裸体。白心の凄惨な過去。白心の涙。白心の匂い。白心の寝顔。


 時間にして三日もない、世間では夏休みの一部でしかない記憶を、照光は何百回何千回何万回と思い出しては噛み締める。こんな経験をできて幸せだったと思った。


 同時に、なければ良かったとも思う。


 もし、照光が白心に星空を見せようと考えなかったら。白心を笑わせようと考えなかったら。白心を助けようと思い立たなかったら。白心と出会うことがなければ。あの日に台風の目が通り過ぎなければ。最悪、照光がこの世に生まれなければ。


 そんな仮定が一つでも満たされたら、こんな悲劇は起こらなかったはずだったから。


「あ、あが、おうお、うごえあ」


 その口から胡乱な声を漏らし、溢れそうな吐き気を飲み込む。目から赤い鉄の涙を滴らせ、身体を旧式洗濯機のように震わせる。






 連星、というものがある。照光が知識を詰め込もうと天体について手を出した時に知ったもので、お互いの重力の影響を受け合うことで一組の星となる天体のことだ。


 きっと照光と白心はその連星だったのだ。お互いがお互いが引っ張り、お互いを支える運命共同体だったのだ。


 だがその関係は、片方がもう片方に光を教えたことで崩れ始めた。


 光を知って大きくなった星は運命を共にするはずの星を呑み込み、独りになった星は行き先を見失って暗黒の銀河を彷徨い続ける。それが離別した連星の末路である。


 つまり。


 照光の目の前は真っ暗だった。


 光を教えた少女が自分の夢に呑み込まれたせいで、夢を見失うという本末転倒に陥ったから。






 ————死んでる。


 照光はついに、白心の生命活動の停止をその頭で認めてしまった。


 笑顔にさせたい少女が死んだ。他の誰でもない、自分のせいで。


 きっかけはそれだけだった。それだけにしてそれ以外では起こり得なかった。


 カキッ、と頭の中で何かが外れる音がした。小さくて軽く、しかし見逃してはならない音だった。


「そうか。…………そうか」


 虚構と虚勢の笑みを消して、真っ平らな声で照光はつぶやく。おもむろに天龍の脚ドラゴンブラストを起こしてその身体を立たせ、魔龍の腕ドラゴンインパクトをゆっくり握り込む。その一連の行動に一欠片の怒りも一雫の悲しみも一抹の憎しみもなく、むしろ白心の顔にあるような『完全な無』しかなかった。


 たった一つ。新しく貼り替えた笑顔を除いて。


「死んじゃったかあ。……死んじゃったのかあ。……信じられないなあ」


 ニゴオ"ォ"ォ"。


 嬉しそうな、潰れたような、悲しそうな、楽しそうな、壊れたような、腹立たしそうな、取り繕ったような、つまらなそうな、削れたような、苦しそうな、焼き付けたような、哀れみそうな、剥げ落ちたような、悩ましそうな、憎らしそうな、死んだような。


 子供の頃に誰しもが経験する、『きれいな色を作ろうとしていっぱい絵の具を混ぜたら灰色になった』ような笑顔であり、散り際に最も輝く星の断末魔のような笑顔だった。


 偶然か、あるいは必然か、照光はそれを計に向けていたようで、それを挑発と取ったのか計が間を置かずに雷の槍を振りかぶった。


「死、……んに晒せえええええ!!」


 計が叫んだ瞬間、照光は白心から離れるようにように前へと突っ込み、黒鋼の手を避雷針のように前へ前へと突き出した。


 これ以上この娘を傷つけるな。そう言わんばかりに。


 照光の手のひらから当たった雷の槍は瞬く間に全身を蝕み、耳を貫く雷鳴を轟かせる。体表からは身体中の血液を蒸発させたと思わせる赤黒い煙を噴き上げる。


 それでも、そんな人が生きられる状況から外れても————照光は笑った。


 馬鹿馬鹿しそうに。くだらなそうに。すべてをかなぐり捨てるように。


「ニシャシャ! ニッシャシャシャシャシャシャシャシャ!」

「————!!!」


 計の喉が掛け値なしに干上がった。


 雷に自ら突っ込む無茶に怯んだからでもそれを受けてなお立ち続けるタフネスに驚いたからでも、必死の状況であるはずなのに狂笑きょうしょうを上げる歪みに気味の悪さを感じたからでもない。


 捕食者ヘビであるはずの自分が獲物に一瞬でも恐怖した事実に怒りを覚えたからだ。


 ニゴオ"ォ"ォ"、と何もなかったかのように照光が外笑げしょうを向ける。


 ジャリ、という音が足許から聞こえた。それが自分が一歩下がった音だと————全無能にして無運枠ラックラックである照光を警戒したが故の行動だと認識するのに時間はいらなかった。


「チクショウが。ナメてんじゃねーよゴキブリ野郎があぁあ!」


 それを否定するように、威嚇するように叫んだ計は周囲にある鉄塊のすべてを背後に従え、いつでも発射できるように攻撃体制を取る。その様は一万の銃兵を従える猛将さながらであり、はたから見ればたった一人を相手取るのに過剰すぎる戦力だ。


 スッ、と両腕を上げて構えを取る照光。ボクシングのファイティングポーズであるそれを見た計の脳裏に、『照光は幼少期よりあらゆる格闘技の修練を積んでいるが無能故にどれも人並みに上達することがなかった』旨の記録が浮かぶ。


 そんな錆びた剣を構えるほど前も後ろも見失われていることに足許で蠢くアリを見るような哀れみを覚え、同時にそれを自分に向けることへの冒涜を感じた。


「死ね」


 そうつぶやき、鉄塊による絨毯爆撃を決行する。


 この時、計は気づかなかった。照光の唇から「第二演目」という言葉が漏れたことに。


 直後、それ・・は起こった。






 空気が破裂し、前へ撃ったはずの無数の鉄塊がすべて後ろに吹き飛んだのだ。






「……………………………………………………………………………………はっ?」


 何秒沈黙していたかも分からず、それを破った一言も胡乱なものでしかなかった。


 自分はたしかに鉄塊たちを照光に向けて一斉に発射した。なのになぜ、それらは計の後ろで転がっているのだ?


「…………ッ!」


 ニゴオ"ォ"ォ"、と相変わらず照光は歪笑わいしょうを浮かべる。ゾアッ!! と身体中で鳥肌がスタンディングオベーションした時には既に第二波の用意をしていた。


 ——まさか……極限状況になってネクストに覚醒したってか!?

 ——いやだがありえねー。ネクストへの覚醒には突出した才能の所持が最低条件だ。

 ——あんな一般人未満のゴキブリ野郎にそんな器があるわけがねー!


 とりあえずどうやって今のを対処したのか見るためにもう一度絨毯爆撃を決行した。


 そして、計はその行いを後悔することとなった。


「————……ウソ……だろオイ……」


 愕然と。まさに顎が外れそうなほど口を大きく開けて驚いた。


 鉄塊が雨の如く降る中で照光はシャドーボクシングをしていた。それは十何年も格闘技をやっている人間とは思えないほど肩に力が入って型も統一感がなく、『キックボクシング』のジーニアスである計からしたら哀れなほど稚拙なものだった。


 だがその中でも目を見張る凄まじいものがあった。いや、凄まじいどころではない、それは明らかに常軌を逸していた。


 腕の突きと戻しが目に見えないほど速いのだ。


 それは魔龍の腕ドラゴンインパクトの運動性能、天龍の脚ドラゴンブラストの安定性をフル活用して為し得たものだと即座に理解できた。そしてそんな拳を振るうたびに空気の破裂音が響き鉄塊は計の後ろへと転がっていく。


 そう。






「拳を突き出した際の空気圧、……空気砲の要領で撃ち落としてんのか! それもあの数の鉄塊すべてを撃ち落とすほどの手数とパワーでだと!?」






 言うは易し、行うは難しとはまさにこのことだろう。たしかに『拳を突き出した数十メートル先にある金属の塊を撃ち落とす』と文章で書き示すのがいかに容易いかは分かる。だが、その文面を実行しなおかつ誰かに信じさせるのがどれほど困難を極めるか。そのことを身を以て思い知らされた。


 ガシャガシャガシャン、とすべての鉄塊が転がりきった音を最後に、照光は柳の枝をしならせるように右腕を持ち上げ射抜くように計を指した。


「お前、ビビったな?」


 ビクンッ! と計の肩が飛び跳ねる。先ほどまでの人離れした笑声から沈鬱とした、言うなれば人間らしい痛罵つうばへの振れ幅に驚いたのだ。


「ビビっただろ? 俺の第二演目、【陣風連拳ブロウブロウ】にお前、ビビっただろ?」

「はぁ? なんでテメェみてーな踏みつけられるだけのゴキブリ野郎にビビんなきゃなんねーんだよ。頭ワくにしてもちと早すぎんじゃねーの?」


 ベロン、と挑発するようにスプリットタンを垂らし、人差し指を頭の横で回す仕草を取る。


 計の発言は真偽を分かつものだった。


 たしかに今は・・ただ憤怒と悲哀という人間が持つ感情を向けてくるだけだからなんら恐怖を感じない。ただ、処理を終えたと思える時限爆弾、または異形の魔物から元の姿に戻った人間へ抱くような、どうなるか分からないことへの不安を覚えていた。


 だがまあ、所詮本気を出した『雷神太鼓ライジングビート』の前ではそれも塵のように吹き飛ぶだろう。


 ガシャガシャガシャガシャンッ! と右腕に多くの鉄塊を繋ぎ合わせ30メートルはあろうかという巨人の腕を創造した。


「まあ、楽しくはあったぜ。だからサヨナラだ、虹野照光」



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