第17話 照光の過去
空井白心視点です。
「俺は先天性の四肢欠損を患ってこの世に生まれた」
いきなりの重い話に白心は絶句する。
「指が欠けてたりとか肘膝までしかないとかそんなもんじゃない。見て分かる通り肩口から、足の付け根からがすべてなかったんだ」
「————」
「俺の親は悲しかっただろうな。苦労に苦労を重ねてやっとのことで生んだ俺がそんなダルマのお化けだったんだからな」
「…………」
「それでも両親は俺を捨てることなく育てることを決めたらしい。でも、俺が無運枠の抽選枠に当選した報せを聞くともしかしたらなんとかなるかもと思って、二人はそれにすべてを懸けて俺を高雅天上ヶ原に送ったらしいんだ」
「らしい、っていうのは、どういうこと?」
「俺は両親の顔を知らない。生まれて間もなくここに送ったって話だ。この話も聞いただけのものだ」
「そんな」
「おおっと同情はなしだぜ。むしろこのことが俺の唯一の誇りなんだ。ウチの両親は家族みんなで暮らす幸せを捨ててまで子供の幸せを考えてくれた立派な人だからな」
この人はなんて強いんだろう。照光の笑顔を見ながら白心はそう思った。
普通なら独り異国の地になんの才能もない自分を送った顔も知らない両親を恨むのが妥当だ。成人もしていないような年頃の少年だったらその権利はある。それでも彼は恨むどころか自分のためであることを察して感謝する。喜怒哀楽の感情豊かで子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべる人だと思っていただけに、大人な思慮深さを超えて老獪な柔和さすら感じる内面性にただただ感嘆した。
「で、物心ついた時にはすでにこの義体があった。無運枠として入国したから補助金なんて出なくて有機義体みたいに高価なものは買えなかったけど、ある病院————高天原第一総合病院だったかな、そこの院長に無機義体のモニターにならないかって話があって、赤ん坊の俺のいた養護施設がそれを代わりに承諾して着けることになったんだ」
「でも、それじゃあ」
「ああ。当然周りから不気味がられたよ。ついこの間まで手足のないダルマのお化けだったのに突然金属の手脚が生えたんだからな。夏でも長袖長ズボンを着て手袋までつけているのもそれを隠すためだ」
そう言って彼は布団の中でも着けている手袋を見せた。
「その後は?」
「完全なぼっちだよ。俺は無機義体がバレないように人を避けていたけどそもそもその必要はなかった。人は無運枠の烙印がある俺を貶して近づこうとしなかったからな。当然友達なんてできるわけがねえ。その点では城ヶ崎家には感謝だな」
と、ここで照光がボリボリ、と頭を掻いて少し考え込むような顔になる。この話をしていいものかと悩むようなそれで、白心としてはすべて聞きたかったが急かすことなく照光の口が開かれるのを待った。
「んーと、養護施設にいる間は、……ていうかその時からずっといじめを受けてたんだけど、幼稚園を卒園と同時に学生寮で一人暮らしを始めたんだ。何でも屋もその頃に始めてな、ドブさらいや高層ビルの窓拭きは小学生の頃に、ギャング団の助っ人やヤクザの鉄砲玉は中学生で経験した。死にかけた回数は両手両足の指じゃ足りない。病院には何針縫うか、何リットル出血するか患者の間で賭けの場ができるほどお世話になったよ。……とても他人に自慢できるような人生じゃないな」
「とても、つらかったでしょう?」
「もちろん。隠しはしないよ。お前のことを知らなかった当時は俺は世界一不幸な人間だと思ってたものさ」
——当時は、ね。
白心は自分の胸がズキズキと痛むことを自覚した。
周りに人と見られず孤独を生きる。そこまでは白心とだいたい同じだ。
だが照光には親との思い出がない。四才まで本島にいた白心ですら家族との思い出があるというのに、生まれて間もない彼は支えも何もなくこんな喰うか喰われるかの世界に来てしまった。
それに彼には自分の四肢がない。自分を抱き締めて温めるその腕、希望を探す実感を味わうその脚すらないのだ。
そして、可能性のある環境がたった一つの烙印のせいで無となったこと。
照光はたしかに才能がないかもしれない。それでも周りと友好関係を築いて一喜一憂する権利があった。好きな部活に入って後輩や先輩と切磋琢磨する権利があった。学校帰りに友人と買い食いなどして青春を謳歌する権利があった。
なのに、国が勝手に選んで勝手に押した無能の烙印のせいで照光の人間としての生活はなくなった。
それなのに。
そこまでの絶望に満ちているのに。
——この人は、自分が不幸だと思っていない?
誰よりも————ある意味では白心よりも孤独と不運の中に生きてきたというのに、目の前で子供のように笑うこの少年には悲愴感の欠片もない。
すべては、『白心を笑わせる』という目的ができたから?
——……知りたい。
——こんなに強くて優しいこの人のことを、もっと知りたい。
気づいた時には口が動いていた。
「ねえ、あなたの夢は、なんだったの?」
「? そりゃもちろん道化師としてお前を笑わせることだけど、言わなかったか?」
「その前のことよ。あなたはいったい、どんなことを夢見ていたの?」
「…………笑わないって約束するなら、言ってもいいけど」
笑わせたいはずなのに笑うなと言うのも変な話だ、と思いつつも白心は大きく首肯した。
「俺は、ヒーローになりたかったんだ」
「ヒーロー? ヒーローってあの、三分間だけ巨大化してスペシウムな光線で怪獣を倒したり、オートバイで颯爽と現れて改造人間たちと戦ったり、アンパンでできた顔を他の人に食べさせたりする、あのヒーロー?」
「何言ってるかさっぱり分からないけどたぶんそのヒーローだ。……なんだその『子供っぽい夢ね。けどあえて何も言わないでおくわ』みたいな顔は。ケッ、やっぱり言わなきゃよかったよ」
プイッ、と拗ねた子供のように顔を背ける照光に白心は慌てて謝る。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃないの。でも、どうしてそんな夢を?」
「俺が卒園するまでは施設にいたって話したよな」
「はい」
「その時に俺はヒーローを見たんだ。いや、正確には見たわけじゃないけど、それが起こした奇跡を目の当たりにしたんだ」
「どんなことが起こったの?」
「あれは嵐が酷い日のことだった。常日頃のいじめに加えて風や雷の音が俺の心をいつも以上に削っていてな、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ああ、俺はここで死ぬんだ、って比喩抜きで思ってたよ。そしたらそれが起こったんだ」
ニシシ、と照光は温かい記憶を懐かしむように笑い、
「急に嵐が止んだんだ。鳴っていた雷雨も止まって挙句に日の光まで射した。そこにいたみんなはもう大騒ぎだったよ。なんたって窓から外を見れば施設周りは暴風状態だったのにそこだけ晴天だったんだからな。まあ当時は知らなかっただけで結果から言うと偶然台風の目が通り過ぎただけなんだけど、そのヒーローのおかげで一日中施設での話題になって俺がいじめられずに済んだし、こっそり見たその光景が俺の心の支えになってくれたんだ。俺は、紛れもなくヒーローに命を救われたんだよ」
照光の顔はまさにピンチの場面に現れたヒーローを見る子供のように爛々としていて、そんな輝かしいものを目の前に置かれた白心は思わず息を呑んだ。
「どうしたんだ空井、顔が赤くなってるぞ?」
「そ、そんなこと、ないわ。こんな薄暗い、部屋で顔色なんて、分かるわけがないし、きっと見間違い、よ」
「そうか。まあとにかくあの日から俺は人を救うようなヒーローになりたいって思うようになって、そこから何でも屋になろうって思ったんだ。今となっては短絡的だなと思うけどそのおかげでお前と出会えたなら満更でもないけどな」
頬を赤く染めて恥ずかしそうに笑う彼はなんだか永劫に咲く花のように思えて、絶対に折れない心の強さを垣間見た気がした。
「……あなたは」
「ん?」
「あなたはどうして、そんなに強いの?」
「お前がいるからだよ」
まるで備えていたかのように照光は即答した。
「俺はお前に感謝してんだよ。風船みたいに空っぽに笑うことしかできない道化師だった俺に、お前が生きる希望になってくれた。誰からも忌み嫌われるこの金属の手脚が、お前を救う力になると思えた。人でも刀でもなんでも壊せる穢れたこの手を、お前は優しく温かく受け止めてくれた。……もうそれだけで俺は幸せだ。だから俺のために笑わなくてもいい。自分が幸せになるために笑ってくれ」
そっと布団から出した手で照光は白心の頬に触れた。
誰よりも強くて、誰よりも優しくて、誰よりも温かいその手で。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
白猫を愛でるように親指で撫でられ、白心の胸の底から何かが湧き上がってきた。
とても熱く、だけど二度と手放したくない心地良さのあるものだった。
「俺にできることがあればなんでも言ってくれ。頑張って叶えてやるよ」
目の前で微笑む少年がたまらなくまぶしく見えて、そのせいか目にチクチクと痛みが走った。
「! す、すまん。もしかして触られるのが嫌だったか?」
そう言って照光は気まずそうに手を引いた。もっと温もりを感じていたかった白心はなぜ放されたのか不思議に思った。
「どうして、手を放すの?」
「いやだってさ、お前、涙が……」
「えっ?」
それを聞いて目の周りを拭うと、手の甲に少量の水が乗っていた。
涙。そんなものはもう十年以上流したことのないものだった。
ここに来てすぐに薬物で感情を消され何も感じない人形にされた。あらゆる事象に肯定否定を判断する壁を取り去り自分の能力をいつでも発動できるようにするためだ。おかげで実験や開発でどんな苦痛や恥辱を味わわせられても涙どころか表情筋一つ動かなくなった。
でも。
そんな永久凍土のような人形に、彼が熱い心を注いでくれたおかげで、
「うっ……」
「おいっ、大丈夫かよ!?」
人間として涙を流すことができた。
両手で目を覆った白心を見て焦燥気味に体を起こした照光が、白心の体も起こそうとする。だが自分の手のせいで泣いていると思っているせいか触れるのをためらってアワアワしている。そこで白心は自分の力で起き上がり、おもむろに照光の手袋を外してそれを自分の頬に添えた。
「おいやめろって! お前これのせいで泣いたんだろ!? なんで自分から触れに行くんだよ!」
「私は、人間なのね? こうやって涙を、流せるから、人間なのね?」
「今更何言ってんだ! そんなの当たり前だろ!」
「なんだか胸が、すごく痛いの。これも人間の、証拠なの?」
「そうそうそうだよだから放してくれって頼むよなんでもいうこと聞くからお願い!」
慌てふためき泣き出さんばかりに懇願する照光がとてもおかしく、そして愛おしく思えて、笑うとしたらこんな状況なのだろうかと未知なる領域に思いを馳せた。
だが今はまだ笑うことができない。でも、彼と一緒にいればいずれ————
「じゃあ、聞いてくれる?」
「はいどうぞ!」
「星を見たいの。ここはいつでも、ネオンライトに包まれて、星がまったく見えない。子供の頃に見た、あの星々をまた、見てみたいの」
「……星かぁ……」
窓に目を向けた照光に釣られると外は星一つない闇一色だった。廃棄場の外灯は少ないのだがそれでもここまで届く周囲の光が星明かりを遮っているのだ。
やはり無理だろうか、と言った後で少し後悔していたら、
「ニシシ、オッケー」
と、まるで買い物を頼まれた子供のように軽く承諾してくれた。
「できるの?」
「できるできないじゃない。やるんだよ。今まで一言も助けてって言わなかったお前が初めて俺にお願いしたんだ、やらないわけにはいかないだろ?」
ニシシ、と。初めて会った時と同じ無邪気さに決意を秘めた力強い笑顔を白心に向けた。
「絶対に最高の星を見せてやるからな」
もう、限界だった。
「うぅ……うぅうう……!!」
胸の中で爆発しそうなほど募っていたものが、涙としてボロボロと激流の如くあふれ出る。今までほとんど使うことのなかった表情筋が紙のようにくしゃくしゃに歪むのを感じる。
十数年ぶりの涙が嬉し涙。これ以上の幸せなどどこにもあるまい。
「『泣き顔と笑顔じゃ世界の見え方も変わってくるぜ』って言うけどヒッグ、まさかヒック、泣き顔で見る世界が先とはヒッグ、思わヒッヒッ、う、うぅうぅうううう……」
「ねえなんでもっと泣くの!? やっぱ触ってるからでしょ!? これ以上お前の泣いてるところなんか見たくねえぞ!」
「絶対……星を見せてね……」
「オーケーオーケーだから放せって! なっ!?」
「絶対ヤダ」
「スタイリッシュ約束反故ッスか!?」
「なんだいテルさっきからうるさ……失礼しました」
「カアアアイ! この状況見て逃げるとはいい度胸してんじゃねえかオラァァアアアアアアア!!」
「どうしたのテル兄さんさっきからうるさ……ああぁぁぁ……」
「うわー! アイ姉が気絶したよ!」
「ウワキゲンバを目撃して気絶したよ!」
「「テル兄ひっでー!」」
「やっぱとっとと失せやがれ城ヶ崎ファミリー! 今大事な話してんだよ!」
「ねえねえどんなコトしたの? こんなきれいな娘泣かせるなんて罪な男だね(ニヤニヤ)」
「勘弁してくれよぉ!」
少しでもいい。白心はこの温もりに触れ続けていたかった。
どんなものよりも人間味にあふれるこの手が心地良いから。
彼の温もりこそが白心の笑顔への鍵だと確信していたから。
白心に残されたわずかな時間を少しでも長くこれに充てたかったから————
照光はドラえもんやポケモンなどテレビにも出るメジャーなものは知ってはいますが、触れたことがないため中身までは知りません。




